【松本人志】「折り合いがよくなかった」父の死去について語る。
2016/08/01
okaoka0820
生年月日:1963年9月8日
出身地:兵庫県尼崎市
血液型:B型
身長:172cm
ダウンタウンのボケ担当として、浜田雅功さんとコンビを組んでいる松本人志さん。
1982年から活動しており、もう30年以上もその第一線を走り続けているお笑い芸人です。
松本 人志は、日本のお笑い芸人、漫才師、作家、作詞家、俳優であり、お笑いコンビ・ダウンタウンのボケ担当。よしもとクリエイティブ・エージェンシー(東京)所属。
お笑いというジャンルを飛び越え、様々な方面でも活躍している松本人志さん。
相方である浜田雅功さんは「天才」と称し、松本人志さんはきっとピンでもやっていけると太鼓判を押す。
そんな、天才松本人志さんの家族構成を見てみましょう。
公表されている家族は以上の通りです。
お兄さんはテレビ共演などもしており、有名になりましたよね。
今回の記事では、この家族の中でもお父さんにスポットを当てます。
松本人志さんのお父さんは、2014年8月に永眠されました。
一報は松本人志さん本人の口から、「ワイドナショー」の中で発表されました。
番組冒頭で松本は「密葬だったので、喪主の兄貴やおかんから言わんといてくれって言われていて。この間お葬式が滞りなく終わりまして、おやじが完全に焼き上がりまして」と冗談交じりに報告。共演者に「どうしていいかわからないでしょ? 香典いただいていいですか」とあえて笑いに変えた。
松本人志さんらしく、辛気臭くならないよう、笑いを交えながら、場の空気を笑いに変えながらの報告となりました。
今まで1回も褒められたことがなく「そんなに折り合いがよくなかった」と明かした松本は「おやじが死んでもええかなと思ってたけど、思ったよりけっこう(胸にぐっと)きやがるなと。だからおかんのときはけっこうやばい。30倍くらいくるかな」としみじみ。
元々はあまり折り合いの良くなかった松本人志さんとお父さん。
ですが、お父さんが亡くなった際、その喪失感を実感した様子です。
お父さんの訃報を伝えた松本人志さんのツイッターには、以下のように書かれていました。
表には出せないような、親子の中での様々なやりとり、ぎくしゃくした関係もあったのかもしれません。
それでも、松本人志さんはお父さんとの思い出を振り返り、こう続けています。
葬式で帰省。あの人と暮らした尼崎を少し歩いた。あの人と子供の頃行った太陽の塔を見に行った。あの人と食べたチキンライスを食べたらさすがにいろんな感情が押し寄せて来やがった。。。
お父さんと生活した場所を歩き、お父さんとの思い出を辿るように様々な場所へと訪れた松本人志さん。
悲しまない、と思っていても、やはりその胸の中にはこみ上げるものがあったようです。
そして、ツイートの最後はこの一言で〆られました。
たった一言ですが、松本人志さんのお父さんへの想いが、見るだけでグッと押し寄せるように伝わります。
さて、先ほどのツイート内にもあった「チキンライス」
小さい頃、好きでよく食べたという方もいるのではないでしょうか。
このチキンライスには、松本人志さんとお父さん、家族との思い出が詰まっています。
松本人志さんとお父さん、そしてチキンライスの思い出…それが詰まった作品が、浜田雅功さんが歌う「チキンライス」に込められています。
この「チキンライス」という歌は、松本人志さんが子供の頃を振り返って作詞したものです。
歌詞の中に、幼い頃貧乏だった家族が外食に行くと、もう連れてきてもらえなかったら…という思いから高いものは頼まず、いつもチキンライスを頼んでいた、というエピソードが出てきます。
何気なく始まるこの冒頭の歌詞。
お父さんと折り合いが良くなかった、と言っている松本人志さんですが、ふと親孝行について考えたりすることもあるんですね。
もちろん、お母さんのこと、とも当てはまりますが、お父さんを亡くされたあとに「HEY!X3」のスペシャルでこの曲が歌われた際、松本人志さんの目には感極まったものがうっすらと浮かんでいました。
お父さんのことも、やはり頭にはあったのか、亡くしてからふいに脳裏によぎったのか…。
幼い頃の思い出が溢れだしたのかもしれませんね。
槇原敬之 チキンライス 2014ver.
「チキンライス」を作曲したのは槇原敬之さん。
2014年のHEY!HEY!HEY!で歌った際の様子がこの動画です。
この歌詞を作った際のエピソードもまとめられています。
2015年2月に、SMAPの中居正広さんもお父さんを亡くされています。
癌を患い、2年間の闘病の末だったとのこと。
「松本さんは(父と)面識はなかったんですけども、酔った席だからかはわからないですけど、“もしあれだったら何かできることあるかな?”“もしあれだったら会いたいけど、どうかな?”って。お父さん喜んでくれるんだったら、ちょっと行ったろかみたいな」(中居)
一切面識がなかった松本人志さんと中居正広さんのお父さん。
ですが、松本人志さんも父親を亡くして思うところもあったのかもしれません。
自分から、会いたいと中居さんに持ちかけたそうです。
松本の顔を見た正志さんが、「浜ちゃんは?」と筆談したことで、病室は笑いに包まれた。また松本がお土産に持ってきた『日活ロマンポルノ』の歴史本で盛り上がるなど1時間ほどの穏やかな時間はあっという間に過ぎていった。
松本人志さんだけに背負わせるのは申し訳ないと、中居さんは松本人志さんのほかに、タモリさんと笑福亭鶴瓶さんも一緒に呼んだそうです。
みんなでワイワイと盛り上がり、楽しい時間を過ごしたそう。
そしてスケジュールの都合でタモリが帰ることになり、鶴瓶も「帰る」となったので、中居は松本にも「ひとりでいるとしんどいんで帰ってください」とお願いした。しかし松本は拒否したという。
「いやアカン。これだけワーワーやっててみんなで帰ったら、お父さんが寂しすぎるから…」
そう言って松本は、その後20分ほど正志さんの病床に残った。
楽しい時間が続けば続く程、シンとした病室は寂しさを募らせるもの。
松本人志さんはそこまで考えた上で、楽しかった余韻が引くくらいの時間まで、ゆっくりと中居さんのお父さんと過ごしたそうです。
いくら親しい付き合いをしている人の父親だとは言え、それまで面識もなかった人にここまで気を使えるものでしょうか。
松本人志さんの、テレビでは見る事のできない一面を垣間見た気がするエピソードですよね。
いかがでしたか?
普段はおちゃらけたような印象の強い松本人志さんですが、カメラでは映らない場所ではすごく紳士的で真っ直ぐな人なんですね。
こういった多くの人の目には入らない場所でこそ人に親切にできる。
人として、見習いたい部分でもあります。
今後、更に人として見習いたくなるエピソードが出てくるのを、楽しみにしたいですね。
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