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野球界のスター選手であるイチロー、その年齢やエピソードは?

幅広い層の男女から人気を集め、日本の野球界にその人ありといわれているイチロー。そんなイチローさんの年齢は実は41歳。その年齢を感じさせない活躍をしているイチローさんの過去のエピソードだけでなく、同じ年齢の有名人についてもまとめました!

日本が誇る野球スター、イチローは現在41歳

イチロー

出生:1973年10月22日(年齢41歳)
出身地:愛知県西春日井郡豊山町
学歴:愛知工業大学名電高等学校卒業
職業:プロ野球選手
ポジション:外野手(主にライト)
プロ入り:1991年

高校生時代からすでに地元では有名選手で、二度の甲子園出場経験がある。1991年からドラフト4位でオリックス・ブルーウエーブに入団。独特の打席フォームである「振り子打法」を編み出し、シーズン200本安打・209打席連続無三振・プロ野球史上最年少でのシーズンMVPなど数々の偉業を達成する。2001年から海外へ移籍し、シアトル・マリナーズ、ニューヨーク・ヤンキース、マイアミ・マーリンズと活躍の場を広げている。

この10月22に42歳の誕生日を迎えます。

イチローさんといえば、「レーザービーム」「振り子打法」と日本では知らない人などいないという超有名選手です。今なお現役で活躍されているイチローさんですが、その年齢は41歳。
イチローさんの年齢にまつわるエピソードをご紹介します。

イチローと同年代、41歳の有名人

イチローさんと同年齢の有名人①:ロベルト=カルロス

ロベルト=カルロス

本名 :ロベルト・カルロス・ダ・シウヴァ・ローシャ
出生:1973年4月10日
出身地:ブラジルサンパウロ州ガルサ
職業:サッカー選手
プロ入り:1991年

日本でもロべカルの愛称で知られたロベルトさん。彼もイチローさんと同年齢でプロ入りも同じ年です。一度引退をされていたのですが、現役復帰することを今年発表。悪魔の左足は健在か?
二人ともがんばってほしいですね。

イチローさんと同年齢の有名人②:Gackt

Gackt

出生:1973年7月4日
出身地:沖縄
職業:シンガーソングライター・俳優・声優・音楽プロデューサー
担当:ボーカル・ギター・ベース・ドラム・ピアノ
ジャンル:ロック、オルタナティヴ・ロック、ポップ・ロック

こちらは別の意味でイチローさんとは同年齢にみえないGacktさん。活躍される場はお互い違いますが、最前線で活躍されているお二人、どちらもセクシーです。

イチローさんと同年齢の有名人③:篠原涼子

篠原涼子

本名 :市村 涼子 (旧姓:篠原)
出生:1973年8月13日
出身地:群馬県桐生市
職業:女優
デビュー:1989年

イチローさんと同年齢である篠原涼子さん。あまり接点のなさそうなお二人ですが、実はオリックス銀行カードローンの広告で共演、イチローさんと二枚看板を務めています。確かにどちらも頼れそうなお二人です。

イチローさんと同年齢の有名人④:前園真聖

前園真聖

本名:前園真聖
出生:1973年10月29日
出身地:鹿児島県薩摩郡東郷町(現薩摩川内市)
職業:プロサッカー選手
プロ入り:1992年

「マイアミの奇跡」とよばれたU-23サッカー日本代表のキャプテンを務めた前園さん。このかたもイチロー選手と同年齢です。「前園さんのいうとおり」というフレーズを覚えている方も多いのでは?
サッカー選手としては10年ほど前に引退されています。イチローさんの選手生命の長さが窺えます。

イチローさんと同年齢の有名人⑤:大泉洋

大泉洋

本名 :大泉 洋
出生:1973年4月3日
出身地:北海道江別市大麻
職業:俳優、タレント
デビュー:1995年

俳優・タレントとして活躍されている大泉洋さん。このかたもイチローさんと同年齢だったんですね。
大泉洋さんは仕事でシアトルに行ったとき、イチローさんの試合を見てきたそうです。残念ながらイチローさんはその試合ノーヒットだったそうですが、逆にレアだと喜んでいたそうです。

イチローさんと同年齢の有名人⑥:千原ジュニア

千原ジュニア

本名 :千原 浩史
出生:1974年3月30日
出身地:京都府福知山市
職業:お笑い芸人、司会者、俳優
デビュー:1989年

お笑い芸人から、司会、俳優と活躍の場を広げられている千原ジュニアさん。このかたもイチローさんと同年齢です。本人も意識しているのかトークのなかで、同じ年齢なのにどうしてこうもイチローと自分はちがうのか、という自虐ネタを披露されていました。

イチローがデビューした当時の年齢は18歳

1992年7月11日に18歳という年齢でデビューしたイチロー選手。今からみると意外ですが、高校時代は投手として活躍されていました。

イチローこと鈴木一朗外野手が世間の注目を浴び始めたのは1994年の5月ごろだった。92年にオリックス・ブルーウェーブでプロデビューしたイチローは、当時の土井正三監督の起用方針のため、一軍でプレーする機会はほとんどなかった。最初の 2年間でわずか83試合しか出場せず、合計でも36本のヒットしか記録しなかったのだから、彼が全くの無名選手だったのも無理はない。
そのイチローが94年シーズンの開幕からヒットを量産し、一気に注目を浴びるようになった。そのシーズンに年間210安打という日本記録を樹立し、一気にスターダムにのし上がったのは周知の通りだ。

出典:http://st.japantimes.co.jp

あのイチローさんがデビュー当時はほとんど無名だったというのは信じられない話ですね。どうやら監督とそりがあわなかったようです。意に反することはたとえ監督でも逆らうような態度だったため干されていたようですが、当時年齢18歳にしてその度胸はさすがとしか言いようがありません。

イチロー学生時代のエピソード

イチローは雑誌のインタビューで、中学生時代を振り返りこんな発言をしています。
『小学校ではあまり勉強しなかったんですけど、中学になって、 それじゃマズイって、一生懸命勉強したんです。
テストの点は取れました。実際、自分ができる限りの勉強はしました。 でも1番にはなれなかったですよ。
学年で7番とか8番にはなれても、決して1番にはなれなかった。それで勉強あきらめたんですよ、僕』

出典:http://www.ichiro-meigen.com

いやいや、学年で7番とか8番とかでも十分すごいと思いますよ。しかし、それで納得しないのがイチロー選手。年齢がいくらだろうとイチローはイチローなんだなと思わせてくれるエピソードでした。

1989年イチローは野球の名門、愛知工業大学名電高校(愛工大名電)に入学し、3年間の寮生活を送ることになります。
寮生活がはじまって1ヶ月たったある日、久しぶりに家に帰ったイチローはこう漏らしました。
『お父さん、僕、野球やめようかなぁ』
それに対して、イチローのお父さんは静かな口調でこう答えたそうです。
『一郎、今日まで自分がやってきたことがなんだったのか、 よく考えなさい。いま野球をやめて、それでも後悔しないと思えるのなら、 お父さんはそれでいい。ただ、何ごとも”後悔先に立たず”だよ』

出典:http://www.ichiro-meigen.com

どんな人にも苦悩はつきものです。しかもイチローの年齢は当時16歳。悩むことも多かったでしょう。それに対しこう返せるお父さんもすごい。親になったら子供にかけてあげたい言葉です。

野球部の高校生の夢といえば、「甲子園」でしょう。イチローも甲子園に出場したいという気持ちは人一倍強かったようで、高校時代を振り返ってこんな発言をしています。
『僕は小さいときから、いつも周囲の「できないだろう」という声に反発してやってきた。
全員で甲子園に行こうと言った以上、どうしても、それをやり遂げたかった。
もう必死でしたから。 』

出典:http://www.ichiro-meigen.com

まさに努力の人、イチロー。そのかいもあり、高校二年生の当時年齢17歳のときに甲子園出場を果たしました。人生における目標と努力というものの大切さを教えてくれるエピソードです。

愛工大名電高校時代から地元では有名な選手で、愛知を代表する名門野球部において1年時からいきなりレギュラーを獲得(ポジションは三塁手で打順は主に1 - 3番) 。2年時に夏の甲子園(左翼手として出場)、3年時に春の甲子園(投手として出場)と2度甲子園に出場したものの、いずれも初戦敗退に終わっている。高校時代の監督は中村豪。松井秀喜とはこの頃から練習試合を通じて面識があった。高校3年生の地方大会での打率が7割以上を記録していた程の打者だった。

出典:https://ja.wikipedia.org

打率7割という信じられない成績を残してきたイチロー、高校一年生で当時年齢16歳の時からレギュラーと、イチロー選手には数々の伝説があります。これも彼のたゆまない努力のたまものでしょう。

年齢を重ねるごとに輝くイチロー選手、これからも伝説は続く

小学四年生(年齢9歳)からたゆまぬ努力を続け、今では知らない人のいない、野球選手といえばイチローといわれるほどにまで活躍したイチロー選手。彼のあまりにストイックな生き方は、見る者の感動と憧れを引き起こします。これからも年齢を重ねるごとにより輝くでしょう。これからの活躍も期待しています。

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