年齢性別を超えて愛されるタモリ!その軌跡と長寿番組の歴史がスゴイ
2021/12/02
onozawa
タモリさんのプロフィール
芸名:タモリ
本名:森田 一義(もりた かずよし)。
生年月日:1945年8月22日(年齢70歳)
出身地:福岡県福岡市
職業:お笑いタレント、司会者、俳優、歌手、ラジオパーソナリティー、作詞家、作曲家、作家、実業家
所属:田辺エージェンシー
血液型:O型
身長:164cm(自称)
活動時期:1975年 -
過去の代表番組 テレビ番組
笑っていいとも!
笑っていいとも!増刊号
今夜は最高!
タモリのボキャブラ天国
ジャングルTV 〜タモリの法則〜
タモリの音楽は世界だ! 他多数
ラジオ番組
タモリのオールナイトニッポン
タモリの週刊ダイナマイク
ブリタモリ大百科事典
だんとつタモリ おもしろ大放送!
タモリのヨッ!お疲れさん 他多数
作品 CD
「タモリ」
「タモリ2」
「タモリ3 - 戦後日本歌謡史 -」
「ラジカル・ヒステリー・ツアー」
「タモリのワーク・ソング」
「狂い咲きフライデイ・ナイト」 他多数
著書
「タモリのおじさんは怒ってるんだぞ!」
「タモリのTOKYO坂道美学入門」 他多数
タモリさんといえば、明石家さんまさん、ビートたけしさんと並ぶお笑い界のレジェンド。
いつみても年齢を感じさせないことから、実在しない疑惑まであるタモリさんですが、タモリさんもこう見えて御年70歳!タモリさんの年齢に関するエピソードをご紹介します!!
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吉永小百合
生年月日:1945年3月13日(年齢:70歳)
出身:東京都渋谷区
身長:157㎝
職業:女優
大女優吉永小百合さんと同年齢!
吉永さんも本当に年齢を感じさせずいつまでもお美しい・・・
永井豪(本名:永井潔)
生年月日:1945年9月6日(年齢:70歳)
出身:石川県輪島市
職業:漫画家
代表作品:『ハレンチ学園』
『あばしり一家』
『デビルマン』
『マジンガーZ』
『ドロロンえん魔くん』
『キューティーハニー』
『バイオレンスジャック』
独自の世界観と発想で有名な漫画家永井豪さんの年齢も70歳。
タモリさんといいこの年齢層は天才が多いのか。
セルジオ越後
生年月日:1945年7月28日(年齢:70歳)
出身:ブラジルサンパウロ
身長173㎝
職業:元プロサッカー選手、サッカー評論家、指導者
セルジオ越後さんは、タモリさんと比べると年齢相応な気もしますが、一言一言の発言にパワーが溢れているのはこの年齢になっても変わりません。
長塚京三
生年月日:1945年7月6日(年齢:70歳)
出身:東京都世田谷区
身長:181㎝
職業:俳優
永遠のダンディズム長塚京三さんもタモリさんと同年齢の70歳!
若いころからダンディでしたが年齢を重ねるごとに本物のダンディーへ進化しておられます。
おすぎ(本名:杉浦 孝昭)
生年月日:1945年1月18日(年齢:70歳)
出身:神奈川県横浜市
職業:タレント、映画評論家
著名な家族:ピーコ(兄)
おすぎさんも年齢不詳!実は共演も多いタモリさんとは同年齢。
いつまでもあのテンション、頭が下がります。
ピーコ(本名:杉浦 克昭)
生年月日:1945年1月18日(年齢:70歳)
出身:神奈川県横浜市
職業:タレント、ファッション評論家・ジャーナリスト、シャンソン歌手
著名な家族:おすぎ(弟)
おすぎさんが出ればもちろん、辛口なこの人も!兄弟そろってタモリさんとの共演は多いですが、三人揃ってのカラミを見てるとそれぞれが年齢を感じさせず、不思議な感覚になります。
中学時代には、近所にあった平尾バプテスト教会(バプテスト派のキリスト教会)に通ったという。ただし、キリスト教に興味があったわけではなく、宣教師の身振り手振りや喋りが面白いからという理由であり、この経験は、後の年末年始特別番組『笑っていいとも!特大号』(フジテレビ系列)、オープニング時の「タモリ神父の説教」に活かされている。なお、標的になったR.H.カルペッパー宣教師の真似は、当教会関係者から見ても「確かによく似ている」そうである。
幼少時代より大人びており、「偽善」という言葉を知っていたと語り、幼稚園入園時期が迫り、園を見に行ったおり「ギンギンギラギラ夕日が沈む(童謡『夕日』葛原しげる作詞・室崎琴月作曲)」を両手を回転しながらお遊戯している園児達を見て、自分には出来ないと入園拒否[2]。小学校入学に至るまで、毎日、一日中坂道に立って人間観察を行っていた。また「5歳が俺の精神的ピークだったんだから」と、冗談めかして語ってもいる。
高校を卒業後、1年間の浪人生活を送る。大学浪人中はしばしば押入に潜り込み、中国や韓国からのラジオ放送を長時間聴いていた。これが「藤村有弘以来」と言われた、「6か国語マージャン」などの「インチキ外国語芸」へとつながった。また、座禅を組んで極度の瞑想に近い経験をしたこともある。
福岡時代、大学時代のジャズ仲間がいたことから、コンサート終了後、その友人が泊まっていたホテルで終電がなくなる時間ギリギリまで飲みながら話し込んでいた。いざ帰ろうと部屋から出た際、やけに騒がしい一室があり、通りがかり様に半開きになっていたドアから中を覗いた。室内では、ナベサダのコンサートに同行していた、山下洋輔トリオ(山下洋輔、中村誠一、森山威男)が歌舞伎の踊り、狂言、虚無僧ごっこなど乱痴気騒ぎをしていた。そこにタモリは乱入する。中村誠一が被っていたゴミ箱を取り上げるとそれを鼓にして歌舞伎の舞を踊り始めた。山下トリオの面々は「誰だこいつ?」と動揺するが、中村は機転を利かせてその非礼をデタラメ朝鮮語でなじった。しかし、タモリはそれより上手なデタラメ朝鮮語で切り返し、その後、タモリと中村のインチキ外国語の応酬が始まる。タモリが表情を付けてデタラメなアフリカ語を話し始めた際には、山下は呼吸困難になるほど笑ったという。始発が出る時間まで共に騒ぎ、タモリは「モリタです」とだけ名乗って帰宅した。
今では有名なエセ朝鮮語、エセ中国語が生まれた瞬間ですね!
福岡にいながら、カンパの資金で月1で上京して「素人芸人」として即興芸を披露するという生活を送り始めたタモリだったが、面白いことをやっている人間がいるという噂を聞きつけた、赤塚不二夫がタモリの元を訪れる。赤塚は、タモリの即興芸に心酔し、生放送が決定していた自らの特別番組にタモリを出演させることを決意。放送までまだかなり日数があったため、タモリは福岡に帰ることを望んでいたが、「タモリの芸をもっと見たい、福岡に帰したくない」と考えた赤塚は、常人ではありえない発想でタモリを引き止めた。
親友、盟友として有名な赤塚不二夫先生との出会いです。
その方法とは!?
赤塚は4LDKのマンションに住み、ベンツのスポーツタイプなどを保有する売れっ子漫画家だったが、それら全てを自由に使っていいからと東京に残ってくれとタモリに懇願。タモリはこれを了承し、赤塚宅での居候生活が始まる(タモリや赤塚らは「居候」と言っているが、実質的には居候ではなく「生活スペースの交換」)。赤塚宅に住み始めたタモリは、「ジャックの豆の木」を始めとした飲み屋で赤塚や山下らと馬鹿騒ぎする日々を送り、赤塚からは月に20〜30万円の小遣いが渡されるという破格の居候生活を送った。
その才能に惚れ込んで、タモリさんにこれ以上ない投資をした赤塚不二夫さん。
タモリさんご自身が大恩人であると明言されており、赤塚不二夫さんの告別式でも、下書きのない、白紙の弔辞を読み上げ言い表せない程の感謝を述べておられました。
赤塚の通夜、及び8月7日の葬儀・告別式に参列。その告別式では「私もあなたの数多くの作品の一つです。」との弔辞を読み上げた。この弔辞は7分56秒にも及ぶものであり、手にしていた紙を何度も見ながら時折涙声で読んでいたが、実際にはその紙は全くの「白紙」で、勧進帳のごとく、何も書いていなかったとの報道が一部でなされた
深夜バラエティ番組『今夜は最高!』(日本テレビ系列)などで、知性的な部分を前面に打ち出すようになり、ファン層を拡大していく。ただし、当時は下ネタ発言が多く、夜の番組の芸人というイメージが強かった。
タモリさんの知性、本領を発揮できるのはやはり夜、だと思う方も多いのではないでしょうか。
夕時の放送として主婦向けトークバラエティー「だんとつタモリ おもしろ大放送!」がスタート。主婦向けに夜の生活秘話などきわどいトークで人気を集めるように。この番組がきっかけになり、1982年、当時フジテレビのプロデューサーが「夜の顔を昼に」とタモリを昼の帯番組に起用するという荒業に出た。『森田一義アワー 笑っていいとも!』と『笑っていいとも!増刊号』(フジテレビ系列)は当初は低迷したものの、間もなく人気が沸騰していき、2014年3月31日の放送終了まで31年半続いた長寿番組となった。
タモリさんの魅力が良くも悪くも色濃く出ている番組ですね!
1990年代以降は、趣味や知識(タモリ本人曰く「広く浅く」)を前面に打ち出すようになり、『タモリ倶楽部』(テレビ朝日系列)の他にも、『タモリの音楽は世界だ!』(テレビ東京系列)、『タモリのボキャブラ天国』『タモリのジャポニカロゴス』(フジテレビ系列)、『ブラタモリ』(NHK)など続々とレギュラーが増えた。
また、テレビドラマにも積極的に出演するようになり、俳優としてのタモリの活躍の場が増えていくことになる。
1990年代半ばには、女子高校生の間で人気が出るなどし、老若男女問わず幅広い層からの人気を得るようになる。
この頃にはタモリさんは毎昼見る顔になり、ゴールデンタイム、深夜と幅広い層に当たり前に知られるようになりました。
かねがね噂があった、いいとも終了。いざ当日になると本当に終わるの!?という複雑な気持ちになった方も多いと思います。豪華キャストが出演し、ハラハラしながらも華々しいラストを飾ることが出来ました。本当にお疲れ様でした。
日本で知らない人はいないというくらい有名なタモリさん。
デビュー当時から苦労もされておりますが、本人が苦労と思わずに楽しんでいらっしゃったようにも感じます。何よりも人から愛され信頼される人なのでしょう。
実は音楽家であったり、小さいものから大きいものまで幅広い趣味をお持ちのタモリさん。
その楽しみも仕事に活かして自身楽しんでおられる姿からは年齢は想像できません。
幅広い知識、人望のあるタモリさんのこれからのさらなる活躍に期待です。
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