【勝新太郎】豪快かつ、思いやりのある受け継がれる様々な伝説!!
2016/07/29
sakura26
勝新太郎
勝新太郎(かつ しんたろう、1931年11月29日 - 1997年6月21日)は、日本の俳優・歌手・脚本家・映画監督・映画プロデューサー・三味線師範。市川雷蔵とともに大映の「二枚看板」として活躍。その後は「勝プロダクション」を設立し、劇場用映画やテレビ作品などの製作にも携わった。
数々の伝説を生んだ勝新太郎さんは享年65歳、奥様はバラエティでも活躍する女優・中村玉緒さんです。
ファンだけでなくマスコミにも愛された勝新太郎さん、その豪快で愛らしい人間・勝新太郎の伝説をご紹介します。
ホノルルで逮捕された勝新太郎さん、日本からマスコミが殺到しました。まるで映画のワンシーンのような写真ですね。この写真を見るだけでも勝新太郎さんの豪快伝説を感じます。
麻薬を下着に入れていた理由について「気付いたら入っていた」としらを切り、逮捕後の記者会見では「今後は同様の事件を起こさないよう、もうパンツをはかないようにする」「なぜ、私どもの手にコカインがあったのか知りたい。」ととぼけ通し、結局誰から薬物を受け取ったかについて、最後まで口を割ることはなかった。
コメントを聞いたマスコミも驚いたでしょうね。この発言をこのタイミングでする勝新太郎さん、伝説の男と言われる所以でしょうか。
日本でも逮捕され、懲役2年6ヶ月・執行猶予4年の有罪判決を受けました。裁判中は傍聴者を観客と呼んだそうです。
俳優・勝新太郎さんが不動の人気を得たのが「座頭市」、主人公・座頭市を演じた勝新太郎さんは役作りをしながら疑問に思うことがありました。
盲目ながら居合いで人を切る座頭市、その役を自分のものにするために伝説の俳優・勝新太郎は特訓ともいえる役作りに励みます。
最初は動かなかった耳が数ヶ月後には自在に動かせるようになったそうです。
徹底した役作りをして演じた「座頭市」、映画は海外でも大ヒットしました。この没頭する姿が今でも語り継がれる勝新太郎さんはまさに伝説の俳優です。
毎日飲み歩いていたと言われる勝新太郎さん、その飲み代も伝説・桁外れです。
当時、勝プロに所属していた松平健さんは、「驚くようなお金を制作費につぎ込んでました。気に食わないシーンは何度でも撮り直し、見てるこっちが冷や冷やしました」と証言します。
松平健さんは勝新太郎さんの付き人をしていた時代がありました。この二人の師弟関係もある意味、伝説です。
12億円の負債を抱えて、勝新太郎さんの会社「勝プロダクション」は倒産しました。
勝プロダクションが倒産してからは借金取りにまで追われる生活であったにも関わらず、借金で豪遊し、高級車に高級な服と豪勢な生活を続け、返済できぬまま死去。
この会見でも伝説の勝新太郎節が披露されました。
1996年、大麻事件から復帰した勝さんは、舞台『夫婦善哉・東男京女』で、結婚後初めて妻・玉緒さんと共演します。しかし、その地方巡業の途中で、勝さんは緊急入院することに。
1997年6月に家族を中華料理店に待たせて一人で医師から告知を受けたという勝新太郎さん、精密検査の結果は「下咽頭ガン」でした。
「煙草はやめた」というのにサービス精神でタバコを吸う様子は、勝新太郎さんならではのギャグだったようです。後に中村玉緒さんはこれはパフォーマンスで実際にはふかしていただけと語りました。人を驚かすのが大好きだったという勝新太郎さんならではの伝説の記者会見です。
葬儀は築地・本願寺で行われ、約11000人が参列したそうです。
当時のマネージャーが中村玉緒さんに「結婚してください」とプロポーズしたそうです。数々の豪快伝説の持ち主・勝新太郎さんの意外な一面ですね。
妻の中村玉緒について「中村玉緒は勝新太郎無しでも存在し得るが、勝新太郎は中村玉緒無しでは存在し得ない」と最高の賛辞を語っているが、玉緒は直接は聞き取っておらず「生きている時に言ってくれれば・・・」と語っている。
いろいろと苦労があった中村玉緒さん、借金返済にも翻弄されたそうです。照れ屋の勝新太郎さんらしく、こんなステキな愛の言葉を残すなんてステキです。
誰からも愛される勝新太郎さんらしい逸話です。借金も伝説ですが、人間的な魅力が偉大な伝説を生んだように思います。
昭和の名優、勝新太郎さんの伝説をまとめてご紹介しました。映画と人を愛した勝新太郎さん、どこまでも納得するまで探求し、人を驚かすためにハチャメチャをする、それにより多額の借金を背負いました。その借金を完済した中村玉緒さんも伝説の妻ですよね。
偉大な映画スターの勝新太郎さんの伝説、まさにアッパレです。
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