安室奈美恵の息子って何してるの?安室温大について調べてみました!
2018/04/14
Hanabana
俳優業だけでなく、映画監督や脚本家など幅広く活躍されていた勝新太郎さん。
大映の看板俳優として活躍されていました。
当時は「勝新」の愛称で親しまれており、代表作の座頭市シリーズは日本を代表する名作です。
1967年に勝プロダクションを設立し、勝新太郎さん自身で映画製作も行っていました。
本名: 奥村 利夫(おくむら としお)
別名義: 二代目杵屋勝丸
生年月日: 1931年11月29日
没年月日: 1997年6月21日
出生地: 東京市
職業: 俳優・歌手・脚本家・映画監督・映画プロデューサー・三味線師範
勝新太郎さんは長唄三味線方の杵屋勝東治の次男で、二代目「杵屋勝丸」を襲名しています。
十代のころから長唄と三味線の師匠として活動されていたそうです。
勝新太郎さんの兄は、俳優で歌手の若山富三郎さん。
映画「子連れ狼」シリーズの主演をつとめておられました。
勝新太郎さんはプロデューサーとして参加されています。
勝新太郎さんは、父親のアメリカ巡業中にハリウッドで出会ったジェームズ・ディーンがきっかけで、映画俳優になることを決めたそうです。
「映画界を背負って立つ、未来のスーパースター」と紹介されたジェームズ・ディーン。
勝新太郎さんは、ジェームズ・ディーンがよれよれのシャツを着てボサボサの頭だったのを見て、「こいつがスターになれるなら俺も帰国して映画スターになってやる!」と息巻いたらしいです。
若い人にとって勝新太郎さんはあまり馴染みがないかもしれませんが、漫画「ONEPIECE」に出てくる大将藤虎のモデルといえばピンとくる人もいるのではないでしょうか。
勝新太郎さんの存在は多くの人へ影響をもたらし、様々な形でその姿を残しています。
ファンからのサインを断ったことがなかったという勝新太郎さん。
必ず「座頭市」の毛筆イラストを添えていたそうです。
勝新太郎さんは1962年3月5日に、二代目中村鴈治郎の娘で同じ大映に所属していた、女優の中村玉緒さんとご結婚されています。
勝新太郎さんと中村玉緒さんは、1955年の映画「かんかん虫は唄う」の初共演で出会い、その後も映画で共演していくうちに惹かれあっていったそうです。
1960年公開映画「源太郎船」に出演されました。
勝新太郎さんと中村玉緒さんは、夫婦役として共演しています。
1960年公開映画「不知火検校」で共演されました。
勝新太郎さんは、杉の市役として、中村玉緒さんは浪江役として出演しています。
1961年1月9日公開映画「小次郎燕返し」で共演しました。
勝新太郎さんは、佐々木小次郎役として、中村玉緒さんは、梢役として出演しています。
1961年に勝新太郎さんと中村玉緒さんは、婚約します。
シャイだったという勝新太郎さんはマネージャーにプロポーズを言ってもらったそうです。
当時、勝新太郎さんの素行がよくなかったため、中村玉緒さんの父や周囲から猛反対されたそうです。
しかし、中村玉緒さんが勝新太郎さんとの結婚を強く望んだので、周囲も認め、結婚できたとのことです。
勝新太郎さんたちの新婚旅行は、箱根の富士屋ホテルだったそうです。
新婚初夜には中村玉緒さんに「チンチロ」というゲームを教えて、一晩中サイコロをふっていたらしいです。
勝新太郎さんは風邪で寝込んでいた中村玉緒さんのため、渡哲也さんに中村玉緒さんの好きな曲「くちなしの花」を電話越しに歌ってもらったという話があります。
勝新太郎さんは一軒一軒お店を探し回って、ようやく見つけた渡哲也さんに土下座してお願いしたそうです。
勝新太郎さんは、2児の父親です。
娘の真粧美(まさみ)さんは元女優、息子の雄大さんは「鴈龍」(がんりゅう)という芸名で俳優活動をされているそうです。
勝新太郎さんの娘、奥村真粧美さんはかつてスピード離婚や大麻の密売などで世間を賑わせました。
今は女優活動はされていないようです。
息子の鴈龍さんは以前、勝新太郎の息子であることを隠して、勝新太郎の付き人から修行を始めたそうです。
息子さんはデビュー当時、本名で活動されていたそうです。
その後「鴈龍太郎」へと変え、最後に「鴈龍」へと芸名を変えたとのことです。
本名: 奥村 雄大(おくむらたけひろ)
別名義: 鴈 龍太郎(旧芸名)
生年月日: 1964年8月9日
出生地: 京都府京都市
身長: 174cm
血液型: O型
特技: 英語、ダンス
鴈龍さんは100キロを超える巨漢だそうです!
父である勝新太郎さん製作・監督・脚本・主演・による「座頭市」で息子の鴈龍さんは、五右衛門役として映画デビューをしています。
1988年12月26日広島県福山市みろくの里撮影所で行われた撮影中に、事故が起きてしまいます。
殺陣のリハーサル中、時代劇経験のない助監督が息子の鴈龍さんに間違えて真剣を渡してしまい、それが子分役の俳優の首に刺さって死亡させてしまいました。
息子の鴈龍さんは、広島県警から業務上過失死罪の疑いで事情聴取を受けたそうです。
「スタッフから真剣を手渡されたとは知らなかった。スタッフが迫力をだすために勝手に用意して手渡した」と主張し、裁判でも認められたそうです。
勝新太郎の息子として期待されてデビューした息子の鴈龍さんですが、このような大スキャンダルに見舞われたデビューを果たしました。
また、この時勝新太郎さんは死亡事故が発生したにも関わらず撮影を続行したため、大スキャンダルとして報道されました。
スキャンダルに見舞われた映画「座頭市」でしたが、話題になったこともあり大ヒットしました。
そして息子の雁龍さんは、しばらくの間自宅謹慎となったそうです。
「座頭市」はビートたけしさんや綾瀬はるかさん、香取慎吾さんなどによる主演で、何度もリメイクされています。
国際的にも有名になった「座頭市」は、ハリウッドでも製作されたようです。
如何に大作だったかが窺い知れます。
息子の鴈龍さんは姉の真粧美さんと共に、デビューする前の18歳の時に、大麻密売で逮捕されているそうです。
その2年後、再び大麻取締法違反で鴈龍さんは、逮捕されています。
鴈龍さんは自宅謹慎の後様々な端役を得て、勝新太郎さん主演・脚本・演出の舞台「不知火検校」で本格的に復帰します。
また、この自宅謹慎の後から息子の鴈龍さんは、本名の「奥村雄大」から芸名を母方の祖父である二代目中村鴈治郎の1文字を取り、「鴈龍太郎」へと変えました。
2002年に、舞台「悪名」に出演されています。
息子の鴈龍さんが主役の朝吉役を、堤大二郎さんが弟の貞役を演じました。
かつて映画「悪名」では、同じ朝吉役を勝新太郎さんが演じていました。
1961年からシリーズで公開されている映画「悪名」では、鴈龍さんの父である勝新太郎さんだけでなく、お絹役で母の中村玉緒さんも出演していました。
2003年1月から放送された、市川海老蔵さん主演のNHK大河ドラマ「武蔵MUSASHI」に出演されています。
息子の鴈龍さんは本田正純役を演じていました。
勝新太郎さんの妻で鴈龍さんの母である中村玉緒さんも、堤真一さんが演じる本位田又八の母・お杉役として出演されていました。
他にも、息子の鴈龍さんはTBSドラマ「女金融道シリーズ」などにも出演しています。
消費者金融会社の社長役として出演している、母の中村玉緒さんと共演を果たしました。
2012年に放送された「Oh!どや顔サミット」に鴈龍さんは2世タレントとして出演しています。
父である勝新太郎さんの豪快なエピソードを披露しました。
テレビドラマだけでなく、バラエティ番組でも鴈龍さんと中村玉緒さんは度々共演されていたそうです。
息子の鴈龍さんはその強面の容姿を生かし、映画やオリジナルビデオを主に活動されているそうですが、性格は気さくな一面もあるとのことです。
現在、息子さんは芸名を「鴈龍太郎」から「鴈龍」に改名して活動をされています。
お笑いタレントの小堺一機さんなどと交流があるそうです。
「俳優・鴈龍」として、今後の活躍を期待したいですね。
勝新太郎さんには数々の豪快な伝説が残されています。
その破天荒なエピソードをいくつかまとめてみました。
「勝新太郎~たまには歌う夜もある~」に出演されました。
1978年3月12日にNHKで放送されたとのことです。
場所はNHKホール、勝新太郎さんはウイスキーとグラスを乗せたワゴンをゴロゴロ引いて登場し、1曲目の「座頭市子守唄」を歌います。
そしてステージに立っているにも関わらず、ウイスキーを飲んでしまいます。
勝新太郎さんは「飲まないと歌えない!」とのことだったそうです。
歌い終わった勝新太郎さんは、ゲストの研ナオコさんをステージに呼んで「僕はあがっちゃうと、何もできなくなるんで」と言って再びウィスキーを飲んだそうです。
このステージでは10曲の歌の他に、勝新太郎さんの長唄三味線のテクニックも披露したそうです。
1990年1月16日勝新太郎さんは、ハワイのホノルル空港にて下着の中に麻薬を隠し持っていたという疑いで逮捕されています。
ハワイで行われた記者会見では「どうして、パンツの中に入っていたかわからない」とシラを切り通し、「今後は同様の事件を起こさないようもうパンツをはかないようにする」などと仰天の発言を残しました。
現行逮捕から1年半後、帰国した勝新太郎さんはマスコミに「総理大臣の代わりはいるが、勝新太郎の代わりはいない」と言い放ったそうです。
1992年に勝新太郎さんの兄である若山富三郎さんが亡くなり、その際カメラの前で遺骨を食べたそうです。
お父さんの遺骨も食べたという話もあります。
ただ、これはあくまでもお兄さん方の死を悼んだことによる行為で、家族への深い愛情があったことが窺えます。
数々の伝説を残した勝新太郎さんは、咽頭ガンにより1997年6月21日に永眠されています。
享年65歳でした。
勝新太郎さんは、東京都港区三田の蓮乗寺にて眠っているそうです。
24時間映画のことしか考えていないような人だった、と評される勝新太郎さん。
そのため、勝プロダクションは12億もの借金をして倒産してしまいます。
また、有名な「パンツ疑惑事件」なども起こしてもいますが、様々な逸話を残している勝新太郎さんは皆から愛されていたようです。
中村玉緒さんは後に「勝新太郎さんの妻でよかった。借金もあり大変だったが、生まれ変わってもまた勝新太郎と結婚したい」と述べているそうです。
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