2016/08/08
AYAKA12321
あいかわ しょう
哀川 翔
本名 福地 家宏
生年月日 1961年5月24日(54歳)
出生地 徳島県徳島市
血液型 AB
ジャンル 俳優、タレント、歌手
活動期間 1984年 -
活動内容 1984年:一世風靡セピア
1988年:本格的俳優デビュー
配偶者 青地公美
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哀川翔さんはこんなに小さくても、とてもしっかりしたお子さんだったんですね。
きっとご両親がしっかりした方だったのだと思います。
国分「お父さんは事故で亡くなられたんですか?」
哀川「そうですね、あの訓練中に。」
国分「訓練中に。当時、5歳?」
哀川「5歳でしたね。」
国分「その当時の事って、覚えていますか?」
哀川「よく覚えていますね。朝の7時のニュースに、バーンと顔写真が出たんですよ。何だか分からなかったんだけど、うちの親父の顔写真が出て、え~、あれ?っと思ったら、バタバタとしてるの。それから15分ぐらいで車が迎えに来たんだよね。『現地に行ってくれ』って。で、当時、俺は5歳だったんだけど、うちのお袋が 弟の出産で田舎に帰っていたから、動けないんだよね。」
こんな緊急時に5歳の子供だけで対処できるものなのでしょうか。
想像もつきません。
哀川翔さんが数々の伝説を残してこられたのもうなずけるような気がします。
子供の心の中は決して穏やかではなかったと思いますが、哀川翔さんは冷静に淡々と話しておられますね。
哀川翔さんの肝が座った様子から、数々の伝説を生んできたわけが分かるような気がします。
国分「お母さんいなかったんですか、そこには。」
哀川「お袋はもう、飛行機に乗れなかったんだよ、お腹が大きくて。その10日後に、弟が生まれたの。」
国分「ああ、そうなんですか。」
哀川「まあ、そういう時期だったんだよ。」
子供の頃からそうやって哀川翔さんは冷静に物事を見ながら自分を納得させて来たのでしょうか。
5歳の子供の気持ちを考えると、胸が苦しくなります。
遺体を捜す自衛隊の方も大変ですが、1週間も経ってから父親の遺体と対面しなければならない5歳の子供が心に受ける衝撃の大きさを考えると、人道的に間違ったことをしていないのだろうかと疑問に思ってしまいます。
国分「現地へ行って、そのお父さんっていう確認を取るんですか?」
哀川「確認取りますよ。一週間後に(遺体が)あがったんですけど。」
国分「一週間後に。」
哀川「ええ、あがったんですよ。ちゃんと、分かりましたね。包帯は巻かれているんですけど、要するに見えている部分で、きっちり分かりましたね。それでまあ、お袋に報告して、『確かにそうだ』と。だから要するに、悲しくも何ともないんですよ。」
哀川「その事故に関して、親父が亡くなったということに関しては、寂しくも悲しくも何ともない。早く家に帰りたいってそっちの寂しさの方がデカかったですね。もうホームシックですよ。」
これから数々の伝説を生むことになる哀川翔さんですが、5歳の哀川翔さんにとっては、哀川翔さんの父親の死よりもホームシックの方が大きかったから、かろうじて遺体を確認した時のショックや父親の死の寂しさから逃れることができたのかもしれませんね。
哀川翔さんは咄嗟のストレス回避能力に優れているのかもしれません。
哀川翔さんがいじめにあっていたことに気づいたのは今になってからで、当時は全く気づいていなかったのだとか。
ちなみにその頃、勉強の成績も常にトップクラスだったそうです。
常にトップクラスというのも伝説ですね。
哀川翔さんには生き抜く力のようなものが人一倍備わっているのかもしれません。
だから数々の伝説も生み出せるのでしょうね。
20対1というのもすごい伝説ですよね。
動物をただ可愛がるのではなく、怪我を治して自然に返せるってスゴイと思いませんか?
そういう仕事に就いている人はいますが、勉強をしたわけでもないのに動物全般をそこまで面倒見られる人はあまりいないと思います。
これも哀川翔さんの伝説ですね。
中学時代動物を沢山飼っていた。犬、猫はもちろん、ハムスター、インコ、文鳥、ハト、カラス、スズメ、コウモリ、そして爬虫類はカメレオンとヘビ。カラスやスズメは怪我をしている時に拾って持ち帰り、元気になったら自然に返してあげていた。カラスなんかは慣れちゃってまた会いに来たりしていた。
とにかく動物愛に溢れていて、当時、小学生だった弟さんが、脱走したカメレオンを誤って踏んでしまい、急激に弱っていったカメレオンはその影響なのか死んでしまった。
その時の哀川翔さんの体中から発せられた怒りと悲しみはハンパではなく、弟さんは「俺は殺されるかもしれない…」と思い、すぐに自分の部屋に隠れて鍵をかけた。
「殺されるかもしれない」と哀川翔さんの弟さんをビビらせてしまうほどの殺気を、無言のまま発する哀川翔さんも凄過ぎです。
これも伝説に入れさせて頂きます。
哀川翔さんには推薦で入れるくらいの体育の実力があったということでしょうから、運動神経の良さが窺えますよね。
だから『一世風靡セピア』でもその身体能力が発揮され、華麗にバク宙パフォーマンスをしていたんですね。
あれは凄かった!
でも、入学願書を出し忘れていなければ、今の哀川翔さんはいなかったことになるんですよね。
体育の先生になっていたらなっていたで、きっと数々の伝説を学校に残していたかもしれませんが。
ここからの哀川翔さんの伝説は止まるところを知らないといった感じで、元気も出るし笑えます。
夫婦喧嘩に関してはちょっと笑えませんが。
「1ルームマンションで“子犬を飼った”と言われたので見に行くと、セント・バーナードが2匹いた」(風見しんごさん談)、「夫婦喧嘩で強化ガラス扉、車のフロントガラス、自宅の壁を壊し、総修理費が117万円」(奥様談)と、とにかく何事もスケールのデカい翔さん。
夏の恒例行事として、翔さんのお友達家族などを集めて『100人キャンプ』と銘打ち、その名のとおり約100人ほど集まって大規模なキャンプをしています。(ちなみに90人でも150人でも『100人キャンプ』だそうです)
この100人キャンプに関しては動画があったので御覧下さい。
ここから「この動画はYou Tubeで御覧下さい」をクリックすると見られます。
めちゃくちゃ楽しそうですよ。
100人規模ですから、もちろんこれは文句なしの伝説です。
哀川翔さんって、ホントいろいろなものをプロデュースされているんですね。
すごいな~
こういうプロデュースの才能も伝説になると思います。
好きが高じて、メガネ(『SAMURAI SHO』)や餃子(『アニキ餃子』)、そして翔さんと言えばやはり「カブトムシ」!『哀川翔カブトムシ飼育セット』なるものもプロデュースしていました。
カブトムシの寝床はもちろんのこと、エサとなるぶどう味のゼリーも自ら作ってしまう力の入れよう…さすがです。
しかも、人任せにせず、哀川翔 さんが全て自分の手で作ってしまうというから驚きです!
何でも手作りできる才能も伝説ですね。
子供が命の尊さを学ぶために、小動物と接して行く大切さを語る哀川翔さんって素敵ですね。
お父さんの大きな死を乗り越えてきた哀川翔さんが言う言葉だから、より一層重みを感じますよね。
伝説は大きな壁や局面を乗り越えられた人にしか作り出せないものなのかもしれません。
カブトムシ欲しいって子がいっぱいいるから。夏、あげたら、ものすごい喜ぶよ。そしたら(あげた子の)中には卵を孵すやつもいるのよ。そうするとまた彼らが大人になったときにまた次、子どもに教えられるからね。
(カブトムシが)死んだら悲しいから、そこで生命の、命の尊さとか学ぶんだよね。そういうのが今の世の中なくなってきてるから、ちょっとおかしくなってきてるんだよ。やっぱり小動物に接していくっていうのは何かしら意味があるんだよね。
そんなに簡単に伝説は作り出せるものではないのに、伝説を作り続け、伝説と共に生きる哀川翔さん。
伝説ってある意味勲章のようなものなのではないでしょうか。
簡単に作り出すことはできないけれど、命を削って生きてきた人の人間としてのスケールの大きさが伝説となって語り継がれて行く。
これからも伝説を作り続ける男、哀川翔さんのご活躍を楽しみにしています。
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