可愛かずみの死因は自殺?プロ野球選手・川崎憲次郎の自宅で死亡!
2020/03/10
jonasan
今でも偉大な音楽家として多くの人々に語り継がれる忌野清志郎さん。そんな忌野清志郎さんは、58歳の若さでこの世を去っています。
ではそんな忌野清志郎さんを襲った病とはどういったものだったのでしょうか?また直接の死因は何だったのでしょうか?
1951年4月2日うまれ
本名:栗原 清志
東京都中野区出身
2009年5月2日死亡(満58歳没)
「KING OF ROCK」という異名を持つことでも知られる忌野清志郎さんは、RCサクセションのボーカルとして有名です。
その他にも忌野清志郎 & 2・3'S、忌野清志郎 Little Screaming Revue、ラフィータフィーなどのバンドのメンバーでもありました。
ソウルやブルースといったジャンルを取り入れたサウンドの楽曲で、RCサクセションのボーカルとして数々のヒットを飛ばした忌野清志郎さん。
独特のパンクヘアと奇抜なメイクとファッションが日本中から注目されました。忌野清志郎さんの命を奪った死因とはなんだったのでしょうか?
忌野清志郎さんは、以前坂本龍一さんとのコラボでヒット曲を生み出しています。
坂本龍一さんは、その当時YMOの一員として人気を集めていました。
そんな坂本龍一さんは、以前から忌野清志郎さんとのコラボを望んでいたそうですが、忌野清志郎さんのスケジュールが合わずなかなか実現しなかったようですね。
しかし1982年に、いけないルージュマジックでようやくコラボレーションが実現したのです。
このコラボの実現に一役買っていたのが糸井重里さんだったのだそう。坂本龍一さんの「忌野清志郎さんに興味がある」といった内容の言葉を受けて、忌野清志郎さんに坂本龍一さんを引き合わせたのだそうです。
その後忌野清志郎さんの作詞、坂本龍一さんの作曲によって1982年2月14日に発売された「い・け・な・いルージュマジック」は大ヒット!メイクをして歌う二人の姿を覚えている方も多いのではないでしょうか。
忌野清志郎さんは、2009年5月2日にがん性リンパ管症により58歳で死去しました。58歳の若さでこの世を去った忌野清志郎さん。まだまだ歌いたかったことでしょう。その死因ががん性リンパ管症とありますがいったいどんな病気なのでしょうか?
「癌性リンパ管症」という病名を聞いたことのある方は少ないのではないでしょうか?
この病気は、何らかの癌が進行しリンパ管に癌細胞が入り込んで増殖することで、リンパ管がふさがってしまい肺に水が溜まってしまう状態のことを指します。
癌性リンパ管症になると、肺に水がたまることで、酸素を取り込めなくなってしまいかなり苦しい思いをするそう。
なおこの病気は病状が急速に悪化する上に、元の状態に戻すことができないといわれています。肺癌で癌性リンパ管症になった方は、多くの方が数日で亡くなってしまうそうです。
日本人の死因の一位ががんだそうです。二人に一人がかかるというがんに侵されてしまった忌野清志郎さん。中でも癌性リンパ管症はあっという間に症状が悪化するようです。
また死因となったがん性リンパ管症状は呼吸困難を伴う病気のようですね。この病気が死因だとしたら忌野清志郎さんはとても苦しかったはずです。
そもそも癌性リンパ管症は、癌になっていなければかかることはありません。では忌野清志郎さんはどんな癌に侵されていたのでしょうか?
忌野清志郎さんは、「地味変」という公式サイトを手がけていましたが、その中の2006年7月13日の記事の中で喉頭がんにかかったため入院する旨を伝えています。
このときはみんな忌野清志郎さんの完治を信じていました。まさかのちにがんが死因となってしまうとは誰も思いませんでした。
喉頭がんの患者を調べてみると、97%以上の方が喫煙をしているそうです。そのため喉頭がんは生活習慣が原因だと考えられています。
咽頭がんはたばことの因果関係がとりざたされています。日本人の死因第一位が癌であることからもたばことがんは密接な関係があるといわれています。
実際、忌野清志郎さんはかなりのヘビースモーカーだったようで、なんと1日に30本以上もタバコを吸っていたのだそうです。しかし喉頭がんが発覚する数年前には禁煙をしていたようですが・・・。
忌野清志郎さんはリンパ管症が死因でなくなりましたがその前には喉頭がんになっていました。非常に残念なことですがそれが死因につながってしまったのでしょうか?
忌野清志郎さんの場合、咽頭がんが進行し転移してしまったそうなのです。詳しいことはわかりませんが、転移が死因となってしまったのでしょうか?
ではなぜ忌野清志郎さんの癌は、そこまで悪化してしまったのでしょうか。発見が遅かったのでしょうか?
実は忌野清志郎さんは、医者から声帯摘出手術を進められたものの、それをすると声を出せなくなってしまうため、手術はせずに抗がん剤や放射線の治療を選択したそうです。
しかし放射線治療は、胃に穴をあけて流動食を行わなければならなくなる可能性があります。そうなると唾液が出なくなり歌を歌うことが難しくなってしまうようです。そのため照射線治療もやめて、代替療法を選択しました。
ロッカーにとって、とても大切な声を守りたかったのですね。直接の死因ではなかったけど喉頭がんは忌野清志郎さんにとって命と同じくらい大切な声を奪おうとしたのです。
しかし忌野清志郎さんは最後まで歌うことをあきらめませんでした。歌があっての忌野清志郎さんです。代替療法にすべてをかけることになりましたが、結局がんが死因となってしまいました。
しかし喉頭がんになってからも、「これも人生経験だし、楽しむ気持ちで治療に専念する」という内容のコメントを残しています。
内心辛かったと思いますが前向きな忌野清志郎さんらしい発言です。死因となってしまった病と最後まで戦おうとしていました。忌野清志郎さんの死因となったがんが腰に転移してからも必死で戦っていました。
死因はがんだといわれている忌野清志郎さんは、実は以前にも別の病気にかかっていました。
忌野清志郎さんは、がんだけではなく30代の頃に肝臓も患ったことがあるそうです。この頃の忌野清志郎さんは、かなりの勢いでお酒を飲んでいたそう。
ある日体調が悪くなり病院に行ったところ肝臓の病気が見つかったそうです。なんと医者からは「一生治らない」と宣言されてしまったようです。
その後、知人の紹介で漢方医のもとを訪れた忌野清志郎さん。漢方薬やお灸などの東洋医療、禁酒禁煙などの生活習慣の改善を行うことで、肝臓の病気を克服したそう。
最初に忌野清志郎さんを診察したお医者さんは、忌野清志郎さんの肝臓を見て「完治している」と驚いたそうです。もしかすると、この経験がきっかけで代替医療を選択したのかもしれませんね。
では忌野清志郎さんが選択した代替医療とはどういったものなのでしょうか?
代替医療は、一般的に行われる現代的な治療ではなく、科学的で分析的な医療を使用せず患者さんの心身の調和を大切にすることを目的に行われる医療のことです。
喉頭がんになっても声を失いたくないために、手術をあきらめて代替医療にすがった忌野清志郎さん。結局死因はがんでしたが、少しでも良くなりたい気持ちは痛いほどよくわかります。
代替医療にはさまざまな種類がありますが、忌野清志郎さんが行っていたのは「玄米菜食法」とよばれる方法です。この方法は、肉は食べず、玄米と野菜中心の食生活にする食事療法です。
医者からはがんが転移するため放射線治療をすすめられていたそうですが、放射線治療は断固拒否していたそうです。放射線治療を拒否したそうですがそれは死因となったがん性癌性リンパ管症の発症とは関係ないのでしょうか?
その後、抗がん剤も併用し玄米菜食法を続け、サイクリングや友人のライブに飛び入り参加などもできるように。そして2008年に「完治した」ということで日本武道館で「完全復活祭」と銘打ったライブを行いました。
このときはだれもが治ったと思っていました。しかし死因となったがんは着実に忌野清志郎さんの命を奪おうとしていました。
2008年7月4日、忌野清志郎さんは自身のブログの中で、左腸骨へのがんの転移を発表したのです。
忌野清志郎さんは独特の表現で、名言をのこしていきました。
喉頭がんが死因だった忌野清志郎さん。その告別式は2009年5月9日に「ロック葬」と銘打ち行われました。数々の有名人が訪れ、その中には甲本ヒロトさんの姿も。
甲本ヒロトさんは、数々の名曲を生み出した人気バンド「THE BLUE HEARTS」の元ボーカルとして有名です。
THE BLUE HEARTSが解散してからは、「↑THE HIGH-LOWS↓」を経て「ザ・クロマニヨンズ」のボーカリストとして活躍しています。
そんな甲本ヒロトさんは、忌野清志郎さんとは深いつながりがあったようです。
忌野清志郎さんの「ロック葬」のなかで、甲本ヒロトさんの弔辞が「涙を誘う」「ロック葬にふさわしい」と大きな話題となりました。
革ジャン姿で登場した甲本ヒロトさんは、時折ユーモアを交えつつ忌野清志郎さんとの思い出を語りました。
なお甲本ヒロトさん以外にも、「竹中直人」さんなども弔辞を述べています。みんなに愛された忌野清志郎さんの人柄がしのばれますね。
最期まで声帯摘出手術をしなかった忌野清志郎さん。しかし死因は咽頭がんではありませんでした。忌野清志郎さんは最後まで声を守り切りました。声帯摘出手術の有無が直接死因の癌性リンパ管症につながったかどうかはわかりませんが、自分の信念を貫いた忌野清志郎さんは本当のロッカーといえるでしょう。
日本中から忌野清志郎さんの死を惜しむ声が聞こえました。死因となった病ががんで、その壮絶な戦いぶりが涙を誘いました。一人の偉大なロッカーを失ったことは大きな悲しみにつつまれました。
亡くなってみて改めて、その存在感に気が付かされた方も多いのではないでしょうか。
最後は眠るように亡くなったそうです。自転車が大好きだった忌野清志郎さん。天国でおもいっきり歌ったり、自転車に乗ったりしているでしょう。ご冥福をお祈りします。
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