可愛かずみの死因は自殺?プロ野球選手・川崎憲次郎の自宅で死亡!
2020/03/10
jonasan
18代目中村勘三郎(なかむら かんざぶろう)
生年月日 1955年5月30日
没年月日 2012年12月5日(57歳没)
本名 波野哲明
襲名歴 1. 五代目中村勘九郎 2. 十八代目中村勘三郎
別名 藤間勘暢
出身地 東京都
幅位広い役柄に挑戦し続けていた
歌舞伎役者としては江戸の世話物から上方狂言、時代物、新歌舞伎から新作など、幅広いジャンルの役柄に挑み続けたことで知られた中村勘三郎さん。コクーン歌舞伎や平成中村座を立ち上げ、渡辺えりや野田秀樹、串田和美などといった現代劇の劇作家、演出家らと組んで、古典歌舞伎の新解釈版や新作歌舞伎の上演に取り組んだり、地方巡業や海外公演も精力的に行うなど、その演劇活動は常に進取的でした。
多大なる活躍を経た中村勘三郎さんの早すぎる死に、世間は涙を流しました。
1955年(昭和30年)5月30日、故十七代目中村勘三郎の長男として誕生 1959年(昭和34年)4月 歌舞伎座『昔噺桃太郎』の桃太郎で五代目中村勘九郎を名乗り初舞台 以後、子役時代より歌舞伎公演にとどまらず映画、テレビ、ラジオ、著書、写真集など幅広い分野に挑戦。
2005(平成17年)3月3日歌舞伎座『鬼一法眼三略巻』「一條大蔵』「一條大蔵譚」の一條大蔵卿、『近江源氏先陣館』「盛綱陣屋」の佐々木盛綱ほかで十八代目中村勘三郎を襲名。
以後も精力的にさまざまな事柄に挑戦。
多くの人から愛されていた。
歌舞伎を知らない人でも、中村勘三郎さんの事は知っているという人も多いのではないでしょうか?
歌舞伎に限らずドラマ・バラエティーでも活躍していた中村勘三郎さん。
中村勘三郎さんは幅広い交友関係で、多くの人から愛されていました。
池田輝政役に抜擢
2003年に、NHKの大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』に池田輝政役として出演しました。
人気俳優勢揃いの豪華キャストの中、中村勘三郎さんも圧巻の演技を見せてくれました。
話題作に出演していた!
中村勘三郎さんは映画「座頭市・THE LAST」に政吉役として出演していました。
全国238スクリーンで公開され、2010年5月29-30日初日2日間で動員6万9,184人、興収8,512万8,400円と言う好成績を残した名作です。
マクドナルド CM 2010年 マックカフェ「大集合」 TV CM Ad Commercial WorldCMTube
マクドナルドのCMです。中央で堂々と歩くのが中村勘三郎さん。この時はまだ、元気な様子が伺えます。
東京三菱銀行 中村勘三郎 CM
こちらは東京三菱銀行のCM。中村勘三郎さんももちろんですが、合併前の東京三菱銀行も懐かしい……!
中村勘三郎,Char等出演 SAPPORO 黒ラベル TV CM
こちらのCMはまだ記憶に新しいのではないでしょうか。SAPPORO黒ラベルのCMです。大人の魅力溢れるキャストに思わず見入ってしまいます。
57歳という若さで……。
中村勘三郎さんは、2012年12月5日にお亡くなりになられました。
中村勘三郎さんはどういう経緯で死に至ったのか……食道がんが死因なのか……
病気の経歴、そして死因を調べてみたいと思います。
まだ元気な様子の中村勘三郎さん
中村勘三郎さんは、2010年に突発性難聴を患います。ストレスや過労が原因でしょうか。
さすがに、特発性両側性感音難聴は死因ではないはずです。
この頃はまだ中村勘三郎さんの元気な様子が見受けられます。
公演成功後にまさかの癌発覚。
2012年、中村勘三郎さんは食道癌を患います。早期発見であったため、この時は死に至ることはなかったようです。
中村座の公演が終わった直後の健康診断で食道癌が発覚したんだとか……。天国から地獄へ転落した気持ちになったでしょう。
5月30日、57回目の誕生日を迎え、翌31日に平成中村座ロングラン公演千秋楽。長期公演を無事成功させ、その後に受けた健康診断で、初期の食道癌に罹患していることが判明したため、6月18日、年内の演劇活動を停止し療養に専念することを発表した
食道癌治療の煽りを受けて……。
食道癌が快方に向かっていた矢先、今度は肺疾患が見つかりました。さらに急性呼吸窮迫症候群、肺水腫を引き起こし、重篤状態となってしまったのです。
癌の転移が原因ではなく、癌治療による免疫力の低下からウイルスに感染してしまったんだとか。
中村勘三郎さんの死因は「急性呼吸窮迫症候群」と診断されました。
肺疾患が癌の転移ではなく、抗がん剤治療などに伴う免疫力低下の影響からウイルスに感染、肺炎を発症したこと、さらに、その悪化により急性呼吸窮迫症候群から肺水腫を発症し、人工肺および人工呼吸器を使用しているなど、詳細な病状とともに、重篤な状態であることが報道された
肺炎や肺癌と何が違うの?
直接の死因は急性呼吸窮迫症候群という肺疾患でした。
では、死因となった急性呼吸窮迫症候群というのはどんな病気なのか調べてみたいと思います。
簡単に言うと”肺の損傷”
「急性呼吸窮迫症候群」とは、一般的にARDSと言われています。簡単に言うと”肺の損傷”であり、外傷や大量輸血などを行うと発症されるようです。
今回中村勘三郎さんは、食道癌の治療により免疫力が低下してしまい、肺がウイルス感染してしまったことが原因で急性呼吸窮迫症候群を患いました。
しばしばARDSと略されます。低酸素の程度が軽いものを急性肺損傷といいます。
さまざまな原因に続発する急性の肺の損傷です。肺の間質(かんしつ)や肺胞腔(はいほうくう)(空気を入れる袋状のところ)に水分と細胞浸潤(しんじゅん)がみられ、酸素化(血液中に酸素を取り込むこと)が損なわれます。
血中に菌が入ると……⁉︎
急性呼吸窮迫症候群大きな原因は敗血症です。敗血症とは、血液の中に菌が入り込んだ状態のことを言います。
治療開始の早さが予後を決定する病気であると言われている急性呼吸窮迫症候群。死亡率はおよそ40%ほどと言われています。
原因としてはショック、とくに敗血症(はいけつしょう)(菌が血中に入った状態)がその代表です。そのほか、重症肺炎、粟粒結核(ぞくりゅうけっかく)、多発外傷、急性膵炎(すいえん)、術後、輸血などに続いて急速に発症してくる予後のよくない合併症です。
手術をしなければウイルス感染はなかった……?
中村勘三郎さんは食道がんの手術をし、回復したものの弱った体にウィルスが入り込み肺炎になったようです。
それが原因で「急性呼吸窮迫症候群」になり帰らぬ人となりました・・・
食道がんが死因ではなく、その後の肺疾患が死因となったのですね
合併症ということは、手術しなければ、この病気が死因となって亡くなることはなかった?
初期癌から7ヶ月で死……早すぎない?
中村勘三郎さんの死因に、中には納得していない人もいます。
最初に癌が発覚したのが2012年の5月。その後、なんと7ヶ月と言う早さで死に至ってしまいました。
こんなにも早く死に至ることがあるのでしょうか?何か打つ手はなかったのでしょうか?
中村勘三郎さんの最後のインタビューが公開された。それはかなり切迫したものだった。
「初期なのにさ、1個飛んでるんだよ。転移ももうあるの。進行がんなんだよ。初期なんだよ? こんなこと珍しいんだって。そうすると生存率はぐっと下がって、30%とか12%とかなんだよ。だから笑っていられない状態なの、本当はね…」
一箇所の転移がこんなことに……。
食道がん治療に詳しい杉町圭蔵氏は、中村勘三郎さんの発言を解説しています。
”一個飛んでる”と言うのは、がん細胞が転移していることを意味していたようです。一箇所転移してしまうと他の所に転移している可能性も高い。生存率もグッとさがってしまいます。早すぎる死の原因は、”転移”にあったのかもしれません。
手術か?それとも放射線治療か?
中村勘三郎さんは、手術をするか放射線治療をするかの二択を迫られました。
手術をすると声が出なくなる可能性が。しかし、放射線治療は再発のリスクを伴います。
中村勘三郎さんは、手術の道を選んだのでした。
そして専門家は、放射線治療をしていればあと1,2年は生きられたのではないかという見解を示しています。
「(手術をすると)声が出なくなるという可能性もなくはないの。手術しないで放射線でやるやり方もあるんだけど、そうすると再発も多いっていうし。だから声が出なくなってもいいから、62、3まで生きて、この感じを保つ方がいいのかっていろいろ考えるよね」
手術をしなければ今頃元気だったかも……。
医師の近藤誠さんは、食道癌の手術を行わなければ肺疾患を引き起こすこともなく、死に至らなかったのではないかと話しています。
いろいろ見解はあると思いますが、手術しなくてもよかったんじゃないかという声が多かったです。
もし手術しなければ、肺疾患が死因で亡くなることなく、寿命が延ばせたそうです。
とはいえ難しい選択ですよね……
「あり得ません。中村勘三郎さんに自覚症状はなく、(食道は)食べ物の通りもよく元気でした。まず診るのは転移があるのか、ないのか。転移がない『がんもどき』ならば今後も転移が出てこないと考えられ、即座に手術する必要はありません。転移があれば、残念ながら統計上は5年後にはほとんどの方が亡くなっています。やはり、即座に手術をする理由はなかったのです」
自分をさらけ出せる正直な人だった
「57歳といういろいろ盛りでこれからって年代、本人が一番残念だと思います。住んでいる場所は違うけれど、よく食事に行って一緒になることがあった。すごく豪快で情熱な方だった。舞台でもプライベートでも羨ましい生き方をしていて、自分をさらけ出せる正直な人だった。僕はそういうのが苦手だったので羨ましい。57歳は早すぎるけれど、その10倍くらいの内容を生きたと思う。もっともっと長く付き合いたかったです。息子の勘九郎くんと七之助くんは、立場の自覚もしているので一言『体調には気をつけて』と声をかけました」
まだ全然話し足りない。
「弔辞を読んだけど、まだ全然話し足りない。文量にしたら30年分くらいある。まだ、過去の思い出というよりもこれからも一緒にいる感じで今日という日がまだ信じられないです。これからは、私たちが勘九郎さんと七之助さんを応援していかないといけない。まったく信じられないので、これから時間がかかるなと思います。これから生であの人の芝居が見れないのが残念です」
いつも全力で駆け抜けるお方でした。
「落語の方にも目を届けてくれて愛情を注いでくださって、舞台を見せていただいて演じる身として励みをいただきました。あの根性の入れ方はすごい。全身からほとばしるパワーはすごかったです。本当にあの人がいるだけで周りの人が幸せになるようなお方でした。せっかちというより、ターボがかかってフルパワー。いつも全力で駆け抜けるお方でした。本当にありがとうございました。それのみです」
他にもたくさんの声が集められた。
この他にもたくさんの方がコメントをしています。
こんなに愛されていた中村勘三郎さん・・・死因を考えると本当に納得できないですね。
急性呼吸窮迫症候群が死因で亡くなった中村勘三郎さん
中村勘三郎さんの死因は手術後の肺疾患である「急性呼吸窮迫症候群」ということが判明しました。
やはり初期だった食道がんは死因ではありませんでした。
本当に手術しなければいけなかったのか疑問に残りますが、きっとその時は手術が最善の選択だったんですよね・・・
肺疾患が死因というのは悲しい結末でしたが、死因が食道癌でも急性呼吸窮迫症候群でも、中村勘三郎さんが亡くなったという悲しみは変わりません。
ただただ残念です。ご冥福をお祈りいたします。
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