2015/11/04
ゆずひこ
名前:鈴木一朗
生年月日:1973年10月22日生
出身地:愛知県
愛知工業大学名電高校からドラフト4位でオリックスに入団
7年連続首位打者となり、自身で持つ日本記録を更新した。
3度のリーグMVP受賞、7年連続ベストナインに選出され、堅実な強肩右翼手として7年連続ゴールデン・ グラブ賞を受賞する。
2000年11月フリーエージェントとしてシアトルマリナーズに移籍。
2001年アメリカンリーグの首位打者、盗塁王、新人王や日本人初のMVPを獲得した。
180センチ、71キロ。右投げ左打ち。
★アメリカン・リーグの最優秀選手(MVP)
★メジャー新人王
(MVPと新人王の2冠は史上2人目)
★アメリカン・リーグ首位打者
★アメリカン・リーグ盗塁王
★メジャー新人最多安打〔242〕
★メジャー最多安打試合〔135〕
★月間最優秀新人賞 4、5、8、9月
★シルバースラッガー賞
★オールスターゲームフアン投票最多得票獲得
〔337万3035票〕(新人では史上初)
★アメリカン・リーグ最多単打〔192〕
★アメリカン・り一グ新人最多打数〔692〕
★球団マルチヒット試合〔75〕
★球団最多≡塁打〔8〕
★球団新人連続試合安打〔23〕
★球団新人最多盗塁〔56〕
★球団新人最多得点〔127〕
★球団最多塁打〔316〕
イチローは高校時代、甲子園に2度出場していますがどちらも初戦敗退でした
愛知工業大学附属中学校・名電高等学校(あいちこうぎょうだいがくふぞくちゅうがっこう・めいでんこうとうがっこう)は、愛知県名古屋市千種区若水にある学校法人名古屋電気学園が経営する私立中学校・高等学校。 校訓は、「誠実・勤勉」。
高校野球の強豪校で、甲子園大会にも多く出場している。代表的な選手に、鈴木一朗(イチロー・メジャーリーガー)や工藤公康(プロ野球選手)・山崎武司(プロ野球選手)などがいる。
吹奏楽部も強豪校の一つとして知られ、こちらも全国大会の常連である。高校野球大会では吹奏楽部がスタンドで演奏する。
イチローが高校時代を過ごした愛工大名電高校は野球の強豪校として有名ですが、イチロー以外にもたくさんの野球選手が愛工大名電高校で高校時代を過ごしました。
坪井猛
山田浩之
外山博
鈴木伸良
鴻野淳基(元横浜ベイスターズ)
工藤公康(福岡ソフトバンクホークス監督)
山本幸二
中村稔(現パシフィック・リーグ審判員)
高橋雅裕 現解説者
安達俊也(元近鉄バファローズ)
中村基昭(元広島東洋カープ)
杉浦守(元読売ジャイアンツ)
山崎武司(元中日ドラゴンズ)
松久保新吾
伊藤栄祐
イチロー(鈴木一朗)(マイアミ・マーリンズ)
三輪敬司
石堂克利(元東京ヤクルトスワローズ)
堂上剛裕(読売ジャイアンツ)堂上直倫の兄
堂上直倫(中日ドラゴンズ)堂上剛裕の弟
丸山貴史(元東京ヤクルトスワローズ、元西濃運輸)
柴田亮輔(元福岡ソフトバンクホークス)
十亀剣(埼玉西武ライオンズ)
石田淳也(千葉ロッテマリーンズ)
谷口雄也(北海道日本ハムファイターズ)
柴田章吾(読売ジャイアンツ)
濱田達郎(中日ドラゴンズ)
イチロー選手の高校時代①(打撃・走塁)
高校時代のイチローは打率7割という驚異の実力で、周りを驚かせていました。
1991年 愛知県大会準々決勝『愛工大名電vs中京』をご覧ください。
イチロー選手の高校時代②(投球)
1991年 愛知県大会準々決勝『愛工大名電vs中京』
イチローは高校時代はエースピッチャーを務めていました。
イチロー選手の高校時代③(打撃・走塁)
1991年愛知県大会準決勝『愛工大名電vs滝』
高校時代からイチローは他の選手と目標が異なり、あくまでプロを目指して努力をしていたそうです。
そんな高校時代のイチローは入学後すぐにレギュラーとして活躍をします。
イチロー10+ 件自身の記憶によると、入学当時は身長171センチ、体重63キロ。上級生に見劣りする体格だった。ただ、今や有名になった「空港バッティングセンター」での猛練習を軟球でこなしてきたイチローにとって、硬球への移行は、大きな利点だった。
「軟式から硬式をやることのメリットを感じましたね。ボールが硬いから変形しない。軟式はどうしても変形しますから、難しい。だから(硬球は)捉えるのが簡単、という感覚でした。名電はみんなも大きかったですが、打ったら僕の方が飛びましたから」
入学後のイチローは、すぐレギュラーに定着した。3年時には、エースとして背番号「1」を背負った。そこに至るまでは血がにじむような練習があっても不思議ではない。
この高校時代のイチローの成績で言うと2回に1回はヒットを打っていたという事になりますね。
まさに怪物です。
愛工大名電高校に入学して早々、当時の監督に対してセンター前ヒットならいつでも打てます
と明言した。
実際の試合でその明言通りバンバンヒットを打ちまくったという。
普通は自信があってもそこまで言えないが、結果を残すイチロー選手は
当時からやはり天才だったんでしょうね
高校時代は投手兼外野手のエースで4番だった。しかし投手としての評価は低く、更に高校在学中に怪我をした事が原因で投手を断念せざるを得ず、ドラフトで指名された際には外野手での指名だった。
現在ではイチロー選手は外野手のイメージが定着していますから、高校時代投手であったことは知る人ぞ知るということですね。
「寮生活でしたから、どうしても下級生の頃はやらされてました。逃げられない、サボれない。その当時は、みんなと一緒にそこそこやってました。3年生になると、いくらだってサボれましたから。投手で別メニューなんで、サボることばっかり考えてました」
血のにじむような努力があったのでは?とインタビューで聞かれたイチローはこのように答えていました。
「プロに入ってからそういう話が出ましたけど、実際は他の選手の方がやってました。僕はお風呂は1番に入らないと嫌。誰よりも早く練習を終わってお風呂に入ってました。(高校で)全力で目いっぱいやってプロに入っても、プロではやっていけない、というのが想像できたんです。ただ、ドラフトにかかるのは倍率でも難しいですから、最後の夏だけは、一生懸命やった、という感覚でした。そこで結果出さないと、ドラフトにかからないと思っていましたから」
ブルペンで捕手を座らせて投球なんて、ほとんどしたことがない。肩は消耗品、という考えがありましたから、練習でも100球まで。酷使してダメになっていく人が、その頃から何人もいましたからね」
イチローは高校時代、目先のことだけでなく遠くの目標に向かって自分にあった練習を積み重ねていたということなのですね。
プロになることを見据えて、要所で力を入れ、抜けるところは抜くという練習をしていたイチローというのは
野球の選手以外のところでも、クレバーな人間であるというのを感じることが出来ます。
高校時代のイチローの勉強成績は、音楽と数学が4
あとは全てオール5という素晴らしい成績だったようです。
高校時代、東大合格も夢ではないと言われていたイチロー。
高校時代の野球練習では、ただ目の前のことをやみくもに行うのではなく、夢に向かって抜けるところは抜くという方法で実力をつけてきたということがわかりました。
けっして手を抜いているのではなく、ポイントを押さえ努力をする。
高校時代から、上手な練習を取り入れてきたからこそ今のイチローがあるのでしょうね。
今でも野球の取り組み方とか野球に対しての考え方など聞いてても頭良いなぁと感じます。
中学生時代はこのまま勉強を続ければ東大も狙えるような秀才だったそうですよ。なので、プロになる為に野球優先で高校を選ぶことに当時の校長先生も反対していたそうです。
イチロー選手自身、頭が良いというよりテストで高い点を取る為の勉強はしていたそうです。
本当に頭の回転が速いイチローだからこそできる技だと思いますね。
今でも現役で野球を続けているイチローをこれからも応援し続けましょう!
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