可愛かずみの死因は自殺?プロ野球選手・川崎憲次郎の自宅で死亡!
2020/03/10
jonasan
横山 やすし
本名:木村 雄二(きむら ゆうじ)
ニックネーム:やっさん
大阪府堺市出身。
横山ノックの弟子になり、少年時代から天才漫才師としてデビュー。
西川きよしと1966年に「やすしきよし」のコンビを組み、日本中に漫才ブームを巻き起こす。
1944年3月18日〜1996年1月21日(満51歳没)
後がない2人のコンビ結成
短気な性格から、何度もコンビ別れを繰り返していた横山やすしさん。
「きよしは化ける」と確信し、何度も相方になれと迫ったそうです。
コンビを打診された西川きよしさんに、周囲は「やすしくんとだけはやめとけ」。
しかし、きよしさんも、吉本新喜劇の花形スターと身分違いの結婚をして、後がない状態でした。
20世紀を代表する天才漫才師!「やすきよ漫才」
コンビを組むと瞬く間に大ブレイク。
新人賞をはじめ、たくさんの賞を受賞します。
2人の人気が上がると同時に、日本中に漫才ブームが起こりました。
「動き」を取り込んだ “どつき漫才” が斬新でウケた!
稽古のことできよしさんと揉め、背広がボロボロになるほどの喧嘩に。
真剣に芸に取り組んでこそのケンカで、見ていたおまわりさんも仲裁しなかったという逸話が残っています。
新喜劇出身のきよしとの違いをうまく芸に生かした
稽古嫌いだった横山やすしさんも、きよしさんに頼み込まれて、本格的なネタ合わせをするようになりました。
漫才に慣れない相方をリードするだけでなく、自由にやらせるスタイルに変え、これがボケ・ツッコミが激しく入れ替わる「やすきよ漫才」の基礎に。
1970年、最初の傷害事件から歯車が狂い始める
タクシー運転手への暴行で横山やすしさんは謹慎処分に。
その間、相方のきよしさんは司会者として活躍、ピン芸人として自立していきます。
テレビのレギュラー降板で、今度は無期限謹慎処分
1982年の秋から、『久米宏のTVスクランブル』のコメンテーターとしてレギュラー出演。
暴言の嵐かと思えば、コメンテーターなのに無言で通す、など問題行動の連続で、2年で降板しました。
このとき、まだ40歳。
1986年、きよしが参議院議員当選。コンビの仕事がなくなる
横山やすしさんは、相方の政界進出を "裏切り" と強く反発。
漫才でステージに立つこともできない横山やすしさんは、酒量が増え、趣味にのめりこんでいきます。
師匠と相方が政治家に…横山やすしの強い失望感
タレント業をしながら参議院議員をしていた師匠の横山ノックは、のちに大阪府知事に当選します。
師匠と相方が政界に行き、横山やすしさんの生活は、次第に荒れました。
1989年、復帰直後の人身事故で、吉本興業から解雇
1992年参議院議員に立候補するも落選。
皮肉にも、落選の際に発言した「国民はアホや」が流行語に。
数日後、何者かに殴られ言語障害になる致命傷を追い、その後、死ぬまで漫才の舞台に上がることはありませんでした。
1996年1月21日 横山やすし(本名:木村 雄二)逝去。享年51歳。
遺体の解剖の結果、死因は「アルコール性肝硬変」と判明。
死去前日、大量にビールを飲んで吐き出し、病院で診てもらおうと言っていた矢先でした。
悪化するまで痛みや症状が出にくい「沈黙の臓器」肝臓
肝硬変は、文字通り肝臓が硬く変質してしまう病気です。
アルコールの過剰摂取などで病状が進むと、肝臓がほとんど機能しなくなり、横山やすしさんのように死因となることもあります。
本人が肝硬変を自覚していたかは定かではない
しかし、亡くなる10年前に、「今すぐ酒をやめないとあと10年で死ぬ」と医師に忠告されていたそうです。
漫才界のスーパースター・横山やすし。
しかし、その人生は短く、51歳という若さでこの世を去りました。
横山やすしさんが死に至るほどアルコールに溺れた、その原因は何でしょう。
見かけとは正反対。臆病で繊細な性格からアルコール依存状態に
横山やすしさんは、漫才に対してかなりストイック。
理想のレベルに達していないと自分を責め、酒に溺れたようです。
天才同士の意地?TVコメンテーターも飲酒で臨んでいた
後に久米宏さんが語った横山やすしさんの思い出話で、飲酒運転は常だったと明かされています。
「一度なんか 『すまんトイレ』 と言って、番組中にそのまま帰っちゃった。」
実は、やはり天才と呼ばれた久米宏に、しらふで対抗できなかったのでは、と言われています。
全盛期の年収は5億円以上、家族へは月30万円しか入れていなかったといいます。
往年の芸人に倣って金遣いが荒かった横山やすしさん。
モーターボートへの夢
ライフワークとなるモーターボート(競艇)は、視力が低かったためプロテストは不合格。
のちに特別に交付されたライセンスにより、自らボートを買ってアマチュアのレースに出場するように。
自家用セスナ機も保有
マネージャーを務めた木村政雄さんが言うには、「実は、飛行機の免許を持っていなかったんですよ。」
死後に判明した事実だそうですが、実際に操縦をしているので、航空免許の教習はしたと思われます。
こちらの愛用セスナも、ふくれあがった借金により、差し押さえの対象となりました。
所得番付け(2位)に選ばれた年、奥さんはヤクルトやNHKの集金のパートをし、生活費を稼いでいました。
借金もネタにしていた横山やすしさんですが、笑えないほどに積み重なった借金は、かなりの心労であったと言われています。
また、心労から解放されたくて、お酒に走ったようです。
「いつまで横山やすしを演じなあかんねやろ」
本人が「わし酒やめたいねん。身体ボロボロや」と言っていたのを周囲は聞いていました。
お酒を飲みたくないときも、芸人が寄ってくると、いつものように注文してしまったそうです。
また、マスコミが作り上げた「横山やすし像」に苦しめられていたとも。
過剰な報道も横山やすしさんの死因の一つなのかもしれません。
西川きよしから横山やすしへの弔辞「わしら、日本一の漫才師とちゃうで、世界一や!」
相方が事件を起こすたびに「新しい相方見つけて漫才しいや」と言われたが、できなかった、何があっても憎めなかった、と泣き崩れました。
葬儀には吉本からの花はなく、役員が出席。
息子の傷害事件の際、横山やすしさんが吉本から借りた5000万の借金を「仏さんからはもらえません」と、棒引きしたそうです。
参列者の多くから、天才を惜しむ声
ビートたけし「雲の上にいる様な人だった。」
明石家さんま「無茶してはったときは、ひどいな、て思ってましたけど、今になるともっと無茶して欲しかったです。」
師匠たちも絶賛した漫才の才能
上岡龍太郎「小さい頃から知ってますけど、本当に天才漫才少年やったですね。」
横山ノック「君のレベルはとっくに師匠のわしを越えてた。天下一のやすきよの漫才は漫画トリオを越えてたと、ここではっきり言わしてもらう。」
衝撃 横山やすし 最後の映像
亡くなる半年前の盆踊りゲスト出演では、やはり西川きよしさんと漫才をやりたい、という横山やすしさんの本音がポロリ。
やくざにケンカを売り返し、道頓堀にボートで乗り付ける
東京でケンカを売ってきたヤクザに対し、「お前らが偉そうにできるのはこの周辺だけやろ?俺は全国ネットや」
花月に出演する際、近くの道頓堀川をボートに乗り登場し、そのまま舞台に出演したという逸話も。
横山やすしが現れると、ミナミのクラブや北新地のボーイは一斉に店に逃げ隠れ、界隈の店がすべて臨時休業に。
会計時に、「今日はツケにしろ」と言い、しぶしぶ店員が了承すると、さらに手を出し「釣りよこさんか?アホ」と釣銭を貰い店から出て行ったと。
自身の破天荒な出来事をすべて漫才のネタにしました。
横山やすし 暴言集
暴言というか、夢物語というか、とにかく横山やすしという人の超人ぶりがよくわかるまとめ動画です。故人を偲ぶ番組で放映されたもので、最後に息子さんのコメントがあります。
51歳という若さでこの世を去った横山やすしさん。
その濃く短い波瀾万丈の人生は、まさに伝説級。
また、その漫才の才能は、いまでもファンの間で語り継がれています。
他では絶対見られない① 爆笑王 横山やすし・西川きよし 幻の名コンビここに復活 漫才ベストコレクション
プライベートではハチャメチャなイメージですが、お笑いは本当にしっかり組み立てられています。素晴らしいテンポのよい漫才です。
横山やすし・西川きよし(やすきよ) 漫才 ~里帰り~
横山やすしさんが亡くなったときに放送された追悼番組の最後に紹介された漫才です。
横山やすしさんの死因となったアルコール依存症は、本当に怖い病気です。
しかし、漫才が大好きで天才と呼ばれながらも舞台に立てなかったことが、芸人横山やすしの死因であったように思えてなりません。
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