可愛かずみの死因は自殺?プロ野球選手・川崎憲次郎の自宅で死亡!
2020/03/10
jonasan
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当時、坂井泉水さんは子宮頸がんが肺へ転移したことで慶応大学病院に入院していました。それが何故、坂井泉水さんが亡くなってしまったのでしょうか?
坂井泉水さんが倒れているのを見つけたのは一般人の方らしいです。
見つけた方はビックリしたでしょうね・・・。
死因としては病院から転落して、後頭部の脳挫傷が原因です。
ここまでははっきりと分かっているようなのですが・・・。
坂井泉水さんの死因が憶測を呼んでいるのは、考えにくい所から転落したことが理由のようです。死因が病気で亡くなった、というのなら分かるのですがその経過が謎を深めている印象です。
坂井泉水さんは入院中にも散歩を良くしていたそうなので、その最中に誤って転落したことが死因ではないかと見られているようです。
坂井泉水さんの死因となる転落事故は主に2つの見方がありそうです。その一つは事務所の発表どうり、”坂井泉水さん本人が誤って足を滑らせた”、というものです。そう思わせる当時のエピソードが何個かあります。
死因が、誤って足を滑らせたと見られている状況が”高さ”です。
自殺する人がそんな中途半端な高さから、飛び降りたりはしないのでは?という見方です。
坂井泉水さんの死因は後頭部を強く打ったことでした。
確かに建物から飛び降りようとする場合に後ろ向きで、というのは考えられにくいですよね・・・。
絶対にあり得ないとは言い切れませんが、死因を考察する一端にはなりそうです。
坂井泉水さんは、ちゃんと着替えてから朝の散歩に行っていたようです。
この後、死因となる転落事故が起きるとは考えにくいという見方です。
確かに、想像しにくいですね。
病室はパジャマが畳まれず脱ぎ捨てたまま。身辺整理もされていませんでした。
自殺しようと思って病室を出る人が、身の回りの整理もせず、わざわざ服を着替えるでしょうか?
突発的に、というのなら分かりますが坂井泉水さんはきちんと服を着替えています。
こんな所も死因の真相を複雑にしているようです。
時間を作っては真剣に詩を作っていたという坂井泉水さん。
想いを込めて、歌詞で周囲の人々に発信してきた人が自殺するとは思えない、と言う見かたです。
坂井泉水さん自ら死因を生み出すだろうか、ということですね。
もう一つの見方が坂井泉水さん本人が自殺した、という見方です。これは当時坂井泉水さんが病気が長引いたのを悲観して、自ら死因を作ったのではないかと言われています。
2006年4月、仕事中に体調が悪化したため、病院で検査をうけたところ子宮頸癌が発見される。6月1日に慶應義塾大学病院で病巣の摘出手術を受けて、7月に退院。
このように2000年以降、主に婦人病を中心に病気と闘っていました。
だから、このような日々に耐えられなくなって自ら死因を作ったという見方もあるようです。
患者があれほどの早朝に、非常通路に出入りすることはない。しかも、雨が降る早朝に散歩することも不自然だ。
自らの意思で乗り越えたとしか思えない。状況から考えて自殺ではないのか。病院関係者の多くがそうみている。
坂井泉水さんは早朝、散歩に出かけたようですがその時に非常通路を使ったようです。
死因の一端とみられていますが、確かに不思議ですね。
雨が降ったのに散歩したことも不自然で、坂井泉水さんの死因は自殺という見方が出ています。
事故現場周辺は施錠してあったとのこと。
坂井泉水さん本人が乗り越えた痕跡も残されているようなので、病院関係者は死因は自殺ではないか、と見る一端となっているようです。
一方、音楽関係者は「遺書もなかったし、病室が整理された様子もまったくない。病室では詞を書き留めたり、秋ごろをめどに、ツアーやアルバム製作を予定するなど、復帰にはとても意欲的でした」と真っ向から自殺説を否定する。
坂井泉水さんは復帰に意欲的だったようで、死因が自殺だったとは考えにくい、という見方が大半のようです。もし元々自殺する気だったのなら、復帰後に向けてとてもそんな力を注げないでしょう。
坂井泉水さんの死因を考える上で、貴重な証言です。
坂井さんはファンクラブの最新の会報にも「体調は思わしくないが、頑張っている」と前向きなメッセージを寄せていたといい、生前、自殺の兆候がなかったことを物語る。
坂井泉水さんはファンに対しても、前向きなメッセージを送っていたようです。
自分の状態を隠していた、と言う可能性もありますがそれも考えにくい事のようです。
坂井泉水さんの死因についての記事、いかがでしたか?
誤って足を滑らしたか、自殺か・・・。
坂井泉水さんの場合、どちらにもそう取れそうな判断材料がありました。
ただ、情報を総合してみると誤って転落したのでは?と言う見方が多いようです。
様々な曲で私達を勇気づけ、楽しませてくれた坂井泉水さん。
当時の曲を聴きながら、昔を思い出してみるのも良いかもしれません。
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坂井 泉水 (さかい いずみ)
出生名: 蒲池 幸子(かまち さちこ)
出生: 1967年2月6日 神奈川県平塚市
死没: 2007年5月27日(満40歳没)
活動期間: 1991年 - 2007年
20代前半まではモデルやレースクイーンとして活動していたが、1991年2月、音楽グループ「ZARD」のボーカルとして歌手デビューを果たす。
多くのヒット曲を生み出した。6thシングル「負けないで」で大ブレイクして以降、メディア露出やライブ活動を全くしなかった。生涯を通し、数回のテレビ、ラジオへの出演以外はほとんどマスメディアに登場せず、ライブも殆ど行わなかった。
2007年5月27日、病院内のスロープから3メートル下に転落し脳挫傷で急逝する。40歳没。