2019/11/11
jonasan
高岡早紀(たかおかさき)
本名:高岡 佐紀子
生年月日:1972年12月3日(42歳)
出生地: 神奈川県藤沢市
身長:163cm
血液型:A型
幼少期から藤沢市の安田バレエ教室でクラシックバレエを習う。雑誌『セブンティーン』モデルとして芸能活動を始め、1988年4月には「マドラス」のテレビCMで俳優・岡田真澄と共演。このCMで芸能界デビュー。同月30日にCMソングの『真夜中のサブリナ』で歌手デビューした。1989年には、映画 『cfガール』への出演で映画デビュー。同6月にはファーストアルバム『Sabrina』を発売した。1990年には映画『バタアシ金魚』に出演した。
実妹はモデルの高岡由美子で、兄もいる。元夫は俳優の保阪尚希で、保阪との間に二人の子供がいる。また、ジャズピアニストの山下洋輔夫妻は両親の親友で、家族ぐるみの付き合いがあるという
娘がいる。
高岡早紀といえば、デビューから女優として活躍、俳優の保阪尚希さんと結婚した頃までは、清楚でおとなしそうな女性というイメージでしたが、離婚となってからは全く違う人という印象を受けた人も多いのでは?!
自宅で女の子を極秘出産したという高岡早紀さん。生まれてきた娘の父は、青年実業家だった6歳年上の男性・・
未婚の母として娘を育てる決意をしている高岡早紀さん。
そのために最善の出産方法を選んでいるところがすごいですね。
高岡は現在、自宅で青年実業家と同棲中。一緒に自分の母親、前夫の俳優、保阪尚希(42)との間に生まれた長男(12)、次男(10)と5人で住んでいる。
自宅で出産した高岡早紀さん。 結果的にはこの出産方法がベストだったようですね。
高岡早紀さんの家族全員が幸せを感じる瞬間だったようです。
体育会系のスポーツマンで、山口智充(ぐっさん)さん似の名古屋在住の中古車のディーラー。高岡さんに「芸能界の仕事を辞めても全部面倒を見る」と言ったいう話もあり、それだけ金銭的にも申し分ない男性だったようです。
高岡早紀さんの娘の父親は、青年実業家で山口智充さんに似たスポーツマンでしたが・・
高岡早紀さんは娘を妊娠・出産しましたが、事実婚で・・入籍はしていませんでした。
それが高岡早紀さんには良かったようで・・・
その後、男性とは同居を続けましたが、金銭問題が浮上し男性が姿をくらますという結果になってしまいました。
なんとその男性、詐欺まがいの行為を働き、複数の人や企業から借金すること1億円。返済できなくなり家族を残して失踪してしまうというすごい展開に。
もちろん高岡さんの自宅にも債権者は訪れましたが、未入籍ということが功を奏して借金返済の責務は免れたようです。不運なのか強運なのか分かりませんが。
男性のほうは行方をくらましながらも借金返済に向けて奔走しているようで、置いてきた娘への想いから復縁を希望しているようですが、まぁこうなっては叶わないでしょうね。
高岡早紀さんの娘の父親は、多額の借金を背負いそのまま失踪と大変な事態に・・。
でも、入籍していなかったために借金は高岡早紀さんには関係のない話となったようです。
待ち合わせ場所に現れた男の左手薬指には“結婚指輪”がはめられたままだった。かつて“山口智充似”と報じられた彼の姿は、この1年の苦しみを表すかのように、別人のように“激ヤセ”していた──。
この男性は、高岡早紀(39才)の“事実婚夫”であり、借金問題から昨年末に失踪したままとなっていたA氏(45才)だ。A氏は、失踪劇の真相、そして家族への想いを語り始めた。
金銭問題から行方不明になった高岡早紀さんの娘の父は、その当時のことそして今のことを語っています。
「まだぼくが家に行っても受け入れてはくれないでしょう。でも、債権者とも和解が成立して、借金返済のめども立ち、ようやく再スタートを切ることができました。“もうぼくは大丈夫だ”と早紀に伝えたいんです」
借金返済のメドと・・債権者との和解も成立した高岡早紀さんの娘の父。
娘と高岡早紀さんとの生活を望んでいるようですが
A氏はこの1年間、債権者の目から逃れるために、最初の1か月はホテルを転々とし、以後は事務所に寝泊まりする生活を送っていたという。食事は、いつも500円のコンビニ弁当だったそうだ。ただ、失踪から1か月ほどが経ったころ、どうしても娘の顔が見たくなったA氏は、長女が通う保育園前で高岡と娘を待ち伏せたことがあった。
「早紀が園から出てきた際に、声をかけたんです。もちろん彼女は“今さら何?”という感じで、黙ってぼくを見ているだけでした。そして“家族に迷惑をかけるような借金はおかしい”とだけ言いました。ぼくはただひたすら“申し訳なかった”と頭を下げ続けるしかありませんでした。
借金から逃げていた高岡早紀さんの娘の父親は、ある日娘に会いたいと娘の通う保育園へと足が向いていたようです。そこで出会った高岡早紀さんと娘は・・・・
そして身勝手だとは思ったんですが“必ず迎えに行くから、待っていてほしい”とだけ伝えました。それで早紀の胸に抱かれていた娘に、ぼくが人差し指を差し出すとギュッと握ってくれたんです。そのとき、“ぼくはこの子を一生かけても守らなければならない”と心に誓いました」
娘の手が握ってくれたことで・・より一層、娘に対する思い、高岡早紀さんへの思いが強くなったようです。
A氏は今、ネット向けの広告代理店を経営しながら残った借金の返済を続けているという。そんな彼を奮い立たせているのは、やはり娘の存在だった。
「娘は自宅出産したんですが、そこに立ち会ったときのことが、今も鮮明に思い出されるんです。生まれる瞬間、助産師さんに“お父さん、へその緒を切ってください!”って言われて、子供たちにも“パパなんだから早く切りなよ!”と急かされ…。ハサミを受け取り、へその緒を切りました。あのときの感覚が忘れられない。この1年は何千万円というお金を作ることに、とても苦労しましたが、あの出産のときの感覚が、必死に借金を返す原動力になっているんです。もう一度、ぼくは家族と一緒に暮らしたいので
高岡早紀さんと娘、そして娘の父親・・家族がまた同じ家に住むようになる日は・・
来るのでしょうか。難しいだろうなとは思いますが、娘の父として何としてもという思いは
理解できますが。高岡早紀さん自身の中ではもう終わった話と思っているのではないでしょうか。
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