2020/03/16
yuumi28
宮沢りえ(みやざわりえ)
本名:宮沢りえ
生年月日:1973年4月6日(42歳)
出生地:東京都練馬区
身長:168 cm
血液型:B型
女優として映画、舞台、テレビドラマなどに出演。
日本人の母親と、オランダ人の父親を持つハーフ。
女優として活躍中の宮沢りえさん。本当に素敵な大人の女優さんです。
デビュー当初の宮沢りえさんって本当に可愛かった。
1987年(昭和62年)、CM『三井のリハウス』の初代リハウスガール“白鳥麗子”役を務めて注目を集め、トップアイドルの一人となった。
同時期から活躍していたのは後藤久美子で、同学年ということもあって仲が良く、また良きライバル関係でもあった。後藤久美子とは11歳の頃、キットカットのCMで共演歴がある。
三井のリハウスに出ていた頃の宮沢りえさん。こんな子が近くにいたら大変ですね。
10代の頃には、17歳の時に『ふんどしカレンダー』や、18歳の時にはヘアヌード写真集『Santa Fe』などの奇抜な話題作り、そしてマネージャーを務めていた母親(通称・りえママ)の存在とで注目された。
ふんどしカレンダーやヌード写真集など・・人気絶頂の時に話題となるものを発表してきた宮沢りえさん。本当に注目されていました。
婚約や婚約解消、また男性との交際、さらに拒食症の噂など、芸能マスコミからのバッシング報道が相次ぎ、アメリカサンディエゴへの移住を発表するなど、一時期は芸能活動休止状態となった。
芸能界からバッシングされてしまう時期があった宮沢りえさん。それでも宮沢りえさんのファンという人は変わらず・・そして話題となった写真集は今でも大切にしている人も多いとか。高値で写真集は売買されているようです。
激痩せから回復して来たと見られる頃から、徐々に芸能活動を再開し、2002年(平成14年)の『たそがれ清兵衛』で落ち着いた演技を見せ、映画の成功以降は、女優としての活動の幅が広がり、本格派女優としての評価が定着しつつある。
激痩せから回復をした宮沢りえさんは、女優として復活・・今の宮沢りえさんとなっています。
写真集の頃から比べると、だいぶ年齢を重ねてしまいましたが、それがまた魅力となっています。
尊敬する岡本太郎が書き綴った「生きること、死ぬこと」「夫婦愛」などの詩を朗読する活動も行っている。柔らかなウィスパーボイスの持ち主で、ナレーション業も多く務めている。
2009年2月14日、妊娠6か月であることを所属事務所からのFAXで発表。後日の2月20日の報道で、相手は40歳代のハワイ在住、日本人実業家で元プロサーファーであることが明らかになった
妊娠・結婚・出産と女性としての幸せを手にした宮沢りえさん。
素敵なママになっていますが・・夫との関係は長くは続かなかったようです。
離婚協議中の宮沢りえさん。シングルマザーとなってしまうようですが、きっとしっかりお子さんを育てていきそうですね。あのりえママの娘ですから・・・
1月18日放送のフジテレビ系「ヨルタモリ」の番組で、宮沢りえが、自身のヘアヌード写真集「Santa Fe(サンタフェ)」の秘話を激白しました。宮沢りえがこうしてSanta Feについて語るのは極めて異例で、発売当時の宣伝を除いては、私の知る限り初めてのことです。
宮沢りえさんが出演している「ヨルタモリ」という番組で、ヘアヌード写真集「Santa Fe(サンタフェ)」の秘話について初めて語ったことが話題に。本当に話題となった写真集だったので興味深いですよね。
宮沢りえが当時脱いだ理由を、あえて告白しようとした企画ではなくて、ひょんなことから「サンタ・フェ」の話となり、宮沢りえがタモリとマツコ・デラックスとともに当時を振り返ることなりました。20年も経てば、脱いだ理由もさらりを言えるものですね。
その当時、人気絶頂の時にヘアヌード写真集を出す人はいなかったために話題に・・・。
その当時の話を、宮沢りえさんは語るのですが・・・
宮沢りえは、「なんか学級文庫にもなっていたらしいですよ」と当時を回想し、写真集を買った同級生たちからの手紙を複数受け取っていたことを話していました。確かにSanta Feは当時の学生たちの聖書的な扱いでしたから、学級文庫になっていたこともうなずけます。
ヘアヌード写真集としては異例の、学校で学級文庫にもなっていました。
それだけ、いやらしいものではなく、芸術的なものとして扱われていました。
禁断のダブーに切り込んだタモリ。リエママがりえをヌードにさせたのか?
宮沢りえが脱いだ理由の中で、ワイドショー的にも一番盛り上がっていたのは、りえママこと宮沢りえの母親が主導的に娘をヌードにさせた話。母親がお金のために脱がせたとか、事務所ぐるみの組織的な策略など色々な噂がありましたね。
宮沢りえさんがヘアヌード写真集を出版した理由について話題となったことを、今あらためて宮沢りえさんが写真集について語りました。
ワイドショーをよく知ってるタモリが一番聞きづらいであろうことを、さらっと聞いてくれましたね。タモリは番組無いで「あそこまで脱ぐ予定がなかったのに、お母様が脱がせたって話を聞いたんですけどね?」と訊ねた。
宮沢りえは「まあでも、あれは結局篠山さんですよ」と写真家・篠山紀信氏の意向を明かしたのだ。今聞けば、そりゃ写真家だものと思うことろですが、あの当時は娘を売った母親とレッテルを貼られたり様々な憶測が飛んでいたのを思い出しました。
写真集として写真を撮っていく中で、写真家の篠山紀信さんの意向が反映されただけで、他の大人の策略はなかったと宮沢りえさんは話しています。
マツコ・デラックスの絶賛に謙虚な宮沢りえが、さらに絶賛される
その後、共演者のマツコ・デラックスに「いままで色んな人が脱いだけど、あなたは凄いね。全く傷になってない」と絶賛の言葉を送り、宮沢りえは「10代特有のキラキラしたものって、みんなあるじゃないですか」と謙遜していました。菅野美穂や宮沢りえは脱いでも全くヌードが傷になっていない珍しい女優です。いいタイミングにいい写真家に撮影されたのがポイントだと思います。
全く傷になっていないと・・その当時の写真集に対して、マツコ・デラックスさんは宮沢りえさんに語っています。
確かにそうですね・・・。
もし自分の息子や娘が芸能界デビューして
いきなりの仕事がヌードなんてことがあれば事務所に激怒ですよ
まぁ今の時代はヌード写真集なんて出す時代じゃないですけどね
ただ当時の宮沢さんのヌードは批判の声もありましたが
この写真集は世の男性の中で伝説の思い出
しかもヌード写真集発売を企画したのがこれまたビックリ、、、
宮沢さんの母親でもある宮沢光子さん
ヘアヌード写真集を発売した当時18歳だったんですね。
まだまだ幼い女の子にさせることではないと、バッシングを一気に受けた、
宮沢りえさんのお母さん。
それでも、今、あの時の写真集は評価されています。
りえママは宮沢りえをどのようにして売っていくか考えた結果
インパクトを与えることにヌード写真集を出されました
当時のサンタフェの写真集はもう生産されていませんが
オークションなどで今だに高値で売買されているそうです
あのビートたけしさんも批判するほど話題となった宮沢りえさんのヘアヌード写真集。
しかし、時代が変わっても、悪評とならない写真集も珍しいのではないでしょうか。
思い出のひとつとなった宮沢りえさんの写真集は子供に見せることのできる
唯一の写真集かもしれませんね。
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