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輝き続ける女優・宮沢りえを支え続けた「りえママ」こと母・光子さん

2014年9月に母を亡くした女優・宮沢りえさん、母親の光子さんは「りえママ」として宮沢りえさんの芸能活動を支え続けました。19歳当時の婚約解消の後に確執が生まれたという親子ですが、一卵性母娘と言われた親子と母を亡くした後の宮沢りえさんの活躍について紹介します。

6歳の娘の母、宮沢りえは現在42歳!

宮沢りえ

女性からも支持される宮沢りえさん、母になった今も以前とかわらぬ美貌です。

宮沢りえ(みやざわ りえ、1973年4月6日 - )は、日本の女優、ファッションモデル、歌手。東京都練馬区出身。エムツー企画所属。女優として映画、舞台、テレビドラマなどに出演。身長168cm。日本人の母親と、オランダ人の父親を持つハーフ。

出典:https://ja.wikipedia.org

11歳でデビューした宮沢りえさん、トップアイドルとして活躍していた18歳でヌード写真集「Santa Fe」は当時話題になりました。

妊娠中の宮沢りえさん、母になる喜びが伝わってきますね。

2009年2月14日、妊娠6か月であることを所属事務所からのFAXで発表。後日の2月20日の報道で、相手は40歳代のハワイ在住、日本人実業家で元プロサーファーであることが明らかになった。同年4月上旬に婚姻届を提出。同月6日に東京都内で挙式した。同年5月20日に女児を出産した。

出典:https://ja.wikipedia.org

4年後の2012年5月には離婚協議中であることを宮沢りえさんが認めました。その後に正式な発表はないので、現在も婚姻関係は続いているようです。

「りえママ」として活躍した宮沢りえの母・光子さん

宮沢りえの母・光子さん

光子さんは、女手一つでりえを育て、芸能界の実力者が集まる東京・六本木の飲食店に出入りし、りえを芸能界に売り込んだ。

出典:http://www.sponichi.co.jp

宮沢りえさんの人間関係までもプロデュースしたと言われる母・光子さん、そのプロデューサーとしての手腕は確かなもので、娘・りえさんを日本のトップアイドル、女優としてブレイクさせました。

りえがスカウトされ、デビュー時、所属した事務所は"芸能界のドン"と呼ばれた人物の息がかかった「E」というプロダクションだったが、ブレークするや、光子さんの判断で即独立してしまった。

出典:http://www.excite.co.jp

事務所独立をすると干されるなどと言われますが、りえママの勢いは止まらず、あっというまに宮沢りえさんはトップアイドルにのぼりつめました。

宮沢りえさんと母・光子さん

楽しそうに野球観戦をする母と娘、仲の良さがわかります。

りえとは“一卵性母娘”と言われるほど仲が良く、りえのヌード写真集発売など、話題作りでも注目された。

出典:http://www.sponichi.co.jp

宮沢りえさんはオランダ人の父親と母・光子さんから誕生したハーフ、父親が母娘のもとを去ってから母と娘はより強い絆で結ばれたと言われています。

宮沢りえの婚約解消には母・光子さんの陰が!?

りえは当時、大関だった貴花田(現・貴乃花)と電撃婚約したが、2カ月足らずで婚約解消した。

出典:http://www.excite.co.jp

婚約発表をした貴花田(現貴乃花親方)と宮沢りえ

1992年11月27日に婚約会見を行った宮沢りえさん、二人ともに国民的スターだったことから「世紀のカップル誕生」と話題になりました。
しかしその2ヶ月後に突然の婚約解消・破局が発表されました。

わずか2カ月で解消となった裏には「りえママが泥酔して貴を罵倒したため」と報道された。若貴の母親である藤田紀子の過去をなじったというのだ。

出典:http://www.asagei.com

この突然の離婚解消から一卵性母娘と言われた二人に確執が噂されました。その後の宮沢りえさんは自殺未遂騒動や拒食症など、かつての健康的なトップアイドルのイメージから懸け離れてしまいました。

宮沢りえとCM共演したビートたけし

宿泊したホテルのたけしの部屋に、りえが深夜に訪ねてきた。「ママに言われてきた」と彼女は言ったそうだ。しかし、たけしは彼女を傷つけないように「いいから、早く帰って寝なさい」と帰したという。

出典:http://www.excite.co.jp

真相はわかりませんが、以前から噂話として聞きますね。こんな話から母・光子さんは毒親とも言われています。
宮沢りえは母・光子さんである“りえママの作品”と言われるほど、母の手腕によって作り出されたアイドルだったそうです。

りえママ、65歳で逝去

宮沢りえさんの母・光子さんは2014年9月23日に肝腫瘍のため死去しました。

光子さんは肝腫瘍の診断を受けたが、本人の意思で自宅療養をしていた。

出典:http://www.sankei.com

優しい笑顔を浮かべるりえママこと、母・光子さん、宮沢りえさんの芸能生活を支え続けた敏腕マネージャー・プロデューサーでもありました。

りえは、所属事務所を通じて、「最期に、生きるということの美しさと、すさまじさと、その価値を教えてもらいました。そういった全ての宝物を胸に、私は、役者として、母として、女として、惜しみなく生きようと思います」とコメントした。

出典:http://www.nikkansports.com

宮沢りえさんは所属事務所「エム・ツー企画」の代表取締役の母・光子さんへコメントを発表しました。二人三脚で寄り添ってくれたプロデューサー、そして母へ感謝の思いが込められていますね。

舞台出演を終え、劇場を出る宮沢りえさん

訃報の翌日も主演舞台に出演、気丈に務め上げました。

母を失った宮沢りえ、その後の活躍

映画「紙の月」主演

2014年11月に公開された映画「紙の月」では名立たる賞を受賞しました。

第27回東京国際映画祭 最優秀女優賞
報知映画賞 主演女優賞
日刊スポーツ映画大賞 主演女優賞
ヨコハマ映画祭 主演女優賞
山路ふみ子映画賞 第28回女優賞
第38回日本アカデミー賞 最優秀主演女優賞

出典:http://ja.wikipedia.org

7年ぶりに宮沢りえさんが主演した映画「紙の月」は多数の賞を受賞しました。特に東京国際映画祭 最優秀女優賞の受賞は日本人女優として11年ぶりの快挙でした。

2015年9月に終了したトーク・バラエティ番組「ヨルタモリ」

2014年、キャリア初となる番組の司会を担当する、タモリとの共演番組『ヨルタモリ』が10月からスタート。

出典:https://ja.wikipedia.org

惜しまれながら2015年9月に終了したトーク・バラエティ番組、宮沢りえさんがバー「WHITE RAINBOW」のママという設定で、タモリさんとともにゲストとトークを繰り広げる姿は自然体でした。

母・光子さんが亡くなってから、初めてトーク番組の司会を担当するなど新しいジャンルにも挑戦している宮沢りえさん、今まで見られなかった彼女の新しい一面が見られるのはファンには嬉しいですね。
また2013年には天海祐希が降板した舞台「おのれナポレオン」では、わずか2日間の稽古で完璧に代役を演じ絶賛されました。2010年以降は舞台女優としても活躍している宮沢りえさんの新たなステージに注目です。

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