宮沢りえ と ビートたけし、過去に熱愛報道も!現在の2人の関係は?
2015/12/01
グリ777
本名 宮沢りえ
生年月日 1973年4月6日(42歳)
出生地 東京都練馬区
身長 168 cm
血液型 B型
職業 女優、歌手、ファッションモデル
ジャンル 映画、テレビドラマ
活動期間 1985年 -
配偶者 一般人男性(2009年 - 2012年)
事務所 エムツー企画
本名 北野 武(きたの たけし)
生年月日 1947年1月18日(68歳)
出身地 東京都足立区島根
血液型 O型
身長 168cm
最終学歴 明治大学工学部(現:理工学部)機械工学科卒業
宮沢りえさんもビートたけしさんも、若いですね~
宮沢りえさんは今よりふっくらした感じで、ビートたけしさんもしわがない。
意外に感じる方もいる方もいるかもしれませんが、92年に2人はインスタントラーメンのCMで共演を果たしています。
今では考えられないですよね。
この頃はまだりえママも健在でしたから、どんな営業をしていたのか気になります。
宮沢りえさんはりえママの営業に、かなり振り回されていたのではないでしょうか。
ビートたけしさんももしかすると、その辺りのことをよく知っているのかもしれません。
なんだかタイトルからして、官能的なイメージがしてしまうのですが、そこに宮沢りえとビートたけしが共演するって、一体どんな映画だったのでしょう。
1992年に公開になった「エロティックな関係」。
この映画は何と故・樹木希林さんの夫でもある内田裕也が製作や脚本を手掛け、主演までこなしてしまったという作品です。
78年に公開した内田裕也主演の「エロチックな関係」」のリメイクとして、とても話題を集めました。
予告編があったので見てみましょう。
見るだけで多くの方が興味の惹かれそうな予告です。
内田裕也の若さも見どころですし、宮沢りえの溌溂とした姿がキュートですね。
またビートたけしの本格的な演技も見どころです。
ストーリーを見つけたので読んでみたら、たしかにエロティックな関係を利用して、奥山に扮するビートたけしさんがゆすりを働く話のようです。
あらすじがあったので、是非読んでみて下さい。
パリの片隅で探偵として事務所を構えるKISHINこと内田裕也。
彼の秘書をRIE(宮沢りえ)が務めています。
ある日奥山(ビートたけし)という男が、自分の恋人ロレーヌの浮気調査を依頼しにきました。
ロレーヌは美しフランス人で、調査中に何とKISHINは彼女の虜になってしまいます。
実は奥山はロレーヌを使い詐欺を働いている悪者で、秘書のりえは段々とその事実に気が付きます。
しかも日本では指名手配犯として追われていたのでした。
ですがそんな折、ロレーヌを助けようと動きだしたKISHINは奥山を射殺。
その後も殺人を犯しますが、全ては彼女のためでした。
しかし実は奥山はロレーヌと手を組んでおり、死んでいませんでした。
ここで銃撃戦を繰り広げた男たちですが、混乱の中でロレーヌは死亡。
ついには奥山もKISHINにより殺害されてしまうのでした。
宮沢りえさんは探偵の秘書役をしていますね。
予告を見る限りでは、宮沢りえさんのヌードも後姿ですが、出てくるようです。
「サンタフェ」の写真集を出した頃の宮沢りえさんの体形とよく似ている気がします。
この宮沢りえさんの枕営業の話は強烈ですね。
母親が娘に、ビートたけしのところへ行って枕営業をしてこいなんて、普通言えませんよね。
実は92年に共演したインスタントラーメンのCMでの撮影は、ホテルに宿泊した長時間ロケでした。
そこで宮沢りえが実母に言われて、たけしの部屋を訪れたと言われているのです。
普通なら娘に虫が就かないように母親が目を光らせているものなのに、逆に仕事をもらってこいと体を張らせるなんて、さすがのビートたけしさんもりえママの行動にはびっくり仰天したに違いありません。
六本木でホステスをしていたりえママは、宮沢りえさんを授かった後、産み落とした宮沢りえさんを残して単身オランダに渡り、宮沢りえさんはタクシー運転手だった祖父の男の子と一緒に兄弟のように育てられたそうです。
宮沢りえさんは、その時が人生で一番幸せな時期だったと言います。
オランダの家族との折り合いが悪くなったりえママは離婚して帰国し、置き去りにしていった宮沢りえさんを引き取ります。
宮沢りえが出したヌード写真集『Santa Fe』(サンタフェ)。
150万部を超えるベストセラーとなりましたが、この時彼女は若干17歳でした。
娘をヌードにしたりえママには、たけしも批判をしていたとか。
つまり、自分の都合で娘を置き去りにしたり、引き取ったりすることが平気でできるような母親だったから、宮沢りえさんに枕営業をやらせたり、ヘアヌード写真集を出させたりすることができたのではないでしょうか。
確かにサンタフェの写真集を見ても、宮沢りえさんは容姿端麗ですよね。
そこはやっぱりオランダ人と日本人のハーフだからというのもあるかもしれません。
以前バラエティ番組で「一番綺麗だと思った芸能人は?」という問いに、そのまんま東が「痩せる前のりえちゃん」と話していました。
この後の詳細は編集され聞こえていませんが、どうやらたけしが「一番綺麗だった」と言っていたとの話だという見方が強いのです。
宮沢りえさんの枕営業を断ったビートたけしさんと、その後も関係が続いていたかどうかはわかりませんが、宮沢りえさんの体が綺麗なのは何もビートたけしさんじゃなくても写真集を見ればわかります。
ビートたけしが審査員長を務めるスポーツ映画大賞。
24回開催時に表彰された宮沢りえに、たけしは自ら映画のオファーをしました。
普段公の場ではその様なオファーは冗談でもしないたけしだけに、彼女のことを認めているのが強く伝わるエピソードとなっています。
この話を聞く限りでは、宮沢りえさんとビートたけしさんの関係は今も良好のようです。
それはきっと、ビートたけしさんが宮沢りえさんのことをデビュー当時からよく知っていて、りえママの元で苦労してきたことなども見てきているからなのではないでしょうか。
自殺未遂や拒食症など恋愛騒動を乗り越え、一人で生き抜いてきた宮沢りえさん。
ビートたけしさんの優しさをよく知っているから、今でも関係は良好で、宮沢りえさんは、映画の出演要請にも快諾したのだと思います。
実は17歳でヘアヌード写真集、たけしとの不倫を勧めるなど、りえママは強烈なステージママとして有名でした。
ですが実は、それ以外にもりえママは仕組んだと言われているスキャンダルがあることをご存知でしょうか。
宮沢りえが人気絶頂の時に、19歳で何と現在の貴乃花(当時は貴花田)と婚約を発表し、その後破談になっています。
実はこれも、りえママが恋愛のプロデュースをしていたのではないかとの話も出ているのです。
宮沢りえは94年に故・中村勘三郎との密会をスクープされています。
この後に自殺未遂を起こしており、宮沢りえはお騒がせ女優とのレッテルを張られてしまいます。
ですがこれもりえママの仕組んだことでは?と言われているのだとか。
このほかにも市川海老蔵や中田英寿など、多くの男性と噂されています。
幼い頃に離れ離れになり、寂しさをこらえて来たのでしょうか。
突然オランダから戻った母は、美しい彼女を引き取り友人の勧めで芸能界入りをさせたのだと言われています。
そんな母も肝腫瘍のために、2014年に亡くなったとか。
母の呪縛から解かれたとの表現が相応しいのかもしれません。
宮沢りえは摂食障害であったと言われています。
確かにスタイルが良いというよりも、痩せすぎな印象がありますよね。
これも母の依存が原因だったとか。
りえママは毒親としても知られており、宮沢りえは従うしかなかったとの見方が強いですね。
彼女は母がOKを出す男性とだけ、関係を続けていたのだと言われています。
宮沢りえは一般人の男性と結婚をし、一女をもうけています。
彼女の名前はアロハちゃんと言いますが、その後離婚。
2018年現在でアロハちゃんは、小学三年生だと言われています。
2018年、かねてより交際を噂されていたV6の森田剛と結婚を発表しました。
とても幸せな暮らしを送られているそうです。
2018年10月に公開されたグリコのポッキーのCM。
このCMの中で転校した娘の複雑な心境に寄り添う、優しい母親役を宮沢りえが演じています。
この中で宮沢りえのトレードマークと言われているホクロが消えた?とささやかれています。
メイクで薄くなっているのか?とも思いますが、中々ホクロは消えませんよね。
もし本当に消したのであれば、結婚したことで心機一転をはかったとも考えられます。
りえママに翻弄させられた宮沢りえさんの人生ですが、ビートたけしさんが言うように、不幸な人生が続いた宮沢りえさんだからこそ、より大きな幸せをつかんでもらいたいと思いますよね。
ビートたけしさん同様、宮沢りえさんの幸せを心から祈りつつ、宮沢りえさんの芸能界での活躍を楽しみにしています。
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