【嵐・櫻井翔】活躍の影に父の存在あり?2人の共通点と関係性は?
2015/10/27
ayax
櫻井翔 (さくらい しょう)
生年月日: 1982年1月25日
生まれ: 東京都 港区
身長: 171 cm
1995年、13歳の時にジャニーズ事務所に加入。
1999年、グループ「嵐」に加入。
当時はジャニーズのグループは横文字が当たり前だったのに、
漢字1文字で「嵐」というグループ名でデビューする予定だと分かり、
悪い意味で大きなショックを受けたという。
東大法学部卒業→郵政省→総務省・情報通信国際戦略局長→総務省・総務審議官
総務審議官(そうむしんぎかん)は総務事務次官に次ぐ、つまり、総務省における官僚のナンバー2のポストです。
櫻井翔さんの父は、東京大学の法学部卒業のエリート中のエリート!
2010年には総務省総合通信基盤局総合通信基盤局長を務め、
現在は総務省総務審議官の郵政・通信を担当をしています。
また、お役所でお仕事をされているので、
実はたまにお茶の間にニュース番組の中で出てくることもあります。
定員3人のうち2人は、総務事務次官を補佐するため、総務省の前身の旧自治省、旧郵政省、旧総務庁(行政管理庁)のうち、総務事務次官の出身官庁以外の官庁出身者が就任する。
ミスターITと呼ばれる櫻井翔さんの父ですが、
総務審議官は3人しかおらず、定員3人のうち2人は輔佐する役目なので、
総務審議官の中でも中心的人物です。
郵政・通信は櫻井翔さんの父が担当しています。
情報通信関係の国際交渉なども行っているんです!
父が総務省のエリート、母が大学教授という、
櫻井翔さんの家系はものすごいエリート!
という噂がありましたが、実はこの母親情報はデマだそうです。
一体櫻井翔さんの母親はどんな方なんでしょうか!気になりますね。
一般の方なので写真も個人情報を公開されるべきではないということから、
詳細は世間には公表されていません。
【お詫びと訂正】. 本誌5月15・22日号「『嵐』櫻井くん一家は本当にスゴイ!」で、櫻井翔氏の母親として紹介した駒澤大学文学部教授の女性は、櫻井家とはまったく関係のない第三者
母の情報の元ネタは週刊誌だそうですが、
それについてはフライデーデジタルがお詫びと訂正を行っています。
間違わないように気をつけてくださいね!
オーディションの案内通知が届いたときに、父は「何だこれ、聞いてないぞ」「行くな!」と大激怒。しかし櫻井は、それを押し切ってオーディションへ行き、結果は見事合格となった。
櫻井翔さんの父は、東大卒で総務省勤務という絵にかいたようなエリート。
まさか息子がアイドルを目指すなんて夢にも思わなかったのでしょう。
櫻井翔さんはジャニーズジュニアの人と間違われたことがきっかけで、半分冗談のつもりでジャニーズに履歴書を送ったというのがデビューのきっかけ。特に家族にも相談していなかったため、父は怒ってジャニーズに反対していたんだそうだ。
それでも家族は最後まで猛反対していたそうです。芸能界はリスクの高い世界なので、親は心配ですよね。
でも櫻井くんの熱意に負けて、“学業をおろそかにしないこと”を条件に芸能活動を許したんだそうです
櫻井翔さんの父は、櫻井翔さんにどうしてもアイドルをやらせたくなかったそうですが、
「学業をおろそかにしないこと」を理由に、ジャニーズ事務所に入ることを認めました。
「いつか辞めようと思っていた。17、8いっぱいでジャニーズJr.の活動は辞めることになるだろうなと思っていました。好きだから、部活のように楽しんでいたという状況でした」
櫻井翔さんも、実はそれほどアイドルに固執していたわけではなく、
高校を卒業すると同時にやめようと思っていたそうです。
嵐のデビューは本人の意向をよく聞かずに強引に進められたという過去があり、
「やめたい」ということを言えないまま櫻井翔さんは嵐としてデビューしています。
現在、押しも押されぬトップスターとして活躍する櫻井は、「階段をちょっとずつ上がってこれたなって思ってます。だけど、同じような道を選んでいる人がいたとして、やってみろよとは絶対に言えないです。あまりにもリスクが高すぎる、人に薦められない」
櫻井翔さん自身も語っていることですが、アイドルというのは人には薦められない職業です。
成功しなかった時に犠牲にするものが大きすぎるからです。
ですから、もし櫻井翔さんがアイドルという道で成功できなかったとしても、
ちゃんと生きていけるようにという考えで学業を両立させたのでしょうね。
「嵐になってからも、ずっとコンサート来てなかったんですよ。でも、22、3でソロのコンサートをやったときがあって、リビングで2人になったとき『週末コンサートあるから来てくれないか』ってはじめて言ったんです。そしたら『じゃあ行ってみるか』って。そういうところかな?そのときの景色は覚えています。なんとなく認めてくれたのかなって。それ以来ずっと来てくれています
22、3の時といえば、嵐が24時間テレビのメインパーソナリティを務めたり、
嵐初のアジアツアー、国立競技場で史上初の3日連続ライブを行うなど、
嵐が大きく飛躍した期間のことです。
父はアイドルとして活動することを不安視し、父と櫻井翔さんの間には少し確執があったそうですが、櫻井翔さんはソロのコンサートがあった時に、勇気を出して父をコンサートに誘ってみたそうです。
このあたりで、父は櫻井翔さんがアイドルとして成功したことを何となく実感したのか、それ以来のコンサートにも来てくれているそうです。
父として櫻井翔さんを心配するところが消え、認めてくれた瞬間です。
櫻井翔さんを心配しながらも見守ってくれた、良い父ですね!
櫻井翔さんのことを、父として心配していたからこそ、
櫻井翔さんのアイドル活動には反対することもありました。
父として、櫻井翔さんの将来ことを考え、学業とアイドル活動を両立させたことは立派だと思います。
結果的に櫻井翔さんはアイドルの道を突き進むことになりましたが、
その時の学業の成果は現在のアイドル活動の幅を大きく広げており、それは父の成果でもあると思います。
櫻井翔さんがアイドルとして成功して心配が消えたなら、
コンサートにも足を運ぶところに父の器の大きさがうかがえますね。
櫻井翔さんの父は、エリートというだけでなく、息子思いの立派な父でした。
この記事に関する記事
キーワードから記事を探す
Copyright© 運営事務局