松本人志の妻【伊原凛】の性格は?過去に伊原を狙った芸人がいた!?
2016/07/29
okaoka0820
別所哲也さんは、今年50歳です。
別所哲也は、静岡県島田市出身。
1987年の慶應大学在学中、ミュージカル「ファンタスティックス」で俳優デビュー。
1990年、日米合作映画『クライシス2050』でハリウッドデビューし、米国映画俳優組合(SAG)会員となる。
1999年、日本発の国際短篇映画祭『アメリカン・ショートショートフィルムフェスティバル』を主宰し、2004年には、米国アカデミー賞公認映画祭に認定される。
2005年の万国博覧会「愛・地球博」では、「ショートショートフィルムフェスティバルEXPO2005」を開催して、統括プロデューサーを務める。
そして2002年と2004年のオリンピックでは、キャスターを務め、またフランス映画祭2004ではプレゼンターを務めるなど幅広く活躍する。
その後も映画、テレビドラマ、舞台と活躍中。
また別所哲也さんは、株式会社ビジュアルボイスと株式会社キャスティングボイスの代表取締役社長を務めています。
別所哲也さんは、日系アメリカ人の妻と2009年に結婚しています。
2009年8月3日に別所哲也さん、結婚会見にて長女誕生も報告しています。
別所哲也さん、43歳の時パパになったようです!
日系アメリカ人の妻は、アメリカ国籍のため、当時はまだ入籍できていなかったそうです。
アメリカ大使館やアメリカ本国での手続きが必要だったそうです。
「7月16日の夕方に腹痛が始まりました。低体重の新生児。1100グラムぐらい。
行きつけの病院にNICU(新生児集中治療室)が無くて、都内の2ヶ所の病院で受け入れを拒否された。
でも、幸いにも行きつけの病院が献身的にしていただいて、都内の病院に受け入れてもらえました。
「あと30分遅かったら命がなかった」と言われた。
すぐ帝王切開して産まれて、自立呼吸して、今もそこで一生懸命頑張ってる。
医師、看護師の皆さんがヘトヘトになるまで頑張ってると実感しましたし、もっとそういう施設が(増えて)、安心して子供が産まれるようになればと思った。」
1つ年下という別所哲也さんの妻は、10月が出産予定だったそうです。
そのため長女は、まだ保育器のなかにいるとのことでした。
「まだ抱けなくて。保育器の中に入ってるので、手を入れて触って声掛けてる。
ホントに真っ赤なんですね、赤ちゃんって。
血の通った命を見つめて、これから自分も頑張らないとなと思った。
凄く美人だと思う、もうすでに。」
別所哲也さんは、妻が安定期に入ったら、結婚と妊娠の報告ををしようと思っていたようですが、その前に突然!長女が誕生してしまったそうです。
別所哲也さん、うれしそうですね!
別所哲也さんと妻の出会いは?
当時の妻は、UCLAの大学生だったそうです。
「(初対面は)ハリウッド映画の撮影で(渡米して)僕が23歳で、妻は学生でした。
これからどう自分の人生をデザインするか、という時期でしたけど、出会った瞬間から僕は一方的に素敵な方だなと思ってた。」
その後、別所哲也さんの妻も日本で働いていたため、節目節目にあって相談するなどして助け合い出会ってから20年近くは友達のような関係だったそうです。
「友達のように出会って1年1年、時間が過ぎていって、結婚したいと改めて思ったのは去年。
お互いに心許し合える仲だったし、僕の仕事を理解してくれた。
身近なところで自分を思ってくれる人がいて、それが愛おしく思えた。
これからの人生を歩んでくパートナーとして大切だと思った。」
そして、日常会話は日本語と英語だという別所哲也さんは、シンプルに「結婚しようよ」と妻にプロポーズしたそうです。
妻の返事もシンプルに、「はい」だそうです。
と、当時の気持ちを語った別所哲也さん。
そして別所哲也さんは、長女が10月に退院するので、その後に、挙式と披露宴を考えたいと答えています。
結婚会見した当時、「どんな家庭を築きたい?」の質問にこのように答えた別所哲也さん。
別所哲也さんの妻の名前は、(旧姓)藤田ミナさん。
妻のミナさんとマクドナルド創業者の藤田田さん(ふじたでん)は、親戚関係とのウワサがあります。
「献身的な女性で、気が付けばそばでアシストしてくれる。
その上で国際的に渡り歩いてきた妻なので、バイタリティとかアクティブなところもある。
理想です。かわいらしい女性で、瞳が印象的で安心できる。」
と別所哲也さんは、結婚会見にて妻の魅力について語っています。
その後、テレビ番組に出演した別所哲也さんは、妻との文化の違いから大変な思いをしている!?と、暴露しているそうですよ。
でも、別所哲也さんと妻のミナさんの仲は、いいそうです!
「平日は、朝からラジオ番組の仕事、昼からも映画やドラマの撮影があったりしますので、娘と顔を合わせないこともあります。
だから、週末はできるだけ僕が面倒を見るようにしているんです。
“公園デビュー”も僕が付き添ったんですよ。
家では僕が日本語を、英会話は妻が教えています。でも本当に大変ですね、子育ては。嬉しい大変さですけど(笑)」
と、別所哲也さん。
イクメンパパのようですね!
日系4世の妻との家庭での会話は、基本的に英語だと別所哲也さんは、言います。
そのため、今年6歳になる長女は、完全なバイリンガルだそうです。
別所哲也さん、妻、長女の3人で仲良く入場!
2012年11月4日、極秘に披露宴を行ったそうです。
「結婚してずいぶんと時間がたった今になって披露宴を行った理由は、『みなさんにご心配をおかけしましたけど、娘はいま3歳になってこんなに元気ですよ!』と伝えたかったからなんです」
と、別所哲也さん。
長女の七五三と同時期にファミリーウェディングを行ったようです。
妻のミナさんです。
神田うのさんがプロデュースしたウェディングドレスだそうです。
「花嫁姿の妻は、とても輝いていました。
妻にとっても僕にとっても、そして娘にとってもいい思い出を作ることができました。
最後に妻が涙交じりに感謝の手紙を読んだときには、感動してしまいましたね。
4時間以上の披露宴になったので最後のほうになると、娘は“おねむ”になっていましたけど(笑)」
と、別所哲也さん。
本当は、内々で食事会をする予定だったそうですが、友達に声をかけたらファミリーウェディングをやることになってしまったそうです。
別所哲也さんと妻のミナさんは、長女のお披露目だけでなく『子どもの人生に深く刻まれるものであって欲しい』という想いを込めて、ファミリーウェディングを行ったそうです。
披露宴では、長女の誕生秘話を描いたショートムービーが上演されたり、ゲストを巻き込んで「家族のありがたみ、愛、また友情について」のエピソードを語ってもらうなどして、会場の一体感が生まれるファミリーウェディングだったそうです。
長女の誕生秘話を告白!
2010年2月、女性自身の取材に告白しています。
「赤ちゃんの検査をして、先生に呼ばれたのは深夜。
『1週間、生命がもたなかったら、それがこの子の命の長さだったと思ってください』と、言われましたが、そのときは何も考えられなかったですね。
妻には『1週間』の話は伝えませんでした。
帝王切開してすぐですし、妻自身も命があるかどうかわからない状態でしたから」
別所哲也さんは、妻の出産後、先生にこのように言われたそうです。
そして長女は、3カ月間NICU(新生児特定集中治療室)で過ごしたそうです。
「NICUにいた時間も長かったし、1歳のときにはいろいろな検診もありました。
『大丈夫かな?』と不安になることもあったし、ホームドクターの方にもたいへんお世話になりました。でも、おかげさまで問題なく成長してくれた。
どこの親も同じだと思いますが、生まれてきた子どもの成長に一喜一憂していると思うんですよ」
長女が1歳になってから初めて、先生のお許しをもらって妻の実家のロサンゼルスに行ったそうです。
またこのようなことがあったため別所哲也さんは、妻にも感謝の気持ちを込めてファミリーウェディングをしたようですね。
別所哲也さんは、アジア最大級の国際短編映画祭「ショートショート フィルムフェステバル& アジア」(SSFF&ASIA)の創設者です。
趣味が高じて自ら立ち上げた国際短編映画祭は、米国アカデミー賞公認映画祭に認定されています。
そして2008年には、横浜みなとみらいに国際短編映画祭に連動した短編映画専門映画館となる「ブリリア ショートショート シアター」を、別所哲也さんは設立してもいます。
ショートフィルムとは?
「SSFF&ASIA 2015」では、25分以内のフィルムを規定しているそうです。
米国アカデミー賞公認のアジア最大級の国際短編映画祭「ショートショート フィルムフェスティバル &アジア (略称:SSFF &ASIA)」は、6月4日(木)~6月15日(月)まで開催致します。
本年度は、世界100以上の国と地域から集まった約5,000本の作品の中から、選りすぐりの約200作品を一挙上映します。
今年で17年目を迎えた「SSFF&ASIA 2015」は、東京は5会場、横浜は1会場で開催されています。
会期中の上映プログラムは、無料上映だったそうです。
別所哲也さんと韓国俳優のチョン・ウソンさん
ショートフィルム上映イベントのトークショーにて
トークショーでは、開催中のアジア最大級の国際短編映画祭「ショートショートフィルムフェスティバル&アジア2015」の代表を務める別所さんを進行役、同映画祭で審査員を務めているチョンさんをゲストに、チョンさんの過去の出演作品やチョンさんが監督を務めたショートフィルム作品などについて、2人で語り合った。
国際短編映画祭の審査員として、韓国俳優のチョン・ウソンさんも参加していたようですね。
別所哲也さん、国際短編映画祭についてのインタビューにて
最も印象に残っている国際短編映画の1本は?
「これはやはり開催初年度、1999年に上映したジョージ・ルーカス監督の『電子的迷宮/THX 1138 4EB』でしょうか。
この作品は、ルーカス監督が南カルフォルニア大学(USC)時代に製作したものです。」
ジョージ・ルーカス監督の学生時代の作品がUSCのフィルムライブラリーあると知った別所哲也さんは、Eメールでコンタクトして、「OK」の返事をもらった時は、とてもうれしかったそうです!
「パッと思いついた作品は、『カッコーの巣の上で』(ミロス・フォアマン監督)です。
大学時代、英語劇で演出もしたことがあるので思いで深い作品です。
これは、もう、ラストシーンは特に衝撃的でした。
『恋人たちの予感』(ロブ・ライナー監督)の方がいいのかな。
僕はこの映画は本当に名作だなと思っていて、妻とのなれそめにも通ずる部分があるんですよ。」
と、「永遠に残る映画の名シーン」について、答えています。
映画好きな別所哲也さんにとっての名シーンは、数えきれないほどありそうですね。
「僕の行動原理でもあり、モットーでもあるのは『ノールールがルール』です。
勝負メシがあるわけでもないし、俳優として舞台にあがるときも右側から靴を履かくとか、『こうしなければいけない』という既存のルールには縛られたくないんですね。
『自分でルールを作る』と言い換えることもできるかもしれません。」
「別所哲也さんの原動力は?」の質問に答えています。
「映画は長さではなく、25分以内の短い映画の中にも大きな宇宙があって、ぎゅっと凝縮した物語があって、その物語を通じて、元気になったり、自分の人生を考えたり、生きる勇気にもつながったり、大切な人のことを思い出したりできるもの」
と別所哲也さんは、ショートフィルムの魅力について、語っています。
今年の国際短編映画祭「SSFF&ASIA 2015」は、大阪でも9月19日から開催されるそうです。
また、「SSFF&ASIA」への取り組みから、日本文化の海外発信や国際文化交流に顕著な貢献があったとして、2009年7月10日、文化庁から文化発信部門の長官表彰を受けてもいる別所哲也さん。
「SSFF&ASIA」が今後、どのようになっていくか、別所哲也さんの活躍とともに期待したいと思います。
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