女優・坂口良子の娘、坂口杏里!亡き母の愛に応えられるのか?!
2015/11/09
FU-JI
母と同じ芸能界に入った坂口杏里
1991年(平成3年)3月3日、東京都に生まれる。松濤幼稚園、成城学園初等学校、成城学園中学校、堀越高等学校卒業。
母は女優の坂口良子、継父はプロゴルファーの尾崎健夫、2歳上の兄がいる。母子家庭で育った[1]。
『モーニング娘。』に憧れて芸能界入りし[2][3]、2008年(平成20年)頃より芸能活動を開始した。
2014年、映画『ハニー・フラッパーズ』で映画初主演[4]。
母と同じ芸能界に入った坂口杏里
大の勉強嫌い。小学校時代には成績について度々母親が呼ばれたり、小テストを机に隠して、それを知った母親を激怒させた逸話を残すほど。また、中学時代にオール1の成績を取って、母親を唖然とさせたことがあると語っている。例として、最近までずっと「1リットルのなかに100リットルが入っているものだと思っていた[5]」、「1.8リットルの(小数)点はいらない」など発言をした。
『踊る!さんま御殿!!』出演時に司会の明石家さんまに「得意科目は?なんかひとつくらいあるやろ?」と聞かれ、「…カンニング!!!」と答えた[6]。同番組の出演の影響によって、以前交際していた秀才の男性から「(坂口と交際していたことが世間に知れると恥ずかしいので)俺の話はテレビ番組でしないで欲しい」と注意されたという[2]。
母が激怒するほどのおバカ、坂口杏里
母があの坂口良子さんであること、クイズ番組やバラエティー番組での珍解答が話題となり、
一時期テレビに引っ張りだこでしたね。
母の坂口良子さんも坂口杏里さんが珍解答するたびにヒヤヒヤだったでしょうね。
坂口杏里の母・坂口良子
1971年(昭和46年)、ミス・セブンティーンコンテストで優勝し、芸能界入り[1]。1972年、フジテレビのテレビドラマ『アイちゃんが行く!』で主演デビュー[1]。
その後も『たんぽぽ』『前略おふくろ様』『犬神家の一族』等人気作品に次々と出演、愛くるしい顔立ちと親しみやすいキャラクターで人気を集めた。さらに、『池中玄太80キロ』ではキャリアウーマンを演じるなど演技の幅も広げ、写真集ではヌードも披露するなど大人の女優への転身を計った。その後も2時間ドラマ等に出演していた。
坂口杏里と母・坂口良子
晩期には2008年(平成20年)から芸能活動を開始した娘の坂口杏里との母娘共演が多く、母娘でゲスト出演した2013年(平成25年)1月10日放送(2012年(平成24年)12月6日収録[2])の『ダウンタウンDXDX 2013新春スペシャル』(読売テレビ制作・日本テレビ系)[3]が最後のテレビ出演となった。
2013年(平成25年)3月27日午前3時40分、横行結腸癌および肺炎のため死去[4]。
坂口杏里と母・坂口良子
晩年、母子共演が増えたのは、もうすぐこの世からいなくなると分かってから
何とか娘の芸能界での道筋を作ってあげたいという想いからだったのではないか?
と思います。
娘のために最期まで病気を隠し続け、支え続けた母・坂口良子さんは素晴らしいお母さんでしたね。
坂口杏里の母の再婚相手・尾崎建夫
尾崎 健夫(おざき たてお、1954年1月9日 - )はプロゴルファーである。徳島県海陽町出身。通称はジェット、あるいは姓を続けてジェット尾崎。
ジャンボ尾崎こと尾崎将司の弟であり、プロゴルファーとして知られているが、高校野球の全国大会で優勝した兄と同じく海南高校(海南町)時代は野球部のエースとして活躍した。弟は尾崎直道。
アメリカの下部ツアーを転戦していた時にアメリカ人若手プロから「ジェット」のニックネームを付けられた。これは、健夫がドライバーショットを放つとボールがジェット機のように強烈な勢いで飛んでいくのに驚いたからであり、以来この呼び方が定着している。因みに「ジャンボ」は将司のデビュー当時のスケールの大きいプレー振りから、ある新聞記者が「まるでジャンボジェットの様だ」と表現したことに由来し、末弟直道の「ジョー」は公募による。
2012年8月10日、女優の坂口良子と結婚した。継子はタレントの坂口杏里。また、その模様は「ぴったんこカン・カン」で放送された。
坂口さんは母と尾崎建夫さんとの交際を徐々に認めていって、最後は結婚式で
ちゃんと祝福していましたね!お母さんも喜んだことだと思います。
坂口杏里
坂口さんが亡くなると、家族は一気にバラバラになっていった。杏里が尾崎のもとを訪れることはパタリとなくなってしまう。だが、尾崎が思い出すのは、生前に坂口さんが遺した言葉だった。
“自分が死んでも、家族のままでいてほしい”
坂口杏里の母・良子と尾崎建夫
尾崎は坂口さんと暮らしていた冒頭のマンションから、独身時代に暮らしていた千葉のマンションへと引っ越した。家財は売り払い、お金は杏里の口座へ。
父娘の関係は完全に途絶えたかと思われたが、尾崎は坂口さんとの約束を守るため、ある日、ふたりでよく通った居酒屋へと杏里を誘った。
自分がいなくなっても家族でいて・・・
母・坂口良子の願いだった
「正直、初めは健夫さんも杏里ちゃんにどうやって接していいかわからなかったみたいですよ。でも“自分にできることは、一緒の時間を過ごして、悲しみを分かち合うことだけだ”と、それからも月に1度は杏里ちゃんを誘っているそうです。そんな健夫さんの姿に、杏里ちゃんも再び心を許していったようです」
坂口杏里
さらに7月上旬、尾崎は杏里を東京郊外の寿司店へと誘った。そこは、坂口さんとつきあい始めてすぐにデートで訪れた彼女の大好きな店だった。お酒を飲みながら、坂口さんとの思い出を語り合う尾崎と杏里の目に入ってきたのがカウンターに飾られた坂口さんの似顔絵だった。尾崎の目から自然と涙が溢れ出た。
「またぁ、もうすぐこれなんだから!」
それを見て笑う杏里の目からも涙がこぼれ落ちていった。
坂口杏里さん、お母様を亡くされてから色々あったようですね。
今までは尾崎建夫さんとの間にお母様が入ってくれたから良かったでしょうが、
亡くなってからは自分で関係を築いていかなければならないので相当努力したんだと思います。
母の願い通り、家族になれたようで何よりです。
坂口杏里さんの整形疑惑、写真を並べていくので比べながらご覧下さい。
坂口杏里①
坂口杏里②
坂口杏里③
坂口杏里④
坂口杏里⑤
坂口杏里⑥
坂口杏里⑦
もう一度、坂口杏里①
いかがですか?
全く別人ですし最初に、坂口杏里⑦を見たとき誰?って思いました。
せっかくお母さんとそっくりだった顔がまったく坂口良子さんの面影を感じないほど
変わり果ててしまいました。
バイきんぐの小峠と坂口杏里
小峠といえば、タレントの坂口杏里との関係がなにかと話題に。年齢が離れていることや、小峠のルックスから「本当に付き合っているのか」と疑惑の目で見られており、ネット上では話題作りのための「ビジネス恋愛では?」とうがった見方も囁かれている。
しかし小峠は「そんなことないです。付き合ってます。順調です」と笑顔で一蹴。破局説も否定した。
小峠と坂口杏里
また、「(坂口の)手料理をご馳走になったことは?」との記者の質問には、「料理はまったくしない。一回だけ鍋をご馳走になりましたけど、野菜を手でちぎってブン投げてましたよ」と明かし、機会があれば「肉じゃがを作って欲しい」とリクエストした。
とはいえ、いまだ消えることのない小峠と坂口の不可思議な関係。すべての疑惑を一蹴できる日は来るのだろうか。
私もこの二人の交際は違和感を感じます。
だって、小峠ですよ(笑)でもまぁ、二人が幸せと言っているならいいと思います。
小峠さんも真面目そうなので天国のお母様も安心しているのではないでしょうか?
母・坂口良子と坂口杏里
坂口杏里さんの最近の様子、いかがでしたか?
ちょっと整形がひどすぎて精神的に大丈夫かな?と思うことがあります。
お父さんとなった尾崎建夫さんとの秘話は感動でした。
身体を大事にして大好きな家族や小峠さんとお幸せに・・・。
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