2024/02/16
r.y6
大地真央さんは、2007年に12歳年下の世界的インテリアデザイナーの森田恭通さんと結婚しました。大地さんは、婚約を発表した時、森田さんについて大地さんは「彼といるとピュアな気持ちで私が私でいられるような気がしています」と話しました。
元宝塚歌劇団月組トップスターだった大地真央さん。そんな大地さんの実家のことや宝塚歌劇団在団中のエピソードなどを調べてみました。
・大地真央プロフィール
大地真央さんは、1971年に49人中47番目の成績で宝塚音楽学校に入学しました。そして、1973年に59期生として一発合格し宝塚歌劇団に入団しました。宝塚歌劇入団時の成績は49人中25番だったそうです。
宝塚の初舞台は、星組公演『花かげろう/ラ・ファンタシーク』で、翌年に月組に配属され、新進男役スターとして早くから注目されました。
芸名の「真央」は幼い頃から考えていたもので「大地」は長姉の提案だったそうです。
大地さんは、それまで宝塚歌劇の舞台を一度も観たことがなかったそうで、初めて観劇した時、「なんて華麗で美しい、夢のある世界なんだろう」と感激し、男役になろうと決めていたそうです。
宝塚歌劇時代の主な舞台に、『ベルサイユのばらIII』『アンジェリク』『二都物語』、大地さん自身が劇団に提案した『ガイズ&ドールズ』などがあります。
大地真央さんは、1982年に舞台『あしびきの山の雫に』で大津皇子を演じ、相手役に大抜擢されたのが入団1年目の黒木瞳さんでした。黒木さんの舞台での度胸ある立ち居振る舞いを見込んでの抜擢でした。
同年、大地さんは『情熱のバルセロナ』で月組トップスターに就任し、黒木さんはトップ娘役に就任しました。2人は、黄金コンビとして人気を博しましたが、1984年に2人は揃って宝塚歌劇団を退団しました。
なんでも、大地さんが退団することを黒木さんに伝えると、黒木さんが「私も一緒にやめていいですか」と言ったため、同時の退団になったそうです。それで“添い遂げ退団”と言われました。
大地さんが退団を決めた理由は、宝塚でやりたいと思っていた夢がすべて叶い、どこかのタイミングでキリをつけねばと思ったからだそうです。
・黒木瞳プロフィール
大地真央さんは、宝塚歌劇退団後は、ミュージカルの舞台を中心に活躍しました。特に『風と共に去りぬ』のスカーレット役、『マイ・フェア・レディ』のイライザ役が当たり役となりました。ミュージカルの出演舞台は他に『サウンド・オブ・ミュージック』『エニシング・ゴーズ』などがあります。
出演ドラマに、NHK大河ドラマ『武田信玄』(1899年)『功名が辻』(2006年)、『竜馬がゆく』(1997年・TBS)、連続テレビ小説『とと姉ちゃん』(2016年)『越路吹雪物語』(2018年・テレビ朝日)『最高のオバハン 中島ハルコ』(2021年・フジテレビ)などがあります。
出演映画には『日本沈没』(2006年)『映画 クロザキ』(2008年)『母性』(2022年)などがあります。
大地真央さんは、CMにもいくつか出演しています。なかでも広く知られているのがアイフルの「愛がいちばん。アイフル」をキャッチフレーズにしたコミカルな「凛とした女将シリーズ」。2018年4月にスタートし、2023年9月の「おかみ侍」篇(上画像)まで21本作られています。
大地真央さんの父親は、陸軍軍人で、戦後は小学校教師やガソリンスタンドの経営などをしていたそうで、母親は横浜出身。大地さんは3人姉妹の末っ子として生まれ、4歳から日本舞踊を習っていたそうです。
父親に教師経験があり、ガソリンスタンドを経営したことから推測するに、日本舞踊を習わせるなど子供の教育に資金を注げる家庭であったことが分かります。お金持ちかどうかまでは分かりませんが、不自由のない暮らしには違いないでしょう。
大地さんは、中学時代にひょんなことから舞台に立ち、その面白さから芸能活動を目指すようになりますが、父から猛反対されたそうです。そのとき、父の友人が「宝塚歌劇団なら軍隊並みに規律が厳しいから、ためになるのではないか」と父に進言し、それで受験が許され、受験レッスンを受ける事ができたそうです。
大地真央さんは、1973年に『悲しみのアイドル』で歌手デビューしました。「まぶしいアイドル 太陽の19歳」というキャッチフレーズで地方をキャンペーンでまわりサイン即売会を行っていたそうです。でもレコードセールスは芳しくなく、歌手としての活動は自然消滅したらしいです。
また宝塚の舞台でのエピソードもいくつかあります。1977年の『風と共に去りぬ』に機関士役で出演したとき、ハゲヅラを自作して演技の中で帽子を脱ぐと客席が爆笑し、それにつられて他のタカラジェンヌも爆笑してしまい、大地さんはスタッフに厳重注意されたそうです。
他に、ズボンのファスナーを開けたままステージに出てしまったり、袴の片方に両足を入れてしまったり、オケボックスに靴を飛ばしてしまったりといろいろ失敗があるようです。
大地真央さんの現在の夫は森田恭通さんですが、森田さんがどんな人物でどこの出身か?また年収はどれくらかなどを調べてみました。
大地真央さんの夫、森田恭通さんの職業は、日本だけでなくニューヨークやロンドン、それにパリなど海外でも活躍している世界的に有名なインテリアデザイナーです。現在は、インテリアだけでなくグラフィックやプロダクトなど幅広い分野のデザインも手掛けています。
東京・渋谷のレイヤード宮下パーク内にあるレストランや伊勢丹新宿本店、港区のAOYAMA francefrance、大阪のリバーサイドタワー中之島、京都・嵐山駅(京福電鉄道)などのデザインを担当しました。
森田さんはデザイナーだけでなく、アーティストしても活動していて、2015年からパリで写真展を継続して開催しているらしいです。
・森田恭通プロフィール
森田さんは、4人兄弟の長男として生まれ、10代の頃からウインドウディスプレイのアルバイトなど内装の仕事に関わりました。そして、大学在学中に神戸・三宮のバー「COOL」のインテリアを手がけ、専門誌で脚光を浴びました。これが本格的なデビューとなり、大学卒業後、大阪のデザイン会社に就職しました。
1996年に森田恭通デザインオフィス(後のグラマラス)設立し、大阪市内で「新中華菜々 熱烈食堂」「ken's Dining(ケンズダイニング)」などの内装を手掛け、時代の寵児となりました。
森田恭通さんは、2000年6月に東京都港区南青山に設立した株式会社グラマラスの代表取締役社長です。事業内容は、インテリアデザイン、建築デザイン、プロダクトデザイン、グラフィックデザインなどです。
大地真央さんと森田恭通さんの婚約が発表されたとき、それを取り上げた朝日新聞の記事によれば、当時の森田さんの年収は1億円を超えていたらしいです。
大地真央さんと森田恭通さんは、どういうふうに出会い交際を経て結婚に至ったのか、また大地さんが再婚を決めたきっかけなどを調べてみました。
大地真央さんと森田恭通さんは、2006年12月に開かれた友人同士の食事会で出会ったそうです。食事会が開かれた店舗や場所などは不明です。
森田恭通さんは元々、大地真央さんの大ファンだったそうです。過去に大地さんのインタビュー記事を読み、「まさに理想の女性だ」と惚れ込んでしまったんだそうです。
それで食事会のあとも2人は会い続け、3回目に会ったとき、森田さんは結婚を前提としたお付き合いをしたいと大地さんに申し込んだらしいです。
大地さんは、森田さんが12歳年下であるという年齢差と2度目の結婚となることを考えて、「友達からなら…」と返事したそうです。
大地真央さんと森田恭通さんは、出会いから2ヶ月もたたないうちにゴールインというスピード結婚となりました。大地さんが森田さんのプロポーズを受け入れ結婚を決めたのは、森田さんからのある強い思いが後押しをしたそうです。
それは、「結婚しても女優を続けてほしい」という森田さんの思いでした。大地さんは、女優としてこれからも頑張りたいと思っていただけに、それを望んでくれる森田さんの言葉が嬉しかったのかもしれません。
大地真央さんと森田恭通さんの結婚式は、フランスのシャンパンの聖地、シャンパーニュ地方のモエ・エ・シャンドン社の迎賓館で行われました。
迎賓館であるトリアノンは、モエ・エ・シャンドン社が世界中のVIPをもてなす特別な場所だそうで、モエヘネシーの日仏両社長の好意により挙式会場として特別貸切が実現できたのだそうです。
森田さんは、「朝シャン、昼シャン、夜シャン!」と1日にたくさんのシャンパンを召し上がる無類のシャンパン好きで知られているそうで、森田さん自身が何度か訪れたシャンパン発祥地で挙式を行う事ができ、とても満足できたと思われます。
後日の披露パーティで、森田さんは「フランスでは、実家じゃないかというくらいリラックスできました」と語っています。
大地真央さんは森田恭通さんと再婚しましたが、最初の夫は誰だったのか?また最初の夫との馴れ初めや離婚の原因は何だったのかなどを調べてみました。
大地真央さんが最初に結婚した相手は松平健さんです。1990年の34歳の時に結婚しましたが、14年後の2004年に離婚しました。
結婚会見の時、互いの印象について大地さんは松平さんのことを「誠実であったかくて包容力がある方」と話し、松平さんは大地さんのことを「話をしててもホッとできる」と話しました。
お互いに仕事が忙しかったのか子供は授かりませんでした。
・松平健プロフィール
松平健さんは、1974年にドラマ『座頭市物語 心中あいや橋』でデビューし、1976年に昼ドラマ『人間の条件』(フジテレビ)で初主演しました。1978年に『暴れん坊将軍』(テレビ朝日)で主役の徳川吉宗に抜擢され、2008年まで放送回数832回を数える長寿番組となり、時代劇スターとして認知され、松平さんの代表作となりました。
2004年にシングル『マツケンサンバ』がヒットし、ギンギラの派手な衣装で歌う姿が話題になりました。
松平さんは大地真央さんと離婚後、2005年に元タレントで女優の松本友里さんと再婚しますが、松本さんが自宅で自殺。2015年に40歳代の一般女性と再々婚しました。
大地真央さんと松平健さんは、1987年に舞台『風と共に去りぬ』での共演で出会い、交際に発展したそうです。大地さんがスカーレット役で松平さんがレッド・バトラー役でした。
出会って3年後の1990年に結婚しますが、披露宴は2億円と言われる豪華なものだったそうです。当時としては挙式ともども珍しく報道陣をシャットアウトしたそうで、「お客様に迷惑がかかる」と披露宴のテレビ中継も行われませんでした。
新婚旅行は最初に寝台特急トワイライトエクスプレスの最後尾車両を貸切り、家族や事務所関係者と共に札幌旅行をしたそうです。そして、次に大地さんと松平さんの2人で、香港→欧州→米国本土→ハワイの世界一周旅行を楽しむという豪華なものだったそうです。
1998年には、5億円と言われる豪邸を新築しています。
大地真央さんと松平健さんは、2004年に離婚しましたが、離婚理由は性格の不一致だと言われています。
大地さんと松平さんはお互いの仕事のこともあり、別々の家を借り一緒に過ごすのは週末限りになっていったそうで、すれ違いが離婚原因のひとつかもしれません。
新築の豪邸を建てましたが、すれ違い生活が続き、2人が一緒にいる姿を近所の人もほとんど見かけなかったそうでが、それで“仮面夫婦”と言われたこともありました。
また、家庭を仕切りたがる大地さんに松平さんが耐え切れなくなり、松平さんが離婚を切り出したと報道されたこともありました。
離婚の理由を聞かれたとき、松平さんは「プライベートなこと」と答え、大地さんは「お互いに仕事に頑張りましょうということを電話で話したところ」と答え、多くを語っていません。
なお、離婚に際して松平さんは慰謝料代わりに豪邸の所有分を大地さんに譲り渡したそうです。
大地真央さんと森田恭通さんは、2023年で結婚16周年目となりましたが、大地さんは、7月26日にインスタグラムでその様子を投稿しています。互いにシャンパン(と思います)が入ったグラスを持ちニッコリ微笑んでいます。
また、8月22日にインスタグラムで入籍記念日を報告していて、プロバンスでのお互いの浴衣姿の写真をアップしています。白地に藤の柄の浴衣の大地さんと紺の浴衣の森田さんが石畳の街並みを歩く姿で、フォロワーから「そこに愛は……ありますね」とコメントが寄せられています。
大地真央さんに子供はいないようです。松平健さんとの結婚時も子供は授かりませんでしたが、現在の夫・森田恭通さんと再婚した時は51歳でしたから、子供は難しいと考えたのかもしれません。もしくは、元々子供は持たないと考えていた可能性もあります。
大地真央さんと森田恭通さんが別居中であると報道されたことがあります。「離婚まで秒読み!」なんて噂も流れました。
現在、大地さんは大豪邸で一人で暮らしているそうですが、森田さんと仲が悪くなり別居しているというわけでなく、お互いのことを考えての別居のようです。
森田さんは、仕事で都内のアトリエと自宅を行ったり来たりするらしく、海外の仕事も多いそうで、大地さんも舞台の仕事が多いので、この10年間お互いのストレスが溜まらないように、それぞれのスケジュールを考えて、このような生活をしていますと話しています。
森田さんとしては、“妻最優先”を考えての別居だそうで、今でも夫婦仲は極めて良いようで、一緒に食事に出かけたり、舞台を観に行ったりしているそうです。
大地真央さんはと森田恭通さんは結婚16年目ですが、いまもラブラブなようです。森田さんが“妻最優先”を考え、互いの仕事を尊重しつつ、お互いのストレスが溜まらない生活を送っているせいかもしれませんが、これからも末永くラブラブに暮らしていってほしいものですね。
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元宝塚歌劇団のトップスターで現在は女優として活躍している大地真央さん。「そこに愛はあるんか?」でおなじみですが、綺麗すぎると話題です。そんな大地真央さんの旦那や子供についてまとめました。
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