2024/02/16
r.y6
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元宝塚歌劇団花組トップスターとして活躍し、退団後は、女優として活躍されている真矢ミキさん。ドラマや映画だけではなく、バラエティや教養番組、CMなど多岐にわたる活躍をされています。
そんな真矢ミキさんは、2008年12月、44歳の時にバレエダンサーの西島数博さんと結婚しました。真矢ミキさんが7歳年上となります。
西島数博さんは、3歳のころから祖母が創立した伊達バレエスクールにて母よりクラシックバレエを学びはじめました。
西島数博さんの祖母は、日本でバレエがまだ広まっていなかった頃にバレエスクールを開講させた、日本バレエ界の先駆者的人物でもあります。
西島数博さんがバレエを始めたころには、祖母は亡くなっていた為、直接教えてもらった事は無かったのだそうです。
17歳で西日本のアマチュア競技会にて優勝など、数々の大会で上位に入賞し、1994年、スターダンサーズ・バレエ団に入団すると、2006年までプリンシパルとして活躍されました。
舞台を中心に、テレビ・映画・CM等で活動する他、バレエクラスの特別講師や、バレエコンクールの審査員も務めている方です。
続いては、真矢ミキさんと西島数博さんの馴れ初めから結婚に至るまでの経緯を詳しく見ていこうと思います。
真矢ミキさんと西島数博さんが出会ったのは、2002年に公演された舞台『スターダストin上海』で共演したことがきっかけでした。
知り合ってから6年は友人関係が続いていた二人ですが、西島数博から交際を申し込まれ、真矢ミキさんは「(交際することは)考えられない」と、一度は断ったのだそうです。しかし、西島数博さんからのアプローチが続き交際がスタートしたのだそうです。
2008年7月1日、真矢ミキさんと西島数博さんは、結婚を発表し、真矢ミキさんは公式ブログにて
『2002年の舞台の共演から彼とは6年間何でも語り合える友達で、その友情の延長線上にこの度、結婚という形が自然に生まれました。
長所も短所もお互いよく知っている親友の私達が、これからもお互いの仕事を通して何か社会に貢献出来る一員となれますよう、助け合って歩み続けていきたいと思います。』
と改めて結婚を報告しました。
西島数博さんからのプロポーズは、庶民的な鉄板焼屋で、ホワイトデーにされたそうです。
真矢ミキさんが明かしていますが、西島数博さんがプロポーズした際、真矢ミキさんはメニューを見ることに集中しており、聞き逃してしまい、もう一度、言ってもらう事になったんだそうです。
その時、サイズの大きなブルガリの婚約指輪をもらったのだそうですよ。
真矢ミキさんは、プロポーズは何故かフレンチレストランの中だと思い込んでいたそうです。
結婚に関しては、『完全に「勢い婚」です。』『さまざまなタイミングやお互いの状況がうまく合っていたんでしょうね。なので私も自然な流れに身を任せ、即、結婚に至ったのだと思います。』と明かしています。
2015年には、テレビドラマ「黒蜥蜴」で、夫婦初共演を果たしています。
共演に関して、西島数博さんは『舞台で知り合った時、2002年以来(結婚前)です。あれから時間も経っていますし、2人でいる時間も増えましたから…不思議ですよね、お仕事を一緒にできるというのが。』とコメントしています。
真矢ミキさんは『結婚して10年近くになりましたが、ウチの夫婦は今日みたいに共演しなくても、お互いのものを客観視して、プロとしてどういう位置に立っているかというのを一番に思っているかもしれません。 家にいる時とは全く形が違いましたね。1秒でスイッチを切り替えられたと言いますか。共演が決まってからも、こうしようああしようとか何もなかったんです。本当に自然でしたね。』とコメントしました。
さらに2016年にも、スーパー神話音楽劇「ドラマティック古事記~神々の愛の物語~」で夫婦共演をしています。この作品は、西島数博さんが演出を手掛けていました。
真矢ミキさんが、2017年にバラエティ番組「ダウンタウンなう」に出演した際、夫婦生活について語ったことがあります。
MCの松本人志さんから「夫婦喧嘩をするのか?」と聞かれた真矢ミキさんは、ケンカはほとんどしないと明かしていました。
真矢ミキさんは、夫婦で考え方の違いがあっても、その違いを楽しめるタイプだそうで、西島数博さんは誰に対しても垣根を作らないという、人生自体がバリアフリーな人なのだそうです。
こういった二人だからこそ、喧嘩もなく、過ごしているのかもしれませんね。
続いては、真矢ミキさんと西島数博さんの間に子供はいない理由を詳しく見ていこうと思います。
真矢ミキさんが結婚したのは、44歳の時でした。結婚を発表した際に、子供に関して問われると『神のみぞ知ること。少子化ですが、仕事も大切にしたい…』とコメントしていました。
30歳から不妊症が増加し、自然に妊娠する確率が減ってきて、40代女性の自然妊娠率は、年齢が上がるにつれて低下します。
真矢ミキさんには、不妊治療をしているといった情報がなかったことから、子供を持たない選択をされたのではと推測されます。
真矢ミキさん、西島数博さんともに、仕事を大切にしており、結婚する前から子供を作る予定はなかった可能性が高いとも考えられます。
過去のインタビューで、真矢ミキさんは、『お互い、「仕事を大切にしたい」という共通項でも結ばれているので、最良の理解者を得た感じです。』と語っています。
真矢ミキさんは、父親が亡くなって半年たったころから、母親の認知機能の低下を感じ同居されていました。
結婚後は、一時、同居を解消していましたが、母親の片づけができない、料理ができないという生活能力の衰えを感じるようになり、再び同居をすることとなりました。
仕事と介護に時間を割かれているため、子供は作らないという選択肢を選んだとも考えられますね。
続いては、真矢ミキさんの経歴について、詳しく見ていこうと思います。
真矢ミキさんは、父親の転勤により各地を転々としました。中学校の3年間を大阪府豊中市で過ごし、大地真央さんに憧れ、中学校卒業後、1979年に宝塚音楽学校に入学しています。
母親が宝塚ファンである影響から音楽学校を受験したのだそうです。宝塚音楽学校での成績は同期39人中で37位だったこともあり、インタビューなどで自らのことを「劣等生」と語っています。
入団時の成績は21番で、同期には黒木瞳さん、涼風真世さんなどがいます。
1992年から1995年にかけて、2番手ながらトップである安寿ミラさんとほぼ同等な扱いを受け、安寿ミラさんとの男役同士のコンビは当時、人気で大きな話題となりました。
1995年、『エデンの東』で15年目にして花組トップスターに就任しました。
長髪のヘアスタイルやナチュラルな舞台メイク、独特の着こなしなどで、それまで男役の概念を覆し、宝塚に新しい風を積極的に吹きこみヅカの革命児と呼ばれました。
退団直前には、つんく♂さんプロデュースによる日本武道館でのソロコンサートの開催、篠山紀信さん撮影による写真集も出版され、絶大なる人気を誇っていた事がよく分かります。
決して、歌やダンスがダントツで上手かったと評される訳では無い真矢ミキさんですが、そんなものよりも圧倒的なオーラ、カリスマ性があったと今でも語り継がれているようです。
宝塚退団後、芸能界入りした真矢ミキさんは、映像の仕事を希望していましたが、最初は舞台のオファーばかりだったそうです。
その為、舞台の仕事を断り続けていた事から、仕事がほぼない状態になってしまったようですね。宝塚退団後、仕事が軌道に乗らない人が多い中、真矢ミキさんもそうだったようです。
そして、ついに、当時の事務所から契約解除を言われてしまうこととなりました。
2017年に出演したラジオでは、『アフリカの、みなさんが断るような秘境の地の旅番組に行ったり。みなさんが断った仕事をかき集め、生きていたんです』と、仕事が無かった当時を振り返っていました。
所属事務所がなくなってしまった真矢ミキさんは、自分に合いそうな条件の会社に直接電話をして、面接を受け事務所に所属しました。
そして、所属事務所から『踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』のオーディションに、友人からリクルートスーツを借り、挑んで見事合格しました。
実は、事務所社長からは、あまりにもヒールな役だからやめた方がいい、イメージがずっと残ってしまうとオーディションを受けることを止められていたそうです。
「事件は会議室で起きてるんじゃない。現場で起きてるんだ!」というセリフが有名な青島に『事件は会議室で起きている』と言い放つ上から目線の女性キャリア・沖田管理官を演じました。
これでブレイクを果たした真矢ミキさんは、以降、多くのドラマや映画に出演するようになっていきました。
続いては、真矢みきさんのような宝塚歌劇団出身の人気女優をご紹介していきます。
天海祐希さんは、宝塚歌劇団へは首席で入学したエリートで、新人公演の主演に抜擢され、初舞台から7年後(正式には6年半)には月組トップスターに就任し、史上最速ペースでトップに就任したことから、大地真央さんを上回る男役と言われたそうです。
トップに2年間在籍し、退団後は人気女優として活躍されています。
黒木瞳さんは、1981年、宝塚歌劇団に月組の娘役として入団し、男役・娘役通じて史上最速となる入団2年目で、大地真央さんの相手役として『情熱のバルセロナ』で娘役トップに就任しました。
1985年に大地真央さんの退団に合わせて宝塚を退団し、その後は、女優として多くのドラマや映画に出演されています。
2016年公開の映画『嫌な女』では、監督デビューも果たしています。
1998年に音楽学校を卒業後、『千琴ひめか』の芸名で宝塚歌劇団に入団し、主に娘役として活躍しました。通常最低でも6年目以上でないと務められないとされるエトワール(フィナーレのパレードで最初に登場し大階段でソロを歌う役割)を異例の入団3年目で務めるなど実力を認められていました。
2002年秋、宝塚歌劇団を退団すると、2003年4月から2008年3月まで、『おかあさんといっしょ』の第19代目うたのおねえさんとして活躍しました。
うたのおねえさん卒業後はソロ歌手、女優、タレントとして活躍されています。
宝塚歌劇団で活躍したあとに芸能界入りし、女優として活躍されている真矢ミキさんの結婚などについて、ご紹介してきました。
あまりプライベートを話している印象が無い真矢ミキさんですが、2008年12月、44歳の時にバレエダンサーの西島数博さんと結婚しています。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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宝塚歌劇団で活躍し、役者としても人気を集めている真矢みきさん。見た目が美しく、人気もあることから結婚相手が誰なのか気になっている人もいます。
本記事では真矢ミキさんの結婚について徹底解説します。旦那との年の差や子供はいるかどうかも紹介するので、気になる人はぜひ最後まで内容をご確認ください。