2024/02/16
r.y6
紫吹淳さんは、小さいころ、足腰が弱かったそうで、それを心配した両親が、3歳の時にクラシックバレエを始めさせたのだそうです。
将来の夢はバレリーナだった紫吹淳さんですが、身長はどんどん伸びていたそうです。中学生の頃、バレエ教室の発表会で演じた白雪姫で、王子様役より背が高い事に気づき、それ以来、バレエのレッスンを休み、伸ばしていた髪も切ってしまいました。
しかし、やはりバレエが好きだからと、再び、バレエのレッスンに通いだし、宝塚ファンだったバレエ教室の講師に宝塚受験を勧められたのをきっかけに1984年に宝塚音楽学校を受験します。
宝塚音楽学校の合格率は20倍を超えていますが、紫吹淳さんは見事に合格しました。
そして、1986年、72期生として宝塚歌劇団入団しています。入団時の成績は24番でした。
星組の「レビュー交響楽」で初舞台を踏み、5月には花組に配属となりました。
2004年3月に『薔薇の封印-ヴァンパイア・レクイエム』を最後として、宝塚歌劇団を退団しています。
退団の記者会見時に、「同期の香寿たつき(前星組トップ)が退団することになった時期に、『薔薇の封印』でヴァンパイヤをやることが決まった。すごくやりたかった役だったので、この作品を最後にしようと思いました」と語っています。
宝塚歌劇団を退団後は、オスカープロモーションに所属していました。
2020年8月末で、オスカープロモーションを退社し、マセキ芸能社と業務提携し(2020年9月から1年)、個人事務所である『株式会社エヴォリュエ』を設立しました。
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続いては、紫吹淳さんに常に寄り添っている『ばあや』なる人物について、詳しく見ていこうと思います。
「ばあや」とは、紫吹淳さんのマネージャーである菅由美子さんのことを指します。
紫吹淳さんの6歳年上で、仕事のサポートはもちろんの事、身の回りのことなどもすべて、菅由美子さんが支えているということです。
菅由美子さんは、もともとは紫吹淳さんの非公式なファンクラブの代表でした。
宝塚歌劇団のファンクラブは、ファン同士が活動資金を集めて設立し、運営されています。ファンクラブの会員たちは、ボランティアでお世話をする風習があるのだそうです。
菅由美子さんは、宝塚歌劇団の別の人のファンだったのだそうですが、友人に誘われて見に行った紫吹淳さんの舞台に感動したことが、ファンになるきっかけだったそうです。
20歳になった紫吹淳さんが一人暮らしをするようになり、菅由美子さんは、紫吹淳さんを朝起こすために部屋に出向いたり、公共料金を払いに出かけたりと、身の回りのことをするようになったそうです。
宝塚歌劇団にはマネージャー制度がないため、ファンたちが世話をしていました。
紫吹淳さんが宝塚歌劇団を退団しオスカープロモーションに所属する際に、菅由美子さんが正式にマネージャーになったそうです。
それまでは、ボランティアでマネージャー業務をこなしていましたが、ようやく正式に仕事ととしてマネージャーとなりました。
紫吹淳さんには、できない、やったことが無いとされている事がたくさんあります。バラエティ番組などに出演した際に語られています。
これらは、できない、やったことが無いと明かされているものです。これらを全て、菅由美子さんがフォローしているそうです。
紫吹淳さんが身の回りのことをしない点には、『トップスターが生活感を出してはいけない』という、紫吹淳さんなりの信念があったのだそうです。
ですので、紫吹淳さんは、集団でつるむこともなかったし、誰かとご飯を食べに行くということもしなかったそうです。
しかし、宝塚歌劇団を退団してからも、それは変わらず、身の回りの事は菅由美子さんがフォローし続けている状況なのだそう。
2025年、団塊の世代がすべて75歳を迎え後期高齢者となり、65歳以上を含めると3人に1人という、超・超高齢化社会に日本が突入する『2035年問題』ですが、菅由美子さんも73歳となっています。
一般的な健康寿命と言われる73歳になるため、紫吹淳さんは菅由美子さんの健康メンテナンスとして、年に1回の人間ドッグ、半年に1回の海外旅行、月に1回のマッサージなどを行っているそうです。
続いては、紫吹淳さんの結婚や恋人の噂について、見ていこうと思います。
紫吹淳さんは、2022年2月現在、結婚はされていません。菅由美子さんは、紫吹淳さんに早く結婚して、自立してほしいと思っているそうです。
紫吹淳さんがまだ結婚していない理由は、彼女の理想の高さにある模様です。
紫吹淳さんが、結婚相手に求める条件が高学歴、高身長、高収入で、年収の基準は「お金持ちといったら、(年収)1億円」との事です。ハイスペックすぎて、なかなか出会う事は難しそうです。
しかし、紫吹淳さんは理想を下げてまで結婚したいとは思わないと話しています。
紫吹淳さんは、2021年1月放送の『ダウンタウンDX』で、結婚前提で交際していた男性と破局したことを明かしています。
また、紫吹淳さんは相手のことを「ひっどい人でした」と語っており、それ以上詳細は明かしませんでしたが、どういった人だったのかとても気になると話題になりました。
結婚歴もなく、子供がいるという噂もない事から、子供はいないようです。
料理はしていなかった紫吹淳さんですが、どうやら料理をするようになっているようです。詳しく見ていこうと思います。
紫吹淳さんは、菅由美子さんに料理も頼っていたため、自分ではできませんでした。
しかし、コロナでの自粛期間中に作るようになったんだそうです。美味しいものを食べたいけれど、外に食べに行けないため、もう自分で作るしかないと思い至ったとか。
また、人間力を上げようと思ったとも語っています。
例えば、『ひよこ豆のオーブン焼き』や『マスカルポーネのピザ』など豪華で、おしゃれな料理を作ってテレビで披露しています。
ウニや金粉など豪華な食材も使われており、見た目も美味しそうで、SNSでは「食べてみたい」といった称賛の声が上がっていました。
「フルクトゥス」という最高級のオリーブオイル、フランス産の最高級の塩など、紫吹淳さんはかなり調味料にもこだわっているようです。
続いては、宝塚歌劇団時代の紫吹淳さんについて、詳しく見ていこうと思います。
宝塚歌劇団では男役スターとして活躍していた紫吹淳さん。
1986年に星組の『レビュー交響楽』という舞台が初舞台で、キレのあるダンスが高い評価を得ていました。
強豪揃いだった花組に所属となった紫吹淳さんは、1989年のニューヨーク公演、1994年のロンドン公演などに参加しています。
また、1992年に『スパルタカス』新人公演で初主演を務めています。
1996年に星組に移籍し、1997年には月組に移籍し、男役の2番手となります。そして、2000年には専科へと移籍しています。
2001年5月には、月組男役トップだった真琴つばさの後任として、再度月組に戻っています。
そして2001年7月には月組トップスターに就任し、2004年3月まで男役のトップとして月組を引っ張りました。
続いては、紫吹淳さんの実家や家族について見ていこうと思います。
紫吹淳さんの実家は群馬県邑楽郡(おうらぐん)大泉町にあります。
紫吹淳さんは、幼少期よりバレエを習っており、宝塚音楽学校に通っていることなどから、実家はお金持ちだという噂があります。
父親は大企業に勤めているとの話があり、三洋電機だったのではないかと言われているようですが、紫吹淳さんが父親の勤め先について明かした事はないようです。
元宝塚のトップスター・紫吹淳さんについてご紹介してきました。
女優として活動をしている彼女ですが、「ばあや」と呼ぶ、マネージャーの菅由美子さんに、公私ともに支えられている模様です。
「ばあや」こと、菅由美子さんは、紫吹淳の宝塚時代のファンクラブの代表者だった方でした。そこから、30年以上にわたり、紫吹淳さんを支えています。
今後も、二人三脚でお仕事をし、活躍されていくことでしょうね。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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