2024/02/16
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・中丸シオン プロフィール
中丸シオンさんは、神奈川県横浜市出身で、最終学歴は堀越高等学校だそうです。
「シオン」という名前ですが、芸名ではなく本名です。本名がカタカナというのはとても珍しいですが、「シオン」というのは聖書に出てくる奇跡の丘の名前からとられたそうです。
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中丸シオンさんは、今まで結婚に関する情報が出たことが一度もなく、結婚していないようです。
亡くなる5年前から病気を患い、闘病していたそうですし、晩年はロシア国営テレビのドラマや中国映画に出演し海外でも活躍していたことで結婚しなかった可能性があるようです。
中丸シオンさんは、学生の頃は彼氏がいたらしいです。でも、幼い頃から芸能界で活動していましたし学業との両立もあって、彼氏との時間がとれなくなり交際は長続きしなかったらしいです。
彼氏と呼べるような男性は数人いたらしいですが、どの男性とも同じような理由で長続きしなかったようです。
中丸シオンさんの父親の職業は何か、母親はどんな人か、また中丸さんに兄弟はいるのかなど、彼女の家族構成について調べてみました。
中丸シオンさんの父親は、俳優の中丸新将さんです。数多くのドラマや映画に出演し、秋吉久美子さん主演の映画『インターミッション』(2013年)で中丸さんは父親と初共演を果たしました。
父親の中丸新将さんは、様々な役柄を演じられる名バイバイプレイヤー(脇役)として知られ、インテリ悪役を演じることも多く、また声優や洋画の吹替えなども担当しました。中丸さんは、過去に劇団四季に所属していたこともあります。
・中丸新将プロフィール
中丸新将さんは、幼い頃から演劇に興味を持っていたそうで、1964年にフジテレビ系ドラマ『天下の若者』のオーディションに合格し子役としてデビューしました。
大学卒業後はフランスに渡留学し、ジャック・ルコット演劇学校に通い、帰国後は劇団四季に入団します。退団後は、舞台に出演しつつ、ロマンポルノや一般映画、ドラマなどに出演しました。
最初は本名で活動していましたが、1982年に芸名を現在の「中丸新将」に改名しました。
出演映画に『野生の証明』(1978年)『南極物語』(1983年)『家なき子』(1994年)『HERO』(2015年)などがあり、出演ドラマに『西遊記』(1979年・日本テレビ)『聖者の行進』(1998年・TBS)『義経』(2005年・NHK)などがあります。
中丸シオンさんの母親は、一般人ということで名前など詳細は公表されていませんが、結婚前は宝塚歌劇団の男役として活躍した元タカラジェンヌだったという噂があります。
ただ、顔写真や宝塚時代の芸名など不明なことが多く、真偽のほどは分かりません。
中丸シオン山に兄弟はいないようです。
中丸さんの母親は、過去に病気をしていて医師から「残念ですが子供は諦めてください」と宣告されていたそうです。でも、奇跡的に中丸さんを妊娠し出産することができました。
そして奇跡がそう何度も起こることは無く、彼女は一人っ子となりました。
中丸シオンさんは、幼少期より、映画やドラマだけでなく、CMや舞台に出演してきました。そんな彼女がどんな作品に出演していたのかなど、女優としての経歴を調べてみました。
中丸シオンさんは、13歳の時、1997年にドラマ『Shin-D・姫はセーラー服がお好き』(日本テレビ)で本格的に女優としてデビューしました。
その後も、『天然少女 萬』(1999年・WOWOW)『真実一路』(2003年・東海テレビ)などに出演しました。
そして2004年の21歳の時に出演した特撮ドラマ『ウルトラマンネクサス』にヒロインの斎藤リコ(上画像)/ダークファウスト役(下画像)としてレギュラー出演し、子供を含めたお茶の間に名前を広く知られるようになり、多くのファンを獲得しました。
『ウルトラマンネクサス』では、中丸さんの演技力が高いと評価する声が多かったそうです。
中丸シオンさんは、特撮ドラマで知名度が上がったせいもありますが、『ウルトラマンネクサス』以降も、『ウルトラギャラクシー大怪獣バトル NEVER ENDING ODYSSEY』(2009年・BS11デジタル)でペダン星人ハーラン司令官役(下画像)を演じまた。
同年に『仮面ライダーW』(テレビ朝日)にも出演し、2012年には映画『ウルトラマンサーガ』に出ました。
2013年に映画『インターミッション』で父親の中丸新将さんと共演を果たした中丸シオンさんですが、2019年公開のダークファンタジー映画『VAMP』で中丸さんは神秘的なヒロイン・苓を演じ、高橋真悠さんとの激しいラブシーンを演じて大きな話題を集めました。
中丸シオンさんは、ロシアや中国などでヒロインを演じ、海外進出を果たしています。
2019年にロシア国営テレビで放送されたドラマ『ゾルゲ』では、東京で諜報活動をするロシアのスパイ、リヒャルト・ゾルゲと同棲する日本人女性・石井花子を演じました。また、2018年には中国映画『刀尖(シャープ)』で本国のスター俳優・張譯(チャン・イー)さんの恋人・静子を演じました。
外国の撮影では、日本ではあり得ないことの連続だったそうです。中国では、日本語で覚えたセリフを「すべて中国語で覚え直してくれ」と現場で言われたり、撮影当日にラブシーンがあることを伝えられて、前張りを渡されたことがあったそうです。
また、ロシアでは国内の金融危機で制作費が出ず、撮影がストップしたこともあったそうです。でも、そんな毎日がものすごく新鮮で面白いんですと、中丸シオンさんは話しています。
なんでも中丸さんは、役者は『心も体も裸になる覚悟をすること』という父親・中丸新将さんの教えを大事にしていて、役作りは、自分の惨めな部分をさらけ出し、受け入れることと考えているそうです。だから、いろいろ大変なことがあっても、あまり動じることなく受け入れてしまえる心構えが備わっているようです。
ロシアのテレビドラマ『ゾルゲ』は、日本では『スパイを愛した女たち リヒャルト・ゾルゲ』の邦題で2023年2月にミニシアターで公開され、4月にDVDが発売されました。なお『ゾルゲ』には、中丸シオンさんの父・中丸新将さんも出演しています。
中丸シオンさんは、女優として活動するだけでなく、お笑いコンビを結成したり、ヌード写真集を出したこともあります。そんな中丸さんの女優以外の活動を調べてみました。
中丸シオンさんは、2016年に女優の幸田尚子さんとアマチュアお笑いコンビ「幸丸事件」を結成し、M-1グランプリやキングオブコントに出場したことがあります。両方とも1回戦は突破しましたが、2回戦で敗退しています。
・幸田尚子プロフィール
中丸シオンさんは、2019年に自身初となるオールヌード写真集『蓮花流水』(光文社)を発売しました。この写真集はネットで大きな話題を集めました。
中丸シオンさんは2022年に病気により亡くなりましたが、5年間に渡り病気療養中だったそうです。病名は公表されていませんが、ネットではガンや白血病だったのではとの噂が流れましたが、信ぴょう性は乏しく不明です。
闘病中であることは亡くなる時まで公表されておらず、ファンの人も全く知らなかったようです。
中丸シオンさんは、日本だけでなく海外にも進出し、女優としてロシアや中国などのドラマや映画でヒロインを演じました。そんな中丸さんのように、海外で活躍した日本人女性を紹介しましょう。
芸術家の草間彌生さんは、1957年に渡米し、細かい網目模様を強大な画面に描くネット・ペインティングや男性器をモチーフにしたソフト・スカルプチャー、ボデイ・ペインティングなど様々な作品を発表し、前衛芸術家としての地位を確立しました。
1966年には第33回ヴェネチア・ビエンナーレ(美術展覧会)に参加する一方で、映画製作や新聞の発行など、メディアを使った表現も行いました。
草間さんは、幼少期から幻視や幻聴を体験していたそうで、その体験から網目模様や水玉模様をモチーフにした絵画を制作しました。これらの模様は草間さんの代名詞にもなっていて、“水玉の女王”と称されることもあります。
草間さんは、1973年に帰国すると、小説や詩集を発表するなどアート以外の分野にも活動の幅を広げ、1983年には第10回野生時代新人賞を受賞しました。1994年より野外彫刻を世界中で手掛け、その作品が街中で見られるようになりました。
以降も精力的に活動を続け、新作を発表し世界中の美術館で展覧会を開催し、好評を得ています。
・草間彌生プロフィール
草間さんは、2009年に文化功労章、2016年に女性画家では4番目となる文化勲章を受章しました。また、2017年に草間彌生美術館が東京都新宿区に開設されました。
森英恵さんは、1954年に銀座にブティック&サロン「HANAE MORI」をオープンしました。1950年代は、大学時代の人間関係やその人脈から、映画監督の依頼で『狂った果実』『彼岸花』など数多くの映画の衣装を手がけました。
1961年にアメリカ旅行し、ニューヨークのデパートで見た光景にショックを受け、世界進出を決意しました。なんでも、デパートでは日本製衣料が粗悪品として販売されていたそうで、日本に対する低評価と無理解に心を痛めたそうです。
そして、「日本でデザインし、日本の布地を使い、日本人の手で縫い上げた服をジェット機で米国に運ぶ」と誓いました。
1965年にニューヨーク・コレクションに初参加し、蝶をモチーフにしたドレス作品により“マダム・バタフライ”と呼ばれました。1977年にはパリ・コレクションにも進出し、フランス・オートクチュール組合の様々な厳しい条件をクリアし、アジア人として初めて会員に認定されました。
毎シーズンのパリでのオートクチュール新作発表は27年間に渡り、その間、各国から招待されて作品と共に訪れファッションショーを開催し、“美の大使”とも評されました。
バルセロナやリレハンメルオリンピックの日本選手団の公式ユニフォーム、歌舞伎、海外のオペラやバレエの衣装を担当するなど、ファッション界の第一人者として多岐にわたり活躍しました。
・森英恵プロフィール
菊地凛子さんは、1999年に新藤兼人監督作品『生きたい』で映画デビューしました。
その後、数本の作品に出演し、2006年のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督のアメリカ映画『バベル』に聾唖の女子高生・綿谷千恵子役を演じ、演技が評価されて、アカデミー助演女優賞を含む幾つかの映画賞にノミネートされ、ナショナル・ボード・オブ・レビュー新人女優賞を受賞。
『バベル』の後は、スペイン映画『ナイト・トーキョー・デイ』(2009年)で初主演、アメリカのSF怪獣映画『パシフィック・リム』シリーズ(2013年&2018年)、アメリカ・インディペンデント映画『トレジャー・ハンター・クミコ』(2014年)などに出演し、国内外を問わず活躍を続けています。
・菊地凛子プロフィール
中丸シオンさんは、持ち前の演技力で女優として海外進出まで果たし、今後の活躍が期待されるさ中、夢の半ばで惜しくも病気で亡くなってしまいました。
結婚より女優としての生き方を選んだ中丸さんですが、そんな彼女が映像の中で活躍している姿を、DVDなどで見直してみるのもいいのではないのではしょうか。
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2022年に他界された中丸シオンさんは結婚したのか知りたいのではないでしょうか。中丸シオンさんはその美貌から結婚や彼氏がいるのか話題に挙げられる機会が多い女優でした。
本記事では、中丸シオンさんは結婚していたのか解説します。死因や兄弟などの家族構成も紹介するため、気になる人はぜひ最後まで内容を確認してみてください。