ビートたけしが芸能界引退?事故で顔面麻痺の過去や映画作品を紹介
2023/12/28
大今里
映画『若大将シリーズ』で知られる大スター、歌手&俳優の加山雄三さんが、2022年9月に東京国際フォーラムで最後のホールコンサート『加山雄三ラストショー~永遠の若大将~』を行い、コンサート活動の引退表明をしました。
そして同年12月の『第73回NHK紅白歌合戦』での舞台が、加山さんの歌手としてもラスト歌唱となりました。
・加山雄三プロフィール
加山雄三さんは、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業後、1960年に東宝に入社し、同年『男対男』で映画デビューし、同年『独立愚連隊西へ』で初主演しました。そして翌年の1961年に『夜の太陽』で歌手デビューしました。その後、東宝の若手看板スターとして活躍し、『若大将シリーズ』が大ヒットし、彼の代表作となりました。
加山さんは、日本におけるシンガーソングライターの草分け的存在で、また、日本で初めて多重録音を手がけた歌手でもあります。
加山雄三さんが、コンサート活動を引退した理由は、病気になったことがきっかけだったようです。また、自分の声に納得がいかなくなったこともあるらしいです。
加山雄三さんは、2019年に脳梗塞、2020年に小脳出血と病に倒れ、小脳出血の時は危険な状態に陥ったそうです。退院後は、歌うことに支障はなかったそうですが、「やっぱり限界があるよなあ」と考えるようになったそうです。
加山雄三さんは、2022年にテレビ番組にVTR出演したとき、コンサート活動からの引退の理由として、自分の納得いく声が出なくなったと話しました。85歳を迎えた頃から思うように高音が出なくなったんだそうです。
「声帯も皮膚の一部で筋肉の一部だから、筋肉の力がだんだんなくなってくる。昔は歌えば歌うほど良くなったけど、今は歌えば歌うほど声がガビガビになる」と話し、相当努力してもダメなものはダメだと思うようになり、これは限度かもしれないと思ったそうです。
加山雄三さんは、2度も病気を患い、自分の納得のいく声が出せなくなったなどの理由でコンサート活動から引退すると発表しましたが、「まだ歌えるうちにやめたい」という、60年余りにわたって、第一線で走り続けてきた加山さんなりの美学も関係しているように思われます。
加山雄三さんが2022年9月に行ったラストコンサートがどんなものだったのか?また同年12月に紅白歌合戦ではどんな歌を歌ったのかなどを調べてみました。
加山雄三さんのラストコンサート『加山雄三ラストショー~永遠の若大将~』は、東京国際フォーラムで開催されました。加山さんは、『君といつまでも』『お嫁においで』『夜空の星』などヒット曲をはじめ、27曲を熱唱しました。
足腰が弱っているため椅子に座っての歌唱となったらしいですが、力強い歌声は健在。コンサートの前半は、『海、その愛』『光進丸』『俺は海の子』など、海をテーマにした楽曲、後半はギターに夢中になった青春時代を思い返すようにエレキナンバー『蒼い星くず』などのプログラムでした。
『旅人』の歌では、最新人工知能(AI)で制作した“AI加山雄三”とのデュエットするなど、会場を盛り上げました。
そして、最後に歌った楽曲は1980年に発表した『愛する時は今』でした。「生きているこの手で幸せつかもうよ」というメッセージが込められた楽曲で、この曲を最後に選んだ理由を「皆さんからたくさんの幸せをいただいた。人間は幸せと思う心が大事。どうしても最後にこの曲を歌いたかった。音楽を愛してきて本当に良かった」と話しました。
歌唱後に大きな拍手に包まれる中、口からマイクを離し、「ありがとうございました」と地声で思いを伝えました。コンサートは、全国62か所の映画館でも生配信され、13,000人が見守ったらしいです。
加山雄三さんの最後のライブパフォーマンスとなったのは、2022年12月の『第73回NHK紅白歌合戦』でした。特別企画として登場したもので、紅白史上最高齢の85歳での出場となり、1985年の代表曲『海、その愛』を歌いあげました。
加山雄三さんは、紅白歌合戦には17回出場していて、白組司会を3回務めました。1986年に司会を担ったときは、初出場だった少年隊の『仮面舞踏会』を『仮面ライダー!』と紹介してしまう“伝説”を残しています。
加山雄三さんは、コンサート活動の引退を表明しましたが、2023年4月にラジオ番組にゲスト出演したとき「絵を描いたり、今でも忙しい。なんだかんだ、やらなきゃいけないことがたくさんある」と話しました。
なんでも、加山さんは59歳の頃から独学で油絵を描き始めたそうです。2022年7月14日から2024年の2年間限定で加山雄三ギャラリーを銀座にオープンしていて、絵だけでなく、所蔵するギターなども展示されているそうです。
また歌手活動については「音楽に関することは今でも関わっている。でも人前で歌うことは控えた。でも、まだチャンスはある。黙って歌おうかな。まあ、そのうち歌おうとは思っているんだけど」と話し、歌手活動復帰の意欲もうかがわせました
加山雄三さんは、サザンオールスターズの桑田佳祐・原由子さん夫妻や山下達郎・竹内まりあさん夫妻に招待され、中華料理店で会食したそうで、「桑田君は(加山さんと同じ)茅ケ崎出身。後輩みたいなものだよ」と目を細めて話したこともありました。
加山雄三さんには、ヒット曲が色々あります。加山さんは、弾厚作のペンネームで作曲もしてます。そんな加山さんの過去の名曲を紹介しましょう。
加山雄三さんが1965年12月5日にリリースした5枚目のシングルが『君といつまでも』。350万枚を超える大ヒットなり、1966年の第8回日本レコード大賞の特別賞になりました。作詞は岩谷時子さんで、作曲は弾厚作(加山雄三)。
この曲は、加山さん主演の映画『エレキの若大将』(1965年)の主題歌として歌われ、『アルプスの若大将』(1966年)でも主題歌になりました。
曲の間奏に加山さんのセリフ「幸せだなぁ 僕は君といる時が一番幸せなんだ 僕は死ぬまで君を離さないぞ、いいだろ」が入りますが、これはこの曲の編曲(アレンジ)が気に入った加山さんが、嬉しさのあまり「いやあ、幸せだなあ」と呟いたそうで、それを間奏に収録することになったのだそうです。
ちなみに、歌詞の中に“しとね”という言葉が出てきますが、“しとね”とは布団のことだそうです。
『君といつまでもの』のB面の『夜空の星』は、1991年に加山さん自身セルフカバーとして日産・アトラスのCMソングに起用されました。
『サライ』は、日本テレビ系列のチャリティー番組『24時間「愛は地球を救う」』の1992年の第15回記念として加山雄三さん(弾厚作・名義)がギターで作曲し、全国視聴者から寄せられた愛のメッセージをもとに、谷村新司さんが代表作詞として取りまとめ、24時間以内に1本の歌(番組内では「愛の歌」と呼ばれました)として制作したものです。
「サライ」とはペルシャ語で「やすらぎの館」とか「心のふるさと」という意味おの言葉だそうです。この曲は、この曲の発表以降、毎年のように番組のエンディングで加山さん&谷村さんをメインボーカルに出演者や全国各地の系列局のパーソナリティ&ボランティアで大合唱されました。
番組で披露された後、羽田健次郎さんがアレンジを施し、放送から3か月後の11月16日にCDシングルがリリースされました。発売から31年以上経っていますが、発売当時の8cmCDのままカタログに載っており、発売が続けられています。
『海、その愛』は、加山雄三さんが1976年に発売したアルバム『海、その愛』に収録された1曲で、加山さんの代表曲のひとつですが、アルバムに収録されたのみでシングルとしては発売されていません。なお、アルバムはオリコンチャートで週間5位、1976年の年間30位にランクするヒットとなりました。
NHK紅白歌合戦では、1978年の『第29回NHK紅白歌合戦』、1987年の『第38回NHK紅白歌合戦』、2000年の『第51回NHK紅白歌合戦』、2022年の『第73回NHK紅白歌合戦』の4回歌唱されています。
作詞は、岩谷時子さんですが、加山さんは「スケールの大きな曲にしたい」と依頼したそうです。
加山雄三さんは、コンサート活動は引退しましたが、作曲活動は生涯続けていく予定だそうです。「まだ歌わなくなるわけじゃないから。音楽は生涯の親友」と引退発表の時に話しましたが、加山さんのとって音楽は切り離せないもののようです。
実際、未発表の曲も山ほどあるらしく、これからも曲はできていくようです。どういう詞を付けようか、つんく♂さんに作ってもらおうかとか考えるのも楽しいとも話しています。
そのうち、加山さんのニューアルバムが発表されるかもしれませんね。
色々な理由により引退してしまった人気歌手がいます。それぞれどんな理由で引退したのかなどを調べてみました。
滝沢秀明さんは、1995年に13歳でジャニーズ事務所のオーディションを受け合格しました。ジャニーズJrとして活動し、その後、2002年に今井翼さんと「タッキー&翼」としてグループデビュー。
その後、裏方に回りジャニーズ事務所副社長兼「ジャニーズアイランド」社長を務め、プロデューサーや演出家として頭角を現し、後輩の育成に努めました。
しかし、2022年10月に突然、ジャニーズ事務所退社とジャニーズアイランド社長退任が発表され、2023年3月に滝沢さんは新会社「TOBE(トゥービー)」を立ち上げたことを発表しました。
滝沢さんが、ジャニーズ事務所を退社した理由については、明らかにされていません。会社との確執があったのかもしれませんが、事実は不明です。
・滝沢秀明プロフィール
沖縄出身の安室奈美恵さんは、2017年9月に公式サイトにアップしたメッセージで、芸能界を引退することを発表し、2018年のライブパフォーマンスを最後に引退しました。
1990年代後半から2010年代にかけて、『You're my sunshine』他、数々のヒット曲を放ち、平成を代表する歌姫となりました。でも、2018年に声帯を壊してしまい、声をうまく出せなくなったそうで、それが引退理由の一つとなっているらしいです。
・安室奈美恵プロフィール
元TOKIOメンバーの山口達也さんは、2018年に女子高生が大勢出演するバラエティ番組『Rの法則』に出演していましたが、共演者だった女子高生に淫らな行為を行ったとして強制わいせつ罪の容疑で書類送検されました。
事件は2018年2月に起きましたが、報道されたのは4月でした。緊急謝罪会見を行った山口さんは、「まだ席があるならTOKIOに戻りたい」と口にしましたが、その願いは叶わず、TOKIOを脱退し、ジャニーズ事務所からも退所することになりました。
・山口達也プロフィール
山口達也さんは、2023年に「株式会社山口達也」を立ち上げました。自身がアルコール依存症を患っており、医者から完治しないとされたそうで、アルコール依存症や依存症全般に関する講演活動や企業向けの危機管理セミナーなどの活動を行っていくそうです。
そのために、2022年に、民間資格であるASK認定「飲酒運転防止インストラクター」「依存症予防教育アドバイサー」、JAPD認定「メンタル心理カウンセラー」の資格を取得したそうです。
コンサート活動を引退し、健康に気を付けながら創作活動は続けている加山雄三さん。86歳と高齢ですが、体にガタが来ていても心は前向きのようで、シルバーの星“いつまでも若大将”として今後どんな活躍を見せてくれるのか期待したいですね。
この記事に関する記事
Copyright© 運営事務局
「若大将シリーズ」で一躍有名になった大スターの加山雄三さんが引退するというニュースが出回り、大きな話題となりました。引退時期だけでなく、引退理由に関しても知りたい人もたくさんいると思います。
本記事では、加山雄三さんの引退時期や引退理由について徹底解説します。加山雄三さんの代表曲や引退コンサートについても紹介するので、気になる人はぜひ最後まで内容をご確認ください。