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2023/11/27
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真心ブラザーズが結成されたのは、1988年です。
当時早稲田大学法学部に在籍していた桜井秀俊さんが、バラエティ番組『パラダイスGoGo!!』内で放送されていたコーナー「勝抜きフォーク合戦」に出場するために、当時早稲田大学教育学部に在籍していた音楽サークル「GEC(早大ギターを楽しむ会)」の先輩である倉持陽一さんに声をかけたことが結成のきっかけでした。
2人は、「勝抜きフォーク合戦」を勝ち抜き、1989年9月にシングル『うみ』でメジャーデビューします。
2001年12月21日、日本武道館公演で活動休止し、以降はそれぞれソロとして活動しましたが、2005年5月から活動を再開しています。
今までに、シングル36枚、配信2曲、オリジナルアルバム17枚、ミニアルバム4枚、ベストアルバム3枚を発表しています。
本名は倉持陽一さんですが、YO-KINGとしても活動しています。
1999年には、YO-KING名義で初のソロアルバムを発売し、今までにシングル5枚、オリジナルアルバム6枚を発表しています。
さらに、
など、多くのアーティストに楽曲を提供しています。
倉持陽一さんは、1967年7月14日生まれで、現在の年齢は55歳になっています。
同じ1967年生まれの歌手は、織田 裕二さん、スピッツの草野 正宗さん、江口 洋介さん、プリンセスプリンセスの岸谷 香さん、坂本 冬美さんなどがいらっしゃいます。
続いては、YUKIさんとの結婚について、詳しく見ていこうと思います。
YUKIさんは、1993年に『POWER OF LOVE』でデビューしたJUDY AND MARYでボーカルをつとめていました。
JUDY AND MARY は、1995年に発表した7枚目の『Over Drive』で、はじめてオリコントップ10に入り、9枚目の『そばかす』ではミリオンヒットを達成。
その後も、『LOVER SOUL』『散歩道』『ミュージック ファイター』『Brand New Wave Upper Ground』『ラッキープール』など数々のヒット曲を連発した伝説的バンドです。
2000年に、当時まだJUDY AND MARYのボーカルだったYUKIさんと倉持陽一さんは結婚しました。
1992年に、『eZ a GO!GO!]』というテレビ東京系列で放送されていた音楽番組で共演したことがきっかけで出会っています。
真心ブラザーズのライブをYUKIさんが1994年に初めて見て以来、YUKIさんは旦那のファンとなり、ラジオなどでも倉持陽一さんのファンであることを公言していました。
あるテレビ番組では、真心ブラザーズのPVにデビュー前のPUFFYが出演していて、ジェラシーを覚えたなんて語っていた事もありました。
1995年4月に発売された、真心ブラザーズのシングル「スピード」のカップリング曲である「キモち E」に、YUKIさんがゲストボーカルとして参加するということがありました。
倉持陽一さんが好きだとYUKIさんは常々、公言していたわけですが、1999年に交際がスタートすると、交際を公言したわけでは無いですが、隠していたわけでもなく、2人の交際が公になりました。
YUKIさんは、倉持陽一さんと交際する前は、「結婚は絶対しない」「家族も大嫌いだし子供も好きじゃない」と発言していました。
しかし、倉持陽一さんと交際するにつれ、気持ちに変化が訪れたのでしょうね。
倉持陽一さんには、学生時代から交際していた彼女がおり、ファンの間では有名だったそうです。
ですので、ファンはその彼女と結婚すると思っていたようで、YUKIとの交際の噂、そして、結婚した事で『略奪婚』と言われるようになったようです。
続いては、倉持陽一さんとYUKIさんの間に生まれた子供さんについて、見ていこうと思います。
2003年に長男が誕生しましたが、2005年3月に長男が亡くなっています。乳幼児突然死症候群の可能性があるとされ、1歳11か月のことでした。
乳幼児突然死症候群とは、それまで元気だった赤ちゃんが、事故や窒息ではなく、眠っている間に突然死亡してしまう病気です。 日本での発症頻度はおよそ出生6,000~7,000人に1人と推定され、生後2か月から6か月に多いとされています。
2006年に次男が誕生しています。
2009年に三男が誕生しています。
続いては、倉持陽一さんの学歴について詳しく見ていこうと思います。
倉持陽一さんは、東京都立小石川中等教育学校(元・東京都立小石川高等学校)を卒業しています。完全中高一貫校です。
創立100年という歴史のある学校で、高校からの入学はなく、中学受験は都内の中でも最難関と言われています。
大学は、早稲田大学教育学部を卒業しています。真心ブラザーズは、2人とも早稲田大学を卒業しており、高学歴アーティストですね。
続いては、真心ブラザーズの代表曲を何曲かご紹介します。
1995年6月21日に発売された12枚目のシングルです。真心ブラザーズと言えばこの曲を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。
ミュージック・ビデオは、波打ち際で歌う真心ブラザーズの後ろで男女4人が戯れるというものですが、このうちの女性2人がデビュー前のPUFFYであることも有名な話です。
また、2013年には山下智久さんがカバーしSUMMER NUDE '13」(サマー ヌード サーティーン)として発売され、山下智久さんが主演した『SUMMER NUDE』の主題歌に採用され、山下智久さんのカバーでこの曲を知った人も多かったのではないでしょうか。
「流れ星」は、2001年3月7日にリリースされた23枚目のシングルで、「別れの歌3部作」の第1弾です。
いなくなってしまった好きな人への未練を歌った、男性目線の切ないラブソングです。
「流れ星」に続く、3ヶ月連続リリースの第2弾のシングルで、2001年4月11日にリリースされた24枚目のシングルです。
寂しく、情けなく、かっこ悪いそんな別れ三部作の二枚目として注目を集めました。
「拝啓、ジョン・レノン」は、1996年6月21日にリリースされた、真心ブラザーズの14枚目のシングルです。
歌詞の中には、ファンになった頃にはすでにこの世を去っていたジョン・レノンへのメッセージが込められており、彼への手紙のように綴られています。
しかし、一部で歌詞が「レノンを冒涜している」と理解され、一部の放送局で放送禁止となった曲でもあります。
『どか〜ん』は、1990年9月21日にリリースされた4枚目のシングルで、テレビ朝日系の報道番組『ニュースステーション』の番組終盤に放送されたコーナー『プロ野球1分勝負』のBGMとして知られています。
高校野球のブラスバンドが演奏しているイメージも強い曲です。
この曲が真心ブラザーズの曲だと知らない人は多いのではないでしょうか。
真心ブラザーズの倉持陽一さんについて、ご紹介してきました。
早稲田大学に在学中に真心ブラザーズを結成し、1989年9月にメジャーデビューしてから30年以上、作品のリリースや、ライブ活動など、勢力的な活動を展開しており一線で活躍されています。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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