2023/12/15
take79
ジョイマンは、吉本興業東京本社に所属するお笑いコンビで、2003年4月に結成されました。2023年には、結成から20周年となります。
ジョイマンは、NSC東京校8期出身で、吉本興業東京本社に所属している高木晋哉さん(ボケ担当・立ち位置は向かって左)と池谷和志さん(ツッコミ担当)のコンビです。
●高木晋哉プロフィール
●池谷和志プロフィール
高木さんは、小学2年生のときに転校生として現れた秦基博さんと同級生だったそうで、クラスの人気者だった彼に憧れていたそうです。
高木さんは、秦さんと同じ中学校に進み、秦さんがバスケットボール部に入部すると、高木さんも入部し、そこで池谷さんと出会いました。
卒業後、高木さんと再会した池谷さんがNSCに入るつもりでいることを告げ、高木さんが「やることが無い」と話していたときに、秦さんから「お前らコンビ組んでお笑いやればいいのに」と勧められたそうです。
それで2人揃ってNSCに入学しました。
●秦基博プロフィール
ジョイマンがブレイクしたのは2008年~2010年頃です。ゆるいダジャレとラップで人気者になりました。「ヒウィゴ~ ありがとう オリゴ糖」というギャグが流行りました。
高木さんの両手を広げてゆるいテンポで踊りながら繰り出すナンセンスな言葉の羅列のラップ、そんな彼に呆れてしまう池谷さんの「な、なんだこいつ!」というツッコミは当時は大いに流行りました。
NSC東京校8期出身のジョイマンの同期には、「スリムクラブ」、埼玉県住みます芸人として活動している「こりゃめでてーな」、「デスペラード」、尾形貴弘さん(パンサー)などがいます。
ラップネタでブレイクしたジョイマンですが、そんな2人は現在はどんな活動をしているのか、CMにも出ているそうですが、どなCMなのかなどを調べてみました。
ジョイマンは、2021年8月にバーチャルサイン会を実施したことがあります。後述する0人事件のリベンジとして行われたもので、仮想空間の秋葉原駅でジョイマンがバーチャルアバターとなって30分ほどサイン会を開きました。
結果は大盛況で、ブログではファンが多数訪れた様子も公開されました。
ジョイマンがテレビでほとんど見かけなくなった時期、SNSに「ジョイマン死んだ」「ジョイマン消えた」などの書き込みが溢れました。
これは何とかしなければ思った高木さんは、書き込みした一人ひとりに「ここにいるよ」「生きているよ、そして生きていくよ」と返信しました。でも、そのせいで逆に死亡説が拡散される結果になりました。
ジョイマンは、“完売しなければ解散”という公約を掲げ2018年に15周年記念単独ライブ「ここにいるよ」を行いました。チケットは見事完売し、解散は回避されました。
その後、一発屋と言われながらも地道に活動を続けてきたせいか、2021年から「モスバーガー」「アリエール」「ペプシ」の3本のwebCMに出演するなど、再ブレイクの兆しがあるようです。
ジョイマンの高木さんと池谷さんの出会い、コンビ結成から現在まで、人気に陰りが見える時期もありましたが、そんなジョイマンの経歴を調べてみました。
ジョイマンの高木さんと池谷さんは、中学校の同級生です。同じクラスにはなりませんでしたが同じバスケットボール部員でした。部員といっても2人とも控えだったらしいです。
高木晋哉さんと池谷和志さんは、成人式で再会し、秦基博さんの勧めもあったのか、NSCに入学しました。そして、コンビ結成に至りました。
ジョイマンの結成当時は、普通のコントをやっていたそうです。でも、ウケないネタが多かった中で、ネタに挿入するような形でやっていたラップの部分がウケていたそうです。
それで2006年頃から、そのラップ部分だけを広げたスタイルのコントを定番にしました。そして、2008年頃にブレイクを果たしました。
ジョイマンは、2014年8月3日に、東京・町田モディでサイン会を開いたことがありましたが、参加者が1人も来ませんでした。この出来事は“サイン会0人事件”とも呼ばれ、ジョイマンの人気の落ち具合に同情の声も上がりました。
2022年5月28日に同じ町田モディでリベンジサイン会を開催しましたが、今回は100人を超える参加者が集まり、見事リベンジを果たしました。
ジョイマンは、2017年7月2日放送の『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(テレビ朝日系)にコンビで出演しました。
高木さんが「勉強していい大学に入ったのに、何の役にも立っていない先生」として「エリート街道を歩いていたのに将来、極貧生活を送らないための授業」を展開し、高学歴なのに極貧生活を送っている現状を語りました。
なんでも2017年時点で月収13万円で妻子を養っていたそうですが、浮気がスクープされて人気が急落し、一発屋と呼ばれて営業に行っても客が誰もいなかったこともあったそうです。
ジョイマンは、2019年12月に、細野晴臣さんの音楽活動50周年記念イベントにゲスト出演したことがあります。
イベントの終盤で出演者を巻き込み細野さんとともにジョイマンダンスを10分近く披露しましたが、細野さんは踊り疲れてアンコールをキャンセルしてしまったそうです。
長袖の白シャツに黒いパンツ姿で登場し、唐突にナナナナーとラップするジョイマンの高木晋哉さん。そんな高木さんの小学校から大学までの学歴を調べてみました。
高木晋哉さんは、公立校の横浜市立つつじヶ丘小学校を卒業しています。高木さんは、野球がうまくて絵が上手で歌もうまくクラスの人気者だった同級生の秦基博さんに憧れていました。
高木晋哉さんは、横浜市立谷本中学校の出身です。小学校時代の秦さんを追いかけて彼と同じ中学校に入学したらしい(?)ですが、秦さんがバスケットボール部に入部すると、高木さんも入部しました。
秦さんは高木さんに対し優しく接していたそうで、文化祭で「お笑いを一緒にやろう」と彼を誘ったこともあったそうです。本番はウケたらしく、この時に高木さんははじめてお笑いの魅力に気付いたらしいです。
高木晋哉さんは、桐蔭学園高等学校を卒業しています。桐蔭学園高等学校は、神奈川県内でも有数のマンモス校です。高木さんは、在学時は友達が一人もできず、暗い生活を送っていたらしいです。
高木晋哉さんは、1年間の浪人生活を経て早稲田大学・教育学部国語国文学科に入学しましたが、大学受験で燃え尽きてしまったらしく授業にも全く出席しなかったそうです。周囲にもなじめず、友達もできませんでした。
高木さんは、3年生の時にお笑いの道に進もうと決め、大学を中退しました。後にインタビューで退学のことを聞かれ、「退学届けを出してレールから完全に外れることによって『新しい人生が始まった!』というスッキリした感覚を味わった。」と答えています。
なんでも高木さんの祖父が「人に迷惑をかけなければ何をしてもいい」とよく話していたそうで、中退することがそんなに怖くなかったらしいです。
でも、大学中退直後には、親から「出ていけ」と言われ数年にわたって勘当状態が続いたそうです。
“ジョイマンのジョイマンじゃない方”と呼ばれることが多かった池谷和志さん。今では、“なんだこいつ~!の方”で認知されていますが、そんな池谷さんの学歴を調べてみました。
池谷和志さんは、横浜市立谷本中学校の出身です。中学時代はバスケットボール部に所属し、そこで高木さんと出会いました。同級生ですが、同じクラスになったことはありません。
高木さんは勉強ができて進学校に進みましたが、池谷さんは勉強はあまり得意ではなかったそうです。
池谷和志さんは、私立の日体荏原高等学校に入学しましたが、時期は不明ですが退学しています。在学中は部活動は行わず帰宅部でした。
高校1年のときに初めてアルバイトを経験し、18歳まで同じトンカツ屋で働いたそうです。
ブレイクするも、露出が減り死亡説まで噂されたジョイマン。そんな2人の再ブレイクの兆しがあるようで、メディアへの露出も少しずつ増えているようです。
試行錯誤しながらラップネタを続け、ツイッターなどでコメントを発するなど、地道に活動を続けてきたせいかもしれません。今後は、どんなラップネタを見せるのか、ファンならずとも気になる存在ですよね。
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ラップネタでブレイクしたお笑いコンビ「ジョイマン」。でもその後は鳴かず飛ばずの状態が続きましたが、最近はまた注目されているようです。そんな「ジョイマン」のメンバーやネタ、同期に誰がいるかなどを調べてみました。