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    オールスター感謝祭(TBS)の歴史とは?歴代総合優勝者一覧や司会者は?

    年に2回放送されるTBSのオールスター感謝祭。毎回の放送を楽しみにしている方もいるでしょう。そこで今回は、オールスター感謝祭の歴史や歴代総合優勝者などについて迫ってみたいと思います。また、司会者や放送内容についてもご紹介します。

    オールスター感謝祭とは何?

    まずはじめに、オールスター感謝祭がどんな番組なのかについて見ていきます。この番組は、歴史の長い、知名度の高い番組です。人気芸能人が集結する特番として知られています。

    19991年より放送開始

    オールスター感謝祭は、TBS系列において、1991年10月5日より毎年、番組改編期の春と秋に放送されている、大型クイズ・バラエティ番組です。知名度の高い番組であり、人気芸能人が一堂に会する番組としておなじみです。

    30周年を迎えている

    この番組は、2021年10月9日の放送において、満60回、30周年を迎えました。人気の長寿番組の一つであり、「感謝祭」と略して呼ばれています。この番組が放送されると、番組の改編期が来たと感じる方も多いのではないでしょうか。

    クイズの歴代総合優勝者一覧がある?

    次に、この番組の歴代優勝者の一覧について見ていきます。番組の初期と直近の優勝者について確認します。その時人気のインテリ芸能人が優勝しているようです。

    『エンタメ生活 PRIVATE LIFE』に掲載

    『エンタメ生活 PRIVATE LIFE』というサイトに、クイズの歴代優勝者一覧が掲載されています。歴代の優勝者はバラエティに富んでおり、俳優、アイドル、お笑い芸人など、当時の人気者が名を連ねています。なお、2度優勝しているのは岡江久美子のみです。この一覧には、ミニマラソンの優勝者も掲載されており、体力自慢の芸能人の名前が並んでいます。

    1991年秋と1992年春

    この番組の初回である1991年の秋は「ニュース・教養」チームが優勝しています。また、1992年春には「TBSアナウンサーチーム」が優勝しています。番組の初期においては、個人戦ではなく、団体戦だったようです。

    1992年秋は斉藤慶子

    1992年10月03日の放送回では、個人として初めて斉藤慶子が優勝しています。彼女は高校時代は勉強に明け暮れ、国立大学に通っていた高学歴芸能人であり、その知識を生かしてクイズで結果を出しました。

    最新優勝者は”粗品”

    2022年3月放送回は、人気お笑いコンビ、「霜降り明星」の粗品が優勝しています。彼もまた、同志社大学に通っていたインテリ芸人であり、その教養を発揮して結果を出しました。現在人気絶頂のお笑い芸人でもあり、まさに旬の芸能人が優勝し、番組を盛り上げました。

    司会者は誰が務めていたの?

    この項では、オールスター感謝祭の司会者について見ていきます。男性の司会は長らく、島田紳助が務めていましたが、彼の芸能界引退により、交代を余儀なくされました。女性司会は、変わらず島崎和歌子が務めています。

    島田紳助と島崎和歌子

    1991秋から2011春の総合司会は、島田紳助と島崎和歌子が務めていました。20年ほどこのコンビで放送されており、オールスター感謝祭と言えばこの二人をイメージしていた人も多いのではないでしょうか。

    男性司会はリレー方式

    2011年10月1日放送回は、島田紳助が芸能界を引退したため、男性司会は今田耕司から田村淳、東野幸治へと引き継ぐリレー方式で番組を進行しました。女性の司会は、従来通りに島崎和歌子が務めました。この番組の顔である、島田紳助がいなくなり、他のお笑い芸人が司会を担当するという、大きな変化が起きました。

    今田耕司と島崎和歌子

    2012年春から現在に至るまで、今田耕司と島崎和歌子のコンビで放送が続けられています。このコンビになって10年になり、この二人が新しい番組の顔として定着しました。大人気番組の司会の交代という、大きな変化に成功しました。

    内容はどんなものなの?

    次に、オールスター感謝祭の内容を見ていきます。定番のクイズコーナーの他、番組内のイベントも確認します。イベントとクイズの関係も解説します。

    ピリオドクイズ

    予選のピリオドクイズは、回答者が各ピリオドで何問連続で正解できるかを競います。クイズは数問ごとにまとまっており、これがピリオドと呼ばれます。司会者による「全員Stand up !」の号令で、回答者は全員起立した状態でスタートし、問題に正解できなかった回答者は失格になります。正答しても、最も遅くボタンを押していた回答者も予選落ちとして失格になります。失格となった者は着席し、そのピリオドの残りの問題の解答権がなくなります。

    各ピリオドの最終問題の正解者のうち、一番早く押した者が、ピリオドチャンピオンとなり賞金を獲得できます。ただし、どこでラスト問題が出題されるかは明かされず、回答終了と同時に鐘が鳴ることでラストであることが分かります。そのため、終盤になると、選択肢を確認せずにボタンを連打する者も多いです。このコーナーが最も盛り上がる場面です。

    ボーナスクイズ

    2014年秋までは、ピリオドチャンピオン決定後に、「ボーナスクイズ」として、並べ替え問題がチャンピオンも含めた出場者全員に対して出題されていました。4つから6つの選択肢で、並べ替え問題が出されます。ここでチャンピオンが正解した場合は、さらにボーナス賞金を獲得できます。チャンピオンが不正解の場合は、その他の正解者に対してボーナス賞金が山分けされます。

    2015年春からはボーナスクイズは廃止になっています。ただし、オールスター後夜祭では実施しています。人気コーナーだったので、関連番組では残しているようですね。

    イベント

    この番組内で行われている主なイベントとしては、「ミニマラソン」、「番組対抗アーチェリー」、「一流芸能人の演技を見破れ クイズホンモノだぁ〜れ!?」、「ギャグ攻撃に耐えろ! 豪華女優陣VS人気芸人!」があります。マラソンとアーチェリーに関しては世間の認知度が高く、この番組の名物企画と言えます。アーチェリーは新ドラマの俳優陣が挑戦することが多く、番宣と、人気スタ-の違った面を生で見られる、人気コーナーです。

    2003年春の放送から、ミニマラソン等のイベントに参加した者は、そのイベントの成績に応じて正解ポイントが加算されるようになりました。当初はこの制度がなく、イベント参加者は回答できる機会が少なくなる不公平が生じていました。この決まりが出来てからは、イベントで好成績を残した人が上位入賞や総合優勝することが多くなりました。

    オールスター感謝祭はどんな歴史?

    次に、オールスター感謝祭の内容の歴史を振り返ります。初期のパイロット版の時代から、演出にはたくさんの変化があります。また、コンピュータシステムの進化が番組にもたらした変化も確認します。

    原点は『クイズ!当たって25%』

    この番組の原点は、視聴者参加クイズ番組である『クイズ!当たって25%』です。『クイズ100人に聞きました』などのように、番組フォーマットを海外から購入しています。この番組フォーマットはイギリスのCelador Productionsが開発したものですが、導入されたのはクイズのルールのみであり、コンピュータシステム、「Ready Go!」や「Answer Check!」などのコールや、番組のイベントは日本独自のものです。したがって、半分は買ったフォーマットであり、半分はオリジナルと言えそうです。

    パイロット版も放送されていた

    1991年6月28日に、パイロット版である『祝!賞金総額無制限 クイズ!当たって25%』が放送されました。この番組の司会は島田紳助と草野仁が務めました。この番組は制作局に加え、報道局、スポーツ局、社会情報局の各セクションが制作に関わりました。かなり大がかりな特番だったようです。

    また、1991年10月17日から1992年3月26日にかけ、レギュラー番にあたる『クイズ!当たって25%』が島田紳助と島崎和歌子の司会で放送されています。さらに、翌年から、本放送から数ヵ月後に3時間ほどの再編集版の再放送がされるようになりました。番組の人気が出てきて、局側も力を入れるようになってきたようですね。

    コンピューターシステムはテクノネットが開発

    出題および回答のコンピュータシステムは、TBS側が国内企業(テクノネット)に依頼し、日本仕様に独自開発したものです。選択ボタンの増加やタッチパネルの導入、複数回答・移動体通信での解答への対応など、随時バージョンアップされています。具体的には、1997年秋・2006年春・2017年秋に3回システムが更新されています。この番組は、コンピュータを用いたクイズ番組であり、高度なテクノロジーを用いて進行されていることが分かります。

    1997年に、キーパッドのシステムが更新され、リニューアルされました。これにより、ボタンが6個に増えて画面がタッチパネル型になりました。そのため、4択のみ対応だったクイズが、2~6択、テンキーによる数字入力解答が可能になりました。そして、ミニマラソンの優勝者予想も全員分をキーパッドで予想できるようになりました。

    成績が個人戦となる

    1992年秋より成績が個人戦になりました。また、1993年春からは赤坂5丁目ミニマラソンがスタートしています。さらに、翌年にオープニングの司会者による挨拶がなくなり、冒頭から第一ピリオドが始まるようになり、その翌年に放送スタジオが現社屋Bスタジオに変更になっています。この頃に、番組としての形が出来上がってきたようですね。最初はスタッフも手探りで作っていたのでしょうが、視聴者からの反響などを踏まえ、演出を変更していったと思われます。最初はクイズが個人戦ではなかったことや、ミニマラソンが無かったことは、知らない人の方が多いのではないでしょうか。

    双方向サービスの実施

    2006年春に双方向サービスが実施されるようになり、一般視聴者もクイズに参加し、楽しめるようになりました。この番組はクイズ番組であるため、双方向サービスの実現は、演出に大きな変化をもたらしました。先に述べた、クイズのシステムの変更など、テクノロジーの進化により番組の内容が変化した部分が多くあります。その時々の進化をどんどん取り入れて、変化していった番組であると言えます。このような変遷は、歴史の長いこの番組ならではのものではないでしょうか。

    マラソン優勝者は誰だったの?

    この項では、ミニマラソンの優勝者について確認します。最多優勝者や2連覇した面々についても見ていきます。この番組の花形コーナーである、マラソンを盛り上げた選手を確認しましょう。

    初回の優勝は増田明美

    ミニマラソンは1993年4月3日放送回より開始となっており、この回では増田明美が優勝しています。増田明美は1993年10月9日放送回でも優勝しており、2連覇しています。

    エリック・ワイナイナ

    ワイナイナは2006年4月1日放送回で優勝したのを皮切りに、計6回優勝しています。これほど優勝しているのは彼のみであり、オリンピックの銀メダリストの実力を見せつけています。

    2連覇している出場者

    2連覇している出場者は、前述の増田明美、織田無道、そのまんま東、西野亮廣、バンデルレイ・デリマ、エリック・ワイナイナ、猫ひろしです。バラエティに富んだ顔ぶれですが、やはりスポーツを得意としているタレントの名前が並んでいます。

    最新は岸本大紀

    最新の優勝者は岸本大紀です。岸本大紀は、青山学院大学の陸上競技部の選手であり、箱根駅伝で活躍した実績があります。ミニマラソンでは2位に18秒差をつけて優勝しています。

    「休憩タイム」

    放送時間が5時間となった1992年秋から2018年秋までの27年間、番組中盤には15分程度の「休憩タイム」が用意されていました。会場横に屋台が設置され、出演者が食事や会話を楽しみました。周富徳らがオリジナル料理を振る舞う回や、特上寿司と高級マツタケが提供された回もありました。

    休憩時間中は会話のようすと並行して、改編期の番組の宣伝VTRが流されていました。特にレギュラー番組は、単なる次回の予告ではなく、「感謝祭」用に制作した、パロディなど、凝った内容のオリジナルVTRが用意されていました。この番組と、このコーナーが、人気の高いおなじみのものだったことを示しています。

    長丁場の生放送らしい企画ですが、休憩の時間にも、視聴者を楽しませる企画が用意されていたようですね。芸能人の生のリアクションという、番組の魅力がこのコーナーにも発揮されていました。2019年以降は休憩タイムは廃止されていますが、テレビの生放送ならではの楽しみを、この番組には守っていって欲しいものです。テレビというメディア自体は衰退していますが、このような名物番組にしか提供できない楽しみが、確実にあるはずです。これからも時代を超えて、お茶の間を盛り上げることが期待されます。

    オールスター感謝祭は続いていく

    オールスター感謝祭について解説してきました。最後までお読みいただき、ありがとうございました。人気芸能人が集結するクイズ特番として有名な、オールスター感謝祭は長い歴史を持ち、様々な変遷をたどってきました。司会者の変更など、大きな変化もありましたが、この番組はこれからも親しまれていくでしょう。これからも、この番組から目を離さないようにしましょう。

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