麻倉もも(声優)の年齢身長スリーサイズは?担当キャラや熱愛彼氏・結婚は?
2023/01/06
himawari3232
陣内貴美子さんは、詳しい経歴については後述しますが、日本を代表する元バドミントン選手で、1992年バルセロナオリンピック日本代表として出場するなど、1994年に引退するまで活躍していました。
陣内貴美子さんは、お姉さんの影響で、熊本県八代市で小学校4年生からバドミントンを始めました。
中学に入ってからは「八代強化クラブ」に入り、365日毎日、バドミントン漬けの毎日を送っていたそうです。
中学時代は全国大会2連覇を果たし、バドミントンの強豪校だった熊本中央女子高校(現:熊本中央高校)に進学しました。高校時代は寮生活を送っていたそうです。
高校卒業後は、大学に進学せずに、サントリーバドミントン部に所属、実業団選手となります。
バトミントン選手を引退した後は、所属していたチームのコーチとして活動を始めますが、フジテレビの『スポーツWAVE』の土曜日キャスターとしての出演のオファーが届きます。
所属していた会社に相談したところ、「バドミントンの世界しか知らないだろうから社会勉強してこい」と背中を押され、1994年にキャスターに就任しました。
それ以降、タレントとして、またスポーツキャスターとして活躍するようになります。
日本テレビの夕方のニュースが何度リニューアルされても、メインで出演し続けている陣内貴美子さんに対して、男女含めてアスリート出身のキャスターの中では恐らくトップではないかと言う声があがっています。
目が大きく、はっきりした顔立ちで美人な陣内貴美子さんですが、選手時代から美人選手として有名でした。
現役時代、明石家さんまさんが「バドミントン界のキョンキョン」と陣内貴美子さんの事を呼んでいました。
小学生の頃にバドミントンを始めた陣内貴美子さんの経歴について詳しくご紹介していきたいと思います。
バドミントンの強豪校だった熊本中央女子高校(現:熊本中央高校)に進学していた陣内貴美子さんは、16歳で代表チームに召集されます。
陣内貴美子さんは、代表チーム入りしたことで、生活も大きく変わり、そして、いつしか夢は世界へと広がっていったと語っています。
それまでは「高校生、そして大学生のチャンピオンになって熊本で教師としてバドミントンを教えていきたい」という夢を持っていたそうです。
しかし、日本代表のメンバーに選ばれたことで目標は世界に変わっていきました。
陣内貴美子さんは16才でナショナルチームに入り、ちょうど10年という節目になる1990年に引退をしようと考えていたそうです。
怪我も多く、第一線でプレーするという肉体的かつ精神的なプレッシャーも感じていたそうです。
しかし、1992年に開催されたバルセロナオリンピックからバドミントンがオリンピックの正式種目になり、悩んだ末に、スポーツ選手にとってオリンピックはやはり夢であるし、そのチャンスが手の届くところにあるのだからと、そして引退を2年延ばしたそうです。
そして、日本代表としてバルセロナオリンピックにダブルスで出場し、2回戦で敗退しています。
1994年からフジテレビの『スポーツWAVE』にキャスターとして出演し、翌年からは、フジテレビの『プロ野球ニュース』に出演するなど、スポーツキャスターとして活躍を始めます。
明るいキャラクターとスポーツ選手に寄り添った取材や、コメントなどが共感を得て、バドミントン以外のスポーツ選手への取材や、スポーツ以外のニュースなどのキャスターもこなすようになります。
現在は、news every.(日本テレビ)で、メインキャスターを務めています。
続いては、陣内貴美子さんの結婚相手について詳しくご紹介していきます。
陣内貴美子さんの旦那は、元プロ野球選手の金石昭人さんです。
金石昭人さんは、PL学園を卒業後、広島東洋カープにドラフト外で入団し、日本ハムファイターズ、巨人で活躍した投手でした。
2人は2000年に結婚しています。当時、陣内貴美子さんは37歳、夫は40歳でした。
陣内貴美子さんと金石昭人さんが初めて出会ったのは、陣内貴美子さんが、キャスターとして訪れた名護(沖縄県)キャンプで訪れた時だったそうです。
そして、アスリート交流会に金石昭人さんが誘い、交流が始まりました。
金石昭人さんが陣内貴美子さんを意識したのは、シドニーオリンピックのタイミングだったそうです。キャスターとして1か月間、シドニーに行っていた陣内貴美子さんがテレビで活躍する姿を見て、あれ、なんか寂しいな。いるべき人がいないぞ、と感じたんだそうです。
陣内貴美子さんが金石昭人さんを意識したのは、1997年に日ハムから戦力外通告されて、98年に巨人のテストを受けたころだったそうです。その頃、一緒に食事をした際、戦力外通告のことも、誰のせいにもしないし、愚痴も言わない姿を見て、もう一度マウンドに立ってほしいと強く思ったそうです。
1979年に広島東洋カープに入団し、1992年からはトレードで日本ハムファイターズに移籍し、この年に自己最多となる14勝をあげています。
1997年オフに戦力外通告を受け、1998年は読売ジャイアンツのテストに合格し1年プレーした後、現役を引退しています。
引退後は野球解説者として活動し、寿司屋とお好み焼き屋を経営しています。
続いては、陣内貴美子さんが明かした不妊治療の体験内容について見ていこうと思います。
37歳で結婚した陣内貴美子さんは、子供を望んでいましたが授かることが出来ず、39歳から、6年間不妊治療を続けていました。
最初は、「タイミング法」を試していましたが妊娠に至らず、検査を受けてみると卵管のねじれが発覚します。そのためす「体外受精」に切り替えたのだそうですが、この時、すでに42歳になっていました。
治療費も馬鹿にならず、陣内さんの場合は体外受精で1回約50万円、顕微授精で1回約60万円かかっていたそうです。
それでも妊娠する事は無く、精神的に追い詰められていく陣内貴美子さんを隣で見てきた旦那さんが「もうやめよう」と告げたことがきっかけで、45歳の時に治療を断念したと明かしています。
陣内貴美子さんは2017年に口が開けにくくなる顎関節症になり、思うように食事がとれなくなった時期があったようです。
東京の品川に「寿司 かねいし」、麻生十番と西麻布に「広島風お好み焼き・鉄板焼き かねいし」をオープンさせています。
バドミントン日本代表選手として、オリンピックにも出場した、元バドミントン選手の陣内貴美子さんについて、ご紹介してきました。
陣内貴美子さんは、現役引退後はタレントやスポーツキャスターとして活動、その傍ら、日本バドミントン協会総務本部広報委員会委員も務めており、バドミントンの広報・普及活動にも力を入れています。
日本でのバドミントンの盛り上がりの一角を陣内貴美子さんが担っているのは間違いないでしょう。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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