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2023/11/27
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天地真理さんは、埼玉県大宮市で生まれました。本名の「眞理」の命名者は、埼玉県比企郡都幾川村(現・ときがわ町)にある臨済宗妙心寺派の寺院・法燈禅林 皎円寺(こうえんじ)の住職・柳瀬有禅さんだそうです。
天地さんが2歳の時に両親が離婚し、母親に連れられて大宮市から東京都中野区へ転居し、中野保育園へ通いました。その後。世田谷区上北沢に転居し、世田谷区立上北沢小学校に入学しました。小学5年生の時、母に88鍵のアップライトピアノを買ってもらい、演奏の腕をあげていったそうです。
天地さんは、1964年に国立音楽大学附属中学校に入学し、1967年に国立音楽大学附属高等学校ピアノ科に進学しましたが、声楽科へ転科しました。なんでも手が小さかった天地さんは、大好きだったベートーベンの曲を上手く弾くことができず、それでピアノを断念したそうです。
在学中は、森山良子さんやジョーン・バエズさんなどのフォークソングを愛好していたそうで、フォークソング歌手になることを夢見ていたそうです。
そして、高校在学中の1969年よりヤマハ音楽振興会附属教室ヴォーカルコースで学び、プロ歌手になるためにレッスンに励みました。
高校卒業後、天地真理さんは映画監督・斉藤耕一さんの妻・天路圭子さんと偶然出会い、天路さんが経営するスナックでアルバイトを始め、時々ギターの弾き語りをしていたそうです。その頃、天地さんは視聴者参加番組『ヤング720』(TBS)に出演しました。
そして、1969年に、天路さんに勧められてオーディションを受け、CBSソニーレコードと正式契約を結び、渡辺プロダクションに所属することになりました。
1971年に、天地さんは、天路さんの夫・斉藤耕一さんの映画『めまい』(主演:辺見マリ)に、「斉藤マリ」の芸名で初出演しました。
渡辺プロダクションは、新人歌手がデビューする前にテレビドラマに出演させていたそうで、天地さんも1971年に人気ドラマ『時間ですよ』(TBS)の従業員役のオーディションを受けました。
最終審査まで残ったのですが、従業員役にしてはキレイすぎるという理由で落選してしまいました。でも、出演者の森光子さんが彼女を見て、不合格にはもったいないと演出担当の久世光彦さんにかけあい、台本にはなかった新登場人物として出演することになりました。
役柄は、銭湯・松の湯の従業員・宮崎健(堺正章さん)が憧れる、銭湯の隣に住んでいる女性マリです。ドラマで、天地さんは家の2階の窓辺で白いギターを弾きながら『水色の恋』を歌い、清楚で可憐な美しさで一躍注目を浴びました。
そして、この曲で1971年10月に歌手デビューし、曲は大ヒットしました。その後、『小さな恋』『ひとりじゃないの』『虹をわたって』『ふたりの日曜日』『若葉のささやき』『恋する夏の日』『空いっぱいの幸せ』『恋人たちの港』『恋と海とTシャツと』『想い出のセレナーゼ』と大ヒット曲を連発しました。
『虹をわたって』は、春の選抜高校野球甲子園大会で入場行進曲に選ばれ、天地さんはセンバツ大会の開会式にゲスト出演しました。
NHKの『紅白歌合戦』には、第23回(1972年・『ひとりじゃないの』)第24回(1973年・『恋する夏の日』)第25回(1975年・『想い出のセレナーデ』)と3回出場しました。
大ヒット曲を連発した天地真理さんは、1972年から1975年にかけてテレビでも冠番組を持つほど国民的アイドルとして大活躍しました。
TBSのバラエティ番組『真理ちゃんとデイト』(1972年10月~1973年3月)『となりの真理ちゃん』(1973年4月~9月 TBS)『とび出せ!真理ちゃん』(1973年10月~1974年3月)『アタック!真理ちゃん』(1974年4月~9月)『はばたけ!真理ちゃん』(1974年10月~1975年3月)がそうです。
国民的アイドルだけに、天地さん主演の青春映画も作られています。『虹をわたって』(1972年)が初主演作で、共演は沢田研二さん、萩原健一さん、岸部シローさん他。2本目は、『愛ってなんだろ』(1773年)で、共演は森田健作さん、田中邦衛さん、尾藤イサオさん他。
天地さんのブロマイドも、1973年の年間売上枚数が女性部門で1位となり、下敷きなどの文具やトランプなどの玩具など、彼女のキャラクターグッズが数多く製作されました。
天地真理さんは、同じく1971年に歌手デビューした南沙織さん、小柳ルミ子さんとともに「新三人娘」と呼ばれました。
沖縄県嘉手納町出身の南沙織さんは、デビュー曲『17才』が大ヒットし、『潮風のメロディ』『哀愁のページ』『傷つく世代』『色づく街』などをリリース。その後、歌手引退後に写真家・篠山紀信さんと結婚し、3人の息子をもうけました。次男の篠山輝信さんは俳優。
福岡県福岡市出身の小柳ルミ子さんは、歌手デビュー曲『わたしの城下町』が160万枚を売り上げる大ヒットを放ち、『瀬戸の花嫁』『京のにわか雨』『漁火恋唄』などをリリース。女優としても『誘拐報道』『白蛇抄』などで活躍。現在も、現役歌手として活動を続けています。
天地真理さんは、1977年1月23日に甲状腺機能不調を理由に、東京都港区の病院に緊急入院しました。約1ヶ月後の2月20日に退院しましたが、引き続き休養生活に入り、芸能活動を2年半に渡り休業しました。
後に、20154年10月発売の週刊新潮のインタービュー記事で、休業した理由を天地さんは「人気がなくなってきたために、うつ病になったから」と話しています。
天地真理さんは、1979年5月に「森田公一トップギャラン結成10周年記念コンサート」に招かれ、久々に公衆の面前に姿を現しました。復帰会見では、「とにかく歌が好き。私は歌しかないと思っていました」と話しました。
1980年9月には、フランスの歌手シルヴィ・ヴァルタンの歌をカバーした『初恋のニコラ』をリリースしましたが、以前ほどのヒットには恵まれませんでした。
天地さんは、ピーターとのレビューショー、沢竜二主演の大衆演劇、シリアスな舞台出演など、新しい試みに取り組ましたが、その後アダルトへと路線変更。1983年からはセミヌード&ヌード写真集を出し、日活ロマンポルノやアダルトビデオに出演しました。
1997年には、ヘアヌード写真集『東京モガ』を発売しています。
天地真理さんが主演した日活ロマンポルノは『魔性の香り』(1985年)。共演は、ジョニー大倉さん、風祭ゆきさん、高橋長英さん鰐淵晴子さん他。
1990年代は、女優として松竹映画『中指姫 俺たちゃどうなる』やドラマなどに出演し、バラエティ番組『森田一義アワー 笑っていいとも!』にゲスト出演などしていましたが、2011年以降はテレビ出演はほとんどないようです。
最近は公の場に登場することがほとんどない天地真理さん。そんな彼女が、現在はどんな生活を送っているのかを調べてみました。
天地真理さんは、昔は大きな目と笑顔が可愛い、可憐なイメージで人気でしたが、最近の彼女の画像を見ると、すっかり老け込んでしまったという印象で、若い頃の面影がありません。
天地さんは、1951年11月5日生まれですから、現在70歳で古希になります。年齢的に、老け込むのは仕方のないことかもしれません。
2015年あたりから天地真理さんが神奈川県川崎市にある老人ホームに入居していると噂されるようになりました。その噂は事実だと、週刊新潮がスクープしました。
天地さんは、老齢年金を月20万円貰っており、娘さんがお金の管理をしています。老人ホームの料金(家賃・14万円、食費約4万円)は天地さんのファンクラブが全額払っているのだそうです。
天地真理さんは、老人ホームの費用はファンクラブが払っていますが、彼女自身は、娘さんから週に6000円しか自由に使えるお金をもらっていないそうです。
天地さんは、若い頃に人気が出て急に収入が増えたせいもあり、浪費癖がついてしまったそうです。その感覚が忘れられなく、お金があると蓄えることなど考えず、ほとんど使ってしまうらしいです。
なんでも、ロマンポルノに出演したのもお金のためだったそうですが、出演ギャラは毛皮のコートを買って使い果たしてしまったらしいです。
だから、彼女の娘さんが天地さんに少ししかお金を渡さないのは、未だに浪費癖が直らないせいのようです。それで、「老後破産」と言われてしまうことがありました。
天地真理さんには結婚歴があります。夫となったのがどんな人物なのか、また出会いや馴れ初めは何だったのかを調べてみました。
天地真理さんは、1986年6月17日に、都内にカフェバーを6店経営する会社の専務取締役・青木保さんと婚約したことを記者会見で発表しました。青木さんは、國學院大学法学部出身で、天地さんより2歳年上でした。
そして、同年9月25日に35歳で結婚しました。
天地真理さんは、1983年10月頃に、青木保さんの友人の紹介で一緒に食事をしたことがきっかけで知り合いました。その後、友人を交えてグループ交際に発展し、1985年暮頃から2人だけで会うようになっていったそうです。
青木さんは、その頃は仕事が忙しくて、芸能界に無関心だったこともあり、天地さんのことは最初はほとんど知らなかったそうです。レコードをもらって初めて彼女がスゴい人なんだなあと分かったくらいらしいです。
天地真理さんと青木保さんの間に、1987年8月16日に長女が誕生しました。名前は「青木真保」です。2人の間の子供は彼女だけのようです。
天地真理さんの一人娘・青木真保さんは、子供の頃は芸能活動をしていたそうです。現在は表舞台から遠ざかっていますが、そんな青木真保さんのことを調べてみました。
天地真理さんの娘・青木真保さんは、子供時代は子役として活動していたようです。ミュージカル『アニー』に出演しています。安達祐美さん主演のドラマ『家なき子』にも出演していたのではと言われていますが、それはどうも別の女優さんのようです。
青木真保さんは、現在は母・天地真理さんの暮らす老人ホームの近くに住み、母のマネージャーとして、ファンクラブを仕切ったり、ツイッターやブログで母の近況を報告したりしているそうです。
天地さんの娘、青木真保さんは、2018年5月に結婚しました。夫となった男性の詳細は不明で、何をしている人なのか分かりません。そして同年10月に長男を出産しました。
長男は現在3歳になりますが、天地さんは以前、おばあちゃんになるのが夢だと語ったことがあり、孫のことをとても可愛がっていると思われます。
天地真理さんは、1986年に青木保さんと結婚しましたが、1996年に離婚しています。離婚の原因が何だったのか、また再婚の噂が出ましたが、そのことについても調べてみました。
天地真理さんは、青木保さんと結婚後、青木さんが住んでいた麹町のマンションで暮らし、娘も生まれましたが、結婚10年目で離婚しています。
離婚の原因は、夫の暴力や夫が仕事をしなくなったこと、それに娘にも辛くあたっていたからだそうです。なんでも、離婚した際は、慰謝料ももらえなかったっそうです。
青木さんとの離婚後、娘・真保さんの親権は天地真理さんが持ち、女手一つで育て上げました。離婚を機に、神奈川県横浜市に移り住み、真保さんが専門学校に入るまで学費などで困ったことはなかったそうです。
でも、天地さんの浪費癖は止まらなく、お金を貯めなくちゃと思いながらも通帳にお金が残っていると使ってしまい、そんなことで真保さんとは喧嘩になることもしばしばだったそうです。
だから、天地さんと真保さんの母娘関係が悪かった時期もありましたが、現在は仲が良いようです。
天地真理さんは、2003年の52歳の時、番組収録の際に再婚宣言をしたことがあります。お相手は、都内の会社社長で、結婚まで秒読みと言われました。
でも、結局再婚には至りませんでした。なぜ再婚できなかったのかなど理由は不明です。
2021年10月にデビュー50周年を迎えた天地真理さん。仲の良い娘さんや彼女を慕う熱心なファンに支えられ、ゆったり穏やかな日々を過ごしているようです。そのうち、また元気な姿をテレビなどで見せて欲しいものですね。
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