2024/02/16
r.y6
斉藤慶子さんは、宮崎県の、“日本一星がきれいな町”と知られる小林市出身で、父は地方公務員(後に養魚場経営)でした。宮崎県立小林高等学校時代は、九州大学薬学部を目指し、夜9時頃に寝て、夜中に起きて朝まで7時間ほど勉強するとい生活を送っていたそうです。
でも、共通一次試験での得点が不十分だったことから九州大学薬学部の受験を断念し、熊本大学教育学部に進学しました。大学では心理学を専攻し、当初は教員志望だったそうです。大学ではマンドリンクラブに所属していました。
大学1年の時、スカウトされて熊本の鶴屋デパート「鶴屋百貨店」のポスターモデルを務めCMにも出演したそうです。
大学3年生だった1982年に、斉藤さんは日本航空「JAL沖縄キャンペーンガール」に800人の中からオーディションで選ばれました。なんでも、「鶴屋百貨店」の広告のために上京したのが「JAL沖縄キャンペーンガール」オーディションを受けるきっかけだったそうです。
しかし、「JAL沖縄キャンペーンガール」に選ばれた斉藤さんでしたが、日本航空350便墜落事故が起き、キャンペーン活動の大半を自粛しなくてはならなくなったそうです。
そして、大学を中退し、芸能界入りしました。中退する前までは、「将来の希望はスチュアーです。」と話していたらしいです。
芸能界入り当初は、同じ熊本大学出身の宮崎美子さんが活躍していたので、斉藤さんは「宮崎美子2世」と呼ばれてることもあったそうです。
斉藤慶子さんは、1983年に、アパッチけん(現・中本賢)さん主演の映画『いとしのラハイナ』で映画初出演し、女優として活動を始めました。
そして、『ウホッホ探検隊』(1986年)、『病院へ行こう』(1990年)、『ぼくと、ぼくらの夏』(1990年)、『ハッピーエンドの物語』(1991年)、『新・極道の妻たち 惚れたら地獄』(1994年)などに出演しました。
2000年代には『仔犬ダンの物語』(2002年)、『青春ばかちん料理塾』(2003年)、『あさひるばん』(2013年)に出演しています。
斉藤さんの初主演映画は『さわこの恋 上手な嘘の恋愛講座』(1990年)で、ヌードを初披露し大胆な濡れ場も演じました。共演は、池田政典さん、広田玲央名さん、田口トモロヲさん。
1994年に出演した熊本の遊郭を舞台にした映画『東雲楼 女の乱』(主演:かたせ梨乃 共演:南野洋子、津川雅彦)の演技で、斉藤さんは第18回日本アカデミー賞・優秀助演女優賞や日刊スポーツ映画大賞助演女優賞を受賞しました。
斉藤さんは、テレビドラマも数多く出演しています。
出演作にNHK大河ドラマ『秀吉』、NHK連続テレビ小説『天うらら』(1998年)『わかば』(2004年)、『六本木ダンディーおみやさん』(1987年・朝日放送)、久本雅美さんと共演した『お局探偵亜木子みどりの旅情事件帳』(1997年~2003年・フジテレビ)などがあります。
バラエティや生活情報番組では、『クイズところ変われば!?』(テレビ東京)、『クイズDEデート』(関西テレビ)、『おもしろ人間ウォンテッド!!』(日本テレビ)、『ためしてガッテン』(NHK)などに出演しました。
東国原英夫さん(元タレント・そのまんま東)さんが宮崎県知事に初当選した時、宮崎県出身だった斉藤慶子さんは祝福のコメントを述べ、テレビなどで大きく報道されました。
その後、東国原さんに頼まれて、斉藤さんは”みやざき大使”に選出され、現在も宮崎県のPRに勤めています。
斉藤慶子さんの趣味や特技は、天体観測、ピアノ、フルート、クラリネット、スキューバダイビングだそうです。
高校時代は天文部に所属していたそうで、そのせいか今でも天体望遠鏡で月や木星を見ながらお酒を飲むことがあるのだそうです。なんでも、死ぬまでに一度は宇宙旅行をしたいと真剣に考えているらしいです。
せっかちな性格だそうで、無駄なことが嫌いで合理的な生活を送ることを考えているそうです。なんでも、撮影の時も車の中である程度のヘアメイクを自分で行い、衣装も前日に借りられる場合は借りて、その衣装を着て撮影現場に向かったそうです。
だから、一番遅く現場に来て、一番早く家に帰るという感じだったらしいです。また、斉藤さんは視力が弱いらしく、相手の顔をじっと見つめる癖があるそうです。
斉藤慶子さんは、歌手活動した時期があり、幾つか曲をリリースしています。
1982年9月に『もの想いシーズン/夕闇のふたり』、翌年の1983年に『愛されたがっているくせに/やさしさ、ひととき』『Flashin' Back/ラブポーション』、1984年に『ふりむけば/ロスト・サマー・タイム』と4枚のシングルをリリースしています。
また、1995年には、堀内孝雄とのデュエット・シングル『悲しい乾杯/恋人たちの森』を発売しました。
どれくらい売れたかは不明です。
斉藤慶子さんは、ミノルタ「押すだけ全自動」、大塚製薬「ポカリスエット」のほか、日本航空、アルバイトニュース、ヤマザキ、ライオン、ナショナル、服部家具などのCMに出演しました。
ミノルタ「押すだけ全自動」では、足をあげるエアロビクスのシーンがなんともセクシーだと話題になりました。
斉藤慶子さんは、グラビアでも活躍し、写真集『採光の個室』『誘惑』なども出していますが、そんな斉藤さんの20代の頃の初々しい水着姿を復活させた高精細デジタル写真集『素足のアイドルたち 斉藤慶子』(小学館)が2020年に発売されました。
斉藤慶子さんは30代の時に実業家の男性と結婚し、長女を出産しています。夫となった男性が誰なのか、また2人の馴れ初めはどういったものかなどを調べてみました。
斉藤慶子さんは、1997年7月に実業家の木本裕仁さんと結婚しました。
結婚前に、木本さんが経営する会社が倒産して約80億円もの負債が発生しましたが、結婚した同年9月の結婚報告会見で、斉藤さんは「債権者の方たちへの誠意や仕事に対する姿勢を見ていると、とことん彼についていこうと思いました」と固い決意を話しました。
斉藤慶子さんは、木本裕仁さんとは1990年に友人を通して知り合ったそうです。1992年頃から2人は同棲を始め、出会ってから7年後に結婚に至りました。
斉藤慶子さんが木本裕仁さんと知り合った時、木本さんには妻子がいました。だから、斉藤さんと木本さんは不倫交際となります。
木本さんと彼の妻子との離婚が1996年にようやく成立し、翌年に結婚できたわけです。結婚の際には、木本さんの前妻から「いつまでも幸せになってね」と理解してもらえたそうで、涙ながらに歓びを会見で語りました。
斉藤慶子さんは、不倫交際を経て木本裕仁さんと結婚しましたが、離婚してしまいました。離婚理由が何だったのか?また、長女の親権はどうなったのかなどを調べてみました。
斉藤慶子さんは、1997年に結婚しましたが、11年後の2008年5月に結婚生活にピリオドを打ち離婚したことを、所属事務所を通じて発表しました。
斉藤慶子さんと木本裕仁さんの離婚理由は、「結局は考え方や価値観の相違」だったそうです。お互いの異性問題や金銭のトラブルもなく、話し合いで円満離婚となったらしいです。
離婚した後も、互いに交流は続いているそうです。
斉藤慶子さんと木本裕仁さんの間には2000年に生まれた長女がいますが、離婚後の親権は斉藤さんが持ちました。離婚後も、木本さんは長女と“父”としての交流は続けているようです。
斉藤慶子さんの長女は、慶應義塾幼稚舎に通っていたので、慶應義塾大学に進学したのではと噂されていますが確かなことは分かりません。長女は、2022年で22歳になりますが、名前や画像など彼女に関する詳細は公表されておらず、分かりません。
60歳になる斉藤慶子さんですが、現在は仕事は結構セーブしているようです。そんな斉藤さんの最近の活動をいろいろ調べてみました。
斉藤慶子さんは、最近は芸能関係などの仕事をセーブしているようで、以前ほどメディアに登場することが減っています。
でも、まだ女優やテレビ番組のコメンテーターとして活動は少ないながら続けていて、今のところ芸能界を引退しているということはないようです。
斉藤慶子さんは、2017年に慶應義塾大学大学院・メディアデザイン科に入学して若い学生に交じって勉学に励み、2019年3月に卒業したそうです。
50代になって、また大学で勉強を始めるのは大変だと思いますが、大学を中退したことがあり、もう一度学び直そうと考えたのかもしれません。
斉藤慶子さんは、2021年11月に、還暦を前に30年ぶりに水着姿にチャレンジした『2022年水着カレンダー』(講談社)を発売しました。
斉藤さんは、2020年に宮崎美子さんの水着グラビアを目にした時、自分が20代前半の頃のグラビア撮影している時代にタイムスリップした感覚を覚え、懐かしく、愛おしく感じたそうです。
そんな時に、出版社から水着撮影の話が持ちかけられ、斉藤さんはチャレンジしてみようと思ったそうです。
斉藤さんは、やる気満々で撮影に向けて1か月前からイメージし、体のラインや肌の調子などを隅々までチェックしたそうです。なんでも、アスリートが「オリンピックの試合の日にベストパフォーマンスが出せるよう」という感覚に近かったそうです。
水着写真の感想を聞かれた時、斉藤さんは「JAL沖縄キャンペーンガールとして水着でデビューした私が、60歳という節目に、また水着姿で今を写真に残せたことに、チャレンジして良かったなと素直に思いました。とても貴重な体験をさせていただきました。」と語りました。
斉藤慶子さんは、2011年に再婚しました。お相手がどんな男性なのか、また再婚に関してあまり良くない噂も立ったようですが、そんな斉藤さんの再婚について調べてみました。
斉藤慶子さんは、木本裕仁さんと離婚した3年後の2011年に、「ショップジャパン」を運営しているオークローンマーケティングの創業者で株式会社インターワールドの社長も務めている中村規脩(なかむらただし)さんと子連れ再婚しました。
中村さんは、斉藤さんより15歳年上でした。2人の出会いや馴れ初めに関する情報は見つからず、詳細は不明です。
●中村規脩プロフィール
大学卒業後、2社を起業した後、1993年5月に株式会社オークローンマーケティングをロバート・ローチ氏とともに設立し専務取締役に就任。テレビ通販番組『ショップジャパン』を運営して数々のヒット商品を生み出す。
1995年に子会社の広告代理店、株式会社インターワールドを設立。2009年に株式会社萬楽庵を設立し、不動産投資事業や起業支援事業に取り組む。2011年に在名古屋コロンビア共和国名誉領事に就任し、日本とコロンビア共和国の架け橋となる活動を精力的に行う。
斉藤慶子さんの再婚相手でもある中村規脩さんの会社は、年商500億円以上とも言われていて、再婚が発表された時は、資産が140億円以上あるらしい中村さんと再婚したのは「彼の遺産目当て!」とか「相手の親族に認められていない」とあまり良くない噂が流れました。
斉藤慶子さんは、現在も夫・中村さんとの仲は良く、都内でも有数の高級住宅街にある豪邸で長女を含めた3人でセレブ生活を送っているようです。
なんでも、エレベーター付き3階建ての家のガレージにはジャガーやポルシェのカイエンなど高級外車がずらりと並んでおり、室内もリビングは45畳の広さがあり、6mの吹き抜けの天井だそうです。リビングには高級ソファーやグランドピアノが置かれ、ダイニングキッチンも25畳ありオーダーメイドだそうです。
トークバラエティ番組『メレンゲの気持ち』(日本テレビ)で、斉藤さんのセレブな生活ぶりが紹介されたことがありましたが、その夢のような豪華な生活が話題になったそうです。
お金に困らないこともあり、斉藤さんは最近はあまりテレビに出ないのかもしれません。
60歳になっても、年を感じさせず若々しい斉藤慶子さん。セレブな日々を送っているようですが、30年ぶりに水着写真を撮るなど、チャレンジ・スピリットがある彼女だけに、もっとテレビなどで元気いっぱい活躍してほしいものですね。
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