木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
桂文枝は関西大学在学中だった1966年に桂小文枝に弟子入りし、大学は中退しています。12月に正式入門し、道頓堀角座で初舞台を踏みました。当時から長きにわたり、“桂三枝”の名で活動を続けていくことになります。
桂文枝は落語だけでなく、バラエティ番組にも進出しています。『ヤングおー!おー! 』や『パンチDEデート』といった番組の司会を担当したのです。そして、1971年1月31日より『新婚さんいらっしゃい!』の司会を務めています。
アシスタントの女性タレントは何代にもわたり交代をしていますが、桂文枝はメインとして変わらずに出演を続けています。2015年には、『同一司会者によるトーク番組の最長放送』としてギネス世界記録に認定されているでしょう。これも、桂文枝が健康であったからこそ成し得たことなのかもしれません。
2003年に、桂文枝(当時・桂三枝)は社団法人上方落語協会の6代目会長に就任しました。その後、2018年4月に上方落語協会会長を退任する意向を表し、5月31日の理事会で退任しています。後任には、笑福亭仁智が就きました。
なお上方落語協会の会長を辞した際には、上方落語協会最高顧問等の役職について断ったといいます。ただし、2018年7月にオープンした『神戸新開地・喜楽館』の名誉館長には就任しました。
2009年1月1日に、産経新聞に由緒ある名跡である“6代目桂文枝”を襲名する予定だと報じられました。しかし、当時の桂三枝は否定していました。2011年7月11日には、正式に桂文枝を襲名することが発表されています。その当時は桂三枝のままで活動する意向でしたが、現在は桂文枝として活動を続けています。
なお6代目桂文枝を襲名した理由については、桂派の源流で由緒ある”文枝”の名跡を、直系の弟子が代々引き継いできました。そのため、他の一門の誰かが文枝を継ぐことになれば、先代や先々代の文枝に申し訳ないとの思いから襲名したのです。
芸能人の浮気や不倫といったものが報道されたりすることがありますが、桂文枝にも浮気の報道がありました。続いては、桂文枝の浮気について迫ってみたいと思います。
演歌歌手の紫艶が、2016年にフライデーで桂文枝(不倫当時は三枝)との不倫を暴露しました。暴露したのは、紫艶が38歳頃のことであったと考えられます。
不倫関係になった当時、紫艶は18歳だったといい未成年でした。その後、桂文枝との関係は20年に及んだといいます。また紫艶は、「師匠を尊敬し、信頼し、すべてを捧げてきた」と語っていました。そして、紫艶にとって桂文枝が初恋だったとされているでしょう。
初めて好きになった人ということで、桂文枝をとても信頼していたのかもしれません。
桂文枝は、紫艶に対して“愛人手当”を渡していたといいます。紫艶によると、桂文枝から”愛人手当”として当初は月に20万円をもらっていたのです。しかし、いつしか月15万円に減額されたと語っていました。減額となった理由については、正確なところは分かっていません。
桂文枝と紫艶は、彼女が『吉本演歌歌謡曲選手権』で優勝した頃からの関係でした。桂文枝は、妻に紫艶との関係がバレて妻と別居をしていました。
桂文枝との不倫の証拠として、紫艶は彼の全裸写真をインターネット上に投稿したとされています。また、2人のツーショット写真もインターネット上に出回っています。
桂文枝は、紫艶との関係を「娘のように可愛がっていた。2年前に落語会に来てお会いしたのが最後」と語っていました。そして、「それ以前も10年から12年ほど会ってない」と否定していました。桂文枝は“人間国宝”になることを目指していた模様です。
しかし、紫艶との関係が明るみになったことで夢は潰えた可能性があります。
元々は演歌歌手だった紫艶でしたが、不倫騒動後にはヌード写真集を出版することやAV女優として活動をしていました。しかし、その一方で演歌歌手としての再起を図っていたのです。もう一度、演歌歌手として歌いたかったのでしょう。ところが、ある壁が立ちはだかり精神的に追い詰められてしまいました。
その壁とは、桂文枝は吉本興業に所属しているため、その吉本興業にテレビ局等の芸能界各所が忖度をしたためとの可能性があります。芸能界の壁により、紫艶の演歌歌手としての再起も阻まれていたことも考えられるのです。
そうしたことで心身共に疲れてしまい、紫艶は薬に頼るようになったともみられるでしょう。
紫艶は既に故人となっています。2019年3月に、41歳で自宅において孤独死したのです。彼女は体調を崩し、睡眠導入剤など複数の薬を服用していたのだといいます。自宅で亡くなったことから、紫艶は司法解剖されることになりました。そして司法解剖の結果、彼女の死因は”病死”と判断されました。
多種類の薬を服用していたため、それが原因で亡くなったのではないかと司法解剖後に遺族に伝えられたとされています。紫艶の母親は、娘の死を知ると兵庫から着の身着のままで上京しました。事務所のスタッフと共に遺体と対面すると、その場で泣き崩れてしまったのです。
紫艶の葬儀は、2019年3月15日に都内で肉親と事務所スタッフだけで執り行われました。
芸能界で愛人となると、女性の多くは精神を病んでしまうのだという話があります。そして、結局は芸能活動自体もダメになってしまうのです。愛人になることは禁断であり、”月に100万円”との誘いあってもが愛人になってはいけないとも言われているでしょう。
なんと、桂文枝には紫艶の他にも愛人がいたという話があります。続いては、桂文枝の他の愛人について見ていきたいと思います。他にも愛人がいたというのは本当なのでしょうか。
素性は分かりませんが、桂文枝には他にも愛人がいたといいます。その愛人には、手当として月に60万円を桂文枝が払っていたとされるでしょう。紫艶の時もそうでしたが、愛人のためにお金を使っていたのです。
2008年には、大阪の演芸場『天満天神繁昌亭』を訪れた女性を愛人にしたとされています。『天満天神繁昌亭』は、大阪市北区に所在する寄席です。桂文枝は、その愛人女性に際どい内容のメールを送るなどしていました。またその女性に、「将来は一緒に住んで、俺の介護をしてほしい」と言っていたのです。
桂文枝は、かつて岡本夏生と『新婚さんいらっしゃい!』で共演していました。岡本夏生は、『5時に夢中!』に出演した際に「(桂文枝が)ある女性とデキてて、手切れ金でウン千万渡したその女性はロンドンに飛んだってウワサはあった」と明かしています。
なお、岡本夏生が『新婚さんいらっしゃい!』に出演していた時期は、1992年5月から1996年3月です。その後、岡本夏生はレギュラーを卒業しました。これは番組を放送するテレビ朝日が、吉本興業に忖度したものだという見方もあるでしょう。
ここで、桂文枝の妻について見ていきたいと思います。桂文枝の妻はどういった女性なのでしょうか。2人の馴れ初めについてもお伝えしましょう。
桂文枝は、1972年に28歳で結婚しています。相手は19歳の大学生だった”高橋真由美”という女性です。では、20代後半になっていた桂文枝と女子大生の妻は、どの様にして出会ったのでしょうか。
2人の馴れ初めは、番組での共演でした。妻は、『ヒットでヒット バチョンといこう!』の桂文枝が出演する日曜日のアシスタントを務めていました。この番組は、1970年から1974までラジオ大阪で放送されていたラジオ番組です。なお妻とは、彼女が高校1年生の頃に出会っています。
妻は、1971年9月までアシスタントを務めていたでしょう。
桂文枝に子供はいるのか、気になる方もいるかもしれません。次は、桂文枝の子供について見ていきたいと思います。さて、桂文枝には子供がいるのでしょうか。
桂文枝と妻・高橋真由美の間には、2人の子供が誕生しています。息子と娘がいますが、一般人のため名前などは判明していません。誕生した時期も分からないため、年齢も不明でしょう。
息子は、桂文枝の個人事務所『三友事務所』の社員をしています。父親・桂文枝のサポートをしているのかもしれません。
桂文枝の娘は、2004年に音大の大学院を卒業して作曲家として活動をしています。詳細は分かりませんが、音楽の素養があったということかもしれません。
続いては、桂文枝の現在について迫ってみたいと思います。桂文枝は現在どうしているのでしょうか。家庭や仕事などに関して見てみましょう。
2021年1月24日に、妻の真由美が67歳で病死しました。働き者であり元気であった妻は、2020年にがんを発症し2021年になると日に日に衰弱していったといいます。そして、亡くなる前日には桂文枝に「ごめんねぇ」と小さく呟いたのでした。
なお妻は生前、桂文枝の個人事務所の社長として帳簿を付けることや着物の管理、子供の世話など、忙しく動き回っていたのです。
桂文枝に起こった悲しい出来事は、これだけではありませんでした。妻が亡くなった翌日である2021年1月25日には、桂文枝の実母・河村治子が亡くなったのです。老衰により、99歳で旅立ちました。桂文枝はメディアに向けて、「2日続けて死亡届を書くなんて思ってもいませんでした」と、コメントしていました。
自分にとても近い存在を2日連続で亡くすということは、経験するとは思っていなかったでしょう。
桂文枝は、50年以上にわたり『新婚さんいらっしゃい!』の司会を続けてきました。しかし、『新婚さんいらっしゃい!』の司会を2022年3月27日放送分で勇退することが、2022年1月7日に発表されました。勇退の理由は、78歳という自身の年齢を挙げています。
またそれだけでなく、番組の企画をしたプロデューサー・澤田隆治が2021年に死去したことも理由であるとしています。桂文枝の後任は、藤井隆が務めることが決まっています。なおアシスタントを務めてきた山瀬まみも卒業となり、後任を井上咲楽が受け継ぐことになっているでしょう。
桂文枝の綴る文章が読みたいという方もいるかもしれません。落語会の大御所である桂文枝ですが、ブログはやっているのでしょうか。最後に、桂文枝のブログについて迫ってみましょう。
桂文枝は、『トビウオの夢』というブログをやっています。ブログタイトルの意味は分かりませんが、現時点で1,324人のフォロワーがいるでしょう。自身のことを“トビウオ”になぞらえたのでしょうか。
桂文枝はブログを精力的に更新をしており、2022年1月は毎日更新していました。また、2月に入っても毎日更新されています。桂文枝はマメな男性なのかもしれません。ファンにとっては、頻繁に日々のことなどを更新してもらえれば嬉しいものでしょう。
桂文枝が、2022年2月11日にブログを更新しました。その中で彼は、韓国俳優のヒョンビンとソン・イェジンの結婚を祝福しています。というのも、桂文枝は2人が共演した人気韓国ドラマ『愛の不時着』がお気に入りの様子です。彼は『色々見た中で一番は愛の不時着だと思っている』とまで言っているでしょう。
そうしたことから、3月で勇退を発表した『新婚さんいらっしゃい!』のラストにヒョンビンとソン・イェジンを迎えたかったとも綴っていました。
桂文枝は、当時18歳だった演歌歌手・紫艶と不倫関係になりました。その関係は20年越しとなった模様です。しかし紫艶はその後に41歳の若さでこの世を去ってしまいました。そして桂文枝の愛人は紫艶と不倫をする前にもいたという話もあります。
また、それ以外にも8年にわたる愛人がいるとの情報もあるでしょう。愛人を作っていたといわれる桂文枝ですが、2021年には妻と母親を相次いで亡くしました。また、看板番組である『新婚さんいらっしゃい!』を2022年3月で勇退することも発表されています。
桂文枝は78歳となりましたが、今後も健康に留意して落語界のために様々と尽力して欲しいものです。
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