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2023/11/27
r.y6
1995年にソロデビューしている嶺川貴子さんは、日本国内では9枚のCDをリリース、海外では8枚のCDをリリースしています。
近年は、コンピレーションCDへの参加が続いていおり、例えば、『細野晴臣トリビュート』や『Penguin Cafe Orchestra -tribute-』『家族時間〜NHKみんなのうたカバー集〜 』等が挙げられます。
2011年の夏にアメリカのギタリスト・Dustin Wongのライブを見に行き、嶺川貴子さんの元々ファンだったDustin Wongとの交流が始まりました。
音楽や宇宙、神話談義で盛りあがり、セッションを重ねていき、コラボレーションするに至ったのだそうです。
TAKAKO MINEKAWA & DUSTIN WONGとして2013年にアルバム『TOROPICAL CIRCLE』を共作リリースしています。
そして、都内でのライヴを経て、FUJI ROCK FESTIVALにも出演しています。
TAKAKO MINEKAWA & DUSTIN WONGの2ndアルバム『SAVAGE IMAGINATION』を2014年にリリースしています。
そして、1か月間、22公演という北米ツアーも成功させています。
2015年には、初めて中国において12都市でツアーを敢行しました。 DUSTIN WONGとの活動と、互いのソロ活動を並行して盛んに活動をしています。
彼女たちは、絵や映像も二人で共作しており、作品のジャケットやMVも自らが手がけています。
小山田圭吾さんは、井上由紀子さん他と「Pee Wee 60's」を結成します。この二人以外のメンバーが脱退し、バンド名を「ロリポップ・ソニック(Lollipop Sonic)」へ改名しました。
そして、2人での活動を続けながらメンバーを追加していき、吉田秀作さん(ベース)、荒川康伸さん(ドラムス)、最後に小沢健二さん(ギター、サイドボーカル)が加わり、五人体系のバンドになりました。
バンドをフリッパーズ・ギターと名を変え、1989年、小沢健二さんが作詞を担当した全曲英詞の1stアルバム『three cheers for our side〜海へ行くつもりじゃなかった』でメジャーデビューを果たします。
その直後、小山田圭吾さんが交通事故により入院したことで活動が一時停止してしまいました。その後、小山田圭吾さんと小沢健二さん以外のメンバーが脱退したため、2人組となりました。
“渋谷系”と呼ばれる流行の先駆けとして注目されていた彼らは、1990年、全曲日本語詞による2ndアルバム『CAMERA TALK』をリリースし、1991年7月10日、3rdアルバム『DOCTOR HEAD'S WORLD TOWER -ヘッド博士の世界塔-』をリリースしますが、突然の解散表明がされます。
そして、10月29日に解散しています。解散理由については明かされておらず、不仲説が濃厚のようです。
メジャーデビューしてから3年も経たずして解散してしまったフリッパーズギターですが、復活を望む声が多いユニットとして色あせることなく人気を保っています。
フリッパーズギターを解散後、小山田圭吾さんは、ソロプロジェクトCorneliusとして音楽活動を再開します。
自身の作品の発表はもとより、音楽プロデューサーとして、多くのミュージシャンの楽曲を手がけています。
1992年から、レコードレーベル「トラットリア(Trattoria Records)」を主宰し、作品発表の場を求めるミュージシャンと新たな音楽を求める聴衆の掛け橋として機能しました。
海外アーティストのコンピ&リイシューや、ブリッジ、カヒミカリイ、ピチカート・ファイヴをプロデュースし、2002年にレーベルが終了するまで、250の作品がリリースされています。
続いては、嶺川貴子さんと小山田圭吾さんの出会いについて見ていこうと思います。
嶺川貴子さんは、2000年、31歳の時に、当時はもうソロユニット“コーネリアス”として活動していた小山田圭吾さんと結婚しました。
2人の詳しい馴れ初めについては、どちらからも明かされていないません。
嶺川貴子さんは、1990年に、フリッパーズ・ギター監修のオムニバス『FAB GEAR』に、カヒミ・カリィとのユニット『Fancy Face Groovy Name』として参加しています。
二人の馴れ初めに関しては、よく分かっていませんが、この収録がきっかけで、出会い距離を縮めていったのではないかとも言われています。
2000年に結婚した二人でしたが、後に離婚しています。どういった理由だったのでしょうか。詳しく見ていこうと思います。
嶺川貴子さんと小山田圭吾さんは、2012年に離婚しました。2000年に結婚しているので、12年間の結婚生活となりました。
離婚理由については、「気持ちのスレ違いが重なった」と、嶺川貴子さんが後にインタビューで語っています。
嶺川貴子さんは、小山田圭吾さんの両親と同居していて、介護をしていたとされています。
嶺川貴子さんは、どれ位の期間かは分かりませんが、義父が他界するまで介護していたそうです。
小山田圭吾さんは家を空けることが多かったそうで、小山田圭吾さんとの気持ちのすれ違いがあった可能性が考えられます。
離婚をする2年前から別居をしていたと言われている二人ですが、小山田圭吾さんの不倫により夫婦間に亀裂が入ったと見られているようです。
不倫相手については明らかになっていませんが、若い女性をクラブに連れ込んでいたとする目撃情報もあり、別居中にはすでに新恋人がいたという話もあります。
1995年に、小山田圭吾さんが『ロッキング・オン・ジャパン』『クイックジャパン』といった雑誌で学生時代にいじめをしていたことを明かしており、反省もなく「けっこう今考えるとほんとすっごいヒドイことしてたわ。この場を借りてお詫びします(笑)」とインタビューで話しています。
いじめの具体的な内容として
などが、あげられており、とても笑いながら話せる内容ではないことが分かります。
小山田圭吾さんは2021年の東京オリンピックの開会式の音楽担当に決定していましたが、この過去のいじめ発言がクローズアップされ、SNSを中心に広がると、報道も大々的にされるようになり、大炎上します。
小山田圭吾さんの続投を希望していた大会組織委員会ですが、世論に押され、また政府側が難色を示したこともあり、結局は担当を降りることになりました。
オリンピックの際の炎上で、小山田圭吾さんは反省のコメントを発表していますが、この炎上が無ければ、インタビューの時のままだったかもしれません。
こういった小山田圭吾さんの当時の考え方が、子育てをするうえで、合わなくなり、すれ違いにつながったとも考えられますね。
続いては、嶺川貴子さんと小沢健二さんが付き合っていたという噂があるようですので、詳しく見ていこうと思います。
嶺川貴子さんは結婚前に、小山田圭吾さんとフリッパーズ・ギターを組んでいた小沢健二さんと交際をしていたと言われています。
2018年リリースの小沢健二さんの楽曲『アルペジオ (きっと魔法のトンネルの先)』に、
という、歌詞があり、嶺川貴子さんと小山田圭吾さんのことと思われる内容となっています。
小山田圭吾さんは、過去にカヒミカリィ(嶺川貴子さんとFancy Face Groovy Nameを組んでいた)と付き合っていたのだそうです。
続いては、嶺川貴子さんが結婚するまではどういった活動をしていたのかを詳しく見ていこうと思います。
嶺川貴子さんは、4歳から児童劇団に所属し子役として活動をしていました。
1977年公開の映画『はなれ瞽女おりん』や1980年に放送されたテレビドラマ『ぬかるみの女』など、ドラマやCMに出演し、活躍していました。
15歳の頃、ミス原宿に選ばれ、3年間ほど俳優業を行っていた期間があるそうです。
高校は、堀越高等学校に通っており、歌手の森高千里さんとは同級生で、「ミネ」「千里」と呼び合うような仲だったそうです。
堀越高等学校卒業後は、和光大学に入学しています。
フレンチポップスを聴きはじめ、友達と二人でユニット「ロリータ」を結成し、曲作りを開始し、ポリスターレコードへデモテープ製作のために出入りしていたのだそうです。
そして、フリッパーズ・ギターと知り合い、1990年にフリッパーズ・ギター監修のオムニバス『FAB GEAR』に、カヒミ・カリィとのユニット『Fancy Face Groovy Name』として参加しました。
1992年には、バンド「L⇔R」にコーラスとして参加しメンバー入りしましたが、1994年に脱退しています。
「L⇔R」は『KNOCKIN' ON YOUR DOOR』が大ヒットして、一躍、人気アーティストの仲間入りをしたバンドですが、これは嶺川貴子さんが脱退後の1995年のリリースの曲です。
「L⇔R」は、男性3人組のイメージが強かったので、女性メンバーがいたという事を知らない人も多いのではないでしょうか。
「L⇔R」を脱退した嶺川貴子さんは、1995年6月25日、アルバム「Chat Chat」をリリースし、本格的なソロ活動を開始しました。
続いては、嶺川貴子さんの現在の活動について見ていこうと思います。
嶺川貴子さんは現在も、ミュージシャンとして活動を続けています。現在は、主としてエレクトロニカの音源の発表を行っています。
先ほどご紹介しましたが、小山田圭吾さんのいじめに対する騒動で、SNSでは炎上騒動が起きており、元嫁である嶺川貴子さんの巻き添えとなっていて、批判攻撃を受けていたようです。
現在は見ることが出来ますが、炎上騒動のさなかは非公開設定になっていました。
嶺川貴子さんは、小山田圭吾さんと離婚後は再婚をしていないようです。また、小山田圭吾さんも同様で再婚はされていないようです。
続いては、嶺川貴子さんと小山田圭吾さんの子供について見ていこうと思います。
2000年11月2日に、小山田圭吾さんとの間に息子が誕生しています。嶺川貴子さんは出産を機にしばらく、活動を休止していました。
息子の名前は小山田米呂(おやまだまいろ)といい、15歳の頃には中学生バンド「Sure Shot」としてライブを開催していました。また、雑誌モデルとしても活躍していました。
あまりない名前ですが、映画「猿の惑星」のコーネリアスとジーラという夫婦の子供の名前「マイロ」からつけられたと言われています。
現在は21歳になっています。
高校までは和光学園に通っていましたが、高校2年生の頃にロサンゼルスに留学し現地の大学に進学しています。
高校入学前から、海外への留学を親から進められていたそうですが、なかなか決心がつかず、ようやく決心がついた高校2年の半ばに留学をしたそうです。
2020年に新型コロナウイルスの影響で帰国をしており、2021年5月頃に退学をしています。
2021年の時点では、ミュージシャンとして活動しながら、世界初のテクノ専門誌として1995年に日本で創刊された『el-king(エレ・キング)』と契約し、Web版のライターとしても活動しています。
2018年には、フジロックでDJを務め、2021年の春にはファッションショーの音楽制作にも携わっており、今後、本格的に音楽活動を始めるものと考えられます。
コーネリアスこと、小山田圭吾さんの元嫁で、ミュージシャンの嶺川貴子さんについてご紹介してきました。
2000年に小山田圭吾さんと結婚し、息子さんにめぐまれていますが、2012年には離婚しています。
嶺川貴子さんは、現在も、ミュージシャンとして活動を続けており、現在は、主としてエレクトロニカの音源の発表を行っています。また、息子も音楽活動を行っており、親子のコラボレーションは見られるのかも期待したいところですね。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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