2024/02/16
r.y6
宮本真希さんは、1996年から1998年まで「斐貴きら」の芸名を名乗り宝塚歌劇団で活躍していた経歴を持っています。子供の頃から女優になりたいと考えるようになったのだそう。
身長は162cmで、日本人成人女性の平均身長よりは高いのですが、宝塚歌劇団で男役をやろうとすると、もっと高身長を求められるため娘役をしていました。
宮本真希さんが宝塚での活動期間は2年と短いものでしたが、退団後は女優をしています。
宮本真希さんは、愛媛県八幡浜市で生まれ育ちました。実家は、港の方から聞こえるトンビの鳴き声、郵便屋さんのバイクの音などゆったりとした時間の中で落ち着く環境だったと語っています。
出身地の兼ね合いもあり、「いよかん大使」の愛称で親しまれている愛媛県の観光大使に任命されました。
愛媛県の公式サイトを見ると、2012年5月に観光大使として県庁を訪問した際の写真が掲載されています。
2022年現在の宮本真希さんの活動について見ていきましょう。2022年2月時点の年齢は、44歳です。
宝塚歌劇団で女優をしている時から、オリエンタルな美しさが注目を集めていました。ネットでは、一部から「太った?」と囁かれているのるですが本当でしょうか。
2022年現在も、宮本真希さんは女優として、ドラマや舞台など様々な作品に出演しています。
2021年4月から7月までの期間にテレビ東京で放送された連続ドラマ「DIVE!!」に坂井恵役で出演。
この作品は、森絵都さん原作のスポ根小説「DIVE!!」を実写化したものになります。これまでに、映画化、舞台化をされた経歴を持つ注目作品です。
そして2021年9月に公開された映画「達人THE MASTER」にも出演。この作品は、お笑い芸人のアキラ100%が本名の大橋彰の名義で主演するという異色さが注目を集めました。
宮本真希さんは、ミステリアスな家政婦の大和田奈津役を演じています。
スラリとしたプロポーションのイメージが強い宮本真希さん。最近は、「太った」、「激太りした」という情報が入りました。
現在の姿と、以前の様子を比較調査してみたところ、明確に以前より体重が増量しているようには見受けられませんでした。
もちろん、劣化したということもありません。44歳という実年齢よりは若く見えますし、変わらない抜群のプロポーションも健在です。
美貌の女優として知られる宮本真希さんは、現在44歳。結婚していてもおかしい年齢ではありません。
まだ独身との噂もありますが本当でしょうか。気になる真相について調査しました。
宮本真希さんは、2022年2月時点では、独身を通しており結婚していないようです。
結婚していれば公式ブログや、事務所からの発表がなされるはずので、今後の動向が気になるところですね。
この美貌でなぜ結婚していないのかと疑問に思う方も多いようですね。宝塚歌劇団に在団中にセクハラに遭ったことがあるので、男性に対してトラウマが生じてしまったのではないかといわれているようです。
では、彼氏の存在についてはどうでしょうか。過去に遡って調査したのですが、熱愛報道もなされていませんでいた。
オフィシャルのブログでんも、プライベートのことよりも出演するテレビドラマの情報や、映画の舞台挨拶の告知などが大半を占めていることから、仕事が楽しいので恋愛と向き合う時間が取れないという点もありそうですね。
宮本真希さんの宝塚歌劇団での活動を終えたのは、いつのことだったのでしょうか。
また本来、テレビや映画に出演する女優を目指していたにも関わらず、宝塚歌劇団に進んだ興味深い理由についても紹介します。
宮本真希さんが宝塚歌劇団を退団したのは1998年のこと。入団して2年という活動期間の短さでした。実は、1998年1月に、まだ発足していなかった宙組の初期メンバーとして内定していたのです。
宙組といえば、トップスターは現在の真風涼帆さんをはじめ、姿月あさとさん、朝夏まなとさんなどの人気者を輩出してきました。
人事としては内定していたのですが、異動前の退団となりファンの間では話題になりました。
幼少の頃からクラシックバレエを習い将来は、テレビや舞台で活動する女優を夢見てきたのですが、両親は大反対。
演技に関する仕事で、両親が唯一許してくれたのが、宝塚歌劇団だったのです。これにより、宮本真希さんは妥協して道を選んだともいわれているようです。
宝塚歌劇団の宙組への移籍が内定し、これからの活躍が期待されていた宮本真希さん。なぜ、退団してしまったのでしょうか。
退団理由は、刑事事件に発展してもおかしくないような事件があったといわれています。
1999年に週刊朝日がスクープしたのは当時、未成年だった宮本真希さんが寺田瀧雄さんの自宅へレッスンに訪れたところ、あやうく暴行されそうになったというものでした。
寺田瀧雄さんは宝塚歌劇団専属の作曲家で、300舞台の作品で3000曲を手掛け、現在でも沢山の曲が歌い継がれています。
実は、スクープをされる前から「寺田先生のレッスンを受ける時は、2人以上で受けなくてはいけない」と宝塚歌劇団の関係者の中では有名だったのだとか。
宝塚歌劇団の中ではセクハラが公然の秘密になっていたのですが、週刊朝日が暴いたことで社会的な問題として認識されるようになりました。
週刊朝日による「寺田瀧雄さんによる暴行未遂事件」のスクープは、世の中に大きな波紋を呼び起こしました。
寺田瀧雄さんは、宝塚歌劇団のイメージをマイナスにした引責を負う形で、理事長を解任されたうえで幹事へと降格。
さらに、謹慎処分も受けています。謹慎期間は1年に渡り、2000年に作曲活動を再開しました。
寺田瀧雄さんは、宝塚専属作曲家として宝塚歌劇団を長年支え続けてきた存在。これまでに「日本のモーツァルト」と呼ばれる程、才能に溢れる人物として知られています。
謹慎明けの2000年3月に活動を再開するも、同年7月17日に交通事故に遭い、7月30日に多臓器不全で死去。享年69歳でした。
2010年に、没後10年という節目ということで「寺田瀧雄メモリアルコンサート〜歌い継がれて〜」が東京宝塚劇場で開催されました。
既に宝塚歌劇団を退団した元トップの眞帆志ぶきさん、初風詢さん、汀夏子さんなどが出演し華やかな舞台となったことがネットやニュースで報じられています。
宮本真希さんが、宝塚歌劇団を退団後に出演したドラマや映画といった作品について見ていきましょう。数々の、有名作品が一度は聞いたことがあるばかりです。
1999年1月15日に公開された映画「おもちゃ」に主人公の時子を演じて、スクリーンデビューを果たしました。
この作品は新藤兼人さんが執筆した同名の小説を映像化したもので、昭和33年の京都花街が舞台。
主人公時子は、置屋藤乃家で下働きの舞妓見習いとして働いているという設定の女性。
監督の深作欣二さんは、ヒロインを演じる女優に求めたのは「イメージがついていない新人」というものでした。
芸能事務所をいくつか回ってもピンとくる女優に巡り合うことができず困っている時に、見出したのが宮本真希さんだったのです。
作品中には、ヌードのシーンもあり、撮影では前張りを付けて撮影に臨みましたが、深作欣二さんは「俺の作品で前張りを付けた女優はいないけどね」と言われたのだとか。
宮本真希さんは、怖じ気付くことなく前張りを外して大胆なフルヌードを惜しげもなく披露し、肝の据わった女優魂をアピールし評価されています。
TBSの人気ミステリードラマといえば「内田康夫サスペンス 浅見光彦シリーズ」を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
2001年に放送されたシリーズ15の「志摩半島殺人事件」において宮本真希さんは、海女をしているヒロインの岩崎夏海を演じました。
国民的な長寿人気番組といえば「水戸黄門」ではないでしょうか。世界でも類を見ない長編番組で、水戸光圀役は、東野英治郎さんから始まり西村晃さん、佐野浅夫さん、石坂浩二さん、里見浩太朗さんとバトンを引き継いできました。
宮本真希さんは、これまで水戸黄門シリーズに2002年、2005年、2006年、2007 年、2008年、2011年と合計6回に渡り出演しています。
2009年9月からにフジテレビで放送されたドラマ「嵐がくれたもの」で、宇田川百合子を演じました。
この作品は、昼ドラでヒロインを演じたのは岩崎ひろみさん。作品の中心となったテーマは1959年の伊勢湾台風です。災害から丁度50年になることを節目の年として選ばれたのです。
台風で生き別れになった母親と娘の人生を描くヒューマンストーリー。当時被災した子供がドラマに出演して体験談を語ることで、こういった災害を繰り返さないという教訓を伝える一面を持っていました。
2015年10月7日から12月16日までフジテレビで放送された「無痛〜診える眼〜」にもレギュラー出演をしています。
この作品は久坂部羊さんのミステリ小説「無痛」を実写化したもの。宮本真希さんは、白神メディカル医院で院長秘書を務める横井清美を演じました。
院長を演じたのは、伊藤英明さんで外見を見ただけで症状を見抜いてしまう能力を持っていて、主人公のライバルという設定で番組を盛り上げました。
ここからは、これまでの宮本真希さんの経歴を見ていきましょう。あまり知られていない宝塚歌劇団時代の活躍が気になりますね。
宮本真希さんは、 幼少期からクラシックバレエを習っていました。習いごとを通して、いつしか女優に対する憧れを抱くようになったそうです。
スラリとしたスタイルの良さは、クラシックバレエの賜物なのかもしれませんね。
1994年に済美高等学校の1年生終了後に、宝塚歌劇団の団員養成所の学校として知られる「宝塚音楽学校」に第82期生として入学しました。
同校が発表している情報によると合格者数は最大40人で毎年の合格倍率が27倍という、入学するための難易度は「東の東大、西の宝塚」と呼ばれ日本でも屈指の難関として知られています。
宝塚歌劇団に入団したのは、1996年のこと。ちなみに、宮本真希さんは10番という成績でした。
同期の女優は元雪組トップの娘役である紺野まひるさん、元花組トップスターの蘭寿とむさんらがいます。
1996年に斐貴きらの芸名で入団し、月組の公演「CAN-CAN」で初舞台を踏みました。
この作品は、新人公演として82期生が4月に宝塚大劇場、7月に東京宝塚劇場で公演するという公演スケジュールを終えて、星組に配属されました。
1996年にT.a.p(Takarazuka Angel Project)と呼ばれる、第82期生で組んだユニットメンバーに抜擢され、ライオンの商品とタイアップでテレビのCMにも出演。
CDもリリースして、1998年に発足する宙組へ移籍の内定も決定していましたが、僅か2年での退団となりました。
宝塚劇場を退団後は、ライジングプロダクション(現在はヴィジョンファクトリー)に所属し、女優業を開始。
初の作品である映画「おもちゃ」で体当たりのヒロインを演じたことが評価されて、第23回アカデミー賞新人賞、第11回東京国際映画祭の最優秀女優賞を受賞し一躍有名になりました。
2000年にヴィジョンファクトリー傘下の芸能プロダクションにあたる「ぱれっと」に移籍。映画のみならずテレビドラマにも出演するようになり、活躍の場を広げています。
2014年11月には、「A-Team」に移籍し現在に至ります。同じ事務所には吉岡里帆さん、松本まりかさん、伊藤英明さん、浅香航大さんなど著名な俳優や女優が所属しています。
宮本真希さんの魅力の1つとして、女性として抜群のプロポーションが挙げられるのではないでしょうか。グラビアアドルではないにも関わらずこれまでに3冊の写真集を出版しています。
2004年1月に出版した初めての写真集は「Birth」というタイトル。セミヌード写真集で、惜しげもなく大胆な露出をしています。撮影は文化遺産としても知られる屋久島でロケをしたそうです。
2005年に出版された2冊目の写真集は「LIVE」です。1冊目と同様に大胆なセミヌードを披露したイメージ映像作品。
映像特典として、ビデオ版では収録されなかったオフショットやスライドショーが付いているので、ファンとしては、嬉しい特典ですね。
2006年に出版された3冊目の写真集は「emerge」。この当時29歳だった宮本真希さん。この写真集では、自らプロデュースを行った意欲作品としてファンから知られています。
ロケ地は自身が生まれ育った愛媛県で行われました。大胆なショットをふんだんに盛り込まれており、メイキングのDVDが特典になっています。
宮本真希さんは、元タカラジェンヌで現在は女優として活動中です。1996年に宝塚歌劇団に入団しましたが、1998年に退団。
退団理由については、自身では明確にしていませんが週刊誌が宝塚歌劇団専属の作曲家である寺田瀧雄さんの自宅でレッスンを受けている時に暴行されかかったことが報道されました。
これまでも団内では、寺田瀧雄さんのセクハラが公認の秘密になっていたそう。報道後に、降格処分と、謹慎処分を受けたことから見ても、どうやらこれが退団理由であると見られています。
退団後は、女優として映画やドラマに出演し活躍中です。初めての映画である「おもちゃ」で大胆なヌードを披露する体当たり演技が評価されて日本アカデミー賞新人賞などを受賞しました。
プライベートでは、現時点で結婚しておらず独身を続けているようです。
2022年も女優として輝かしい活躍を続ける宮本真希さんをこれからも応援していきましょう。
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