2023/12/15
take79
波田陽区は、1998年にデビューしました。彼はワタナベエンターテインメントに所属していますが、事務所に所属する前は『波田ベッケンバウアー』や『波田ペレ』など著名なサッカー選手の名前を用いてライブ活動をしています。
華やかな名前にしたい(顔やネタに華やかな部分がなかったため)ということで、華やかなイメージのある“ニューヨーク”を使い『波田(はだ)ニューヨーク』に改名しました。その後に、既に新しく(ニュー)はないとして“ニュー”を取り“ヨーク”を『陽区』に変えています。
さらには、ある番組プロデューサーより「波田(はだ)は言いにくい」と言われたことで、読み方を“はた”に変更しました。こうした流れにより、『波田陽区(はたようく)』が完成したのです。
波田陽区は、ラジオのパーソナリティーも務めていたことを知っているでしょうか。2005年4月よりラジオ番組『JUNK2 波田陽区の中までテキーラ!』で、初のメインパーソナリティーを務めました。このラジオは現在は放送しておらず、2006年9月で終了しています。
波田陽区は、2006年10月よりインターネット放送の『あっ!とおどろく放送局』で『波田陽区の奥までテキーラ!』というラジオ番組を開始しました。しかしこの番組も、2008年3月で終了しています。同番組は、2006年9月まで放送された『火曜JUNK2 波田陽区の中までテキーラ!』の後続番組です。
波田陽区は2012年2月よりYouTubeアカウント『波田陽区チャンネル』を開設し、現在までに多数の動画を投稿しています。例えば、『こんなところにフェニックス』というシリーズがあるでしょう。
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波田陽区は、一時に比べると全国放送のテレビなどで見かける機会は少なくなっているかもしれません。続いては、波田陽区の現在について迫ってみたいと思います。波田陽区は現在どうしているのでしょうか。
波田陽区は現在九州にいます。東京で活動をしていた彼ですが、2016年4月1日に家族と共に福岡に転居しているのです。既に5年以上福岡にいるでしょう。事務所は現在もワタナベエンターテインメントに所属しています。ただ、ワタナベエンターテインメントの九州事業本部には移籍しています。
波田陽区は、お笑い芸人を辞めたわけではありません。九州を拠点に、現在もお笑い芸人として活動を続けているのです。2020年の時点で、5本のレギュラー番組を持っています。
波田陽区は、なぜ福岡に移住をしたのでしょうか。波田陽区は東京で活動をしていましたが、その東京で破れないでいた殻を破るタイミングを探していたといいます。ちょうど2016年に、子供が小学校に入学するタイミングだったことから決めたのでした。
また、思い切って環境を変えたのだとしています。移住先に福岡を選んだのは、波田陽区の実家が山口県であり、妻の実家が熊本県であったことから、間をとったのが理由です。また、福岡にはワタナベエンターテインメントの九州支部があり、東京から移住してきていた芸人先輩も複数いたことも理由の1つでした。
移住後の月収については、波田陽区は『40代サラリーマン家庭の月収ほど』と言っていました。年収になおすと約460万円ほどとなるでしょう。現在は、サラリーマン程度に稼いでいるということです。
現在は特番として不定期放送されているお笑いネタ番組の『エンタの神様』ですが、以前には毎週放送されていました。そんな『エンタの神様』に、波田陽区が出演していたのです。
2004年に、波田陽区は“ギター侍”のネタで『エンタの神様』においてブレイクしました。着流しスタイルでギターを使い、あらゆる分野の事柄や人物を切るというネタです。切り終わってから、決めセリフである『残念!』と叫び「~(切った内容)切り!」と言って締めるという特徴が人気となりました。2004年の年末から2005年年末にかけての期間が、波田陽区のテレビ出演のピークだったでしょう。
移住後の推定年収はお伝えしましたが、ブレイク当時の年収も気になるかもしれません。波田陽区の2004年のピーク時は、最高月収が2,800万円だったといいます。タレントが稼いだ額は所属事務所も取る分がありますが、2,800万円は波田陽区が受け取った額だったのです。
波田陽区は“ギター侍”のネタで知られていますが、この“ギター侍”は波田陽区の別名義でもあります。既に、“ギター侍”が世間にはお馴染みかもしれません。
芸人の中には“一発屋”と呼ばれるケースもあるものです。波田陽区も2004年にブレイクしましたが、2007年頃にはテレビへの露出が激減してしまいました。その頃には、苦しい時期を過ごしたのかもしれません。波田陽区本人も、“一発屋”であることを自覚している模様です。
とはいえ、芸人になったとしても“一発”を当てること自体難しいのがお笑いの世界であるといいます。“一発屋”芸人については、“一発”を当てられただけでも凄いことだという話もあるのです。
日本男子卓球界のエースでもある水谷隼。現役引退を表明した彼ですが、波田陽区が水谷隼に似ているとの話があります。さて、それは一体どういったことなのでしょうか。
波田陽区と水谷隼は似ているという話があります。インターネットの有名人のソックリ度を判定する『soKKuri?』というサイトでは、2人のソックリ度が77.45%となっています。それもあってなのか、波田陽区が水谷隼の物まねをしているのです。
東京オリンピックの卓球・混合ダブルスで、水谷隼が伊藤美誠と共に金メダルを獲得しました。このことについて、波田陽区もツイッターで「水谷&伊藤ペア 優勝おめでとうございます」などと祝福しています。また水谷隼が金メダルを獲得したことから、波田陽区も仕事が増加しているのです。
様々なワイドショーや取材で取り扱われているのだといいます。波田陽区はブログで、「拙者、これで家賃払えそうですからー!」と喜びを表していました。
2021年10月12日の『踊る!さんま御殿』に水谷隼が登場し、波田陽区へのクレームをぶつけていました。水谷隼によると、波田陽区から寄せられるためバンダナを黒にしたところ、波田陽区もバンダナを黒にしたのだといいます。さらには、(試合の)決勝で白のバンダナにしたら相手も白にして寄せてきたのです。
この様に、波田陽区がどこまでも自身をおっかけてきて寄せてくることに、水谷隼がクレームを入れていたのでした。波田陽区の物まね対策として、水谷隼はヘアスタイルを変えているとも明かしていました。波田陽区は、水谷隼に対して「また便乗してすいません」とツイッターで言っています。
また、「勝手に色々すいません」や「心よりありがとうございます」とも呟いているでしょう。水谷隼も、それを見ているかもしれません。2人は、2021年8月放送の24時間テレビ内で放送された『しゃべくり007』で対面していて、波田陽区のブログでツーショット写真を投稿しています。
お笑い界の重鎮でもあるビートたけし。そのビートたけしを波田陽区がキレさせたという話があるのを知っているでしょうか。続いては、波田陽区がビートたけしをキレさせたという噂についてお伝えします。
波田陽区は、2005年1月に『たけしの誰でもピカソ』に出演しました。その中で披露したビートたけしのネタが、ビートたけし本人の逆鱗に触れたとされています。さて、波田陽区はどういったネタを披露してしまったのでしょうか。
逆鱗に触れたとされるネタは、ビートたけしの愛娘・北野井子を貶す内容だったといいます。波田陽区はネタで『あんたの娘は子ども作っちゃいましたから~』と言ったというのです。なお北野井子は、2004年に一般男性と結婚をしていますが、結婚時には妊娠をしていました。
娘が“デキ婚”だったということであり、ビートたけしはそのことを波田陽区に揶揄されたように感じたということでしょう。
ネタを見たビートたけしは、激怒して近くにあった椅子を投げつけようとしました。その際には、今田耕司が制止しため本当に投げてはいませんが、ビートたけしの顔つきは真剣であったとされています。スタジオも一時騒然としたものと考えられるでしょう。
波田陽区は、AKB48のネタでもちょっとした騒動となったことがある模様です。さて、一体何が起きたというのでしょうか。
2013年11月19日に放送された『ロンドンハーツ』の企画『有吉先生のマジ進路相談』に、波田陽区が出演しました。それはちょうど、彼のテレビ出演が減少していた頃でした。
MCの田村淳から『今だったらAKBとか斬ってほしい』と振られ、波田陽区はギター侍のネタを披露しAKB48を切ったのです。しかし、その内容が放送禁止用語となってしまった模様です。
ネタで「でもあんたらが本当に気をつけなきゃいけないのは○○ですから!残念!!」と言って切ったのですが、”○○”の部分にピー音が被せられ視聴者が聞き取れないように加工されたのです。これが、放送禁止用語だったとされています。
スタジオにはAKB48劇場の総支配人やメンバー数人もいて、波田陽区のネタを聞いた途端に皆が凍り付いていたでしょう。
ピー音で消された部分は一体何と言っているのか気になる方もいるでしょう。その内容も様々に憶測がありますが、「性病」や「文春」ではないかと言われています。当時は、AKB48において恋愛スキャンダルで何人も処分されていた時代でした。
この2つのワードは、AKB48の関係者としては戦々恐々となるワードであったと考えられるでしょう。そのため、AKB48関係者が波田陽区のネタに凍り付いた可能性があるのです。
波田陽区の結婚が気になる方もいるかもしれません。最後に、波田陽区の結婚について迫ってみたいと思います。また、子供がいるのかについてもご紹介します。
波田陽区は既婚者です。彼は、2007年6月5日に結婚しているのです。しかも、婚姻届の証人は吉本興業の重鎮芸人である間寛平である点が特徴でしょう。間寛平にはお世話になってきたといい、食事に連れていってもらったことや、舞台に出演させてもらったこともあるといいます。
間寛平とは、福岡移住後の2017年11月に『今日感テレビ』で共演を果たしました。
さて、波田陽区が結婚をした妻とはどういった女性なのでしょうか。波田陽区が結婚した妻は、大学時代に出会った2歳年上の“初美”という元保育士の女性です。スラっとした色白であり、波田陽区の方が一目惚れをしたといいます。では、2人はどの様にして出会ったのでしょうか。
波田陽区と妻の馴れ初めについて見てみましょう。2人は、大学の文化祭で出会いました。皆で食事に行った際に妻にだけアプローチをして、出会ってから1か月で交際がスタートしたのです。そして、12年の交際の末に結婚に至ったといいます。
長期間にわたる交際だったのですが、お互いの愛を貫いたということです。
子供については少し先に触れていますが、波田陽区には子供がいます。波田陽区の子供は男の子です。2009年7月31日に第一子の長男が誕生したのです。息子は現在、12歳になっているでしょう。2022年春には中学校に入学するものと考えられます。波田陽区の子供も、既にそこまで成長しているということです。
「残念!」のフレーズでお馴染みの“ギター侍”こと芸人の波田陽区。『エンタの神様』でブレイクした彼ですが、一頃より全国放送のテレビでは見かけることも少なくなってきたでしょう。そんな波田陽区は、2016年春から福岡県に移住して活動拠点も映しています。
現在では、九州の方であれば波田陽区をテレビ等で見る機会も多いかもしれません。波田陽区は、卓球選手の水谷隼の物まねでも話題となっています。水谷隼が金メダルを獲得したことで、波田陽区のテレビ出演も増加したでしょう。
波田陽区のプライベートについては、2007年に結婚をしていて息子も誕生しています。彼は、プライベートも幸せな日々を送っている模様です。地盤を東京から福岡に移した波田陽区ですが、自分らしくこれからも活躍し続けるでしょう。
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