記事ID67041のサムネイル画像

やっぱりすごい!石原裕次郎の歌・数多くのヒット曲ベスト20♪

自身の主演映画の主題歌や、ドラマのエンディングの歌、デュエット、シングルなど現在も歌い継がれている曲の数々!石原裕次郎シングル売り上げ合計が、約5000万枚近くとなる時代を代表する歌手でありながら、俳優としても活躍された昭和の大スター石原裕次郎。

日本を代表するスーパースター・石原裕次郎 (いしはらゆうじろう)

石原裕次郎のプロフィールをご紹介!

石原裕次郎のプロフィール

本名 石原裕次郎
生年月日 1934年12月28日
没年月日 1987年7月17日(満52歳没)

1956年に、兄・石原慎太郎さん原作の映画化作品『太陽の季節』の端役で映画デビュー。
その後も主演映画が連続ヒットし、瞬く間に昭和を代表する日本最高のスターの一人となりました。
映画の主題歌を歌うことも多く、数々のヒット曲をとばしました。
1987年7月17日に、肝細胞ガンのため52歳で亡くなりました。

スーパースター・石原裕次郎 性格の一端

清々しい性格をしていた石原裕次郎

石原裕次郎さんは、
気遣いのできる優しい性格と豪快な人柄から石原プロモーション所属の俳優達からはもちろん、共演者からも慕われていた。
また、石原プロのイベントなどで名物となっている炊き出しは、裕次郎さんが考案したもので、現在も石原軍団の面々によって受け継がれています。

「人の悪口は絶対に口にするな、人にしてあげたことはすぐ忘れろ、人にして貰ったことは生涯(一生)忘れるな。」というポリシーを持っていた。

出典:https://ja.wikipedia.org

あがり症の為、車に乗ったとき自分の曲を音楽関係者が歌っているデモテープを聞き、当日のうちに曲と詞を覚え、レコーディングスタジオに着き、レコーディングの時は必ずビールを飲んだ。その際ヘッドホンを生涯一度も付けなかった。またレコーディングは一回で成功。

出典:http://ja.wikipedia.org

スーパースター・石原裕次郎の伝説秘話!

芸能界で初めて記者会見を開いたのが、石原裕次郎!

芸能界の『記者会見』第一号になった石原裕次郎

芸能界で初めて記者会見を開いたのが、石原裕次郎さんだと言われています。熱愛スキャンダルで騒がれたことに嫌気のさした石原裕次郎が、熱愛相手とともにアメリカに避難していたが、所属事務所の社長に説得され帰国。帰国した空港で記者会見が行われた。

『正月をハワイで過ごす』の先駆者となったのが石原裕次郎!

『お正月ハワイ』に誰よりも先に行っていた石原裕次郎

今や芸能人の中で定番とも言える「お正月をハワイで過ごす」という風習の火付け役となったのは、石原裕次郎だったそう。

朝食にビールを飲む程の酒豪だった石原裕次郎!

お酒が大好きだった石原裕次郎

石原裕次郎さんは、休暇中には朝食からビールを飲む程のお酒好きだったそう。さらに、撮影所には『ビールは水』という名目で冷蔵庫が置かれ、ビールが用意してあったんだとか。

生還率3%の手術から見事生還した石原裕次郎!

大病から生還した石原裕次郎

1981年4月の『西部警察』のロケ中に解離性大動脈瘤を発症し緊急入院。手術は、生還率3%とも言われる危険なものだったそうだが、見事に生還したのだ。

ちなみにこの入院の時は、見舞客が1万2000人も訪れ、手紙5000通、花束2000束、千羽鶴1000束が送られたんだそう。

石原裕次郎の歌 ベストヒット 20

日本を代表する歌手・石原裕次郎のヒット曲をご紹介!

yujiro ishihara ベストヒット 20

石原裕次郎さんのたくさんあるヒット曲の中から、
売り上げランキング順に20曲収録という企画アルバム。昭和30年代の「俺は待っているぜ」「錆びたナイフ」から60年代の「わが人生に悔いなし」まで、
30年以上の歌の歴史を1枚でたどるベスト・ヒットの決定盤です。

【石原裕次郎ヒット曲】銀座の恋の物語 / 1961年

銀座の恋の物語

石原裕次郎の歌

1961年に発売された石原裕次郎さんと牧村旬子さんのデュエット曲です。
また、1962年3月にこの曲を主題歌とする同名の日活映画 「銀座の恋の物語」が公開されました。
石原裕次郎さんと浅丘ルリ子さんによる、和製恋愛映画の古典的作品です。

300万枚を超える大ヒット曲で、現在でもカラオケなどにて定番のデュエット曲としても人気です。

【石原裕次郎ヒット曲】二人の世界 / 1965年

二人の世界

石原裕次郎の歌

1965年にリリースされ、翌年公開された石原裕次郎さん主演の同名映画「二人の世界」の、主題歌でもあります。
ほかに浅丘ルリ子さん、二谷英明さん、深江章喜さんなどが出演しました。

【石原裕次郎ヒット曲】赤いハンカチ / 1962年

赤いハンカチ

石原裕次郎の歌

「赤いハンカチ」は、1962年10月に発売されたヒット曲です。
1964年1月に同名の石原裕次郎さんの主演映画が公開されています。
石原裕次郎さんが主演した一連の「日活ムード・アクション映画」の代表作とも言われる作品です。
ほかに、浅丘ルリ子さん、二谷英明さんなどが出演しました。

【石原裕次郎ヒット曲】夜霧よ今夜もありがとう / 1967年

夜霧よ今夜もありがとう

石原裕次郎の歌

同名映画「夜霧よ今夜も有難う」は、アメリカ映画の「カサブランカ」を翻案して、
1967年3月11日に公開された石原裕次郎さんと浅丘ルリ子さん主演のムードアクション映画です。
主題歌の「夜霧よ今夜も有難う」もヒットしました。

【石原裕次郎ヒット曲】俺は待ってるぜ / 1957年

俺は待ってるぜ

石原裕次郎の歌


昭和32年(1957)にリリースされました。
大ヒットした為、兄の石原慎太郎さんがこの歌のイメージで脚本を書き下ろし、蔵原惟繕(これよし)の監督昇進第一作として映画化されました。
主演は石原裕次郎さんと、北原三枝さん。
二人を中心に菅井一郎さん、二谷英明さん、草薙幸二郎さんらが出演しました。

【石原裕次郎ヒット曲】錆びたナイフ / 1958年

錆びたナイフ

石原裕次郎の歌

『錆びたナイフ』は、1958年制作の日本のアクション映画です。
石原慎太郎さん原作の小説を石原裕次郎さんが主演し、舛田利雄監督で映画化されました。
元々、石原慎太郎さんは、裕次郎さんが主演することを念頭に置いて原作を書いていました。

【石原裕次郎ヒット曲】俺はお前に弱いんだ / 1964年

俺はお前に弱いんだ

石原裕次郎の歌

昭和39年(1964)にシングル販売された曲です。
売上枚数175万枚は、裕次郎さんの歌のなかでは7位。
ヒット曲から映画化されたものもありましたが、
『俺はお前に弱いんだ』は、かなりストーリー性のある歌にもかかわらず、映画化はされませんでした。

【石原裕次郎ヒット曲】夜霧の慕情 / 1966年

夜霧の慕情

石原裕次郎の歌

1966年にリリースされました。
同年、公開された同名の石原裕次郎さん主演のムード・アクション超大作映画の主題歌です。
ほかに、宍戸錠さん、桑野みゆきさんが出演しました。

【石原裕次郎ヒット曲】ブランデーグラス / 1977年

ブランデーグラス

石原裕次郎の歌

「ブランデーグラス」は、1977年にリリースされた石原裕次郎さんのシングル曲です。
発売当初はほとんど売れなかったが、
1979年10月から放送開始したドラマ『西部警察』の第48話「別離のブランデーグラス」で、
木暮謙三警視役を務める石原さんがこの曲を歌唱するシーンが放映されると有線放送などで同曲が注目されるようになり、2年後に、再リリースされました。

【石原裕次郎ヒット曲】夕陽の丘 / 1964年

夕陽の丘

石原裕次郎の歌

映画「夕陽の丘」は、1964年に公開された石原裕次郎さん主演のムードアクション映画です。
同名の主題歌「夕陽の丘」は、
石原裕次郎さんと浅丘ルリ子さんによるデュエット曲です。

【石原裕次郎ヒット曲】北の旅人 / 1987年

北の旅人

石原裕次郎の歌

『北の旅人』は、1987年7月17日の石原裕次郎さんの死後、
同年8月10日にシングルが発売されました。

歌番組『ザ・ベストテン』では、1987年9月3日に10位で初登場。
没後の歌手が同番組にランクされるのは石原裕次郎さんが史上初でした。
9月17日には最高の3位に上昇しました。

【石原裕次郎ヒット曲】わが人生に悔いなし / 1987年

わが人生に悔いなし

石原裕次郎の歌

『わが人生に悔いなし』は、1987年4月21日リリース。
石原裕次郎さんの生前最後のシングルとなりました。
なかにし礼さんに直接作詞を依頼し、加藤登紀子さんが作曲した曲です。
なかにしさんは、そのいきさつを石原慎太郎さんの『弟』のあとがきで記しています。

1987年2月23日から3日かけてハワイでレコーディングされました。

【石原裕次郎ヒット曲】狂った果実 / 1956年

狂った果実

石原裕次郎の歌

『狂った果実』は、1956年映画化・公開されました。
石原慎太郎さんが同名の原作小説を書き始める段階で、「映画化したい」という話があり、
弟・裕次郎さんの主演を条件に承諾し、慎太郎さん自身が脚本も手がけています。

石原裕次郎さんの実質的なデビュー作品であり、
後に結婚に至る北原三枝さんとの初共演もこの作品でした。

【石原裕次郎ヒット曲】嵐を呼ぶ男 / 1957年

嵐を呼ぶ男

石原裕次郎の歌

『嵐を呼ぶ男』は、1957年に公開された石原裕次郎さん主演の日本映画。の後も、主演渡哲也さん(1966年)、近藤真彦さん(1983年)によってリメイクされています。
主題歌も裕次郎さん自らが歌い、最初のヒット曲となりました。
独特の歌い方が今日でもものまねの対象になっています。

【石原裕次郎ヒット曲】別れの夜明け / 1974年

別れの夜明け

石原裕次郎の歌

「別れの夜明け」は、1974年8月10日にリリースされました。
石原裕次郎さんと八代亜紀さんの デュエット曲です。
作詞:池田 充男さん、作曲:伊藤雪彦さんです。

【石原裕次郎ヒット曲】恋の町札幌 / 1972年

恋の町札幌

石原裕次郎の歌

「恋の町札幌」は、1972年にリリースされました。
石原裕次郎さんだけのバージョンと、川中美幸さんとのデュエットバージョンの2種類ある歌です。
歌詞はどちらの曲も変わらず、作詞・作曲:浜口庫之助さんです。

【石原裕次郎ヒット曲】サヨナラ横浜 / 1971年

サヨナラ横浜  

石原裕次郎の歌

「サヨナラ横浜」は、1971年にリリースされた曲です。
作詞:なかにし礼さん、 作曲:ユズリハ・シローさんです。

【石原裕次郎ヒット曲】おれの小樽 / 1983年

おれの小樽 

石原裕次郎の歌

「おれの小樽」は、1983年にリリースされた曲です。
作詞:杉紀彦さん、作曲:弦哲也さんです。

【石原裕次郎ヒット曲】港町・涙町・別れ町 / 1969年

港町・涙町・別れ町

石原裕次郎の歌

「港町・涙町・別れ町」は、1969年にリリースされた曲です。
作詞:浜口庫之助さん、作曲:浜口庫之助さんです。

【石原裕次郎ヒット曲】みんな誰かを愛してる / 1979年

みんな誰かを愛してる

石原裕次郎の歌

「みんな誰かを愛してる」は、1979年にリリースされた曲です。
作曲:平尾昌晃さん、作詞:なかにし礼さんです。
ドラマ西部警察、第1期のエンディングテーマです。

石原裕次郎の歌での受賞歴

日本テレビ音楽祭特別賞(死後)
銀座音楽祭 特別賞(死後)
全日本歌謡音楽祭 朝日新聞社賞(死後)
日本レコード大賞特別賞(1967年、1975年、死後)(1981年ロングセラー賞)
日本ゴールドディスク大賞特別賞(死後)
日本歌謡大賞特別賞(死後)
日本有線大賞特別賞(1981年)
テイチクヒット賞(1975年)
大衆音楽の殿堂(死後)

『紅白歌合戦』には1957年・第8回に雪村いづみの応援ゲストとして出演したことはあるものの、歌手としては生涯出場しなかった。「歌は素人」という理由で毎年、歌手としての出場を辞退していたといわれている。

出典:http://ja.wikipedia.org

【まとめ】数々のヒット曲をとばした昭和の大スター、石原裕次郎

昭和を代表するスーパースター石原裕次郎さん

石原裕次郎さん
1987年7月17日金曜日午後4時26分肝細胞癌のため死去。
52歳でした。

墓碑には妻、まき子さん(北原三枝)直筆で次のような言葉で綴られています。
「美しき者に微笑を、淋しき者に優しさを、逞しき者に更に力を、全ての友に思い出を、愛する者に永遠を。心の夢醒める事無く。」

関連する記事

この記事に関する記事

この記事に関するキーワード

キーワードから記事を探す

TOPへ