2020/03/27
グリ777
石原裕次郎のプロフィール
本名 石原裕次郎
生年月日 1934年12月28日
没年月日 1987年7月17日(満52歳没)
1956年に、兄・石原慎太郎さん原作の映画化作品『太陽の季節』の端役で映画デビュー。
その後も主演映画が連続ヒットし、瞬く間に昭和を代表する日本最高のスターの一人となりました。
映画の主題歌を歌うことも多く、数々のヒット曲をとばしました。
1987年7月17日に、肝細胞ガンのため52歳で亡くなりました。
清々しい性格をしていた石原裕次郎
石原裕次郎さんは、
気遣いのできる優しい性格と豪快な人柄から石原プロモーション所属の俳優達からはもちろん、共演者からも慕われていた。
また、石原プロのイベントなどで名物となっている炊き出しは、裕次郎さんが考案したもので、現在も石原軍団の面々によって受け継がれています。
あがり症の為、車に乗ったとき自分の曲を音楽関係者が歌っているデモテープを聞き、当日のうちに曲と詞を覚え、レコーディングスタジオに着き、レコーディングの時は必ずビールを飲んだ。その際ヘッドホンを生涯一度も付けなかった。またレコーディングは一回で成功。
芸能界の『記者会見』第一号になった石原裕次郎
芸能界で初めて記者会見を開いたのが、石原裕次郎さんだと言われています。熱愛スキャンダルで騒がれたことに嫌気のさした石原裕次郎が、熱愛相手とともにアメリカに避難していたが、所属事務所の社長に説得され帰国。帰国した空港で記者会見が行われた。
『お正月ハワイ』に誰よりも先に行っていた石原裕次郎
今や芸能人の中で定番とも言える「お正月をハワイで過ごす」という風習の火付け役となったのは、石原裕次郎だったそう。
お酒が大好きだった石原裕次郎
石原裕次郎さんは、休暇中には朝食からビールを飲む程のお酒好きだったそう。さらに、撮影所には『ビールは水』という名目で冷蔵庫が置かれ、ビールが用意してあったんだとか。
大病から生還した石原裕次郎
1981年4月の『西部警察』のロケ中に解離性大動脈瘤を発症し緊急入院。手術は、生還率3%とも言われる危険なものだったそうだが、見事に生還したのだ。
ちなみにこの入院の時は、見舞客が1万2000人も訪れ、手紙5000通、花束2000束、千羽鶴1000束が送られたんだそう。
yujiro ishihara ベストヒット 20
石原裕次郎さんのたくさんあるヒット曲の中から、
売り上げランキング順に20曲収録という企画アルバム。昭和30年代の「俺は待っているぜ」「錆びたナイフ」から60年代の「わが人生に悔いなし」まで、
30年以上の歌の歴史を1枚でたどるベスト・ヒットの決定盤です。
銀座の恋の物語
石原裕次郎の歌
1961年に発売された石原裕次郎さんと牧村旬子さんのデュエット曲です。
また、1962年3月にこの曲を主題歌とする同名の日活映画 「銀座の恋の物語」が公開されました。
石原裕次郎さんと浅丘ルリ子さんによる、和製恋愛映画の古典的作品です。
300万枚を超える大ヒット曲で、現在でもカラオケなどにて定番のデュエット曲としても人気です。
二人の世界
石原裕次郎の歌
1965年にリリースされ、翌年公開された石原裕次郎さん主演の同名映画「二人の世界」の、主題歌でもあります。
ほかに浅丘ルリ子さん、二谷英明さん、深江章喜さんなどが出演しました。
赤いハンカチ
石原裕次郎の歌
「赤いハンカチ」は、1962年10月に発売されたヒット曲です。
1964年1月に同名の石原裕次郎さんの主演映画が公開されています。
石原裕次郎さんが主演した一連の「日活ムード・アクション映画」の代表作とも言われる作品です。
ほかに、浅丘ルリ子さん、二谷英明さんなどが出演しました。
夜霧よ今夜もありがとう
石原裕次郎の歌
同名映画「夜霧よ今夜も有難う」は、アメリカ映画の「カサブランカ」を翻案して、
1967年3月11日に公開された石原裕次郎さんと浅丘ルリ子さん主演のムードアクション映画です。
主題歌の「夜霧よ今夜も有難う」もヒットしました。
俺は待ってるぜ
石原裕次郎の歌
昭和32年(1957)にリリースされました。
大ヒットした為、兄の石原慎太郎さんがこの歌のイメージで脚本を書き下ろし、蔵原惟繕(これよし)の監督昇進第一作として映画化されました。
主演は石原裕次郎さんと、北原三枝さん。
二人を中心に菅井一郎さん、二谷英明さん、草薙幸二郎さんらが出演しました。
錆びたナイフ
石原裕次郎の歌
『錆びたナイフ』は、1958年制作の日本のアクション映画です。
石原慎太郎さん原作の小説を石原裕次郎さんが主演し、舛田利雄監督で映画化されました。
元々、石原慎太郎さんは、裕次郎さんが主演することを念頭に置いて原作を書いていました。
俺はお前に弱いんだ
石原裕次郎の歌
昭和39年(1964)にシングル販売された曲です。
売上枚数175万枚は、裕次郎さんの歌のなかでは7位。
ヒット曲から映画化されたものもありましたが、
『俺はお前に弱いんだ』は、かなりストーリー性のある歌にもかかわらず、映画化はされませんでした。
夜霧の慕情
石原裕次郎の歌
1966年にリリースされました。
同年、公開された同名の石原裕次郎さん主演のムード・アクション超大作映画の主題歌です。
ほかに、宍戸錠さん、桑野みゆきさんが出演しました。
ブランデーグラス
石原裕次郎の歌
「ブランデーグラス」は、1977年にリリースされた石原裕次郎さんのシングル曲です。
発売当初はほとんど売れなかったが、
1979年10月から放送開始したドラマ『西部警察』の第48話「別離のブランデーグラス」で、
木暮謙三警視役を務める石原さんがこの曲を歌唱するシーンが放映されると有線放送などで同曲が注目されるようになり、2年後に、再リリースされました。
夕陽の丘
石原裕次郎の歌
映画「夕陽の丘」は、1964年に公開された石原裕次郎さん主演のムードアクション映画です。
同名の主題歌「夕陽の丘」は、
石原裕次郎さんと浅丘ルリ子さんによるデュエット曲です。
北の旅人
石原裕次郎の歌
『北の旅人』は、1987年7月17日の石原裕次郎さんの死後、
同年8月10日にシングルが発売されました。
歌番組『ザ・ベストテン』では、1987年9月3日に10位で初登場。
没後の歌手が同番組にランクされるのは石原裕次郎さんが史上初でした。
9月17日には最高の3位に上昇しました。
わが人生に悔いなし
石原裕次郎の歌
『わが人生に悔いなし』は、1987年4月21日リリース。
石原裕次郎さんの生前最後のシングルとなりました。
なかにし礼さんに直接作詞を依頼し、加藤登紀子さんが作曲した曲です。
なかにしさんは、そのいきさつを石原慎太郎さんの『弟』のあとがきで記しています。
1987年2月23日から3日かけてハワイでレコーディングされました。
狂った果実
石原裕次郎の歌
『狂った果実』は、1956年映画化・公開されました。
石原慎太郎さんが同名の原作小説を書き始める段階で、「映画化したい」という話があり、
弟・裕次郎さんの主演を条件に承諾し、慎太郎さん自身が脚本も手がけています。
石原裕次郎さんの実質的なデビュー作品であり、
後に結婚に至る北原三枝さんとの初共演もこの作品でした。
嵐を呼ぶ男
石原裕次郎の歌
『嵐を呼ぶ男』は、1957年に公開された石原裕次郎さん主演の日本映画。の後も、主演渡哲也さん(1966年)、近藤真彦さん(1983年)によってリメイクされています。
主題歌も裕次郎さん自らが歌い、最初のヒット曲となりました。
独特の歌い方が今日でもものまねの対象になっています。
別れの夜明け
石原裕次郎の歌
「別れの夜明け」は、1974年8月10日にリリースされました。
石原裕次郎さんと八代亜紀さんの デュエット曲です。
作詞:池田 充男さん、作曲:伊藤雪彦さんです。
恋の町札幌
石原裕次郎の歌
「恋の町札幌」は、1972年にリリースされました。
石原裕次郎さんだけのバージョンと、川中美幸さんとのデュエットバージョンの2種類ある歌です。
歌詞はどちらの曲も変わらず、作詞・作曲:浜口庫之助さんです。
サヨナラ横浜
石原裕次郎の歌
「サヨナラ横浜」は、1971年にリリースされた曲です。
作詞:なかにし礼さん、 作曲:ユズリハ・シローさんです。
おれの小樽
石原裕次郎の歌
「おれの小樽」は、1983年にリリースされた曲です。
作詞:杉紀彦さん、作曲:弦哲也さんです。
港町・涙町・別れ町
石原裕次郎の歌
「港町・涙町・別れ町」は、1969年にリリースされた曲です。
作詞:浜口庫之助さん、作曲:浜口庫之助さんです。
みんな誰かを愛してる
石原裕次郎の歌
「みんな誰かを愛してる」は、1979年にリリースされた曲です。
作曲:平尾昌晃さん、作詞:なかにし礼さんです。
ドラマ西部警察、第1期のエンディングテーマです。
日本テレビ音楽祭特別賞(死後)
銀座音楽祭 特別賞(死後)
全日本歌謡音楽祭 朝日新聞社賞(死後)
日本レコード大賞特別賞(1967年、1975年、死後)(1981年ロングセラー賞)
日本ゴールドディスク大賞特別賞(死後)
日本歌謡大賞特別賞(死後)
日本有線大賞特別賞(1981年)
テイチクヒット賞(1975年)
大衆音楽の殿堂(死後)
『紅白歌合戦』には1957年・第8回に雪村いづみの応援ゲストとして出演したことはあるものの、歌手としては生涯出場しなかった。「歌は素人」という理由で毎年、歌手としての出場を辞退していたといわれている。
昭和を代表するスーパースター石原裕次郎さん
石原裕次郎さん
1987年7月17日金曜日午後4時26分肝細胞癌のため死去。
52歳でした。
墓碑には妻、まき子さん(北原三枝)直筆で次のような言葉で綴られています。
「美しき者に微笑を、淋しき者に優しさを、逞しき者に更に力を、全ての友に思い出を、愛する者に永遠を。心の夢醒める事無く。」
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