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2023/11/27
r.y6
麻丘めぐみさんは、大分県で生まれましたが、生後半年から大阪で育ちました。4歳上の姉に付き添う形で劇団に入り、1歳8ヶ月でCMに出演し、3歳のときにテレビドラマ「ピンからキリちゃんで」で子役としてデビューしました。初舞台は、梅田コマ劇場で、森光子さん等と共演したそうです。
麻丘さんは、小学校6年のときに、作曲家・遠藤実さんの内弟子として単身上京していた姉の生活を支えるために母に連れられて上京しました。東京では風呂のない1DKで母娘3人で暮らしましたが、家計が苦しく献立はジャガイモばかりだったそうです。
麻丘めぐみさんは、中学時代に、当時創刊間もない少女雑誌「週刊セブンティーン」等でモデルとして活動しました。当時の芸名は、本名の藤井佳代子でした。
麻丘めぐみさんは、モデル業のかたわら歌手デビューした姉の仕事現場に度々雑用係として顔を出していたそうで、その場にいたレコード会社のスタッフから何度も歌手デビューしないかと持ちかけられたそうです。
麻丘さんは、頑張っているのにヒットに恵まれない姉の姿を見ていただけに、自分には無理と、しばらくは断り続けていたそうです。
でも結局、歌手デビューを受け入れたのですが、理由は、ヒットが出ない姉がレコード会社から契約を打ち切られるのではないかと危惧し、そうならないために会社の言うことを聞けばいいのではと決めたそうです。
だから、あくまで姉をサポートするためで、歌手デビューは本意ではなかったそうです。
そして1972年に「芽生え」でアイドル歌手デビューしました。
麻丘めぐみさんは、結婚を機に一度は芸能界を引退しています。でも、その後離婚し芸能界に復帰しました。
復帰後は、歌手より女優をメインに活動しています。テレビドラマでは「水戸黄門」「はぐれ刑事純情派」「ラブホの上野さん」などに出演しています。
麻丘めぐみさんは、一度結婚しましたが、長女を生んだ後に離婚しています。結婚相手がどんな男性だったのか、また一人娘が今何をしているのかなどを調べてみました。
麻丘めぐみさんは、1977年の23歳の時、フジテレビ社員のプロデューサーだった渡邊光男さんと、周囲の反対を押し切って結婚しました。そして、麻丘さんは自分の人生を一度リセットしたいと芸能界を引退し、1979年11月に長女を出産しました。
渡邊さんと結婚した麻丘めぐみさんですが、結婚した6年後の1983年に離婚しています。離婚の原因は、渡邊さんの度重なる浮気が原因だったと言われています。なんでも、渡邊さんのほうから離婚を切り出したらしいです。
麻丘めぐみさんは渡邊さんとの離婚後、芸能界に復帰しましたが、それは一人娘を育てなければならなかったからだそうです。そんな娘さんの名前は「ひとみ」。
ひとみさんは、好きな化学を学ぶため立教大学理学部へ進みましたが、卒業後は進路を変えて芸術を学ぶためにフランスに留学しました。帰国後は、水彩画家として個展を開いたり絵本を出版したりしました。
現在は、パリ・ルーブル美術館のフランス国立修復美術研究所で科学研究員として活動しながら、早稲田大学教育学部で非常勤講師を務めているそうです。
麻丘めぐみさんは、渡邊光男さんと結婚する以前に、交際していた男性がいたそうです。それは西城秀樹さん。2人は親密な関係になったそうですが、破局に至りました。そんな2人の関係を調べてみました。
麻丘めぐみさんは、明治大学付属中野高等学校時代の同級生が西城秀樹さんだったそうで、西城さんが麻丘さんを好きになって交際がスタートしたそうです。
当時、中野高等学校の定時制課程には、多くのタレントやアイドルが通学していたことで知られていましたが、定時制課程は、2003年3月に廃止されました。
1974年に、麻丘めぐみさんは西城秀樹さんの子供を妊娠してしまったそうですが、当時は互いに若くてトップアイドルだったことから、麻丘さんは、地方都市の病院で中絶手術をしたらしいです。
麻丘めぐみさんが中絶手術をした後も、西城秀樹さんとは交際を続けていたようで、1975年頃は、お互いの右手の薬指に指輪がはめられているのが、歌番組などで確認されています。でも、結局事務所に別れさせられてしまったらしいです。
麻丘めぐみさんは、現在はどんな仕事をしているのか?女優だけでなく歌手活動も続けているのかなどを調べてみました。
麻丘めぐみさんは、2000年に演劇集団「シアター・ドリームズ・カンパニー(TDC)」を主宰し、自ら芝居やリーディングのプロデュース・演出を手がけました。
歌手活動も、2008年頃から再開し、2020年1月29日には新曲「フォーエバー・スマイル」を発表し、配信リリースしました。この曲は、同日発売のアルバム「Premium BEST」のボーナストラックとして収録されたもので、作詞は松井五郎さん。なんでも、麻丘さんのヒット曲「わたしの彼は左きき」へのオマージュをこめた人生の応援歌だそうです。
麻丘めぐみさんは、歌手デビュー当時から清楚で可愛いアイドルとして大人気でしたが、現在も清楚で、年齢を感じさせない可愛らしさを保っていてます。
麻丘めぐみさんは、1955年10月11日生まれですから、現在66歳。渡邊光男さんとの離婚後は、新しい男性の噂も流れず、どうも再婚はしていないようです。
1970年代に数々のヒット曲を放ち、アイドル歌手として絶大な人気を誇った麻丘めぐみさん。そんな彼女の代表曲を紹介しましょう。
麻丘めぐみさんのデビュー曲が1972年6月5日に発売された「芽ばえ」です。リリースされてから着実にオリコンチャートを上昇し、40万枚を超えるヒット曲となりました。この曲で麻丘さんは、第14回日本レコード大賞で最優秀新人賞を受賞しました。
デビュー当時は、ステージ衣装が用意されなかったそうで、麻丘さんの母親が安価の端切れを使って衣装を手作りしていたのだそうです。
麻丘めぐみさんが1973年7月5日にリリースした5枚目のシングルが「わたしの彼は左きき」です。50万枚以上を売り上げる大ヒットとなり、オリコンチャートで1位を獲得しました。そして、第15回日本レコード大賞・大衆賞や第4回日本歌謡大賞・放送音楽賞を受賞しました。
麻丘さんは、この曲で同年の第24回NHK紅白歌合戦に初出場しました。
麻丘さん自身は右利きですが、この曲がヒットしていたときは、左手でサインを書いたり、左手で箸を使って見せたりしていたそうです。また、当時は左利きにたいする差別意識が少なからずあったそうですが、この曲のヒットで左利き商品が多数販売され、左利きが市民権を得たとも言われています。
麻丘めぐみさんが、1972年10月5日に発売した2枚目のシングルが「悲しみよこんにちは」です。「芽生え」と同じく、作詞:千家和也さん、作曲:筒美京平さんによる楽曲です。「芽生え」の明るく陽気なタッチの曲と違い、哀愁を感じさせる、しっとりとした曲に仕上がっています。
オリコンチャート6位をマークした、彼女の代表曲のひとつです。
麻丘めぐみさんが2008年頃に歌手活動を再開したのがきっけだったのか、2009年に33年ぶりに彼女のファンクラブが発足しました。麻丘さんは、ライブツアーやイベントを通して、長年のファンたちとの交流を楽しんでいるのだそうです。
60代後半の麻丘さんですが、これからも自分なりのペースで芝居や歌の活動を続けていくらしいです。素敵な老後を送るための準備を少しずつ始めているそうですが、いつまでも可愛く親しみを持てる麻丘さんでいてほしいものですね。
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