木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
もともとは小説家志望であった岸恵子さん。高校生の時に映画『美女と野獣』を観たことがきっかけで映画が好きになり、松竹大船撮影所を見学している最中に吉村公三郎監督にスカウトされました。
このスカウトは断ったものの、吉村公三郎監督からの「本物の女学生が欲しい」という要望に応える形で映画1本に携わることに。1951年に大学に入学するまでということで松竹に入社しました。映画『我が家は楽し』でデビューしたところ、これが大ヒット。そのまま女優として活動を続けることにしました。
デビュー作から大ヒットを飛ばしていた岸恵子さんでしたが、代表作となったのは1953年から1954年にかけて放映され大ヒットした映画『君の名は』。
この作品は、第二次世界大戦の東京空襲の中、偶然に出会った男女の恋の物語。名前も知らずに別れで半年後の再会を約束しますが、すれ違いが続くというもどかしく切ないラブストーリーは多くの人を釘付けにしました。こうして岸恵子さんは松竹の看板女優の座を不動のものとします。
1954年には女優の久我良子さん、有馬稲子さんらと共に映画制作プロダクション『文芸プロダクションにんじんくらぶ』を設立した岸恵子さん。代表取締役は、岸恵子さんの従妹の夫であり出版社「改造社」の出身であった若槻繁さんで、設立した目的は「俳優のための映画の企画を自由にするため」でした。
2013年には恋愛小説『わりなき恋』を発表した岸恵子さん。この小説は自身の恋愛経験をもとに独自の表現で物語化したもの。2014年には、この小説を原作とした脚本を自ら作成した一人舞台『終わりなき恋』の主演を務めています。
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デヒュー作か大ヒットし、着々と松竹の看板女優に成長していった岸恵子さん。映画のスクリーン以外ではどんなストーリーが繰り広げられていたのでしょうか?岸恵子さんの若い頃についてご紹介します。
映画デビューをした翌年の1952年には映画『坊ちゃん重役』で俳優の鶴田浩二さんと佐多啓二さんの相手役を務めた岸恵子さん。当時は、松竹の看板スターであった鶴田浩二さんでしたが、戦後に独立することになり、第1作目のヒロイン役に岸恵子さんを指名します。
するとそのオファーを松竹側が拒否。それを受けて岸恵子さんは松竹に辞表を提出しますが、それは困ると松竹側が共演を承諾し岸恵子さんは映画に出演しました。さらに、鶴田浩二んさの次作でもヒロインを務めた岸恵子さん。
そんな時、岸恵子さんと鶴田浩二さんの熱愛報道が出ますが、松竹から強制的に別れさせられたといわれています。
1953年から1954年にかけて出演した映画『君の名は』では、岸恵子さん演じる主人公の氏家真知子のストール姿が話題に。
これは、撮影場所であった北海道の厳しい寒さに耐えるために岸恵子さんが自身のストールを巻いたアドリブでしたが、巻き方を真似する女性が次々とあらわれ、「真知子巻き」としてファッションに取り入れる人が続出。社会現象にもなりました。
1972年には映画『約束』において俳優の萩原健一さんと共演した岸恵子さん。さらにの『布雨のアムステルダム』でも共演が続きました。その仲の良さから熱愛が噂された2人でしたが、仲の良い友人同士であったことが分かっています。当時、萩原健一さんは岸恵子さんを「お姉さん」と呼んで慕っていました。
現在89歳になる岸恵子さんですが結婚はしているのでしょうか?また、過去に結婚した経験はあるのでしょうか?岸恵子さんの結婚についてみていきましょう。
岸恵子さんは1957年にフランスの映画監督のイヴ・シャンピと結婚しています。結婚後は、パリに生活の拠点をうつし、フランスと日本を行き来しながら女優業を続けていました。
岸恵子さんとイヴ・シャンピが出会ったきっかけは、日仏合作映画『忘れえぬ慕情』の撮影。イヴ・シャンピは岸恵子さんよりも11歳年上で、当時の岸恵子さんは25歳でした。
挙式はフランスで行われ、小説家の川端康成氏が立会人となりました。岸恵子さんは、もともと小説家になりたかったほど小説が好きで、とくに川端康成氏の作品を中心に読んでいたといいます。
岸恵子さんは1963年に第一子となる娘・デルフィーヌ=麻衣子・シャンピを出産しました。娘は、名門であるソルボンヌ大学を卒業後は、バンド活動を開始。その後は作曲家となり映画音楽を作成しています。
母親が日本人ということもあり、パリの東洋語学校で日本語の勉強をしましたが日本語の読み書きは苦手のようです。
結婚後は、パリと日本の往復を続けながら女優として活動していた岸恵子さんでしたが、イヴ・シャンピとはすれ違いの生活が多くなることに。
また、イヴ・シャンピの母親は世界的に活躍しているバイオリニストだったため、「女性は手を大事にしなくてはならない」という考えを持っていました。そのため、岸恵子さんもイヴ・シャンピから料理をすることを禁止されて、ノイローゼになってしまったこともあったといいます。
そんなことから夫婦関係に亀裂が入るようになり、さらにはイヴ・シャンピが浮気をしたことが決定打となり、1976年に離婚に至りました。当時、岸恵子さんは41歳で娘は11歳でした。
岸恵子さんの1人娘であるデルフィーヌ=麻衣子・シャンピが過去に失踪するという騒動が発生しました。それはどんな経緯で起きたのでしょうか?岸恵子さんの娘の失踪騒動の真相についてみていきましょう。
岸恵子さんの娘・デルフィーヌ=麻衣子・シャンピが行方不明になったのは、彼女が10歳の時。岸恵子さんの田舎で突然行方が分からなくなり、村中が大騒ぎとなりました。
しばらく捜索してやっと見つかったデルフィーヌ=麻衣子・シャンピでしたが、突然いなくなった理由を聞いたところ、父親であるイヴ・シャンピが浮気をしていることを察していたということが分かりました。それに傷つき、姿を消したといいます。
行方不明になった娘を心配して日本に飛んできたイヴ・シャンピ。浮気していたことを謝りましたが、岸恵子さんの離婚の意志は固く、娘と愛犬を連れてパリの家を出ていきました。
テレビで度々仲の良さが目撃されている岸恵子さんと岡本健一さん。そのため、岡本健一さんは岸恵子さんの孫なのでは?という噂があります。その真相を解明していきましょう。
岸恵子さんと岡本健一さんは、2006年に放送された旅番組『岸惠子のとっておきフランス旅』で共演しています。この番組では岡本健一さんと岸恵子さんの仲の良い様子が伝えられ、2017年に『徹子の部屋』に主演した際にはパリにある岸恵子さんの家を岡本健一さんを案内している様子が伝えられました。
岸恵子さんと岡本健一さんが仲良くなったのは、1990年のドラマ『水の女 その愛はエーゲ海に殺意を招く!』で共演したことがきっかけでした。
このドラマは、ギリシアを舞台にした幻想的な作品で、岡本健一さんは結婚を目前とした姉がいる役で、姉の夫になるはずの男性が行方不明になることからストーリーが展開していきます。その男性から一緒にいると告げられた女性の役を岸恵子さんが演じました。
岸恵子さんと岡本健一さんはテレビで度々仲の良い様子が伝えられ、孫なのではないか?という噂も流れましたが、岡本健一さんは岸恵子さんの孫ではありません。
岸恵子さんの本当の孫は、デルフィーヌ=麻衣子・シャンピの子供であるロスコーとジャクソンの2人です。
松竹の看板女優となり日本を代表する女優となった岸恵子さんは現在89歳。最近ではどんな活動をしているのでしょうか?岸恵子さんの現在の様子についてみていきましょう。
最近の岸恵子さんは、女優業よりも作家としての活動が多くなっています。2019年には『孤独という道づれ』という作品を出版した岸恵子さん。
この本には、岸恵子さんがフランスと日本を行ったり来たりしていた時の苦楽や、これまでの人生で別れを経験したからこその孤独という宝物を手にしたことが書かれています。
2019年にはNHKドラマ『マンゴーの樹の下で〜ルソン島、戦火の約束〜』で主役・奥田凛子役を演じた岸恵子さん。このドラマは、令和の時代に入り最初の終戦に関したドラマということで注目されました。
2021年5月にはトーク番組『徹子の部屋』に出演した岸恵子さん。当時はまだ誕生日前であったため88歳での出演となりました。この番組では、イヴ・シャンピと結婚していたときの心境や貴重な秘蔵映像が流れました。
2021年5月には自伝『岸惠子自伝― 卵を割らなければ、オムレツは食べられない』を出版した岸恵子さん。この本には、岸恵子さんが自ら体験した戦争のこと、女優としてデビューしたこと、国際結婚についてや娘への思いが綴られています。
デビュー作が大ヒットし、その後も大ヒット作が続いた岸恵子さん。さらには、当時では珍しい国際結婚までも成し遂げ離婚を経験するなど、まさに人生は波乱万丈であったと言えるのではないでしょうか。
しかし、それすらも自分の糧にして、さらに小説として表現している岸恵子さん。人生を楽しむ凛とした女性の代表といっても過言ではないでしょう。今後は自分の人生にどんな色をつけていくのでしょうか。岸恵子さんの作品に注目です。
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