ビートたけしが芸能界引退?事故で顔面麻痺の過去や映画作品を紹介
2023/12/28
大今里
キャシー中島さんはハワイ出身で、父親はアイルランド系のアメリカ人、母親は日本人とフランス人のハーフでクォーターです。
両親はキャシー中島さんが5歳の時に離婚し、10歳頃までは母親と横浜の石川町で暮らしていました。
近所にシャツを縫う内職をしている家があり、材木屋があり、クリーニング屋があり、シャツの切れ端をもらったり、木目のきれいな材木の切れ端をもらったりし、独り遊びで母親の帰りを待っていたそうです。
その頃から小さなものを切って張って集めたり、針で縫ったりしていたそうで、ハワイアンキルト作家の原点は幼少期にあったようです。
1969年にレナウンのCMに出演してデビューし、モデル事務所の「マドモアゼル」に所属し、電話番をしていたそうです。
そこで、「今度、ポスター撮りがあるんだけど、誰でもいいから良い子いない?」というような電話がかかってきた際、自分を売り込んでいたそうです。
自分でスケジュールを組んで、そういうことを何カ月か繰り返してるうちに、しょっちゅう現場に行くようになって、「誰でもいいならキャシー使おうか」という話になり、どんどん写真も出回るようになり「この子、よく見るよね」というような話が増えていき、事務所の看板モデルになったといいます。
また、イタリア人と日本人のボーカルグループ「カサノヴァ7」にも参加していました。
トークが面白いからタレントに転職してみたらと勧められることが増え、モデルの仕事も若いスタイルが良い子がどんどん出てきていた為、タレントに転身する事を決心し「ぎんざNOW!」という番組でアシスタントに就任し人気が出ました。
キャシー中島さんは、1979年に俳優の勝野洋さんと再婚しました。モデル時代、19歳の時にモデル仲間と一度結婚していたそうです。
再婚後すぐに、母親が亡くなり、しばらく芸能界の仕事をしていませんでした。その間に、3人のお子さんを出産されています。
そして、1984年にダイエットの書籍を出版し、芸能活動を再開しました。
また、勝野洋さんに「笑っていいとも」の「テレフォンショッキング」の出演依頼が届いたときスケジュールが合わず、代わりにキャシー中島さんが出ることになった際、宣伝もしていいと言うので「これがアメリカンパッチワークというキルトですよ」とキルトの宣伝をしたことから、ハワイアンキルトで知られ、ゲストとして色々なテレビに出演するようになったそうです。
続いては、キャシー中島さんの若いころの様子やダイエットの話などを詳しく見ていこうと思います。
現在は少しぽっちゃりしていますが、モデルをしていた当時は細くてとてもきれいだと評判です。
キャシー中島さん曰く、もともとはごつかったのが自分の標準で、モデル時代の自分の体型は偽りなのだそうです。
キャシー中島さんが、芸能界入りしたきっかけは、スタイリストの草分けの堀切ミロさんに、「かわいいから、もうちょっと痩せたらモデルで使いたい」と声をかけられたことだったそうです。
「モデルになったら、いくらくらい貰えますか?」と聞いたところ、その当時大卒の初任給が2万から3万くらいのだったところ、「あなただったら月に3万から5万になる」と言われたため、母親を助けられたらいいなと思って、モデルの世界に入ることを決心したそうです。
食べない、下剤を飲む、というダイエット方法で、3か月で20キロ落としたそうです。
中学に入ったころから、見た目が日本人に見えないことから、何をしていても目立ってしまうことが嫌で、不良の仲間と夜中まで遊んでいた時期があったそうです。
横浜の繁華街で、夜の11時12時まで、本牧の「ゴールデンカップ」や「イタリアンガーデン」に行って、米兵たちと踊っていたそうです。
続いては、キャシー中島さんの最近の活動について詳しく見ていこうと思います。
現在、キャシー中島さんは、ハワイアンキルト作家として活動をしてハワイアンキルトの本を多数出版しています。
ハワイアンキルト作家としては長年活動をしていて、過去40年に6冊もの本も出版しています。
また、静岡県御殿場市のキルトミュージアムをはじめ、全国で6つのキルトスタジオを運営しています。
キルト展も定期的に開催しており、キャシー中島さんの作品の販売と共にパッチワークのレッスンも開催しています。
キャシー中島さんは、キルト関係の収入で年収5億円とも言われているほど稼いでいるようです。
キャシー中島さんは、2016年2月に目の下に出来た皮膚がんの手術を受けました。
1年半ぐらい前にできた小さな赤い点が、だんだん大きくなり、半年後ぐらいには小さなイボのようになり、グチュっとした感じになり、かさぶたができては剥がれ、またできて剥がれを繰り返し皮膚にならずグチュグチュとしていたそうです。
娘さんからも病院へ行くように強く勧められ検査したところ、皮膚がんだったそうです。手術は成功し、現在は完治して元気に働いています。
キャシー中島さんが勝野洋さんをテレビで見て、こういう真面目な人と結婚したらいいんじゃないかと思ったのが、二人が出会う事のきっかけだったそうです。
そこからは、勝野洋さんが当時通っていた店などを探して猛アプローチし、最初に会ったのは10月で、それから一緒に飲むようになり12月から付き合い始め、年明けには婚約を発表しました。
猛烈なアプローチの末に交際が始まり、年末に勝野洋さんがハワイに行くことを知ったキャシー中島さんは偶然を装い、自身もハワイに行く事が決まっていたと連絡し、ハワイでもあったそうです。
勝野洋さんは、「こんなに偶然が重なるなら、この女かな」と運命を感じて彼女を結婚相手に選んだんだそうです。
結婚した当時は、出会ってすぐに結婚したことから、周りからは半年もたないなどと言われていたお二人ですが、現在芸能界を代表するおしどり夫婦として知られています。
続いては、キャシー中島さんの3人の子供について見ていこうと思います。
息子は、俳優の勝野洋輔さんで、高校1年生の時にテレビドラマに出演し、俳優として活動を始めました。
また、5年間パリの刺繍の学校に留学した経験があり、帰国後に母と同じ様にハワイアンキルト作家や手芸家・デザイナーとして活動を始めました。
キャシー中島さんの長女はモデルやジュエリーデザイナーとして活動していた勝野七奈美さんです。
2008年11月に、ヒップホップダンサーの猪田武さんと結婚しましたが、結婚後わずか8ヶ月、29歳の若さで肺がんで亡くなりました。
キャシー中島さんの次女は女優でフラダンサーの勝野雅奈恵さんで、ドラマにも出演していました。
2015年にスイス人と男性と結婚して2016年には第一子、2019年には第二子が誕生しています。
ハワイアンキルト作家として人気のタレント、キャシー中島さんについてご紹介してきました。
若いころは、美貌を活かしモデルとして活躍し、タレントに転向してからもトーク力を生かして活躍、現在はタレント活動をしながらも、ハワイアンキルト作家として大活躍されています。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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