2024/02/16
r.y6
真飛聖さんは、3歳の頃からバレエを続けていました。中学3年生の時に友人に勧められたのが縁で、1993年に宝塚音楽学校に入学します。宝塚にハマった友人の話を聞くまで、宝塚のことは全く知らなかったといいます。
しかし、身長が伸びてバレエを続けようか迷っていたこともあってか、すぐに宝塚に入ることを決めたそうです。1995年に81期生として宝塚歌劇団に入団し、星組の所属しています。
2005年まで星組として活動しますが、8月15日に花組に異動し、2008年には花組のトップスターとなり、2011年まで活躍しました。
真飛聖さんは、2011年4月24日に宝塚歌劇団を退団しています。退団公演は、「愛のプレリュード/Le Paradis!!(ル パラディ) -聖なる時間(とき)-」です。退団直後は「芸能活動に関しては、白紙」とコメントしていました。
その後、2011年9月にワタナベエンターテインメントに所属し、芸能活動を開始します。2012年の4月に「37歳で医者になった僕〜研修医純情物語〜」で、テレビドラマ初出演を果たします。
ドラマや映画に女優として出演しながら、バラエティー番組や情報番組などにも出演しています。
真飛聖さんの同期には、元花組副組長の悠真倫さんがいます。悠真倫さんは、2014年から現在まで宝塚歌劇団専科で男役として活躍しています。元々は花組所属で2012年に副組長に就任しましたが、2014年5月に専科に異動になりました。
初舞台となった「国境のない地図」、「メランコリック・ジゴロ-あぶない相続人-」などで真飛聖さんと共演しています。
真飛聖さんの本名は、「山下裕子」(やましたゆうこ)さんです。宝塚時代は「ゆう」や「うんた」という愛称で呼ばれていました。「ゆう」に関しては本名から付けられた愛称だと想像できますが、なぜ「うんた」と呼ばれていたのかわからないと思います。
実は「うんた」は元宝塚雪組で活躍していた「えまおゆう」さんの甥の「うんた」さんに似ているから付けられた愛称のようです。真飛聖さんという名前は、小説などが元になっています。
真飛は、小説「マートブ! ―自由を求めて550日」の主人公の名前から考えられました。この小説は真飛聖さんの母親が好きな作品ということです。聖の文字は恩師の名前から一文字をいただいて付けられました。
男役トップスターとして人気だった真飛聖さんですが、どんな理由で人気があったのでしょうか?真飛聖さんの人気の理由や意外なエピソードをご紹介します。
真飛聖さんの人気の理由として挙げられるのが、ダンス・演技・歌の全てが上手いと言われる点です。真飛聖さんは幼少期からバレエを習っていたこともあり、ダンスには自信がありましたが、下級生の頃は演技や歌には苦手意識があったといいます。
しかし、ファンからは全ての点で実力派で、ダンス以外も上手という意見が多いです。引退後に出演した相棒ではシリアスな演技が評価されました。しかし、宝塚時代は三枚目役も多く演じており、コメディでも高い評価を受けていました。
2015年のインタビューでは、「コントの出来る女優になりたい」とコメントしていました。男役らしいハスキーで甘い歌もファンから人気です。
真飛聖さんは、神対応と言われるほどファンへの対応が良かったことでも有名です。明るく気さくな性格で知られており、お茶会ではファンのためにノリノリで話を盛り上げてくれたといいます。
また、舞台上で後ろを向いたときに変顔をするなど、お茶目な性格でもあります。バラエティー番組で芸人も驚くレベルの変顔を披露して笑いを取っていました。こうした気さくな性格やファンのことをいつも考えてくれる点が人気の理由と考えられるでしょう。
男役の宝庫と呼ばれる花組でトップスターだった真飛聖さんですが、元々は星組所属で娘役としてデビューしています。初舞台が娘役だったこともあり、転向してからも男役を演じることに抵抗を感じていたようです。
「ウエストサイド物語」のベビー・ジョンを演じた時は、「できるまでやれ」と周囲の見る前で1人で演技を強いられたといいます。そのような苦労や葛藤を乗り越えることで、真飛聖さんは男役のトップスターにまで上り詰めました。
宝塚を退団する際には、男役を愛せるようになったとコメントを残しています。
真飛聖さんは、宝塚歌劇団時代にどんな活躍をしてきたのでしょうか?宝塚入団直後から、花組のトップスターになるまでの経歴をご紹介します。
真飛聖さんは、1995年に宝塚歌劇団に81期生として入団します。41人が入団し、真飛聖さんの成績は12番目でした。花組のイメージの強い真飛聖さんですが、入団当初は星組の配属でした。また、男役ではなく、初舞台では娘役として出演しています。
初舞台はベルリンの壁に翻弄される親子の運命を描いた「国境のない地図」です。1995年は阪神淡路大震災が発生した年で、国境のない地図は震災後の公演再開作の1作目でした。
1999年10月の「我が愛は山の彼方に」の新人公演では、初主演を果たしています。真飛聖さんは、その後も2005年まで星組で活躍を続けます。
真飛聖さんは2005年に初めてのディナーショーを開催し、8月15日に花組に鞍替えとなります。花組は宝塚歌劇団の一番目の組で、多くの男役トップスターを輩出してきたことで知られています。花組から他の組に鞍替えとなった後に、男役・娘役でトップスターになる人も多いと言われています。
2005年の11月に上演された「落陽のパレルモ」が、花組での真飛聖さんの初舞台となりました。真飛聖さんの演じた役は、ロドリーゴ・サルヴァトーレ・フォンティーニ伯爵でした。ロドリーゴは、ヒロインのアンリエッタの縁談相手という重要な役です。
2006年11月には、シアター・ドラマシティー公演で初めての主演を務めています。
2007年の「明智小五郎の事件簿-黒蜥蜴/TUXEDO JAZZ」で、真飛聖さんは花組の2番手男役スターに昇格します。2007年12月25日には、ついに花組トップスターに就任します。春野寿美礼さんの後任で、トップスターを任されました。
2008年2月の「メランコリック・ジゴロ -あぶない相続人-/ラブ・シンフォニー2」が、花組トップスターとしての初舞台です。真飛聖さんは主役のダニエルを演じました。真飛聖さんは、2010年にもメランコリック・ジゴロで主役を演じています。
花組トップスターとして活躍していた真飛聖さんですが、トップスターになって4年後の2011年に宝塚を退団してしまいます。なぜ、人気絶頂で退団したのでしょうか?真飛聖さんの退団理由についてまとめました。
真飛聖さんが2011年に宝塚歌劇団退団を決めた理由は、一番充実しているときに辞めたかったという思いがあるためです。トップスターとなり、今が一番充実していると感じた真飛聖さんは、充実しているからこそ辞めることを考えるようになります。
退団を考えるきっかけになったのは、真飛聖さんが一番好きな「EXCITER!!」を2010年に再演したことでした。大好きなショーをやり切ったと感じた真飛聖さんは、もう心残りはないと考えて退団を考えるようになります。
真飛聖さんは退団を決心した理由として、男役や宝塚を100%愛せるようなったことも挙げています。真飛聖さんはバレエを続けるのが難しくなったことがきっかけで、宝塚をあまり知らない状態で宝塚音楽学校に入学しました。最初は娘役で、男役をすることにはかなり葛藤があったようです。
そんな真飛聖さんですが、2011年には男役も宝塚も100%愛せるようになっていました。こうした心境になったからこそ、真飛聖さんは今が一番充実していると感じたのでしょう。退団公演で演じたフレディー・クラークは男役の集大成と評価されました。
真飛聖さん本人が一番実しているという状態で退団するからこそ、退団を惜しむファンは大勢いました。しかし、最も輝いているときに引退したいという真飛聖さんの決心は、美しい引き際とファンからも称賛されました。
真飛聖さんが結婚した、あるいは妊娠したという噂もあります。実際のところはどうなのでしょうか?また、結婚願望はないという説もあるようです。真飛聖さんの結婚・妊娠・彼氏に関する噂や結婚願望に関する情報などをまとめました。
真飛聖さんは、結婚したという噂や妊娠したという噂がネットに出回っています。しかし、実際に結婚や妊娠をしたわけではなく、これらの噂はデマだと分かっています。退団と聞くと結婚を連想されることも多いので、退団直後から噂はあったようです。
ドラマ「相棒」に出演した際は、作中で恋人役だった成宮寛貴さんとの結婚も噂になりました。しかし、あくまでドラマの中で付き合っていただけの関係で、プライベートでは交際はありませんでした。
成宮寛貴さんは2016年12月に芸能界を引退してから海外で生活していましたが、現在は日本に帰国しているようです。
真飛聖さんは、元SMAPの稲垣吾郎さんと付き合っていると噂になったことがあります。しかし、この噂はデマだと考えられています。噂になったのは、真飛聖さんと稲垣吾郎さんが2014年の舞台「恋と音楽」で共演したことが原因のようです。
この時、稲垣吾郎さんは真飛聖さんのことを「僕の大好きなカサブランカの花のような方」、「お美しい方」などと言っていました。そのため、稲垣吾郎さんが彼氏という噂が出たようですが、それ以上の情報はありません。
2人が一緒にいるところが目撃されたという情報もないので、舞台で共演しただけの関係のようです。
真飛聖さんには、結婚願望がないという説があります。しかし、この説は誤りで本人は結婚願望はあると語っています。実は宝塚を退団した時に、「結婚願望はありますか?」という質問に「ありません」と即答したことがあるそうです。
その後、結婚願望はないという記事が書かれたそうで、真飛聖さんは結婚願望がないという説が広がりました。実は「結婚願望はありますか?」という質問を「結婚のご予定はありますか?」という質問だと勘違いして、「ありません」と答えたのが真相です。
退団から3年半後には結婚願望がないことを否定しており、一度は結婚してみたいと語っています。
宝塚退団後の真飛聖さんは、ドラマや映画を中心に女優として活動しています。真飛聖さんが出演するドラマや映画についてまとめました。
真飛聖さんは、人気のサスペンスドラマ「相棒」に出演して話題になりました。真飛聖さんが出演したのは、Season11~Season13です。真飛聖さんは、成宮寛貴さん演じる3代目相棒の甲斐享の恋人・笛吹悦子役でした。
相棒は映画化もされており、真飛聖さんは「相棒 -劇場版III- 巨大密室! 特命係 絶海の孤島へ」に出演しています。真飛聖さんは3シーズンに渡ってメインキャラを演じており、相棒は真飛聖さんのドラマ代表作となっています。
Season13の最終話は真飛聖さん演じる笛吹悦子に驚きの展開が待っており、視聴者に衝撃を与えました。
「石つぶて 〜外務省機密費を暴いた捜査二課の男たち〜」は、WOWOWプライムで2017年に放送されたドラマです。「外務省機密費流用事件」を捜査した警視庁捜査二課を描いたノンフィクション小説をドラマ化した作品となっています。
真飛聖さんは北村一輝さんの愛人役を演じ、初めてのキスシーンに挑戦しました。真飛聖さんは初のキスシーンだったこともありバラエティー番組でもこの話題が取り上げられ、かなり話題になりました。
「その女、ジルバ」は百貨店で働いていた40歳女性が倉庫勤務に回されてしまい、平均年齢70歳の高齢ホステスバーで働く姿を描いたドラマです。真飛聖さんは、倉庫勤務で主人公笛吹新と親しくなる村木みかを演じました。
ドラマの中心はバーの「OLD JACK&ROSE」ですが、主人公が昼間働く物流倉庫センターの様子も描かれます。池脇千鶴さん、江口のりこさん、真飛聖さんの3人は倉庫3人娘と呼ばれ、徐々に友情をはぐくんでいく様子も話題になりました。
真飛聖さんが初めて出演した映画は、2013年9月28日に公開された「謝罪の王様」です。謝罪の王様は謝罪のテクニックを駆使して、さまざまなトラブルを解決する謝罪師を描いた映画です。
主人公の謝罪師がCASEごとにトラブルを解決していく、オムニバス形式のような映画になっています。真飛聖さんは、CASE4「過去の過ちを謝りたい!」に登場する国際弁護士・箕輪正臣の妻役で出演しました。
真飛聖さんの人気や退団理由、結婚の噂の真相についてまとめました。退団理由は一番充実している時に辞めたいというものでしたが、退団後も話題作に出演することが多い真飛聖さん。結婚に関しては、完全にデマで現在でも独身だということがわかっています。
真飛聖さんには、彼氏がいたこともあり結婚願望もあるということなので、今後結婚報告がある可能性は十分にあるでしょう。
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