ビートたけしが芸能界引退?事故で顔面麻痺の過去や映画作品を紹介
2023/12/28
大今里
長嶋茂雄さんは、読売ジャイアンツの黄金期を支えた4番打者として出場した試合の最多記録保持者。同時期に活躍した王貞治さんと共に「ON砲」と称されていました。
この2人の打撃は、巨人の9連覇へ大きな貢献を果たしてします。長嶋茂雄さんの特徴は、大舞台や、逆転のチャンスなど、ここぞという場面で勝負に強いという点があります。
1958年に読売ジャイアンツに入団し、その年からレギュラーとして出場。この後の章で詳細を説明しますが、数々のタイトルの獲得や賞の受賞など、華々しい活躍をしていたのです。
1974年に現役を引退し、2001年まで読売ジャイアンツの監督を務め、2002年以降は、オリンピック日本代表の強化委員長に選任されて日本代表選手の育成を担い続けました。
2014年には日本プロ野球名球会の理事肩書を辞任し、名誉顧問に就任しています。
長嶋茂雄さんは、千葉県佐倉市で生まれ育ちました。中学校は、地元の臼井二町組合立中学校に入学し野球部に所属。
高校は、地元の千葉県立佐倉第一高等学校(現在は千葉県立佐倉高校に変更されている)に進学し野球部に入部しました。
長嶋茂雄さんは、めきめきと頭角を現して、2年生から4番打者を担い高校最後の大会で、千葉県代表として駒を進めたのです。
第1回戦の熊谷高校との試合で放ったホームランが新聞に掲載されたことで、スラッガーとして注目を集めました。
当時の長嶋茂雄さんは、大学に進学したいと考えていたので、読売ジャイアンツや、富士製鉄室蘭からオファーを断っています。
高校3年生の11月に開催された立教大学野球部推薦入学試験において、長嶋茂雄さんは、フェンス直撃を含むホームランの含めた安打を3本放ち、80人の候補者から2位の成績で立教大学への入学が決まったのです。
立教大学に入学した長嶋茂雄さんは、野球部の監督にその資質を見出されて、アメリカメジャー野球の特別扱いの特訓を個別に受けていた時期を経て、正三塁手となりました。
東京六大学野球において、目覚ましい活躍を見せた長嶋茂雄さん。1956年の春に開催されたリーグ戦と1957年の秋のリーグ戦において、2回首位打者に輝いています。
打者としてだけではなく、守備においても定評があり、早稲田大学のコーチをしていた石井連藏さんは、長嶋茂雄さんについて認めていたようです。
石井連藏さんによると、「早稲田が頑張って三遊間にかなりヒットを飛ばすも長島さんに獲られてしまった。守備範囲が常人の2倍はあったんじゃないでしょうか」と語っています。
大学卒業後は、オファーを受けて、読売ジャイアンツに入団しました。
長嶋茂雄さんが類いまれなる才能を持って、巨人の黄金時代を支え続けてきたことは、紹介しましたが、その凄さをお分かり頂くために、もっと詳しい内容について踏み込んで見ていきましょう。
長嶋茂雄さんが、多くの国民から支持されている理由の1つとして、現役を退いた後も日本の野球に対して貢献し続けてきたという功績が今も評価されています。
現役時代の長嶋茂雄さんの、現役時代の生涯打率は3.05で、累計ホームラン数は444本です。
現役時代のタイトルは、最多安打を10回、首位打者を6回、打点王を5回獲得。表彰は、ベストナイン賞を17回、セリーグMVPを5回受賞しました。
日本のプロ野球界において、400本塁打と2000安打の同時達成をしたのは、大学卒業したプロ野球選手の中では史上初の快挙でした。
現役期間通してコンスタントに、ヒットとホームランを放ち続けていたということになりますね。
これだけ残せることは、長嶋茂雄さんの凄さが抜きんででていたということでしょう。
引退後、長嶋茂雄さんはすぐに監督に就任し、2001年まで巨人の監督をしていました。その間リーグ優勝したのが5回あります。内2回は日本一に輝いています。
選手としてだけでなく、監督としても巨人を勝利に導いたことになります。
必ずしも優秀な選手が監督としても優秀ではないケースの方が多いと言われているので、監督としても功績を遺すという長嶋茂雄さんの凄さが分かりますね。
通算15年に及ぶ監督業に対して読売ジャイアンツの経営陣からの評価が高く、2001年より巨人の終身名誉監督に任命されて今に至ります。
長嶋茂雄さんは、2013年5月5日に国民栄誉賞を受賞しました。これまで、日本の野球を盛り上げた国民的スターとして功績を称えられたという理由から来たものです。
この年には、長嶋茂雄さんの師弟関係にあり、日本人初のワールドシリーズMVP獲得など華々しい活躍をしていた、松井秀喜さんも同時に国民栄誉賞を受賞しています。
巨人の背番号として知られているのは、王貞治さんの背番号は1、長嶋茂雄さんの背番号は、3です。背番号3は、長嶋茂雄さんが引退した時から、永久欠番として扱われています。
2021年現在の長嶋茂雄さんは、85歳になりました。現在は、どのように過ごしているのでしょうか。以前より「死んだ」と囁かれているようです。
長嶋茂雄さんは、死んだという噂が浮上していましたが、これは誤りです。このようなデマが出回った理由としては、2004年に脳梗塞で倒れてから、リハビリをしていた期間がありました。
結局、麻痺が残ってしまい当時、オリンピックの日本代表の監督に内定していましたが、泣く泣く断念することに。その後復帰はしたものの、以前よりもメディアへの露出は減ってしまいました。
このことから、「最近めっきり見ないのは死去しているのでは」と死亡説が囁かれることになりましたが、実際には長嶋茂雄さんは、健在です。
長嶋茂雄さんの現在の自宅は、閑静な高級住宅街として知られる田園調布です。かなりの豪邸で、一説によると不動産評価額は6億3000万円と言われています。
この豪邸の他には、世田谷区に5億2400万円の賃貸マンションや、大田区の1億6900万円の賃貸、箱根の別荘など複数の不動産を保有しています。
長嶋茂雄さんは、2021年3月26日に、東京ドームで開催されたプロ野球選手の開幕戦「巨人対DNA戦」を観戦しています。
選手達に向かって「勝つ、勝つ、勝つ」と力強く声をかけて激励。テレビ局や、新聞社のカメラがその姿を追い、元気そうな様子を見せてくれました。
2021年6月6日に、巨人軍の神奈川県川崎市に所在する2軍の球場を訪れました。
球場には、成績不振により1軍から降格した丸佳浩さんや、親指の骨折により降格した坂本勇人選さんが練習しており、長嶋茂雄さんが2時間以上指導して回っている姿が確認されています。
成績不振の選手だけではなく、2021年春にドラフト5位で入団した秋広優人さんにも、指導をしていたようです。
長島茂雄さんは、「阿部2軍監督、二岡3軍監督、秋広とも話ができました。ファームの選手達の活躍が楽しみですね」というコメントを発表しています。
2021年も元気に、巨人軍の選手達を支え続ける長島茂雄さんは、これまでに数々の感動的な名言や、思わずクスリと笑ってしまうような伝説のエピソードが多数あります。
ここからは、長嶋茂雄さんの名言や人柄が窺える心あたたまるエピソードを紹介します。
長嶋茂雄さんの名言と言えば、やはり「わが巨人軍は永遠に不滅です!」ではないでしょうか。
この言葉は、1974年に引退セレモニーにおいて、最後にインタビューで語った言葉です。
この年、巨人軍は、不審に苦しんだ1年でV9の記録更新することができなかったという背景があります。
長嶋茂雄さんがこの言葉を発すると、後楽園球場(現在の東京ドーム)は、地鳴りのような大歓声が鳴り響いたのです。
そして長嶋茂雄さんは、プログラムに無かったグランドを1周してファンに挨拶しました。
本当は事前に「外野席にもお別れと感謝のあいさつをしたい」と訴えていたのですが、経営陣から、混乱をきたすという理由で断られていたそうです。
球団スタッフの制止を振り切って、グランドを周りファンに手を振り、堪えきれずに溢れる涙を拭う写真や映像が今でも語り継がれています。
名言の2つ目は、「来た球を打て!」です。野球選手としては、至って当たり前に感じるかもしれません。しかし、長嶋茂雄さんが、何度も「勝利するためには大切なポイントだ」と言っていたのです。
これまでに、大事な場面で何回も試合を勝利に導いてきた実績が沢山ありますので、重みのある言葉ですね。
日本国民にとってヒーローのような存在の長嶋茂雄さん。往々にしてヒーローというのは、天才肌が多いのですが、長島茂雄さんは、かなりの努力家です。
そのように見えない理由としては、「努力は人が見てないところでするものだ」という名言を残しています。
常に自身をベストの状態に持って行くためには、たゆまない努力を影ながら行うことが大事だということではないでしょうか。
現役時代から、かなりのマイペースぶりで知られています。例えば、ファンから「好きな言葉をお願いします」と、サインをして欲しいと色紙を渡された時に「長嶋茂雄」と書いて渡したそう。
かなり忘れっぽい性分だったようです。田園調布に自宅を立てて引っ越したばかりの時に、試合後にお手伝いさんに電話をいれて「長嶋です。僕の家どこですか?」と真剣に質問したことは芸能界では伝説エピソードと言われています。
その他には、ビートたけしさんをゴルフに誘い、当日先に到着した長島茂雄さん。練習をしていました。ビートたけしさんがゴルフ場に着くと「やあ、君もゴルフ?偶然だね」とにこやかに挨拶。
ビートたけしさんは、おかしいなと思い話を聞いてみると、すっかり自身で誘ったことを忘れていたそうです。若い頃から、これらのエピソードに枚挙に暇がありません。
長嶋茂雄さんは、巨人の黄金期を支えた伝説のプロ野球選手。現役時代は、最多安打を10回、首位打者を6回、打点王を5回獲得しました。
若い頃から打つだけではなく、守備も万全で東京六大学野球では、対戦相手の監督から長嶋茂雄さんを絶賛するコメントが残されています。
体力の衰えを感じた長嶋茂雄さんは、38歳で引退。これまの貢献度を称えた球団側から背番号3番を永久欠番として指定されました。
現役引退後は、巨人軍の監督として就任し、日本一に導いています。2001年に監督業を勇退すると、オリンピック日本代表チームの育成に努めました。
現在は、田園調布にある豪華な自宅で穏やかに生活しています。時たま巨人軍の2軍キャンプを訪れて指導したり、激励するなど完全隠居はまだ先のようですね。
これまでの長嶋一茂さんが残した、心に沁みる名言や、面白エピソードが令和の現在も愛されています。これからも、長嶋茂雄さんを応援していきましょう。
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