2024/02/16
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若尾文子さんは、戦時中に宮城県仙台市へ疎開していたとき、学校の帰りに友人と大通りを歩いていたら、仙台座という劇場の楽屋口で檻に入った小熊を見つけたそうです。可愛いと駆け寄ったところ、劇場から三味線の音がして、俳優の長谷川一夫さんと山田五十鈴さんが舞台から降りて楽屋口から出てきました。
若尾さんは、長谷川さんから親しげに話しかけられ、つい「女優になりたいんです」と言ってしまったそうです。長谷川さんの返事は「学校を卒業してからいらっしゃいね」。
このときの映画界に入るという話は、それっきりで終わってしまいました。
その後、若尾文子さんが東京に戻ったとき、姉の夫が「大映のニューフェース募集」を見て、勝手に彼女の写真を送って応募したそうです。それに若尾さんは見事合格し、大映の第5期ニューフェースとして映画界に入ることになりました。
若尾文子さんは、1952年に急病で倒れた久我美子さんの代役として小石栄一監督の『死の街を脱れて』でスクリーンデビューしました。日本軍が敗退した中国大陸で、戦場に取り残された女性たちの苦難と脱出行を描いた作品です。
若尾文子さんは、スクリーンデビューした1952年に『長崎の歌は忘れじ』『母子鶴』『街の小天狗』など10本近くの作品に出演し、それ以降も1年に何本もの作品に出演しました。
やがて日本映画を代表する正統派美人女優の一人となり、京マチ子さんや山本富士子さんと並ぶ大映の看板女優となり、260本以上の映画に出演しました。
若尾文子さんは、ソフトバンクのCMに登場し、白戸家の白戸次郎の母・お茶目な文子おばあちゃん役を演じました。若尾さんの昔の映画を知らない若い世代にもアピールし、人気が出ているようです。
若尾文子さんは、2007年に始まったソフトバンクモバイルのCM「白戸家」シリーズに2010年から登場しました。犬のお父さん・白戸次郎の母のキャラクターを演じています。
若尾文子さん扮する福井県に住む白戸文子は、息子の次郎より孫のアヤを大事にしていて、50歳も離れた男性と再婚するなど、とってもお茶目なキャラですが、若尾さんは楽しげに演じています。
CMに出たことで若い女性にも知名度が浸透し、「あやや」の名で親しまれているそうです。
「白戸家」シリーズのCMに出演した若尾文子さんが、撮影秘話を話し話題になったことがあります。若尾さんの話によると「おとうさん犬が何匹もいる」「撮影するのに、エサで誘っている」のだそうです。
若尾文子さんは、結婚を2度しています。1度目と2度目の結婚相手は誰か、また子供がいるのかどうかを調べてみました。
若尾文子さんは、1963年、30歳の時に商業デザイナーの西舘宏幸さんと結婚しました。1959年に若尾さんがフランス・パリを訪れたとき、西舘さんがガイドを務めたことで知り合ったそうです。
若尾さんは、帰国後に西舘さんと文通を始め、3年後にパリで再会し一緒にローマを訪れたとき、西舘さんからプロポーズされて結婚に至ったそうです。でも、1969年に離婚しています。
若尾文子さんは、1983年に世界的建築家の黒川紀章さんと再婚しました。若尾さんと黒川さんは、1976年にテレビ番組の対談で共演したことが出会いのきっかけだそうです。
2人は一緒に暮らし始めますが、再婚までには出会ってから7年を要したそうです。理由は、黒川さんに奥さんと2人の子供がいたためで、すぐに籍を入れることができなかったらしいです。
晴れて夫婦になったのは、若尾さんが50歳のときでした。
黒川紀章さんは、2007年にガンで亡くなりましたが、それまで若尾文子さんと夫婦生活は続いていたものの子供はできなかったようです。
黒川紀章さんと若尾文子さんの間に子供はできませんでしたが、黒川さんには前妻との間に2人の子供がいます。実業家の黒川未来夫さんと陶芸家の黒川かこさんです。
若尾文子さんは、着物姿がとても似合います。若尾さん流の着付けテクニックがあるのだそうです。また着物のデザインをしたことがあるらしく、そんな若尾さんの着物にまつわるエピソードを調べてみました。
映画に登場する女優の着物の着こなしを紹介したビジュアルブック「着物女のソコヂカラ」に、若尾文子さんが出演した映画「刺青」の着物姿が掲載されています。
背中に女郎蜘蛛の刺青を彫られてしまう豪商の娘の役柄で、着物がはだけ刺青が露わになった若尾さんの後姿の写真ですが、とても妖艶です。
若尾文子さんは、2012年に開催された「TEDDY BEAR-天空の森 展-」でのチャリティオークションのためにテディベアの着物のデザインをしたことがあります。なんでも、自身が出演した映画「刺青」のヒロインの衣装をモチーフにしたのだとか。
若尾文子さんは、舞妓、人妻、OLなど時代劇から現代劇まで様々な役柄を演じてきました。そんな若尾さんの代表作の幾つかを紹介しましょう。
谷崎潤一郎の処女短編を原作とした1966年の作品が『刺青』です。手代と駆け落ちした質屋の娘が悪党にだまされ、背中に女郎蜘蛛の刺青を彫られたことから男を惑わす悪女となっていく物語。
若尾文子さんは妖艶きわまりないヒロインを演じ、彼女の美しさを最大限に引き出した作品と言われています。監督は、「青空娘」「卍」「清作の妻」他、若尾さんとのコンビ作が20作にも及ぶ増村保造さん。
思春期の女子高校生たちの生態を赤裸々に描いた1953年の青春映画が『十代の性典』です。映画は大ヒットし、若尾文子さんは一躍人気女優となりました。共演は、南田洋子さん、小田切みきさん。
冨田常雄の小説「小えん日記」が原作の1961年の作品が『女は二度生まれる』で、若尾文子さんはヒロインの芸者・小えんを演じました。監督の川島雄三さんは、撮影に当たり映画会社・大映首脳陣を前に「若尾文子を女にしてみせる」と宣言したそうです。
本作は、川島さんの大映での初監督作であり、女性映画の傑作と言われています。共演は、フランキー堺さん、藤巻潤さん。
若尾文子さんは昔、主演した映画のせいでバッシングを受けたことがあります。また、若尾さんは車が好きらしいですが、そんな若尾さんの若い頃を調べてみました。
若尾文子さんは、1953年の「十代の性典」で人気女優となりましたが、当時の時代背景から教育関係者やマスコミから激しいバッシングを受け、「性典女優」と酷評されてしまいました。
そのことがトラウマとなったのか、若尾さんにとって「性典」がNGワードとなり、インタビューでもタブー扱いされました。そのためなのか映画は長らくソフト化されませんでしたが、2015年にようやくDVDソフトが発売されました。
若尾文子さんは、車が大好きだそうです。それも後部座席に座るのではなく運転席でハンドルを握る方が得意らしいです。なんでも女優になってすぐに運転免許を取り車を買ったそうです。
これまで何台も車を買い替えたそうで、黒川さんとの結婚後は車の費用は彼が支払っていたそうですが、若尾さんが最後に乗った車、イギリス製のベントレーは自分で支払ったそうです。
若尾文子さんは若い頃から美しい容貌ですが、同じ女優の沢口靖子に似ていて、同系統の顔立ちではという声が聞かれます。確かに、沢口さんも美しい顔立ちですし、そうかもしれませんね。
夫の黒川紀章さんが亡くなり未亡人となった若尾文子さん。現在はどのような暮らしをしているのか調べてみました。
若尾文子さんは、現在はテレビプロデューサーで演出家の石井ふく子さんや女優の奈良岡朋子さんと同じマンションに住んでいて、友達同士なのだそうです。
2015年12月に東京で「若尾文子映画祭」が開催されたとき、初日の舞台あいさつで若尾さんが杖を手にして登場しました。「ちょっと滑って転んだ」と若尾さんは話しましたが、真相はひねった足を治そうとトレーニングをしたら症状が悪化してしまったからだったそうです。
若尾文子さんは、大阪の老舗料亭で開催された講演会に出たことがあります。若尾さんにとって初めての講演会で、テーマは「女優と文学」だったそうです。
定員110名と小規模でしたが、囲炉裏場を囲んで若尾さんの話を参加者は興味深く聞いたそうです。
今年で87歳になった若尾文子さん。淑女から悪女まで、多彩な役柄を演じ、日本を代表する映画女優の一人でもある若尾さんですが、高齢ゆえ、最近は表舞台で活躍することはあまりないようです。
でも、若尾さんが出演した映画はソフト化されているものが多いですから、今一度、彼女の妖艶な美しさを見直してみてはいかがでしょうか。
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