2024/02/16
r.y6
オリビアハッセーは、2歳のとき、両親が離婚しました。そして7歳のとき、弟ともに母親の母国であるイギリスに渡りました。
ロンドンでは、演劇学校のイタリア・コンティ・アカデミーに5年間通い、13歳でプロの俳優として舞台に立ち始めます。舞台『ミス・ブロディの首相』に出演していた彼女を見いだしたのが、イタリア人映画監督のフランコ・ゼフィレッリでした。
1968年の映画『ロミオとジュリエット』のジュリエット役を探していたフランコ・ゼフィレッリ監督は、500人の女優の中からオリビアハッセーに白羽の矢を立てました。
それまで映画やテレビドラマでは、脇役しか演じたことがないオリビアハッセーでしたが、この『ロミオとジュリエット』のジュリエット役で人気となり、ブレイクしました。
映画界からも高い評価を受け、イタリアのアカデミー賞に当たるダヴィッド・ディ・ドナテッロのゴールデンプレート賞やゴールデングローブ賞新人女優賞を受賞しています。
『ロミオとジュリエット』でブレイクして以降、オリビアハッセーは、多くの映画やドラマに出演していきました。
オリビアハッセーは、1974年の映画『暗闇にベルが鳴る』で、主役のジェス役を演じました。同作は、ボブ・クラーク監督によるカナダのホラー映画であり、スラッシャー映画の先駆けとなった作品です。
アメリカやカナダにおける有名な都市伝説を基にしており、クリスマスパーティーに参加した学生が、殺人鬼に次々と殺されていく模様を描いています。
1978年の映画『ナイル殺人事件』は、アガサ・クリスティ原作、ジョン・ギラーミン監督のミステリー作品で、アカデミー賞衣裳デザイン賞を受賞しています。日本では配給収入19億円を売り上げるヒットとなりました。
同作品は、私立探偵ポアロがナイル川下りの豪華客船で起きた殺人事件を捜査する模様を描いています。オリビアハッセーは、乗り合わせた乗客の一人で、殺害されたリネットに嫉妬心を抱いていたロザリー役を演じてます。
1980年の映画『復活の日』は、深作欣二監督、角川春樹製作、総製作費が30億円にも及ぶと言われるSF超大作です。小松左京の同名SF小説を原作としており、ウィルス感染と核攻撃によって人類が滅亡の危機に陥るなか、南極基地で生き延びようとする人々を描いています。
主演は、南極日本隊の地震予知学者吉住役を演じた草刈正雄で、オリビアハッセーは、南極ノルウェー基地の隊員マリト役を演じています。
長年女優として活躍してきたオリビアハッセーは、現在、どうしているのでしょうか。プライベート面についてみていきます。
オリビアハッセーは、1971年から78年の最初の結婚生活、1980年から89年の2回目の結婚生活を経て、1991年にアメリカのロックミュージシャンで俳優のデヴィッド・グレン・アイズリーと結婚しました。
デヴィッド・グレン・アイズリーは、1983年から89年まで活動したロックバンド「ジェフリア」のボーカルとして有名で、84年のデビューアルバム収録の"Call To The Heart"は、全米ビルボード100で15位のヒットとなりました。
1993年には、二人の間に娘のインディア・アイズリーが生まれており、彼女もまた女優として活躍しています。
オリビアハッセーは、Twitterやインスタグラムのアカウント開設しており、近況を知ることができます。昔の作品関係や家族の写真も多く、また取り組んでいる動物愛護や自然環境保護に関連する投稿もみられます。
オリビアハッセーは、「シクラメンのかほり」で有名な歌手でシンガーソングライターの布施明と結婚していたというのは、本当でしょうか。オリビアハッセーの結婚歴について、詳しくみていきます。
オリビアハッセーは、1971年に人気歌手ディーン・マーティンの息子で俳優のディーン・ポール・マーティンと最初の結婚をしました。73年には二人の間に息子アレキサンダーが生まれましたが、78年に離婚しています。
そしてオリビアハッセーの二回目の結婚相手となったのが、布施明でした。二人は、1980年にロサンゼルスの新居で挙式をしたほか、マイアミでも式を挙げました。
オリビアハッセーは、1979年3月にカネボウ化粧品のCMに出演しました。そのCMのタイアップ曲となったのが、布施明の『君は薔薇より美しい』でした。
布施明は、75年の『シクラメンのかほり』がミリオンセラーとなって以降、ヒット作を連発しており、日本を代表する歌手の一人となっていました。
このCMが縁で二人は出会って交際に発展し、オリビアハッセーの連れ子であるアレキサンダーが布施明に懐いたこともあって、オリビアハッセーは結婚を決意しました。
布施明は、活動の拠点をアメリカに移しました。1983年オリビアハッセーと布施明との間には、男児マクシミリアン(マックス)が誕生しています。
布施明は、英語が苦手なため、現地のアーティストユニオンに入ることができず、歌手活動は芳しくありませんでした。85年以降、別居して日本で仕事することが長くなり、二人の間にすれ違いが生じていきます。
1989年にはオリビアハッセーと歌手で俳優のジェイソン・サイナイとの浮気が発覚しました。布施明はロサンゼルスの自宅から大量の荷物をまとめて日本に帰国し、結局、離婚に至ります。
息子のマックスは、オリビアハッセーが引き取り、布施明は養育費を払うこととなりました。
2003年の映画『マザー・テレサ』で、オリビアハッセーが主役のマザー・テレサ役を務めたことが話題となりました。
映画『マザー・テレサ』は、もともとはイタリアのテレビ局で製作された、マザー・テレサの伝記的な作品です。オリビアハッセーが主演し、2007年にカミー賞を受賞しました。
オリビアハッセーは、インタビューで、1977年のテレビ映画『ナザレのイエス』でマリアを演じて以来、マザー・テレサを演じることは、20年来の夢であり、希望であったと語っています。
またオリビアハッセーは、インタビューで、シェイクスピアのジュリエット、聖母マリア、マザー・テレサという三つの役を演じることができたことは、幸運であったとも語りました。
映画『ロミオとジュリエット』のジュリエット役でブレイクしたオリビアハッセーが、長い年月を経て、ロミオ役のレナードホワイティングと再び共演を果たしたことが話題になりました。
オリビアハッセーが出演した、2015年の映画『Social Suicide』は、ブルース・ウェブ監督によるサスペンス映画で、ティーンエージャーの心中を描いており、現代版のロミオとジュリエットと言い得る作品となっています。
この『Social Suicide』で、オリビアハッセーは、『ロミオとジュリエット』のロミオ役レナードホワイティングと46年ぶりの共演を果たしました。
オリビアハッセーとレナードホワイティングは、ヒロインの両親役であり、ヒロインはオリビアハッセーの実の娘であるインディア・アイズリーが務めました。
何かと日本と繋がりのあるオリビアハッセーですが、たびたび日本に来ています。オリビアハッセー来日のエピソードについてみていきましょう。
映画『マザー・テレサ』は、日本で2005年8月に公開されました。それに合わせてオリビアハッセーは、同年6月に来日しています。
映画『マザー・テレサ』のキャンペーンのための来日は、オリビアハッセーにとっては、1998年以来、17年ぶりの来日でした。東京千代田区のイイノホールで開催されたロイヤルプレミアには、当時の皇后も臨席しました。
オリビアハッセーの来日記者会見中、サプライズゲストとして登場したのが、草刈正雄です。映画『復活の日』で共演して以来、25年ぶりの再会であり、オリビアハッセーは、草刈正雄のことを「全然変わっていない。いまだにハンサム」と再会を喜びました。
映画『ロミオとジュリエット』でブレイクして以来、世界中で人気を博したオリビアハッセー。2018年刊行の自伝本"The Girl on the Balcony"に記されているように、プライベートを含めて、波瀾万丈なことがありました。
しかし、女優としての功績は、いまだに輝いており、伝説的な女優としていつまでも語り継がれるでしょう。
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