ビートたけしが芸能界引退?事故で顔面麻痺の過去や映画作品を紹介
2023/12/28
大今里
八木早希さんさは、大阪府立住吉高等学校から同志社大学文学部英文科へ進学し、学生時代には、アナウンサーを養成する生田教室に通いながら、朝日放送でアルバイトをしていました。
大学卒業後の2001年4月1日、アナウンサーとして毎日放送へ入社し、情報番組『ちちんぷいぷい』で長らくアシスタントを務めるなど、情報・音楽系の番組を中心に幅広く活動しました。
そして、2011年3月31日付で毎日放送を退職し、翌4月1日からフリーアナウンサーとしての活動を始め、初日から2014年3月28日まで『NEWS ZERO』(日本テレビ系)の金曜日でキャスターを担当し、全国区のフリーアナウンサーとなりました。
八木早希さんは、小学4年の時にあったソウルオリンピックのに出場していた、三種目で金メダルを獲得した、女子陸上のジョイナー選手をテレビで見て、すごく憧れたんだそうです。
ジョイナー選手と言えば、それまでの陸上選手のユニフォームのイメージをくつがえす右足半分だけがスパッツになったものや、頭までぴっちりと覆われたものなどを身にまとい、長くきれいにマニキュアを塗られた爪など、ジョイナーブームを巻き起こした選手です。
ジョイナー選手がインタビューされている姿を見て、「マイク持てばジョイナーと喋れるんや!」と思ったのが、アナウンサーを目指すきっかけだったのだそうです。世界中の人と会いたい、普段会えない人と話をしたいと強く思い、アナウンサーを志しました。
八木早希さんは、インスタグラムのアカウントを開設しており、仕事の様子から私生活の様子まで様々な写真を掲載しています。
続いては、八木早希さんの旦那や子供について見ていこうと思います。
八木早希さんは、毎日放送に勤めていた2007年5月に結婚しました。結婚相手は、一般の人で、当時、大学病院の整形外科に勤める医師でした。
二人の出会いや、交際に至った馴れ初めなどは、調べてみましたが、詳細は分かりませんでした。
八木早希さんの旦那の名前は井上豪さんではないかと言われており、八木早希さんとの結婚後に独立して、大阪府松原市にある「井上整形外科 胃腸内科クリニック」という病院を開業し、現在はそこの院長を務めているという情報があります。
八木早希さんは、2016年に結婚10年目で待望の第1子を授かりました。ブログにて、3800グラムの男の子を出産したことを報告しました。
鼻からスイカ、は本当だったとし、お産が済んだ後の雲の上を漂うような、なんとも言えない幸福感はこれまでの人生の中で味わったことのない至福だったとコメントしました。
また、2018年には第2子となる男の子を出産しています。
八木早希さんは、第2子出産後、1か月で、育休を終えて、大阪・心斎橋で行われた高級腕時計ブランド「IWC 大阪ブティック」のオープンイベントにて仕事復帰しています。
現在は長年出演している「胸いっぱいサミット」や「ぐるっと関西おひるまえ」など、関西を中心に活躍しています。
仕事の量はそこまで多くない印象ですので、セーブされているのかもしれません。
続いては、八木早希さんとやしきたかじんさんの関係について見ていこうと思います。
1971年に歌手デビューしており、代表曲には1986年に発売された『やっぱ好きやねん』1987年『ICHIZU』1989年『大阪恋物語』、1990年『なめとんか』などがあります。
大阪色を前面に出したバラードシンガーとして、人気を博すとともに、破天荒で毒舌、しかし面倒見が良い一面を持つ性格が受け、関西では冠番組を持ち、MCとしても人気を博しました。
また交友関係も広く、やしきたかじんさんが亡くなった際は、橋下徹さん、宮根誠司、そして当時総理大臣だった安倍晋三さんからも追悼コメントが発表されるほどでした。
八木早希さんが入社1年目で、やしきたかじんさんのニューヨーク同時多発テロ取材に、通訳として同行したことが二人の最初の仕事でした。
現地で韓国人とアメリカ人男性の喧嘩に出くわし、言葉が通じなくて口論になっているだけだなと思った八木早希さんさんが、仲裁に入ったのだそうです。
それを見た、やしきたかじんさんが八木早希さんの度胸に感心し、それ以来、とてもかわいがってくれるようになったんだそうです。
やしきたかじんさんは、北新地の高級クラブや、京都の舞妓さん、良いワインなど、様々な事を八木早希さんに教えてくれ、親子のような関係を続けていたのだそうです。
八木早希さんさんは結婚について、やしきたかじんさんに相談していました。
その結果、やしきたかじんさんが八木早希さんと夫を結婚まで導き、結婚式のプロデュース、仲人もつとめたため、局アナにしては珍しく結婚式の様子が番組でオンエアされました。
また、バージンロードはやしきたかじんさんが父親役として歩きました。
続いては、八木早希さんが語学堪能であるという噂について見ていこうと思います。
八木早希さんは、日本語はもちろん、英語と韓国語が話せるトリリンガルであり、海外ロケでも活躍していました。
八木早希さんは、2009年4月まで放送されていた毎日放送のラジオ番組「チョアヨ!韓国」でMCを務めていました。
このラジオ番組は、韓国のエンターテイメントや、文化・社会に関する情報などを、八木早希さんの視点から紹介する内容でした。
そして、このラジオ番組内の語学コンテンツ「ケンチャナヨ!ハングンマル!!」から韓国旅行で活用できる実用的なフレーズを厳選し、シチュエーション別にまとめた書籍を発売しています。
また、将来は韓国でバラエティー番組や情報番組の司会などをできたらいいなと語っています。
八木早希さんは、アメリカ合衆国生まれの大阪市阿倍野区育ちです。
6歳まではロサンゼルスで過ごしています。地元の公立の学校に通っており、生活の大半は、英語を使用して暮らしていたのだそうです。
一時、日本に帰国するものの、今度は小学4年生から6年生までは韓国で生活しました。その時も、最初は日本人学校に通っていたものの、途中から地元の学校に通ったため、韓国語ばかりで過ごしたのだそうです。
また、高校2年秋から3年夏休みの約1年間はアメリカ・シアトルに留学しています。
実家についての情報は特にありませんが、大阪市阿倍野区育ちであることからそのあたりに実家があるのではないかと考えられます。
関西出身でフリーアナウンサーの八木早希さんについてご紹介してきました。
地方局アナからフリーアナウンサーとなり、『NEWS ZERO』(日本テレビ系)で全国区になった八木早希さんですが、2児のママとなり、関西を中心とした仕事と育児の両立をされています。
子育てが落ち着かれたら、また、関西以外でも活躍されるのではないでしょうか。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
この記事に関する記事
Copyright© 運営事務局
日本 大阪府大阪市阿倍野区育ち