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2023/11/27
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佐々木収は、中学生の頃に旺文社が主催する『ソニー・ディスク&テープ大賞』で、作詞作曲部門賞を受賞しています。さらに高校時代には軽音部と演劇部に所属し、『三宅裕司のいかすバンド天国』にも出演した経験があり、その際には審査員賞を受賞しました。
盾を番組からもらっていて、後にネット上で披露しています。
大学を卒業してから、雑誌でバンド仲間を募集して後にMOON CHILDのリーダーとなる樫山圭と出会いました。そして、1995年に『タンバリンズ』というバンドを結成し、11月にバンド名を『MOON CHILD』に改めたのです。
1996年に『MOON CHILD』が「Brandnew Gear」という楽曲でメジャーデビューを果たしました。この楽曲は、Mr.Childrenのサポートメンバーだった浦 清英がプロデュースをしたものです。
1999年2月に『MOON CHILD』は解散してしまい、佐々木収は4月にはMOON CHILDのメンバーであった渡邊崇尉と『SCRIPT』を結成しました。2000年12月に『SCRIPT』はメジャーデビューしたものの、2003年以降はインディーズで活動をしていました。2020年現在は『SCRIPT』は活動を休止している模様です。
その他にも、『The Kaleidoscope』のメンバーであった石田匠と『Ricken's(リッケンズ)』を結成するなど、佐々木収は音楽活動を続けてきました。
佐々木収は結婚をしているのだろうかと気になる方もいるかもしれません。そこで、佐々木収の結婚について迫ってみたいと思います。彼は結婚をしているのでしょうか。
佐々木収は現在既婚者であり、39歳だった2010年に結婚をしています。2010年7月14日に、自身の公式ブログで一般女性と入籍したことを発表したのです。
相手は大学の同級生であり、18年間の交際を経ての結婚でした。先述の通りに相手の方は一般人なので、詳細は分かっていません。
佐々木収に子どもがいるのかについては、非公表であり不明となっています。しかし、子どもはいる可能性もないわけではないでしょう。
佐々木収は、時代が追いつけなかった天才であるとか、佐々木収は時代の先を行っていたなどと言われることがあります。その理由とも言えるエピソードなどについて迫ってみましょう。
佐々木収が書く歌詞には、他の人には理解し難い、唯一無二のササキオサムワールドがあるのが特徴です。例えば『ときめいた気持ちさえ1秒後に白けてる』や『悲しくても不条理でも苦瓜噛ったように笑って』など、歌詞の言い回しが秀逸となっています。
佐々木収は、独創的かつ棘のある言葉の数々を、メロディへと違和感なく乗せるのが巧すぎる点がポイントです。彼の作る楽曲は、いびつな言葉たちがメロディーの中にするりと滑らかにはまり込み、居心地良さげにしていると形容されるでしょう。
佐々木収は、他のアーティストへの楽曲提供も行っています。佐々木収が始めて楽曲提供をしたのは、2000年にロンドンブーツ1号2号の『HEY!SLOTMACHINE』という楽曲の作詞でした。また、AAA(トリプルエー)に2005年に作詞で楽曲提供した『BLOOD on FIRE』もあります。
この楽曲では、AAAが第47回日本レコード大賞の最優秀新人賞を受賞しています。
MOON CHILDというと、『ESCAPE』という楽曲を思い出す方も多いかもしれません。ドラマのタイアップとして起用され、大ヒットしたのがこの『ESCAPE』でした。
1997年5月28日に発売された5枚目のシングル『ESCAPE』が大ヒットし、オリコンシングルチャート1位を獲得しました。クールなロック調になっているナンバーであり、佐々木収のどこか気怠げなボーカルも良い味となっていたのです。
『ESCAPE』はドラマ『FiVE』の主題歌に起用されたのも、ヒットに繋がったものと考えられます。この『FiVE』には、ともさかりえや鈴木紗理奈、知念里奈、榎本加奈子などが出演していたのが特徴でしょう。
MOON CHILDは、『ESCAPE』のヒットにより一躍人気バンドとなり、"ポストMr.Children"とまで言われていたほどでした。しかし、バンドは長くは続かなかったのでした。MOON CHILDは、1999年に解散をしてしまいます。
MOON CHILDは1999年で解散をしてしまいましたが、その理由はどこにあったのでしょうか。解散の理由について迫ってみたいと思います。
MOON CHILDが解散した理由については、解散当時は「やり切ったから」と話していたものの、それは表向きのことの可能性があるでしょう。本当の理由は、他にあったのではないかと考えられます。
MOON CHILD時代は、佐々木収が大体の楽曲の作詞や作曲を担当していて、彼に仕事がほとんどのしかかっていた模様でした。それが、不満の一端となった可能性があります。
曲作りなど大方の仕事を担っていたのであれば、給与も多く貰えたなら不満も起こらないかもしれないでしょう。しかし、MOON CHILDは事務所からの給与が皆均一でした。印税に関しても初めのうちは皆で等分していたものの、上記のようにいつしか佐々木収にほとんどの仕事が回ってくるようになったのです。
それにより、佐々木収も割に合わないと思うようになったのでしょう。そして、曲は皆で割ることにして作詞分は自分が半分は欲しいと提案したとされています。こうした金銭的な不満もあり、解散に繋がったものと考えられるのです。
佐々木収は病気になったことがあります。気になるところですが、どういった病気だったのでしょうか。現在は健康なのかも見てみましょう。
2013年に、佐々木収は歩くことさえも覚束ないほどの酷いめまいに襲われたことがありました。これでは、音楽活動もできなかったのではないかと推察されます。
ファンの間では、メニエール病ではないかと噂になりました。メニエール病とは、体の平衡感覚を司っている耳の奥の“内耳”にリンパ液が溜まることで生じる病気です。めまいだけでなく、耳鳴りや聴力が低下するなどの症状を引き起こします。
しかし、佐々木収の場合はメニエール病ではなかったと考えられます。
佐々木収は良性発作性頭位めまい症、もしくは前庭神経炎と診断されています。また、MRI検査により脳には異常が見られなかったという報告に、ファンは安堵したのでした。過度のストレスが原因として挙げられるでしょう。
その後は回復し、現在でも音楽活動を続けています。
最後に、佐々木収の現在について探ってみたいと思います。佐々木収は今どうしているのでしょうか。音楽活動やその他の活動、そして彼のビジュアルについても迫ってみましょう。
佐々木収は、2010年にソロ活動でのバンド形態となる「THE SASAKI OSAMU BAND」を結成しました。このバンドは、バンドという形はとっているものの、佐々木収のソロプロジェクトという位置付けであると考えられます。
ということは、ギターやドラムなどのメンバーは、"サポートメンバー"となる可能性もあるでしょう。
2013年1月に、『MOON CHILD』の再結成ライブが行われました。解散から14年ぶりであり、チケットは即日完売となったのです。2017年1月にDo As Infinityとの対バンをすることが発表され、同年3月にライブハウスのShibuya O-EASTにて4年ぶりのライブ『GREATEST HITS vol.1』が開催されました。
2019年2月にも、再度Do As Infinityとの対バンが行われています。
佐々木収は、2016年の年末に『有吉反省会』に出演しました。その際には、"いつも眠そうな顔をしている"ことを反省しに登場したのだということです。
ラジオでも、佐々木収の声を聞くことが可能です。2016年から、FMFUJIのラジオ番組『BeaTree』のパーソナリティーをDJ DRAGONと共に務めているのです。番組は毎週日曜17:00~17:30までオンエアとなっています。
2020年9月2日に、『オサム&ヒロノリ from MOON CHILD』名義で、1stアルバム『The Artifacts,Unplugged Music』がリリースされました。このユニットは、佐々木収とMOON CHILDの秋山 浩徳が組んでいるものです。
アルバムの内容は、『微熱』や『ESCAPE』『requiem for the man of nomad』といった楽曲のセルフカバーや新曲が詰まったミニアルバムとなっています。
若い頃の佐々木収はスレンダーでスタイルも良く男前といった感じでしたが、現在は『ESCAPE』の頃よりは肉付きは多少良くなった感じはあるものの、素敵に年齢を重ねていて渋さのあるイケメンアーティストとなっています。
佐々木収はMOON CHILDのボーカルとしてデビューし、『ESCAPE』がヒットとなり有名バンドの仲間入りとなるかと思われました。しかし人気のあるうちにバンドは解散してしまい、テレビなどでもあまり佐々木収を見る機会は減ったかもしれません。
しかしMOON CHILDも復活を遂げていますし、佐々木収はラジオ番組も持っているのです。そして音楽活動もずっと続けていて、Twitterなどにも活動の様子をアップしています。そんな佐々木収のこれからの音楽活動にも目が離せません。
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