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2023/11/27
r.y6
大貫亜美さんは、吉村由美さんとの女性ボーカルデュオ『PUFFY』のメンバーです。現在までに34枚のシングルと11枚のオリジナルアルバムを発表しています。
女性ボーカルデュオと言えば、まっさきに名前があがるのがPUFFYではないでしょうか。
大貫亜美さんは、釣り好きであることが知られています。ツアーやイベントなどの出先でも、メンバーなどと釣りに出かける事も度々あり、2018年には沖縄で、73センチ、4・95キロのアカジンを釣り上げたことが、地元の新聞に掲載されたこともありました。
竿の振りすぎで腱鞘炎になった事もあったり、休日には子供と釣堀に出かけたりすることもあるのだそうです。
続いては、現在の大貫亜美さんの活動などについて見ていこうと思います。
現在もPUFFYとして、シングルの発売はもとより、ライブツアーを行ったり、音楽イベントに出演、歌番組に出演するなど、積極的な活動を続けています。
コロナの影響で、中止となってしまいましたが、韓国・ソウルで開催予定だった「GREENPLUGGED SEOUL 2020」にも出演予定でした。
2020年のハロウィンでは、インスタで鬼滅の刃の竈門禰豆子のコスプレを披露しました。
友人のモデルの岩堀せりさんたちと子供たちを交えてのホームパーティを楽しんだようです。
人生初のカラーコンタクトにも挑戦したそうで、ファンからは「かわいい」「似合っている」など、2.5万件のイイネがつき、ファンからは絶賛のコメントが多数、寄せられました。
元々スレンダーで、ファッション雑誌などでモデルなどもつとめていた大貫亜美さんですが、2018年頃から激太りしてきたという噂が立ち始めました。
こちらの写真は2015年頃のジャケット写真です。デビュー当時からのスレンダーを維持している大貫亜美さんが写っています。
そしてこちらが、2018年の大貫亜美さんの写真です。比べてみると顔が丸くなってきているように見えますね。
これでも充分スレンダーですが、今までの大貫亜美さんと比べると太ってきているように見えます。
大貫亜美さんは、2019年にインスタグラムで、2018年に親友や信頼できる人を一度に失ったと告白しています。今まで一緒に過ごしてきた時間は何だったんだろうと凄く落ち込んだとも綴っています。
大貫亜美さんの激太りは、そういったストレスが原因なのではないかと言われています。
また、大貫亜美さんは、2017年に体調を崩しました。突然、腹部激痛が襲い、検査を行ったところ、肝障害と言われるほど肝臓の数値が高かったのだそうです。
それが原因でむくんでいた可能性も指摘されていますが、時期的に激太りの直接の原因ではないのではないかと言われています。
続いては大貫亜美さんの結婚に至る経緯や離婚の噂について見ていこうと思います。
大貫亜美さんは、2002年4月にGLAYのTERUさんと結婚しています。公式ホームページで双方がファンに向け結婚を報告しました。
大貫亜美さんとGLAYのTERUさんは、PUFFYの冠番組で距離を縮め、交際に至ったと言われていますが、二人が付き合いだした時、TERUさんは既婚者でした。
TERUさんは、デビュー前の1993年に結婚しており、1999年に二人の不倫が報道された際は、6歳と2歳の子供さんがいました。
今ほど不倫に対して厳しくなかった当時ですら、大きな話題となり、下積み時代から支えてきた奥さんを裏切り、大貫亜美さんと交際していることにバッシングが集まりました。
また大貫亜美さんに対しても略奪だと批判が集中しました。
そんな中でも二人は交際を続け、TERUさんは不倫報道のあった翌年、2000年に離婚を成立させ、2002年に二人は結婚しています。
大貫亜美さんは2003年に長女を出産されています。2020年の娘さんの誕生日にはSNSで娘が17歳になったことを報告しており、親子仲が良い様子が伺えます。
大貫亜美さんとTERUさんは、高級住宅地に豪邸をかまえています。しかし、現在、大貫亜美さんが別宅を借りてTERUさんと別居しており、離婚危機だと報道されてるのです。
この報道に対し、TERUさんは「事務所を通して」と答えており、所属事務所からは「離婚はしていません。コロナの感染予防や互いの仕事のペースなどを考え、仕事部屋を使い分けて生活をしている」という回答があったそうです。
『離婚はしていません』との回答にやや含みがあるように感じられますよね。続報は出ておらず、二人の関係がどうなっているのか気になるところです。
続いては、若い頃の大貫亜美さんやPUFFYについて見ていこうと思います。
PUFFYは1996年に奥田民生さんプロデュースで「アジアの純真」でデビューしました。井上陽水さん作詞の不思議な世界観の詞とポップな奥田民生さんの曲、そして二人のかわいいビジュアルもあり、いきなりのミリオンヒットを記録します。
デビュー直後から人気が上昇し、CDがとてもよく売れていた時期という事もありましたが、4作連続でミリオンヒットを記録しました。
PUFFYの2ndシングル『これが私の生きる道』は、選抜高等学校野球大会の入場曲に使用されました。
PUFFYの二人が、ダウンタウン司会の音楽番組に出演した際、松本人志が、もしPUFFYの二人が将来番組を持ったらというシミュレーションを行った際、発した番組タイトルが「パパパパパフィー」でした。
それが、現実となり、1997年にパフィーの冠番組「パパパパパフィー」がスタートし、ほどよくゆるい2人の進行が人気となり、2002年まで番組は続きました。
2016年にはデビュー20周年を迎えたPUFFYの二人。この年、紅白歌合戦に初出場しました。
また、デビュー20周年記念ライブ「PUFFY 20th THE FINAL『PAPAPAPA PARTY 2016』」が12月4日に東京・TOKYO DOME CITY HALLで開催されました。
Char、東京スカパラダイスオーケストラのGAMO&北原雅彦&NARGOなどの豪華ゲスト出演、また、綾小路翔、吉井和哉、斉藤和義+中村達也、草野マサムネ、グループ魂、GLAY、T.M.Revolutionなどのお祝いコメントも流れ、大盛り上がりを見せました。
デビュー当時、Tシャツにジーンズというラフないで立ちや緩く見える振り付けで、脱力系として人気を集めたPUFFYでしたが、本人たち曰く20年間一度も脱力したことはなかったのだそうです。
プロデューサーの奥田民生さんは、厳しかったそうで、スポ根のように鍛えられたんだそうです。
そういう背景があり、20周年記念ベストアルバムはタイトルを「非脱力派宣言」にしていると二人は話しています。
PUFFYの大貫亜美さんについてご紹介してきました。デビューしてすぐにブレイクし、そこから走り続けてきた大貫亜美さんは、年を重ねてもかわいさをキープしています。
以前ほどのメディアへの出演などは無いものの、定期的にシングルアルバムをリリースし、ライブも積極的に行っています。
今後も活躍を続けられることでしょうね。最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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