ビートたけしが芸能界引退?事故で顔面麻痺の過去や映画作品を紹介
2023/12/28
大今里
増岡弘さんは、ハイバリトンの特徴がある独特な声質で、様々なキャラを演じた人気声優でした。また、増岡さんは「声が変わらない」と評されることが多い人でした。これは、一つのキャラクターを長く演じ続ける上で、大事な要素でした。
増岡さんは有名なキャラクターの声を長年務めたことで知られる声優でした。また、自身の声が変わらないことに関しては、「きっと声というのは心が出すものだから、心さえ変わらなければ、いつまでも変わらないでできる…声というのは年を取らないという風に思ってますよね」と語っています。
増岡さんは2019年7月以降から徐々に声優業をセーブして病気療養していましたが、2020年3月に直腸がんで亡くなっています。仕事をセーブしていた時期は、担当していた役やナレーションを他の人に交代していました。
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この項では増岡さんの経歴を見ていきます。増岡さんはどのような道をたどって、声優になっていったのでしょうか。増岡さんは最初から声優志望だった訳ではなく、意外なきっかけで役者の道に入っていったようです。また、農業との関わりについても確認します。
増岡さんはもともと、絵描きを志して芸術大学に通っていて、その後は舞台美術の仕事をしていました。ある公演に携わっている時に出演者が逃亡し、その代役を務めたことがきっかけで役者の道に進むことになりました。
絵描き志望だった若者が、ちょっとした偶然で役者へと転身したのは、意外な事実ですね。その代役で台詞を忘れるなど恥ずかしく悔しい思いをし、「もう一度やり直したい」と希望したことがきっかけで役者に転向しました。
代役での失敗を悔しく思うとは、負けず嫌いな性格だったのかもしれませんね。こだわりの強い性分だったのかもしれません。
増岡さんは、1963年のアニメ『狼少年ケン』に声優として出演して以降は、主に声優として活動するようになります。また、東京アニメーター学院で声優科の講師を務めていた経験も
あります。増岡さんは次第に、人気作品の主要キャストを担当するようになっていきます。
増岡さんは実家が農家だったこともあり、声優をしながら農業に関わっていました。手作りの味噌などで健康を保っており、かぜをひかない体は、声優としてありがたいと語っています。味噌の本を出していることからも、そのこだわりがうかがえます。
味噌作りでテレビ出演したこともあり、味噌と農業は増岡さんにとって大きな存在のようです。さらに、陶芸でお皿や花瓶も作っていたようです。また、廃品の枕木を使ってログハウス風の自宅を建てたというエピソードもあります。
自然に親しみ、なんでも自分で作ってしまうナチュラリストだったようですね。芸術大学出身であることも関係あるかもしれません。
この項では、増岡さんの演じた代表的なキャラクターを紹介していきます。また、テレビ番組のナレーションを務めた事も確認します。
有名な役柄が多いので、増岡さんの演技力の高さがうかがえます。
増岡弘さんは「サザエさん」のマスオさん役を約40年にわたって務めていました。増岡さんが演じたキャラクターの中で最も有名かもしれません。
国民的アニメ作品の大事なキャラクターを長年にわたって務め続けたことは、大きな功績です。マスオさんを演じる際には、増岡さんのアドリブも多かったようです。
フグ田マスオ役に選ばれた時は、自分の姓が「増岡」だから選ばれたのだろうと思ったそうです。「サザエさん」の収録については、日常生活のようなものになっていたため仕事をしたという実感がまったくしなかったそうですが「そこが良さでもある」と語っています。
また、増岡さんは「アンパンマン」のジャムおじさん役を約30年間務めていました。増岡さん自身、愛着がある作品のようで、「いつまでも世界の子供達に見てもらいたい」と語っていたようです。
長年共演してきたレギュラー陣の絆も強かったようで、年長者の増岡さんはレギュラー声優にとってジャムおじさんのような存在だったそうです。
さらに、増岡さんは「ドラゴンボールZ」の亀仙人役も務めていました。初代亀仙人役の声優・宮内幸平さんが急逝したため、「ドラゴンボールZ」第288話以降の亀仙人役を務めました。
この役も重要なキャラクターであり、様々な役柄を演じていることから、増岡さんの声優としてのスキルの高さがうかがえますね。
また、増岡さんは「有吉弘行の正直さんぽ」のナレーションを番組開始以来8年間務めていました。アニメの声優とは別の、テレビ番組のナレーションにおいても存在感を示しました。
この番組では有吉さんの毒舌をたしなめるナレーションが特徴的であり、有吉さんも増岡さんのナレーションに愛着があったようです。
増岡さんが亡くなった歳には、有吉さんが追悼のコメントを発表しています。やはり共演者としての仲間意識が強くあったようです。また、番組放送中にも、テロップで追悼のメッセージが発表されています。
この項では、増岡さんの俳優としての活動を見ていきます。声優としてのイメージが強い増岡さんですが、俳優としても数々の人気作品に出演しています。
増岡さんは1968年の大河ドラマ「竜馬がゆく」に郷士役で出演していました。役名はなく、小さな役だったものの、当時のスターが並んだ人気ドラマへの出演は、俳優としての存在感を示していたことを証明しています。
また、増岡さんは「太陽にほえろ!」シリーズにも出演していました。「太陽にほえろ!」は松田優作や石原裕次郎が出演していたことで有名な人気ドラマです。
増岡さんは何度も、様々な役柄で、このシリーズに出演しています。脇役俳優としての活動が盛んだったことがうかがえます。
さらに、増岡さんは1970年から放送されていた「大江戸捜査網」シリーズに何度か出演しています。この作品も人気シリーズであり、やはり脇役として参加していたようです。
増岡弘さんが2020年3月21日、直腸がんのため、83歳で亡くなりました。通夜・葬儀は家族葬で営まれ、喪主は妻の明子さんがつとめました。
故人の遺志でお別れの会は行われませんでした。ファンにとっては少し寂しかったかもしれませんね。ファンは各々で増岡さんにお別れを告げたと思われます。
増岡さんを追悼するコメントも多数、寄せられました。
増岡さんの後任でマスオ役を担当している声優の田中秀幸さんは「優しい笑顔、楽しいお話し、穏やかなお人柄。全部ずっと覚えています」と話し、追悼しました。
また、アニメ「サザエさん」のスタッフ一同として「(マスオさんは)いつも穏やかで優しく、ユーモアにあふれた増岡さんの人柄そのものでした」とコメントして、増岡さんの人柄をたたえています。
さらに、 アニメ「それいけ!アンパンマン」の高橋雄一プロデューサーも「増岡さんの温かいお人柄で『それいけ!アンパンマン』に残していただいた功績を、ただ感じるばかりです」と話し、増岡さんを悼んでいます。
声優の増岡弘さんについて見てきました。最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。増岡さんの演じたキャラクターは、世の人々の心の中で生き続けることでしょう。
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