木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
岡田茉莉子さんは、1951年、叔父のすすめもあって、東宝ニューフェイスの第3期として東宝演技研究所に入所しました。
叔父は、東宝映画計画部でプロデューサーをしていた山本紫朗氏。母の妹である御幸市子さんが山本氏と結婚したことで岡田茉莉子さんの叔父のなっていました。
東宝へ入所した岡田茉莉子さんは、入所して20日後、成瀬巳喜男監督の映画『舞姫』の準主役に抜擢されて銀幕デビューを果たしました。
岡田茉莉子さんは生後まもなくして父親を結核で亡くしたことから、母の妹のもとで暮らすことになり、青葉幼稚園・赤松小学校に通いました。
その後、母親がダンス教師として上海に行くことになり、さらに母の妹が結婚したために、大阪市宗右衛門町にある母の実家で暮らすことになりましたが、祖父の死をきっかけに母親のいる上海に住むことになりました。
しかし、なじめないことから単身帰国。品川区旗の台の母の妹の元に身を寄せ、旗台小学校に通いました。
その後は、香蘭高等女学校に入学したものの叔父の転勤で新潟市立高等女学校へ転校しました。
岡田茉莉子さんは、思ったことをはっきりと口にする性格で知られています。それがわかるエピソードとして、「最近の若い女優さんについてどう思われますか?」と近年でインタビューされた際に、「あの方たちは女優じゃありません。タレントさんです。」と発言したというものがあります。
また、せっかちな性格で、撮影時には誰よりも早くスタジオに入っていたようです。
それでは、現在の岡田茉莉子さんの様子についてお伝えしていきます。2019年にはどんな作品に出演していたのでしょう。また、どんなプライベートを過ごしているのでしょう。
若い頃は、売れっ子女優として多くの作品に出演していてた岡田茉莉子さん。現在86歳になり、若い頃から比べるとドラマや映画への出演は減っていますが、現在も現役の女優さんとして活躍されています。
岡田茉莉子さんは、1994年からテレビ朝日系列で放送されているドラマシリーズ土曜ワイド劇場『温泉若おかみの殺人推理』において、第4作から大女将として出演されています。
最近の放送は、2019年3月で、サブタイトルは「九州別府〜湯布院 地獄巡り連続殺人!! 母の墓前の赤いバラに完全犯罪トリック!?」。岡田茉莉子さんはこの第30作目でも大女将役を演じました。
岡田茉莉子さんは健康に気をつけた生活をしていて、旦那さんと共に40年近くジムに通っていて、エアロビクスやジャズダンスは週に3回行って汗を流しているようです。運動をしながら、腹筋、背筋、開脚を意識することで健康に気をつけているそうですよ。
また、毎日朝食で“根こんぶ”を食べることも続けているといいます。
若い頃は、整った容姿で美人女優と評判だった岡田茉莉子さん。松竹の看板女優として活躍していた頃はどんな作品に出演されていたのでしょうか。代表作をご紹介します。
若い頃の岡田茉莉子さんは、目鼻立ちがはっきりとした美人で、その美貌と演技力で東宝映画の主演スターの座を手に入れていました。
岡田茉莉子さんの父親は、昭和初期の人気俳優・岡田時彦さんです。。無声映画時代を代表する二枚目といわれていて、岡田茉莉子さんも父親譲りの美貌の持ち主だといわれています。
岡田茉莉子さんは、東宝演技研究所に入所してからわずか20日で映画『舞姫』の準主役に抜擢されて映画デビューしました。
当時の岡田茉莉子さんは理知的で目力の強く、その美貌は新人女優の中でも際立っていました。
1962年、「岡田茉莉子・映画出演100本記念作品」として主演映画『秋津温泉』を自らプロデュースした岡田茉莉子さん。これが大ヒットし、多くの映画賞を受賞しました。
この映画の成功を機に女優引退を決意いていましたが、監督を担当した吉田善重さんに止められて女優を続けることになり、1963年に吉田喜重さんとの婚約を発表しました。
岡田茉莉子さんは1962年に松竹が製作・配給した映画『秋刀魚の味』に出演しました。この作品は、妻に先立たれた初老の父親と婚期を迎えた娘との関わりを描いたもので、テーマは娘を嫁がせた父親の「老い」と「孤独」。
この父親役を笠智衆さん、長女役を岩下志麻さんが演じ、岡田茉莉子さんは、長男の妻役を演じました。
1987年に公開された映画『マルサの女』にも出演した岡田茉莉子さん。この作品は、宮本信子さん演じる東京国税局査察部の査察官“マルサの女”が暴力団・政治家・銀行が絡んだ大型脱税を暴いていく作品です。
岡田茉莉子さんは、脱税の疑いがかけられた実業家の貸金庫の鍵を管理している、内縁の妻役を演じました。
美人女優として人気を博していた岡田茉莉子さん。そんな岡田茉莉子さんのハートを射止めたのはどんな男性だったのでしょう。岡田茉莉子さんの旦那さんについてご紹介します。
岡田茉莉子さんの夫は、映画監督、演出家、脚本家をされている吉田喜重さんです。出身は福井県福井市。生年月日は1933年2月16日で現在86歳。 1955年に大学卒業を機に松竹大船撮影所に入社し、助監督を経て1960年に『ろくでなし』で監督デビューをしました。
その後、『秋津温泉』や『嵐を呼ぶ十八人』などの作品を手がけ、故・大島渚監督などと松竹ヌーヴェルヴァーグの旗手として活躍してきました。1966年には、独立プロの「現代映画社」を設立し、1969年の『エロス+虐殺』がフランスで上映されたことをきっかけに海外でも注目されるようになりました。
岡田茉莉子さんと吉田喜重さんの挙式は1964年に行われました。場所は、旧西ドイツのバイエルン州。仲人役は木下惠介監督と女優の田中絹代さんで、新婚旅行では約40日間にわたり、ヨーロッパ各国を巡ったそうです。
当時はまだその年の4月に海外渡航自由化が行われたばかりで、海外挙式やヨーロッパ旅行はとても貴重なものでした。
岡田茉莉子さんと吉田喜重さんは現在も夫婦仲がとても良く、2014年には金婚式を迎えています。金婚式には結婚式を挙げたドイツを再び訪れ、昔宿泊したホテルにも訪れたそうです。
岡田茉莉子さんは、金婚式のドイツ旅行をこれまでで一番楽しかったと話していました。
岡田茉莉子さんと吉田喜重さんの間には子供さんはいません。それは、子供をいらないという明確な意思があったためで、その理由として岡田茉莉子さんは、子供を産むと若さが失われて若さを保つために整形をしなくてはいけなくなるためと話していたことがあるようです。
女優としての才能に恵まれていた岡田茉莉子さん。それは、多くの芸能人の血を引いている芸能一家だったからかもしれません。岡田茉莉子さんの両親や叔母についてご紹介します。
岡田茉莉子さんの父親は、昭和初期、無声映画を代表する二枚目俳優、岡田時彦さんです。デビュー当時は、端正な顔立ちから、ルドルフ・ヴァレンティノに因んで「和製バレンチノ」として売り出されたほどでした。
しかし、一流のスターとなったのは和製を返上してからで、昭和2年3月に公開された阿部監督の作品で岡田時彦さんの主演作品『彼をめぐる五人の女』では、モダンでスマート、近代的な知性と憂鬱を漂わせた繊細な演技で人気を博しました。
岡田茉莉子さんと夫の岡田時彦さんは、2017年7月19日(水)に放送されたテレビ朝日『徹子の部屋』に出演し、トーク番組で初共演を果たしました。
番組で共演したお2人は結婚生活55年が経過してからも仲睦まじい様子で、一緒にジムに通っている話や、出会いとなった岡田茉莉子さんの出演100本目の時に岡田時彦さんに監督をお願いした話などを語りました。
番組内では、当時の『秋津温泉』の映像が流れ、オリジナル作品の監督しかしなかった岡田時彦さんを断り続けられてもなんとか説得し、完成した作品では多くの賞を受賞したことなどを話し、思い出深い作品であることが伝わる内容でした。
岡田茉莉子さんの母親は、宝塚歌劇団で活躍していた田鶴園子さんです。宝塚歌劇団14期生として入団し、駆け出しの頃から月組で男役を務め、後に花組でも男役を務めていました。
岡田茉莉子さんの父親と結婚したのは、宝塚歌劇団を退団する前年。松竹蒲田撮影所を退社し、非入籍ではあるものの結婚し、岡田茉莉子さんを出産しています。
岡田茉莉子さんの叔母に当たるのが母親の妹である御幸市子さんです。御幸市子さんも母親の田鶴園子さんと一緒で元宝塚歌劇団の一員。祖父の死去により母のいる上海に向かうも馴染めなかった岡田茉莉子さんを再び引き取り、小学校時代から面倒を見ていました。
昭和の美人女優として名高い岡田茉莉子さん。若い頃はとても綺麗でしたが、年齢を重ねても大御所の美人女優として活躍されています。
今後は出演作品をセーブしていく可能性もあるので、最近の出演作品は貴重なものになるかもしれませんね。これからも岡田茉莉子さんの活躍に注目です。
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芸能一家の血を引き継ぎ、自身も昭和の人気女優となった岡田茉莉子さん。若い頃はその整った容姿から大人気となり数々の作品に出演していました。
そんな岡田茉莉子さんは現在86歳になられています。最近ではあまりテレビや映画で見られなくなりましたが、現在はどんな活動をされているのでしょう。岡田茉莉子さんの家族や若い頃の活躍ぶり、現在の様子についてご紹介します。