【2023年現在】赤西仁さんの髪型は?ロングやボブなどオーダー方法も紹介
2023/11/27
r.y6
| |
マイク眞木さんは、少年期から音楽に熱中していたそうで、日本大学芸術学部在学中にモダン・フォーク・カルテットに参加しています。
そして、1966年にソロデビュー曲「バラが咲いた」を発売し、30万枚以上を売り上げる大ヒットを放ちました。
その年の紅白歌合戦に出場しています。
マイク眞木さんは、1967年にGSバンド「ザ・マイクス」を結成し、「野ばらの小径/ランブリング・マン」他2枚のシングルをリリースしました。
その後も、モービル石油CMソング「のんびり行こう」を作詞・作曲するなど、フォーク歌手として現在まで活動を続けています。
1997年に、反町隆史と竹野内豊がW主演したドラマ「ビーチボーズ」で民宿の初老のオーナーを演じ、はまり役でした。
最近のドラマでは、2018年NHKのオムニバス作品「デイジーラック」で皮具店の職人・鶴じいを演じました。
マイク眞木さんと最初の妻・前田美波里さんの間に生まれた真木蔵人さん。
NHK大河ドラマ「武田信玄」で俳優デビューし、その後も数々のドラマや映画に出演した真木蔵人さんですが、恋人へのDVで逮捕されてしまったことがあります。
そんな真木蔵人さんのことを調べてみました。
真木蔵人さんは、2003年にモデルのHARUKOこと山田明子さんと結婚し、長女いずみさんが生まれています。
しかし、2012年に山田さんがブログで離婚しました。
離婚理由は、真木蔵人さんの浮気が原因ではないかと言われています。
真木蔵人さんは、2016年5月に千葉の自宅で交際している女性に暴力を振るったとして、傷害罪の罪で逮捕されました。
10日後に処分保留として釈放されました。
この事件について、真木さん自身がMCを務める番組「BAZOOK!!!」で公式に謝罪を行いました。
真木蔵人さんは、以前から性格が荒っぽいと言われいましたが、仲間内の話では彼が大好きなサーフィンをやっているときは、すごく真面目で大人しいのだそうです。
真木蔵人さんは、俳優として活動するかたわら、2005年にスキャンダル誌「BUBKA」でコラム「蔵人独白(くろうどのひとりごと)」を連載し、人気を博しました。
2008年には初エッセイ集「BLACKBOOK 蔵人独白」を発売しています。
プロサーファーとしても活動し、サーフィンDVDをリリースしたり、サーフィンショップを営んだりしています。
また、AKTIONの名でラッパーとしても活動も行っています。
マイク眞木さんは3度結婚していて、真木蔵人をはじめ息子が4人、娘が1人います。
子供たちにも子供が生まれ、孫が6人もいて大家族です。
そんなマイク眞木さんの家族のことを調べてみました。
マイク眞木さんには、4人の息子と1人の長女がいます。
最初の妻、前田美波里さんとの間に生まれた長男・真木蔵人さん、一般人である2番目の妻との間に二男・真木勇人さんと三男・真木泰人さん、そして現在の妻・和田加奈子さんとの間に四男・真木優人さんがいます。
加奈子さんも再婚で、子供を産んだことがあったので、真木優人さんは彼女の連れ子だとも言われましたが、どうも違うようです。
マイク眞木さんと可奈子さんの間には、長女・花さんが生まれています。
花さんは、真木蔵人さんの娘いずみさんと歳が同じくらいらしく、マイク眞木さんの孫と勘違いされることもあるそうです。
ところで、真木ようこさんがマイク眞木さんの娘ではないかと噂になったことがありましたが、名字が同じだけで彼女はマイク眞木さんの娘ではありません。
真木蔵人さんの息子で、マイク眞木さんの孫のあたるノア(NOAH)さんは、2010年の16歳の時、ヒップホップの2人組ユニット「EWU」として芸能界デビューしました。
ノアさんは、真木蔵人さんとアメリカ人モデルとの間に生まれ、真木さんが21歳の時に認知した子供です。
ノアさんは、2015年にWOWWOWのテレビドラマ「ああ、ラブホテル」で俳優デビューも果たしています。
マイク眞木さんは、24歳の時に前田美波里さんと結婚し、その後別れて一般人女性と結婚。その女性とも離婚して、現在の妻である和田加奈子さんと3度目の結婚をしました。
そんなマイク眞木さんの前妻と現在の奥さんのことを調べてみました。
マイク眞木さんの現在の奥さん、和田加奈子さんは元歌手です。
和田さんは、1961年生まれで、東京芸術大学美術学部彫刻科卒業後、東京EMI主催のコンテストでグランプリを獲得し歌手デビューしました。
アニメ「きまぐれオレンジ☆ロード」で彼女の歌「星のミラージュ」「悲しいハートは燃えている」が使用され人気を得ましたが、一般男性との結婚を機に芸能界を引退しました。
子供が生まれましたが、その後、一般男性とは離婚し、マイク眞木さんとの結婚に至りました。
共に歌手で子連れということで意気投合したのではないかと言われています。
マイク眞木さんが2002年に3度目の結婚をした相手、和田加奈子さんとは歳が18歳も離れていました。
和田加奈子さんは、理由は不明ですが一度マイク眞木さんと離婚したらしいですが再再婚しています。
そして2人の間に娘・花さんが生まれました。花さんは、真木蔵人の長女いずみさんと同じ幼稚園に通っていたそうです。
マイク眞木さんが最初の妻・前田美波里さんと出会ったのはハワイでだったそうです。
マイク眞木さんが20歳の時、資生堂のキャンペーンモデルの撮影でハワイに来ていた前田さんと出会い、互いにすぐに惹かれあい交際に発展したらしいです。
そして1968年に結婚しました。
結婚後は、マスコミに追われるのを嫌ってハワイに逃避行し、その後1年ほどアメリカで暮らしていたそうです。
1972年に息子・真木蔵人さんが生まれましたが、1976年に前田美波里さんは家を出て行ってしまいました。
なんでも、結婚して家庭に入った前田美波里さんは、踊ることが何より好きな自分がこのままでいいんだろうかと疑問を抱いたらしいです。
また亭主関白なマイク眞木さんに対しても不満を感じていたそうです。
そして離婚に至ったわけです。
マイク眞木さんの前妻・前田美波里さんと現在の妻・可奈子さんは、とても仲が良いんだそうです。
マイク眞木さんと3人一緒にテレビに出演したこともありますし、子供達たちや孫たちも集まってみんなでワイワイしているんだそうです。
マイク眞木さんは自宅は千葉県の九十九里にあります。
そこで、家族たちとどんな暮らしをしているのか調べてみました。
サーフィンが大好きなマイク眞木さんの自宅は千葉の九十九里にあります。
自宅は300坪という広さで、カントリースタイルの家にはオシャレな薪ストーブがあったり、クルーザーを持っていたり、とても豪華らしいです。
息子の真木蔵人さんや泰人さんがプロサーファーですし、天気のいい日は海に出てサーフィンを楽しんでいるのでしょうね。
70歳を過ぎているマイク眞木さんが亡くなったと囁かれたことがありました。
マイク眞木さんが、腹部と足の大動脈瘤の手術をしたことで、もう危ないんじゃないかと思われ、死亡説が流れたそうです。
大動脈瘤は、あと1cmでも大きくなっていたら破裂してしまう可能性があったと言われ、とても慌ててしまったらしいです。
現在も精力的にライブ活動を行っているマイク眞木さん。
車やサーフィンが好きで、髪や髭は白くなりましたが歳をとっても若々しいし、いつまでも子供や孫たちに囲まれ、幸せに暮らしてほしいですね。
| |
この記事に関する記事
Copyright© 運営事務局
1966年に「バラが咲いた」が大ヒットし、一躍名前を知られるようになったフォーク歌手・マイク眞木さん。
音楽活動のかたわらドラマや映画に出演するなど幅広い活躍をしていますが、そんな彼の3度の結婚や彼の息子・真木蔵人さんのことを調べてみました。