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子門真人の現在は?およげ!たいやきくんや曲の裏話、引退の理由について

子門真人といえば、日本の音楽界史上最も売れたシングル曲である「およげ!たいやきくん」を歌った張本人。しかし現在は引退をしてしまっています。その引退理由や楽曲の裏話をクローズアップしました!これを読めばあなたも子門真人フリークになれるはずです。

【この記事は2019/11/28に更新されました。】

 

【この記事は2021/04/29に更新されました。】

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子門真人の現在は?なぜ引退したの?

子門真人さんは大ヒット曲「およげ!たいやきくん」を歌っていた歌手です。
しかし子門真人さんは現在は歌手業などを引退しています。子門真人さんはなぜ引退したのでしょうか?そして子門真人の現在はどのようなものでしょうか?
子門真人さんの現在や引退について迫ります。

子門真人の現在は?

子門真人さんは歌手・音楽プロデューサーとして活躍し、「およげ!たいやきくん」を始め、数々のヒット曲を生み出しましたが、現在は引退しておりメディアへの露出も一切ありません。

では子門真人さんは現在、何をしているのでしょか?子門真人さんの現在を引退の理由と一緒に見ていきます。

1993年に人間不信となり芸能界を引退した

子門真人さんは「およげ!たいやきくん」を始め、「レッツゴー!! ライダーキック」などアニメソングでのヒットが多いことから水木一郎さん・ささきいさおさんに並んで「アニメソング御三家」と言われるほどの歌手でしたが、1993年に引退してしまいます。

その引退の理由が人を信じられなくなったというものでした。子門真人さんが人間不信に陥ったのは音楽業界の待遇の悪さに一因があるのではないかと言われています。「およげ!たいやきくん」が大ヒットしましたが、子門真人さんは契約上、5万円しか貰えなかったそうです。そのため音楽業界に嫌気が差して引退したのではないかと言われています。また自殺未遂したという噂や音楽業界での評価の低さで悩んでいたらしいです。

宗教上の理由もあった?

子門真人さんは人間不信に陥って引退されたと言われていますが、もう一つ引退の理由として宗教上の理由があるのではないかと言われています。引退会見で自身の宗教上の理由を口にしていたらしいです。これについては本当の真相は不明です。

子門真人さんはクリスチャンでした。子門真人さんの名前は芸名なのですが、「子門」という言葉は聖書に出てくるシモン=ペテロから名前を拝借したらしいです。
子門真人さんが宗教上の理由から引退したことについては真相は不明ですが、子門真人さんがクリスチャンであることは確かのようです。

子門真人の引退後の噂①覆面で歌っている?

子門真人さんは1993年に人間不信に陥り引退して表舞台を姿を消しました。しかし子門真人さんは引退の後は覆面で歌っていると噂になりました。子門真人さんは違う芸名を使ってアニメの主題歌を歌っているのではないかと噂になりました。

1998年に放送されたアニメ「星獣戦隊ギンガマン」の主題歌を歌っているのが、子門真人さんではないかと噂されました。この主題歌を歌っているのは希砂未竜さんですが、正体不明の歌手の上、この歌声が子門真人さんのものにしか聞こえないためそのような噂が流れました。
しかし現在まで希砂未竜さんと子門真人さんが同一人物であるとの確かな情報はなく真相は分からないです。

子門真人の引退後の噂②宗教団体で歌っている?

子門真人さんの引退後の噂として宗教団体で歌っているとの噂もありました。
子門真人さんは真相は不明なものの宗教上の理由が引退の一つではないかと言われていました。そして子門真人さんは引退後に宗教団体のイベントで歌っているのを聞いたという噂が出たそうです。

子門真人さんはクリスチャンですが、どこの宗教で歌っているのかなどもわからず真相もわからない状態です。よって子門真人さんはクリスチャンではありますが、宗教のイベントで歌っているのかどうかは一切分かりません。

子門真人の引退後の噂③地方で隠居している?

子門真人さんの引退後の噂として地方で暮らしているのではないかという噂があります。子門真人さんの遺体の理由が人間不信ということもあり現在は地方で暮らしているのではないかということです。更に噂では自給自足の生活を送っているそうです。

また地方のペンションで暮らしているのではないかという噂もあります。
人間不信になったぐらいなので、人目のつかない場所でひっそりと暮らしているのではないか、情報があまりないのもそのためではないかということです。

子門真人のプロフィール

  • 本名(ふりがな):藤川正治(ふじかわしょうじ)
  • 生年月日:1944年1月4日
  • 現在年齢:75歳
  • 出身地:東京都目黒区
  • 血液型:A型
  • 活動内容:歌手・音楽プロデューサー

子門真人とは?

子門真人さんは引退前は歌手・音楽プロデューサーとして活躍していました。
子門真人さんは「子門 真人」という芸名の他にも「藤 浩一」「藤川 浩一」「藤 ひろかず」と数多くの芸名を持っています。
「子門 真人」の子門は聖書に由来し、真人は子門真人さんの中学校時代の友人の名前を拝借しています。

子門真人さんと言えばアフロヘアーに眼鏡という出で立ちが印象的ですが、このアフロヘアーに眼鏡という出で立ちは「およげ!たいやきくん」のヒットで子門真人さんがテレビに出る機会が増え、頻繁に露出するようになり、世間でその出で立ちが印象付けられました。

子門真人の生い立ち

子門真人さんは1944年1月4日に3人兄弟の末っ子として産まれました。
子門真人さんはその後、高校2年生の時にクラシックの声楽を学びました。
子門真人さんはこの頃は声楽を学ぶも歌手になるつもりはなく、サラリーマンになるつもりだったらしいです。

子門真人さんが歌手に興味を抱くようになったのは玉川大学4年生の時です。
大学4年生の時の忘年会でフォークソングを歌い。友人の勧めで歌手に興味を持ったそうです。また子門真人さんがクリスチャンになったのも玉川大学時代であるそうです。

藤浩一として歌手デビューするも一度引退した

子門真人さんは藤浩一という芸名で歌謡曲歌手として日本グラモフォン(現在のユニバーサルミュージック)からデビューしました。しかし、鳴かず飛ばずでヒットには恵まれず、デビューからわずか1年半で一度引退しました。

この時期では「故郷の悲しき星・ 涙のギター」・「黄色いレモン・涙のナイトトレイン」・「ハートで歌おう ・悲しみの翼」「愛の叫び ・ギターよおまえに」・「夢はバラ色・風はあなたのたより」のシングル5枚を出しただけでした。

フジ音楽出版に入社して音楽活動は継続

子門真人さんは藤浩一として鳴かず飛ばずで引退した後も、音楽活動自体は継続していました。
子門真人さんは引退後にフジ音楽出版(現在のフジパシフィックミュージック)に入社しました。そしてスタジオミュージシャンとして音楽活動を継続していました。

この頃の子門真人さんはGSグループへの楽曲提供やアルバイトでCMソングを歌うことなどをしていました。子門真人さんは後に大ヒット曲「レッツゴー!! ライダーキック」を歌うことになりますが、この「レッツゴー!! ライダーキック」の収録はCMソングのアルバイトだと思って参加したそうです。

「レッツゴー‼ライダーキック」が130万枚を超える大ヒット

子門真人さんがアニメソングを歌うようになったきっけかは大ヒット曲「レッツゴー‼ライダーキック」を歌ったことでした。
この「レッツゴー‼ライダーキック」は番組の爆発的な人気と共に、130万枚を超える大ヒット曲となりました。

これを皮切りに子門真人さんは幾多ものアニメソング・特撮ソングを歌うことになりました。そしてそれらの多くはヒットを生みました。「レッツゴー‼ライダーキック」は子門真人さんの音楽活動を変えたものではないでしょうか。

円谷音楽出版に移籍。特撮テレビドラマ主題歌を多数手がける。

「レッツゴー‼ライダーキック」を大ヒット曲にした子門真人さんは移籍することになります。
子門真人さんは1972円谷音楽出版に移籍しました。
円谷音楽出版では歌手としての契約ではなく、社員として雇用されました。

円谷音楽出版では楽曲管理の総責任者を務めていました。
その傍ら「レッドマン」・「トリプルファイター」・「ジャンボーグA」・「ファイヤーマン」といった円谷プロダクション制作の特撮テレビドラマ主題歌を多数手がけました。

「およげ!たいやきくん」での大ヒット

子門真人さんの世間体な知名度を上げるのに貢献したのが大ヒット曲「およげ!たいやきくん」です。1975年に「ひらけ!ポンキッキ」内で発表された「およげ!たいやきくん」が大ヒットし、オリコンチャートでシングルチャート初登場1位、11週連続1位を記録しました。

1976年には第9回全日本有線放送大賞特別賞・第5回FNS歌謡祭最優秀ヒット賞を受賞しました。そして「およげ!たいやきくん」は日本において史上最も売れたシングル盤になり、子門真人さんの代表曲になりました。

西友ストアー主催のミュージカルに出演し、これが縁となりSPNに入社。芸能界を引退する。

子門真人さんは1980年には西友ストアーが主催の西友ファミリー劇場の「翔べイカロスの翼」の主演をしました。その縁でSPN(現在のI&S BBDO)に課長の待遇で入社しました。これにより芸能界を一時引退しました。西友ではは西友ファミリー劇場のミュージカルのプロデュースを担当していました。

その後1986年に退職しますが、その理由は部長に就任すると制作現場から遠くなることを懸念したこととミュージカル制作に挑戦するためでした。そして1986年に芸能界復帰をして、1987年にフリーに転向しました。

1993年頃に再び芸能界を引退する。

子門真人さんは芸能界復帰後も「勝利のマシンロボ」で久しぶりのアニメソングを歌うと、「Aランクサンダー 誕生編」「究極戦隊ダダンダーン」などのゲーム主題歌やラジオ番組「青春ラジメニア」のテーマソングを手がけました。

しかし、子門真人さんは1993年ころに再び芸能界を引退しました。そして現在まで公式にはマスメディアへの露出は一切しておらず、沈黙を守ったままです。
また1993年頃に引退する前はミュージカル制作にも挑戦していましたが、ミュージカルの制作はうまくいったとは言えなかったそうです。

子門真人のエピソード

子門真人さんはアニメソング御三家の一人ですが、子門真人さんは歌手を副業と位置づけて活動していたそうです。そのため、特定のレコード会社と専属契約を結ぶことはなったそうです。そのため作品のレコード会社は多数に渡っています。

そして子門真人さんは同時期に複数のレコード会社で活動することもあったそうです。中には「ガッチャマンの歌」「アイアンキング」などの曲をセルフカバーしたり、同じ歌を複数のレコード会社で売ったこともあるそうです。

子門真人の歌手としての特長

「レッツゴー‼ライダーキック」」や「およげ!たいやきくん」などで大ヒットした子門真人さんですが、子門真人さんの歌手としての特徴はどのようなものなのでしょうか?

子門真人さんの歌手としての特徴を見ていきます。

歌唱力は超一級

子門真人さんの歌唱力は超一級との評価があります。
子門真人さんの歌唱法は独特です。粘りつくような独特な歌い方をします。子門真人さんのあまりに独特な歌い方を電気グルーヴ が「シモニック唱法」と呼んでいました。

また電気グルーヴは子門真人さんの歌唱法をまねしたこともあります。電気グルーヴは「子門'z」という名義で企画盤をリリースしたのですが、その中で電気グルーヴは子門真人さんのコスプレをして歌声を模した歌唱法で楽曲を出しました。

耳に残る雄叫び

子門真人さんの歌い方の特徴として曲間で雄叫びが入っていることです。この雄叫びは「イヤーォ」、「ウォー」、「ライディーン」などで、これらの雄叫びはすべて子門真人さんによるアドリブではないかということです。

更にアドリブの雄叫びがセンスがいいです。子門真人さんの雄叫びは絶妙で最初からあったのではないかと思わせるぐらい違和感がないものだそうです。
ここまでくると逆に雄叫びがないほうが違和感が感じるくらいだそうです。

多くの歌手に楽曲提供をしている

子門真人さんは歌手以外にも楽曲の提供も行っていました。
子門真人さんは時にはいくつかの架空の人物の名義を使って女優などに楽曲提供をしていました。 架空の人物の名義は「椿もとみ」・ 「藤ひろかず」・「サタンタ」があります。

子門真人さんはザ・ライオンズに「絵の中の恋人(TELL ME)」など、中山恵美子さんに「白い波をのこして」など、ピコさんに「思い出は涙と共に」、水森亜土さんに「アレアレアラレちゃん」など数多くの楽曲提供をしていました。

音楽番組、テレビドラマ、ミュージカルオペラにも出演した

子門真人さんは歌手として以外にも数はあまり多くありませんが、音楽番組・テレビドラマ・ミュージカルドラマに出演したこともあります。これによって活動の幅が広がっています。また1982年の映画「アニー」で吹き替えもしています。

子門真人さんは音楽番組では「夜のヒットスタジオ」「FNS歌謡祭」「子門真人のおしゃべりジョッキー」など、テレビドラマでは「SFドラマ 猿の軍団」「たぬき先生奮戦記 」など、ミュージカルオペラでは「ふしぎなお芝居」などに出演しました。

楽曲に関するエピソード

子門真人さんの楽曲に関するエピソードで『勇者ライディーン』の逸話があります。
子門真人は『勇者ライディーン』の主題歌である「勇者ライディーン」を収録後に喫茶店でコーヒーを頼もうとして間違えて「ライディーン」と叫んでしまったという逸話があります。

また「勇者ライディーン」の挿入歌である「海よ」は子門真人さんが後年に子門真人さん自身がアニメ雑誌において一番気に入っている楽曲であると言っていました。子門真人さんにとって「勇者ライディーン」は思入れのある作品なのではないでしょうか。

「およげ!たいやきくん」空前の大ヒットにまつわる裏話

「およげ!たいやきくん」で空前の大ヒットを生み出した子門真人さんですが、この「およげ!たいやきくん」の大ヒットにまつわる裏話をご存知でしょうか。

「およげ!たいやきくん」の空前の大ヒットにまつわる裏話を見ていきます。

売上金は入らない契約だった?

「およげ!たいやきくん」で印税契約をしていなったため子門真人さんに印税が入ることはありませんでした。
普通は1枚の売り上げごとに数円が配当される印税契約を取り交わしますが、子門真人さんはその印税契約をしていませんでした。

子門真人は「およげ!たいやきくん」を1曲5万円のアルバイトで歌ったのですが、その際に歩合か買取どちらがいいか聞かれたとき、子供の曲だから売れてもたかが知れていると思って軽い気持ちで買取を選んだそうです。

ヒット記念としてレコード会社から100万円と白いギターをもらった

「およげ!たいやきくん」が空前のヒットになるものの、印税契約をしていなかったため印税が入らなかった子門真人さんですが、レコード会社からヒット記念として100万円と白いギターを貰ったそうです。

結局、子門真人さんが「およげ!たいやきくん」の大ヒットで手に入れたのは「およげ!たいやきくん」を歌ったことによるアルバイト料5万とヒット記念の100万と白いギター、そしてテレビの出演料や各賞の賞金などだけでした。

大ヒットの要因はサラリーマンの心に響いたから?

「およげ!たいやきくん」の大ヒットの要因は情緒に訴えかけるメロディやシングル盤に付属していた塗り絵を求めて買われたという意見があります。
また成人層へのアピールに成功したのが大ヒットの要因でもあります。

サラリーマンの会社勤めを辞めて広い世界へ飛び出したいという気持ちを代弁した歌詞だたっためサラリーマンの心に響きました。そのため普段はレコードを買わない中高男性がレコードを買ったため大ヒットに繋がったという要因もあります。

子門真人さんは引退後にテレビに出たことがある?

子門真人さんは引退後、公式にはメディアへの露出はなく沈黙を守っていますが、引退直後のテレビ番組に突撃取材を受けたことがありました。

子門真人さんの引退後のテレビでの突撃取材について見ていきます。

あの人は今で突撃取材を受けるも取材拒否する

子門真人さんはあの人は今で突撃取材を受けました。
子門真人さんはその突撃取材に対して撮影拒否をしました。
更には突撃取材に起こった子門真人さんがスタッフを追い掛け回すという展開になったので数十秒で放送は中断になってしまったそうです。

子門真人さんが撮影拒否したため、放送はすべてモザイク処理がされたそうです。子門真人の態度と今までずっとメディアに露出せずに沈黙を守ってきたことからも芸能界との距離を置きたいという思いが伝わってきます。

子門真人さんは引退後は静かに暮らしていた

子門真人さんは「レッツゴー!! ライダーキック」や「およげ!たいやくきん」などの大ヒット作を出し、アニメソング御三家の一人になるほどでしたが、人間不信に陥って引退していたことが分かりました。その後はメディアへの露出もなくあまり情報がないのですが、引退後は静かに暮らしているのでしょうか。そんな子門真人さんを見守っていきましょう

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