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    多岐川裕美の若い頃が美人すぎる!元旦那と離婚した理由とは??

    現在も美人女優として名高い多岐川裕美さん。若い頃もさぞかし美人だったのではないでしょうか?また、元旦那とは離婚しているようですが原因は何だったのでしょう。今回は、多岐川裕美さんの若い頃の活躍や元旦那との離婚についてご紹介します。

    若い頃も美人の多岐川裕美!離婚の過去も

    女優として数々の名作に出演してきた多岐川裕美さん。その美貌は今も健在ですが、若い頃はとてつもない美人だったようです。でも、女優人生も結婚生活も順風満帆にはいきませんでした。

     

    多岐川裕美さんがこれまで背負ってきたものは何だったのでしょう。また、結婚相手や離婚の理由についてもご紹介します。

    多岐川裕美のプロフィール

    • 本名(ふりがな/愛称):大内 薫(おおうち かおる/)
    • 所属事務所:トライストーン・エンタテイメント
    • 生年月日:1951年2月16日
    • 現在年齢:68歳
    • 出身地:東京都杉並区荻窪
    • 血液型:O型
    • 身長:160cm
    • 体重:非公開
    • 活動内容:女優 歌手
    • 家族構成:娘

    デビューのきっかけはスカウト

    多岐川裕美さんは、山脇学園短期大学出身です。芸能界デビューのきっかけは、大学在学中の1974年、東京駅近くでアルバイトをしていた時に映画『聖獣学園』のヒロインを探していた鈴木則文氏にスカウトされたことでした。

    デビューから現在まで「多岐川裕美」という名前で活動していますが、これは芸名で、デヒュー作となった映画の役名「多岐川魔矢」の多岐川と、監督が偶然開いた女性週刊誌の中にあった懸賞の一等入選者の名前が裕美さんで、運をもらうために「多岐川裕美」と名づけられました。

    娘は多岐川華子

    多岐川裕美さんの娘は、女優の多岐川華子さんです。現在は「華子」という名前で芸能活動をされているようですね。簡単なプロフィールは以下のとおりです。

    • 本名(ふりがな):大内 華子(おおうち はなこ)
    • 所属事務所:トライストーン・エンタテイメント
    • 生年月日:1988年9月16日
    • 現在年齢:31歳
    • 出身地:神奈川県
    • 血液型:A型
    • 身長:161cm
    • 体重:43kg
    • 活動内容:タレント グラビアアイドル 女優

    華子さんは、幼い頃から芸能界を目指していて、14歳の時に母親である多岐川裕美さんのようにチヤホヤされたいとのーいう憧れから芸能界入りを志しました。

    しかし、多岐川裕美さんは華子さんの芸能界入りを大反対。母親に内緒で10社以上の芸能事務所に履歴書を送りオーディションを受けるものの全滅していまいます。そんな熱意に心動かされたのか、結局は、多岐川裕美さんのコネで芸能界入りを果たし、芸能活動を開始しました。

    多岐川裕美の昔の活躍は?

    現在も美しい多岐川裕美さんですが、若い頃はとても美人で人気を博していました。多岐川裕美さんの若い頃の活動を振り返ります。

    ヌードの作品が多い

    多岐川裕美さんはデビュー作でヌードを披露しています。以降はヌードを拒否していましたが、1975年の映画『仁義の墓場』では主人公・石川力夫と破滅に向かうヒロイン役や同年の映画『続・愛と誠』では影の大番長・高原由紀役などを熱演しました。

    その後も千葉真一主演作品『けんか空手 極真拳』シリーズなどに出演したり、1976年には「女囚さそりシリーズ」の『新・女囚さそり 701号』で松島ナミ役を演じたりと活躍してきました。

    ヌードを拒否後に事務所を移籍

    多岐川裕美さんはデビュー後、ヌードになる作品が多かったものの本人は嫌だったようで、1978年のフジテレビのドラマ『飢餓海峡』のヒロイン役はヌードが嫌という理由から降板しています。

    その後、ヌードを拒否するように東映から三船プロダクションに移籍していますが、さらにその後は田中プロモーションへと集団脱退をしたことでメディアを騒がせています。

    田中プロモーションとは、三船の片腕と呼ばれていた当時の専務・田中壽一氏が、三船プロの俳優のほとんどを引き抜き、独立するという事件で、多岐川裕美さんのほか、竜雷太さんや秋野暢子さんも一緒だったようです。

    1978年頃から人気女優に

    田中プロモーションへの集団脱退により世間を騒がせた多岐川裕美さんですが、その頃の1978年から1979年まで放送された『柳生一族の陰謀』でヒロインに抜擢され、1979年『俺たちは天使だ!』ではクールでありながらコミカルな一面を持つ秘書を好演し、人気女優へと駆け上ります。

     

    早大生の人気投票で第一位を獲得

    こうして人気女優となった多岐川裕美さんですが、とくに若者の心をつかんだのは、1979年のNHK「少年ドラマシリーズ」『七瀬ふたたび』のヒロイン・火田七瀬役。その影響もあり、当時、早稲田大学生の人気投票第一位に輝いています。

    この頃には清純派女優として名高い多岐川裕美さんでしたが、デビュー作などでヌードになっていることが改めて取り上げられるとになり、多岐川裕美さんは「監督に騙されてヌードになった」と週刊誌に語るというエピソードも。

    これを受けて当時の鈴木監督は「映画人の名誉に関わる問題、告訴も辞さず」などと抗議をし、さらに週刊誌を賑わせたようです。

    多岐川裕美の元旦那は阿知波信介

    多岐川裕美さんは1984年に結婚しています。お相手の方は、阿知波信介さんといって華子さんの父親でもあります。馴れ初めや離婚理由についてご紹介します。

    阿知波信介のプロフィール

    阿知波信介さんは、元俳優、元芸能プロモーターの方です。本名は阿知波 信雄(あちは のぶお)さん。島根県益田市出身で明治大学政経学部卒業されています。

     

    俳優活動の後はマネージャーへと転身し、田中プロモーション副社長、アクターズプロモーション副社長、兼アクターズエージェンシー社長を務めています。

    『ウルトラセブン』に出演

    『ウルトラセブン』が代表作である阿知波信介さん。『ウルトラセブン』は宇宙の侵略者から地球を守るウルトラ警備隊と、ウルトラ警備隊のような地球人に協力するヒーロー・ウルトラセブンの活躍を描いた特撮ドラマ。

     

    阿知波信介さんは、『ウルトラセブン』に登場するウルトラ警備隊のソガ隊員役として人気を博していました。

     

    馴れ初めは?

    多岐川裕美さんと阿知波信介さんの出会いは、多岐川裕美さんが三船プロダクションに所属していた時期。当時、事務所の女優とマネージャーという関係で知り合いました。

    阿知波信介さんはマネージャーをしていたものの、一度は人気作品に出演していた俳優であったことで、芝居の夢が捨てきれずにいたようです。そこで、多岐川裕美さんに芝居の悩みを相談するうちに親しい関係になったようです。

    離婚理由は?

    1984年に結婚した多岐川裕美さんと阿知波信介さんでしたが、残念ながら1997年に離婚しています。

     

    離婚に至った理由は、阿知波信介さんの不倫がきっかけだったようです。不倫の相手は銀座に勤めていたホステスで阿知波信介さんよりも20歳ほど年下の女性。阿知波信介さんが不倫に走った原因はわかりませんが、多岐川裕美さんほどの美しい女性と離れてまでも不倫に走ったということは、不倫相手の女性とは本気の恋愛に発展したのかもしれません。

    阿知波信介は離婚後再婚

    阿知波信介さんは多岐川裕美さんと離婚後、不倫相手であったホステスの女性と再婚しています。この女性との間に子供がいたのかは不明です。 

     

    しかし、離婚後も多岐川裕美さんとは所属事務所であったアクターズプロモーションの副社長と所属女優という関係が続いていました。

     

    多岐川裕美さんは離婚後再婚はしていません。

    多岐川裕美の元旦那が自殺?

    阿知波信介さんは多岐川裕美さんと離婚後に衝撃の最期を遂げています。亡くなったのは2007年の67歳のとき。どんな最期だったのかをご紹介します。

    2007年に鹿児島県で死去

    阿知波信介さんは2007年5月2日から行方不明となっていて、5月4日に鹿児島県霧島市の犬飼滝で遺体で発見されました。死因は自殺。

    阿知波信介さんはとても筆マメな人で、いろいろなメモを残していたことから身元が判明したようです

     

    自殺の前に多岐川華子に電話していた

    阿知波信介さんが亡くなる一週間前、娘の華子さんに着信がありました。しかし、当時、華子さんは学校に行っていない時期でもあり、父親と話すのが面倒だという理由から電話には出ませんでした。

     

    このことは、後々にまで華子さんの後悔の念として残ることになります。

    自殺の理由は?

    阿知波信介さんが自殺をした理由については明らかになっていませんが、2004年に脳梗塞で入院し、亡くなる数年前からは高血圧に悩まされていたようです。そのため、体調を苦にして自殺してしまったのでは?という説があります。

     

    また、阿知波信介さんが所属していたアクターズプロモーションは5億円という負債を抱えて破産宣告をしていました。このことについても自殺の原因である可能性が高いといわれています。

    鹿児島で自殺した理由は?

    阿知波信介さんが最期の場所に鹿児島を選んだ理由は、鹿児島は阿知波信介さんの代表作である『ウルトラセブン』のイベントがはじめて開催された場所であるためではないかといわれています。

    この場所には『ウルトラセブン』のメンバーが全員揃ったこともあり思い出深い場所だったのではないでしょうか。

    多岐川華子が番組で透視を依頼

    阿知波信介さんが亡くなる前にかけてきた電話に出られなかったことで長年苦しんでいた華子さん。

     

    その気持ちを番組で吐露し、2013年に霊能力者の木村藤子さんに鑑定を依頼しています。木村藤子さんの鑑定によると、当時の阿知波信介さんは精神のバランスを崩していたということで未遂を繰り返していたということです。

    また、阿知波信介さんは華子さんに助けを求めていたわけではなく、華子さんへの愛情が強かったためで、仮に華子さんが電話に出ていても自殺は防ぐことは出来なかったと話しています。

    多岐川華子から見た両親は?

    娘の華子さんには、多岐川裕美さんは母親としてどう映っていたのでしょう。華子さんの子供の頃のえぴそーどをご紹介します。

    小学2年生のきに両親が離婚

    多岐川裕美さんは華子さんが小学2年生のときに離婚しています。離婚後は母親に引き取られた華子さんでしたが、お金には困らなかったものの、さみしい子供時代を過ごしたようです。

     

    母親と一緒に過ごす時間はほとんどなく、「娘と向き合ってもどういう会話をしていいのか、分からなかった」と多岐川裕美さんが話すくらい、会話も少ない家庭だったようです。

     

     

    多岐川裕美は酒豪

    多岐川裕美さんは、芸能界の中でもかなりの酒豪で知られていて、これもまた酒豪といわれている萬田久子さんとは飲み友達であるようです。

    幼い頃の華子さんの母親の記憶は、“仕事をしているかお酒を飲んでいるか”。当時の華子さんの世話役は家政婦さんだったと華子さんは話しています。

    思春期に関係が悪化

    華子さんとどう会話していいのかわからなかったという多岐川裕美さん。そのため関係は薄くなり、華子さんは母親を振り向かせるために「学校に行きたくない」と困らせたこともあったといいます。

    包丁をつきつけられたことも

    華子さんは、ある時、「ママはわたしを抱きしめてくれない」と叫び、多岐川裕美さんと大喧嘩になったといいます。すると多岐川裕美さんは華子さんをなだめようとしたのか、台所から包丁を持ち出し、自分につきつけて「ママは死ぬ」と脅したのだそうです。

    それには華子さんも「ママやめて」と狼狽するしかなかったといいます。

    美貌を持つも苦労の多かった多岐川裕美

    美しい容姿に恵まれ、女優として順調に第一線で活躍してきたかの多岐川裕美さんですが、その裏には数々の苦労があったようです。でも、まだまだ68歳。これからも多くの作品に出演して欲しいですね。

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