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2023/11/27
r.y6
バンドとして大成功をしたフジファブリックは、現在も多数のライブをこなしております!
そして2009年にボーカルを務めていた志村正彦さんが、29歳という若さで亡くなってしまいました。
突然の悲しい報告にファンからは悲しみの声が多数上がりました。
志村正彦さんの死因は「不明」となっております。
なぜ死因が特定されないのでしょうか?
病気?自殺?様々な噂が飛び交っています。
偉大なボーカル・志村正彦さんが亡くなってからのフジファブリックも、合わせて調査致しました。
有名なフェスに出演をしたり、話題性もあり大人気となったフジファブリック。
2000年でバンド結成され、これまでに数々の名曲を生み出し前進し続けております。
魅力溢れるフジファブリックの経歴をご覧ください。
何度もメンバーが変わっているバンドで有名なフジファブリック。
志村正彦さんが亡くなってからも解散はせず、残りのメンバーで活動をしております。
山内 総一郎(やまうち そういちろう)
ボーカル&ギター担当
1981年10月25日(40歳)
大阪府茨木市出身
活動期間は2003年~
金澤 ダイスケ(かなざわ だいすけ)
キーボード&コーラス担当
1980年2月9日(41歳)
茨城県久慈郡大子町出身
活動期間は2002年~
加藤 慎一(かとう しんいち)
ベース&コーラス担当
1980年8月2日(41歳)
石川県金沢市
活動期間は2002年~
2000年にボーカル・志村正彦さんを中心に結成されたロックバンドです。
2001年まで「富士ファブリック」という名義でした。
一度解散をし、再結成され名義も新しくなり現在の「フジファブリック」となりました。
結成から2年後にインディーズでミニアルバム「アラカルト」をリリースしました。
インディーズ期間を経験し、2004年にシングル「桜の季節」をリリースしてメジャーデビューしました。
当時は5人構成でのバンド活動でした。
映画「悪夢探偵」のエンディングテーマにも起用された「蒼い鳥」を2007年にリリース。
そして見事オリコンTOP10入りを果たしました。
この曲で、一気に知名度が上がり人気アーティストの仲間入りをします。
2009年にフジファブリックのボーカルである志村正彦さんが、自宅で亡くなっていたことがニュースになりました。
その死因とは一体なんだったんでしょうか。
フジファブリックの迷宮した謎、志村正彦さんについて調査しました。
2009年12月24日、志村正彦さんは29歳という若さでこの世を去りました。
連絡の取れない志村正彦さんを心配したマネージャーが自宅を訪ねた際には、すでにパソコンの前で亡くなった状態だったようです。
志村正彦さんが死去後にフジファブリックの公式サイトで、志村正彦さんの死が発表されました。
そして、死因については不明と書かれていました。
現在でもなぜ亡くなったのか分かっておらず、メンバーも驚きを隠せないほど。
志村正彦さんは以前から、よく体調を壊していたとの情報が入っております。
多忙すぎて難聴の症状が出たり何度も倒れてしまったり・・・と、健康状態は常に宜しくない状況だったようです。
もしかすると重たい病気?とも思いましたが、病気なら公式サイトできちんと発表をするのでは?
調べれば調べるほど不明な点が上がってきますね。
あまりにも突然な志村正彦さんの死去のお知らせだった為、フジファブリックのファンは驚きを隠せず悲しみました。
死因は特定されていません。
ファンの方々はその不可解な死因について予想を立てていました。
ご紹介いたします。
志村正彦さんと生前親交のあったトライセラトップスの和田唱さんが、ブログで志村正彦さんの死を悼む内容の記事が載せられました。
その際に、志村正彦さんとの思い出話や若すぎる死に悲しんでいる事などが書かれており、死因については何も触れていませんでした。
触れていないという事は良くない事だと思うファンが多く、志村正彦さんは本当は自殺をしたのではないか?と噂をされました。
和田唱さんはその後、「死因は自殺ではない」とブログ内ではっきりと否定をしていたので自殺の線は薄いのかも知れません。
そして、「今後も一緒にライブをやろう」と約束をしていた様です。
志村正彦さんが亡くなる前日に飲み会が行われました。
その際に、志村正彦さんは飲みすぎて泥酔していたという噂がありました。
当時の彼女が家まで志村正彦さんを送り届けたが、志村正彦さんは「大丈夫」と話した為、彼女はそのまま帰宅した様です。
この様な噂が立っていましたが、実際は少し違った様子。
志村正彦さんは亡くなる数年前からお酒を控える生活を送っていました。
亡くなる前日に飲み会を主催したバンドART-SCHOOLのボーカル・木下理樹さんが「当日はほとんどお酒を飲んでいなかった」と語っておられました。
なので、飲みすぎで死亡したわけではないのかも知れません。
志村正彦さんは、フジファブリックの為に曲作りやツアーの準備に追われる日々を過ごしていました。
その為、睡眠時間は2時間であることを公言しておりました。
食事は取らず主食はミンティアだった様です。
多忙で、かなり不摂生な生活を送っていたのかも知れません。
亡くなる数日前までは、体調も良好で健康だったことを報告しておりました。
ですが、志村正彦さんを見た人たちは「ゲッソリしていて異常さを感じる」との意見もありました。
栄養面でも偏っていたので、直接の死因ではないかも知れませんが関係があるのかも・・・?
フジファブリックのボーカル志村正彦さんは亡くなる2週間前にブログを更新しておりました。
そこで書かれていた内容とは?
一体どのような想いが綴られていたのでしょうか?
また、死因とは関係があったのでしょうか?
志村正彦さんは「志村日記2」の名のブログを開設しておりました。
亡くなる2週間前、12月10日にもブログを更新していた事が明らかになっております。
志村正彦さんが最後に更新したブログには、以前はツアーをやるたびに風邪をひいていたが最近はひかなくなった事や体調が良い事など、健康な状態であることを更新しておりました。
そのような内容なので、過労死や不摂生など噂はありましたが死因は別のものだと思われます。
何度もバンドメンバーの加入や脱退を繰り返していたフジファブリックでしたが、ボーカルである志村正彦さんは脱退をする事なく初期メンバーとしてフジファブリックを引っ張っていました。
バンドの中心である志村正彦さんが亡くなってからフジファブリックはどのようになったのでしょうか?
志村正彦さんが死去した後に話し合いを重ね、フジファブリックは3人で続けて行くことを決意したようです。
ギターの山内総一郎さん、ベースの加藤慎一さん、キーボードの金澤ダイスケさんの3人で、現在も精力的に活動を行っています。
フジファブリックの今のボーカルは、ギターの山内総一郎さんが務めています。
これまでは、ほとんどの楽曲で志村正彦さんが作詞作曲を担当していましたが、現在では山内総一郎さんがそのポジションについております。
2019年8月にミュージックステーションに出演したフジファブリック。
その際に、志村正彦さんが生前ノートに「ミュージックステーションに出たい」と書いていたエピソードを語って話題となりました。
この放送でフジファブリックの代表曲である「若者のすべて」を披露しました。
曲の終盤で志村正彦さんの映像をバックで流したり、志村正彦の歌声に切り替えるなどの演出がありました。
放送後には、かなりの反響があり、ファンからは感動の声が相次ぎました。
フジファブリックは多数の曲を生み出し、人気がとても高いですね。
志村正彦さんが亡くなる前は、ほとんど志村正彦さんが作詞されていた様です。
フジファブリックの心に響く曲や聴き心地の良い曲などをご紹介いたします。
絶対に聞いて欲しい5曲となっております!
2005年2月2日リリース
四季を基調に作られた連作最終章シングル4作目
オリコン最高位49位
冬をテーマにした曲で、途中で刻まれる耳に心地よいリズムが人気な曲です。
ミュージックビデオには、コンドルズの近藤良平さんが担当した「ケチャ」に似たダンスが取り込まれています。
曲だけではなく映像としても楽しめる曲です。
2005年6月1日リリース
シングル5作目
オリコン最高位34位
軽快さを重視した8ビートのテンポが気持ちよく、勢いのある曲です。
志村正彦さん本人が「変わるきっかけを作ってくれる曲」と言っておりました。
2018年の映画「虹色デイズ」に挿入歌として起用されました。
2004年9月29日リリース
四季を基調に作られた連作シングルの3作目
オリコン最高位50位
秋をテーマにした曲で、これほどまでに秋を感じられる曲はないと思うくらいに心に響きました。
そして、胸が締め付けれらるような切ない歌詞が最高です。
志村正彦さんのゆったりした声が、哀愁さを表現している名曲です。
2010年7月28日リリース
アルバム8作目「MUSIC」に収録
オリコン最高位7位
この曲は志村正彦さんが作詞した最後の曲でした。
このアルバムが発売される前に志村正彦さんが亡くなってしまい、残されたメンバーで完成させた曲。
ドラマ・映画「モテキ」の主題歌にも起用されたので聴いたことがある人が多いかと思います。
叫び声の様なギターソロがとてつもなくカッコいい。
2007年11月7日リリース
シングル10作目
オリコン最高位30位
作詞した志村正彦さんが「夏の終わりの最後の花火大会が終わった後の切なさや虚しさなど、感傷的になり考えてしまう所を歌った曲」と語っておられました。
志村正彦さんが死去した後、故郷の故郷富士吉田市では夕方5時のチャイムにこの音楽が流されたようです。
ファンの中では圧倒的に大人気な曲で、フジファブリックの代表曲になりました!
そして多数アーティストにカバーをされて名曲と化しました。
数々の名曲を世に送り出してきたロックバンド・フジファブリック。
2000年にバンドを結成し、現在までメンバーの脱退や加入を繰り返しながら歴史を重ねてきた素晴らしいバンドです。
そんな人気バンドに突然の別れが・・・。
それはボーカルである志村正彦さんの死去。
突然のことで世間は驚きを隠せず悲しみに浸っていました。
死因もいつまでも特定されず不明なまま。
本当に悲しい出来事でした。
志村正彦さんはボーカルとして、そして作詞家としてフジファブリックを支えていました。
志村正彦さんが残した功績はとても大きいもの。
残りのメンバーは今も変わらず、フジファブリックとしてバンドを継続させております。
どうか今の状況が志村正彦さんに届く様に、フジファブリックの活動をこれからも応援したいと思います。
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【この記事は2021/06/30に更新されました。】